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「愛が無い関係」なんて誰が決めたのですか?  作者: 延々Redo


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7/12

◆エロス―肉体的な愛(R-15)

五つ目

 学園の旧校舎、使われなくなった温室の(すみ)

 湿った土の匂いと、咲き乱れる極彩色(ごくさいしき)の花の香りが混じり合うその場所で、私は激しい鼓動(こどう)(おさ)えられずにいた。


「……っ、ゲイリー様。お止めください。ここは学園ですわ」


 私の肩を抱き、壁際(かべぎわ)に追い詰めているのは、学園きっての遊び人と名高いジェラード侯爵令息、ゲイリー様だ。

 彼の大きな手が、私の腰を引き寄せ、厚い胸板(むないた)が私のドレス越しに熱を伝えてくる。


「いいじゃないか、ヴィクトリア。誰も来やしない。…それに、君もこんなに熱くなっている」


 耳元で(ささや)かれる低い声。首筋を(かす)める彼の吐息(といき)

 私は先日、シェリー・イースという令嬢に「自己愛」と「信頼」の美学を見せつけられ、敗北を認めたばかりだ。高潔(こうけつ)で、精神的に自立した愛こそが至高であると、そう学んだはずだった。


 なのに、どうして。

 この不誠実で、快楽主義(かいらくしゅぎ)な男に指先で()れられるだけで、私の理性は(どろ)のように()けてしまうのか。


「貴方は…遊び人のはずでしょう? 私以外の女にも、こうして……」


「失礼だな。君に会ってから、他の女はすべて整理したと言っただろう? 医者の診断書だって見せたはずだ。僕は君に対して、あらゆる意味で『清潔(せいけつ)』でいたいんだよ」


 ゲイリー様は、私の(あご)を指先でクイと持ち上げた。その瞳は、いつもの軽薄(けいはく)な笑みを消し、()えた獣のような光を宿している。


「ヴィクトリア。僕は君の心が欲しい。だが、それと同じくらい、君の身体が欲しい。指の先から髪の一本まで、僕の所有物だと(きざ)み込みたいんだ。これは、精神論じゃ解決できない『(かわ)き』なんだよ」


「……あ…」


 彼の唇が、私の唇に重なろうとした、その時。


「不潔です!! 破廉恥(はれんち)ですわ!! 離れなさい、その令嬢から!!」


 静寂(せいじゃく)を切り()く、あの忌々(いまいま)しい金切(かなき)り声。

 温室の扉が勢いよく開き、顔を真っ赤に上気(じょうき)させたレニー・ピアースが乱入してきた。


 彼女は、まるで親の(かたき)でも見つけたかのように指を差し、私たちに向かって叫び始めた。


「見ましたわ! ゲイリー様、貴方はヴィクトリア様を、そんな(いや)しい目的のために利用しているのですね!? 肉体的な接触を強要(きょうよう)して、彼女の清純(せいじゅん)を汚そうなんて……愛の欠片もない、獣の所業(しょぎょう)です!」


 ゲイリー様は、あからさまに不機嫌(ふきげん)そうな顔で私から身を離した。舌打ちの音が、温室内に冷たく響く。


「…また君か、ピアース嬢。人のプライベートに土足で踏み込むのが趣味なのか?」


「プライベートではありません! これは風紀(ふうき)の問題です! 婚前交渉なんて、神を冒涜(ぼうとく)する行為ですわ! ヴィクトリア様、(だま)されてはいけません! この男は貴女の身体が目的なだけです! 真実の愛があるなら、結婚するまで指一本触れずに、清らかな距離を保つべきですわ!」


 レニーの瞳には、涙と正義感がごちゃ混ぜになった、例の狂気が宿っている。

 彼女の脳内では、きっと「清らかな男女が適正な距離で微笑み合う」ことだけが正解なのだろう。それ以外はすべて、彼女のトラウマを刺激する「不潔なもの」なのだ。


 私は、乱れた髪を整え、扇を広げて自分の顔を半分隠した。

 恥ずかしさよりも先に、沸々(ふつふつ)と湧き上がってきたのは、底知れない「怒り」だった。


「ピアース嬢。貴女、先日からずいぶんと言いたい放題ですわね」


「ヴィクトリア様! 私は貴女を助けに来たんです! こんな遊び人に…!」


「助ける? 誰が、誰を?」


 私は一歩、レニーに向かって踏み出した。


「貴女は、愛を何か高潔な、天上のものだと勘違いしているようだけれど…。男女が()かれ合い、触れ合いたいと願うことの、どこが不潔だと言うの? 好きな人の熱を感じたい、相手の肌に触れて自分が愛されていることを実感したい。…それは、生命としての根源的(こんげんてき)な叫びだわ」


「で、でも! それは……その、()しい欲求(よっきゅう)で…」


「欲求の何が悪いの!? 私は今、ゲイリー様に触れられて、心臓が壊れそうなほど高鳴(たかな)っていた。彼に(うば)われたいと、そう願う自分を自覚していたわ。…それを、貴女のような『外野』が、汚らわしいという一言で切り捨てるなんて、許さない!」


 ゲイリー様が私の腰に手を回し、レニーを冷徹(れいてつ)に見下ろした。


「いいかい、ピアース嬢。僕はヴィクトリアに真剣なんだ。だからこそ、触れたい。彼女のすべてを、物理的に、肉体的に分かち合いたいんだよ。君の言う『清らかな愛』なんて、僕らにとっては、血の通っていない人形遊びと同じだ」


「そんなの…そんなの、ただの情欲(じょうよく)です! 愛じゃないわ!」


「愛が無い関係なんて、誰が決めたよ!」


 私は、レニーの言葉を(さえぎ)る。


「この熱さも、触れ合った時の震えも、互いの体温を求めて狂おしくなるこの感情も、すべて私たちの愛の形よ。清らかさの中にしか愛がないと思い込んでいる貴女は、なんて可哀想な人。貴女は、誰かに心の底から『(あばか)かれたい』と願うほどの情熱を知らないのね」


 レニーは、顔を真っ青にして後ずさった。

 彼女にとって、「性愛」は最も恐ろしい禁忌(きんき)なのだろう。両親が外で愛人を作り、肉欲(にくよく)(おぼ)れていた光景が、彼女の中で「性とは悪」という呪縛(じゅばく)になっているのだ。


「……汚い。みんな、汚いわ…。どうして、もっと正しく愛し合えないの…?」


「『正しさ』なんて、人それぞれよ。少なくとも、貴女のモノサシで私たちの体温を(はか)らないで」


 私が冷たく言い放つと、ゲイリー様がさらに追い打ちをかけた。


「さあ、消えてくれ。これ以上邪魔をするなら、侯爵家の名において、君の家を徹底的に調査させてもらうよ。君の両親の不仲、学園中に触れ回られたくないだろう?」


 レニーは、ヒッと短い悲鳴を上げて、脱兎(だっと)のごとく温室から逃げ出していった。


 再び、二人きりになった温室。

 沈黙の中で、私はゲイリー様の胸に顔を埋めた。


「…ゲイリー様。今の、不敬でしたわね。私としたことが、あんな子を相手に感情的になって…」


「いいや、最高だったよヴィクトリア。君が僕のために、あそこまで言い返してくれるなんて」


 ゲイリー様の指が、私の顎を再び持ち上げる。


「さあ、続きをしようか。…今度は、誰にも邪魔させない」


 重なる唇。先ほどよりも激しく、深い熱。

 精神的な信頼も、高潔な美学も、今の私たちの前では無力だった。

 ただ、相手を求める本能。肌と肌が触れ合うことでしか満たされない、狂おしいほどの情動(じょうどう)


 この「性愛」こそが、私たちが今、最も必要としている真実の愛。

 それを汚らわしいと呼ぶ者がいようとも、私たちはこの熱の中で、お互いを見失わずに生きていく。


 ヴィクトリアは、閉じた瞳の裏で、初めて自分の欲望を愛だと認めた。

 それは、シェリーたちが見せた「自己愛」とはまた違う、ひどく泥臭く、けれど何よりも生気に満ちた愛の形だった。


>これは風紀の問題です!

これだけは正しい…ここ学園やねん…


「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


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