◆フィリア―友人同士の深い愛
四つ目
学園の中庭、木漏れ日が揺れるテラス席で、私は山積みになった書類にペンを走らせていた。
隣では、婚約者のジョアン・ウルフが、同じように難しい顔で計算書と格闘している。
「――ジョアン。ここ、昨期の輸送費の計上が、予備費と重複してないかしら?」
「ん…? ああ、本当だ。助かるよウェンディ。僕の方の領地分と合算する時に、つい二重で引いてしまったみたいだ」
「もう、しっかりして。これ、今週末までにまとめないと、お父様たちに怒られちゃうわよ」
私たちは、ウルフ子爵家とペラーズ子爵家が共同で行っている「魔石輸送路の整備事業」の事務を、学園の休み時間を使って進めていた。
周囲の学生たちが甘い菓子を突き合い、恋の噂話に花を咲かせている中で、私たちのテーブルだけが異質な事務処理センターと化している。
「おいおい、お前ら。また仕事かよ」
ふいに、ジョアンの友人たちが苦笑しながら声をかけてきた。
「婚約者同士で集まって、茶も飲まずに帳簿か? お前らって本当に、婚約者っていうより…なんていうか、ただの『友人』って感じだよな」
「全くだ。ジョアン、たまにはウェンディ嬢の手を取って、愛の言葉の一つでも囁いたらどうなんだ? 花でも贈るとかさ」
友人たちの軽口に、ジョアンはペンを置かずに肩をすくめて笑った。
「僕たちの間にそんな甘い空気、今更必要ないさ。それより、この計算を間違える方がよっぽど恐ろしいからね。なあ、ウェンディ?」
「ええ。ジョアンが贈ってくれる花より、彼が作成してくれる完璧な収支報告書の方が、私は何倍も信頼できるわ」
友人たちは「相変わらずだな」と呆れて去っていった。
私たちは顔を見合わせ、小さく笑い合う。
色気がない? 友人みたい? 結構なことだ。
私たちの絆は、そんな浅い言葉で測れるものではない。
2年前、事業が破綻しかけ、両家が路頭に迷いそうになったあの冬。
泥まみれになって現場を回り、共に徹夜を重ね、血の滲むような思いで再建案を練り上げたのは、他でもないジョアンと私だ。
背中を預け、命を削るようにして戦った私たちにとって、この「信頼」こそが何より心地よい。
(甘い愛? 情熱的な恋? そんな不安定なもの、今の私たちには必要ないのよ)
そう確信して、再びペンを走らせようとした、その時だった。
「……信じられないわ。そんなの、あんまりです…!」
背後から、震えるような声が響いた。
振り返ると、そこにはいつかの――学園中で有名な、ピアース子爵令嬢が立っていた。
彼女はまるで、私たちがこの世の終わりでも宣言したかのような、悲壮な表情でこちらを見つめている。
「…ピアース嬢? 急にどうされましたか?」
ジョアンが怪訝そうに尋ねるが、彼女はそれを無視して、ぐいっと私たちのテーブルに身を乗り出した。
「ジョアン様! ウェンディ様! 今の、お友達との会話、聞いていました! 貴方たちは…貴方たちは、お互いを『ビジネスパートナー』だなんて言ったのですか!? 友人だなんて、そんな悲しい嘘を…!」
「嘘…?」
私は思わず眉を顰めた。
「私たちは事実を言ったまでですが。私たちは互いを深く信頼しており、良き理解者として――」
「それが間違いなんです!!」
レニーが机を叩いた。インク瓶が跳ね、せっかく書き上げた書類に黒いシミが広がる。
私の指先が、怒りで微かに震えた。
「愛し合っているなら、手を取り合い、見つめ合い、お互いを特別だと言い合うべきです! そんな事務的な報告書を送り合う関係なんて、愛ではありません! それはただの『義務』です! そんな寂しい関係で、一生を共にできると思っているのですか!?」
彼女の瞳には、またしても涙が溜まっている。
その涙が、同情ではなく、自分自身の「理想」が否定されたことへのパニックだと、私にはすぐに分かった。
「ウェンディ様! 貴女は女として、それで満足なのですか!? 髪を撫でられることも、愛していると囁かれることもなく、帳簿の数字を追うだけの人生なんて…! 私がパパとママを見てきたから分かるんです。そんな風に『冷めた関係』を認め始めたら、いつか二人はバラバラになって、取り返しのつかない不幸を招くわ!」
ジョアンが、静かにペンを置いた。
彼の表情から、いつもの柔らかな笑みが消えている。
「ピアース嬢。君は、僕たちの何を知っているんだ?」
「……え?」
「僕たちが、あの寒波の夜に、一つのランプでどれほどの未来を語り合ったか。資金が底を突きかけた時、ウェンディが自分の宝石をすべて売り払い、僕に『貴方を信じている』と笑って見せた時の強さを…。君は、その一部でも知っているのか?」
ジョアンの声は、怒鳴るよりもずっと鋭く、冷徹だった。
「僕たちは、お互いの弱さを知り、その上で強さを分かち合ってきた。僕にとってウェンディは、僕の魂の半分だ。甘い言葉で飾る必要がないほど、彼女の存在は僕の中に組み込まれている。それを、君のような『愛の定義』に当てはまらないからといって、不幸だと決めつけられるのは…甚だ心外だ」
「でも…でも、それじゃあ子供はどうなるんですか!? 燃え上がるような愛のない親を見て、子供はどうやって愛を学ぶんですか!?」
レニーが、縋るように叫ぶ。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。
私は立ち上がり、彼女を真っ直ぐに見据えた。
「ピアース嬢。貴女の言う『愛』は、まるで夏に咲く向日葵のようなものね。強烈で、目立って、けれど季節が過ぎれば枯れてしまう…。でも、私たちの愛は違うわ」
私はジョアンの手の上に、自分の手を重ねた。
恋人のような握り方ではない。共に戦場を生き抜いた戦友が、互いの無事を確認するような、強く、静かな重み。
「私たちの愛は、地中深くに根を張った大樹のようなもの。華やかさはないかもしれないけれど、どんな嵐が来ても決して倒れない。お互いを知り尽くし、尊重し、同じ目標を見据えて歩む。この『友愛』こそが、私たちが選び取った最上の愛の形なのよ」
「そんなの……そんなの、愛じゃないわ…。ただの協力関係よ…!」
レニーが、首を振りながら後ずさる。
「不幸なのは、自分の愛の形を信じられず、他人の関係に土足で踏み込まなければ安心できない、貴女自身ではなくて?」
私は最後の一撃を、静かに、けれど決定的な温度で放った。
「愛が無い関係なんて、誰が決めたの?」
レニーの顔から、完全に血の気が引いた。
彼女の唇が、魚のようにパクパクと動くが、言葉は出てこない。
「私たちには、貴女が求めるような甘い『おままごと』は必要ありません。この信頼があれば、私たちは世界の果てまで行ける。…貴女の、その歪な正義感に付き合っている暇は、私たちには一分一秒たりとも無いの」
「……あ、あ…」
周囲の学生たちが、ヒソヒソと話し始める。
「また彼女か」
「自分の家の不仲を他人に押し付けているらしいぞ」
「見ていて痛々しいな」
その声に追われるように、レニーはまたしても顔を覆い、逃げるように走り去っていった。
静寂が戻ったテラス。
ジョアンが溜息をつき、インクで汚れた書類を見つめた。
「…参ったな。これ、書き直しだ」
「ええ、本当ね。…でも、ジョアン」
私は、彼の袖を少しだけ引いた。
「さっきの言葉。『魂の半分』だなんて、貴方、そんなこと思っていたの?」
「……うるさいな。本当のことだろう」
ジョアンが、少しだけ耳を赤くして視線を逸らした。
そんな彼の姿を見て、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。
手をつながなくても、見つめ合わなくても、私たちには伝わっている。
帳簿の数字よりも正確に、お互いの心がどこにあるのかを。
「さあ、続きをやりましょう。今夜中に終わらせないと、明日もあの令嬢が来たら大変だわ」
「そうだね。次はもう少し、静かな場所で仕事をしようか」
私たちは再び、ペンを取った。
カチカチと時計の針が刻む音と、紙の上を滑るペンの音。
世界で一番、心地よく、信頼に満ちたその音色が、私たちの「愛」の証明だった。
この二人はめちゃくちゃ強い
フィリアの関係は長く続く可能性が高いそうです
レニーは今ちょっとした有名人
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