◆エロス―肉体的な愛(R-15)
五つ目
学園の旧校舎、使われなくなった温室の隅。
湿った土の匂いと、咲き乱れる極彩色の花の香りが混じり合うその場所で、私は激しい鼓動を抑えられずにいた。
「……っ、ゲイリー様。お止めください。ここは学園ですわ」
私の肩を抱き、壁際に追い詰めているのは、学園きっての遊び人と名高いジェラード侯爵令息、ゲイリー様だ。
彼の大きな手が、私の腰を引き寄せ、厚い胸板が私のドレス越しに熱を伝えてくる。
「いいじゃないか、ヴィクトリア。誰も来やしない。…それに、君もこんなに熱くなっている」
耳元で囁かれる低い声。首筋を掠める彼の吐息。
私は先日、シェリー・イースという令嬢に「自己愛」と「信頼」の美学を見せつけられ、敗北を認めたばかりだ。高潔で、精神的に自立した愛こそが至高であると、そう学んだはずだった。
なのに、どうして。
この不誠実で、快楽主義な男に指先で触れられるだけで、私の理性は泥のように溶けてしまうのか。
「貴方は…遊び人のはずでしょう? 私以外の女にも、こうして……」
「失礼だな。君に会ってから、他の女はすべて整理したと言っただろう? 医者の診断書だって見せたはずだ。僕は君に対して、あらゆる意味で『清潔』でいたいんだよ」
ゲイリー様は、私の顎を指先でクイと持ち上げた。その瞳は、いつもの軽薄な笑みを消し、飢えた獣のような光を宿している。
「ヴィクトリア。僕は君の心が欲しい。だが、それと同じくらい、君の身体が欲しい。指の先から髪の一本まで、僕の所有物だと刻み込みたいんだ。これは、精神論じゃ解決できない『渇き』なんだよ」
「……あ…」
彼の唇が、私の唇に重なろうとした、その時。
「不潔です!! 破廉恥ですわ!! 離れなさい、その令嬢から!!」
静寂を切り裂く、あの忌々しい金切り声。
温室の扉が勢いよく開き、顔を真っ赤に上気させたレニー・ピアースが乱入してきた。
彼女は、まるで親の仇でも見つけたかのように指を差し、私たちに向かって叫び始めた。
「見ましたわ! ゲイリー様、貴方はヴィクトリア様を、そんな卑しい目的のために利用しているのですね!? 肉体的な接触を強要して、彼女の清純を汚そうなんて……愛の欠片もない、獣の所業です!」
ゲイリー様は、あからさまに不機嫌そうな顔で私から身を離した。舌打ちの音が、温室内に冷たく響く。
「…また君か、ピアース嬢。人のプライベートに土足で踏み込むのが趣味なのか?」
「プライベートではありません! これは風紀の問題です! 婚前交渉なんて、神を冒涜する行為ですわ! ヴィクトリア様、騙されてはいけません! この男は貴女の身体が目的なだけです! 真実の愛があるなら、結婚するまで指一本触れずに、清らかな距離を保つべきですわ!」
レニーの瞳には、涙と正義感がごちゃ混ぜになった、例の狂気が宿っている。
彼女の脳内では、きっと「清らかな男女が適正な距離で微笑み合う」ことだけが正解なのだろう。それ以外はすべて、彼女のトラウマを刺激する「不潔なもの」なのだ。
私は、乱れた髪を整え、扇を広げて自分の顔を半分隠した。
恥ずかしさよりも先に、沸々と湧き上がってきたのは、底知れない「怒り」だった。
「ピアース嬢。貴女、先日からずいぶんと言いたい放題ですわね」
「ヴィクトリア様! 私は貴女を助けに来たんです! こんな遊び人に…!」
「助ける? 誰が、誰を?」
私は一歩、レニーに向かって踏み出した。
「貴女は、愛を何か高潔な、天上のものだと勘違いしているようだけれど…。男女が惹かれ合い、触れ合いたいと願うことの、どこが不潔だと言うの? 好きな人の熱を感じたい、相手の肌に触れて自分が愛されていることを実感したい。…それは、生命としての根源的な叫びだわ」
「で、でも! それは……その、卑しい欲求で…」
「欲求の何が悪いの!? 私は今、ゲイリー様に触れられて、心臓が壊れそうなほど高鳴っていた。彼に奪われたいと、そう願う自分を自覚していたわ。…それを、貴女のような『外野』が、汚らわしいという一言で切り捨てるなんて、許さない!」
ゲイリー様が私の腰に手を回し、レニーを冷徹に見下ろした。
「いいかい、ピアース嬢。僕はヴィクトリアに真剣なんだ。だからこそ、触れたい。彼女のすべてを、物理的に、肉体的に分かち合いたいんだよ。君の言う『清らかな愛』なんて、僕らにとっては、血の通っていない人形遊びと同じだ」
「そんなの…そんなの、ただの情欲です! 愛じゃないわ!」
「愛が無い関係なんて、誰が決めたよ!」
私は、レニーの言葉を遮る。
「この熱さも、触れ合った時の震えも、互いの体温を求めて狂おしくなるこの感情も、すべて私たちの愛の形よ。清らかさの中にしか愛がないと思い込んでいる貴女は、なんて可哀想な人。貴女は、誰かに心の底から『暴かれたい』と願うほどの情熱を知らないのね」
レニーは、顔を真っ青にして後ずさった。
彼女にとって、「性愛」は最も恐ろしい禁忌なのだろう。両親が外で愛人を作り、肉欲に溺れていた光景が、彼女の中で「性とは悪」という呪縛になっているのだ。
「……汚い。みんな、汚いわ…。どうして、もっと正しく愛し合えないの…?」
「『正しさ』なんて、人それぞれよ。少なくとも、貴女のモノサシで私たちの体温を測らないで」
私が冷たく言い放つと、ゲイリー様がさらに追い打ちをかけた。
「さあ、消えてくれ。これ以上邪魔をするなら、侯爵家の名において、君の家を徹底的に調査させてもらうよ。君の両親の不仲、学園中に触れ回られたくないだろう?」
レニーは、ヒッと短い悲鳴を上げて、脱兎のごとく温室から逃げ出していった。
再び、二人きりになった温室。
沈黙の中で、私はゲイリー様の胸に顔を埋めた。
「…ゲイリー様。今の、不敬でしたわね。私としたことが、あんな子を相手に感情的になって…」
「いいや、最高だったよヴィクトリア。君が僕のために、あそこまで言い返してくれるなんて」
ゲイリー様の指が、私の顎を再び持ち上げる。
「さあ、続きをしようか。…今度は、誰にも邪魔させない」
重なる唇。先ほどよりも激しく、深い熱。
精神的な信頼も、高潔な美学も、今の私たちの前では無力だった。
ただ、相手を求める本能。肌と肌が触れ合うことでしか満たされない、狂おしいほどの情動。
この「性愛」こそが、私たちが今、最も必要としている真実の愛。
それを汚らわしいと呼ぶ者がいようとも、私たちはこの熱の中で、お互いを見失わずに生きていく。
ヴィクトリアは、閉じた瞳の裏で、初めて自分の欲望を愛だと認めた。
それは、シェリーたちが見せた「自己愛」とはまた違う、ひどく泥臭く、けれど何よりも生気に満ちた愛の形だった。
>これは風紀の問題です!
これだけは正しい…ここ学園やねん…
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




