◆ルダス―遊びの愛
三つ目
放課後のサロン。差し込む夕日が、クリスタルのグラスに反射して私の手元を紫に染めている。
私は窓の外を眺めながら、わざとらしく、深く、甘やかな溜息をついてみせた。
「――あら、ローデリック様。あちらにいらっしゃるのは、お父様が推薦されていた文官候補の方かしら? なかなか凛々しくて、私好みの瞳をされているわ」
隣に座る私の婚約者、ローデリック・ファース伯爵令息は、手元の本から視線を上げることさえしなかった。けれど、ページをめくる指先が微かに止まったのを、私は見逃さない。
「おや、あんな顔ばかりが良い男が好みか。君の審美眼も、ずいぶんと地に落ちたものだね。……まあ、僕も先日の夜会で踊った公爵令嬢のステップが忘れられなくてね。彼女の細い腰に触れた感触を思い出すと、君との退屈な茶会が少しだけ華やぐよ」
ふふ、とお互いに鼻で笑い合う。
周囲からは、私たちが冷え切った関係に見えていることでしょう。お互いに他の異性に目を向け、当てつけのような言葉を投げ合う不仲なカップル。
けれど、彼には分かっているのだ。私がその文官候補の名前すら知らないことを。
そして私にも分かっている。彼がその公爵令嬢の腰に触れた瞬間、私の顔色を伺って、悦びに瞳を細めていたことを。
(もっと私を怒らせて、ローデリック様。貴方が他の女を語るたび、私は貴方を独占したくてたまらなくなるの。その渇きこそが、私にとって最高の贈り物だわ)
ナイフを突き立て合い、相手の心の均衡を崩すスリル。
私たちは、この「遊び」なしでは、恋の炎を燃やし続けることができない不器用な生き物。
そう。このひりつくような緊張感の中で、お互いの執着を確認し合うこと。
それこそが、私たちの愛の作法――。
「――っ、そんなの、間違ってるわ!」
その時、耳をつんざくような金切り声が、私たちの美しい「遊戯」を汚した。
顔を向けると、そこには肩を震わせ、今にも泣き出しそうな形相でこちらを睨む女子生徒が立っていた。確か、ピアース子爵家の――レニーとかいう、最近学園中で騒ぎを起こしている令嬢だ。
「ローデリック様! ダイアン様! 貴方たちは、自分たちが何を言っているのか分かっているのですか!?」
彼女は私たちのテーブルに詰め寄り、まるで悲劇のヒロインのような悲愴な声を上げた。
「お互いに他の異性を褒め称え、傷つけ合うなんて……そんなの、愛ではありません! それはただの『遊び』です! 汚らわしい、不誠実な裏切りですわ!」
私は、閉じかけていた扇を再びゆっくりと開き、彼女を値踏みするように眺めた。
なんて、単調な。なんて、彩りのない。
この令嬢の瞳には、愛とは「ただ優しく、一途であること」という子供染みた絵本の中の正解しか映っていないらしい。
「ピアース子爵令嬢かしら。ずいぶんと威勢が良いけれど、私たちの会話に何か不都合でも?」
「不都合なんてものではありません! 愛し合っていない男女が婚約を続けるなんて、呪いと同じです! 子供が生まれたらどうするのですか!? 憎しみ合う両親を見て育つ子供が、どれほど地獄を味わうか……貴方たちは考えたこともないのでしょう!?」
彼女の声は、次第に嗚咽に変わっていった。
その必死さは、もはや私たちの心配をしているのではなく、自分の中にある「何か」を必死に否定しようとしているように見えた。
ローデリックがゆっくりと立ち上がり、私の背後に回った。彼は私の肩に指を滑らせ、わざとらしく髪を弄ぶ。
「君は、ずいぶんと退屈な世界に住んでいるんだね、ピアース嬢」
ローデリックの低い声が響く。彼は私を挑発するように、私の首筋に鼻先を近づけた。
「確かに僕たちは、他の異性を愛でるし、それを隠しもしない。ダイアンが他の男に熱い視線を送れば、僕は焼けるような嫉妬を覚える。……だがね、その痛みを味わうたびに、僕は自覚するんだ。『ああ、僕はこれほどまでに、この奔放な女に執着しているのか』とな」
私は彼の指先に自分の手を重ね、うっとりと目を細めた。
そう、これ。この瞬間だ。
彼が他の女を語った報復に、私が彼を睨みつけ、彼がその憎悪に満ちた愛おしさを噛み締める。
私たちは今、このサロンにいる誰よりも、互いの心に深く入り込んでいる。
「そんな……そんなの、ただの依存だわ! 傷つけ合うのが楽しいなんて、頭がおかしいです!」
レニーが叫ぶ。
けれど、彼女が叫べば叫ぶほど、私たちの絆は強固になっていく。
「依存? かもしれないね。だが、僕たちはこの『遊び』を通じて、誰よりも深く繋がっているんだ。僕が浮ついたことを言った時、彼女がどんな瞳で僕を睨むか。その瞬間、世界で僕のことだけを最も激しく憎み、そして愛しているのは彼女だと確信できる。これは、退屈な『信頼』とやらよりも、ずっと強烈な結びつきだよ」
ローデリックはレニーを一歩ずつ追い詰めるように歩み寄った。
「君は、自分の貧相な価値観を僕たちに投影して、勝手に怯えているだけだ。自分と他人を切り離せないのは、貴族として致命的な欠陥だよ。君の両親がどうであったかは知らないが、それを僕たちに押し付けるのは、ただの傲慢だ」
「違います……私は、ただ、不幸な人を増やしたくないだけで…」
私は、椅子から立ち上がり、彼女の耳元に顔を寄せた。
彼女からは、怯えと、混乱と、そして隠しきれない「過去の傷」の匂いがした。
可哀想な子。誰かに「正しい愛」を押し付けてもらわないと、自分の存在さえ危ういのでしょうね。
「ねえ、ピアース嬢。貴女は私たちのことを『愛が無い』と決めつけて、正義の味方のごとく演説を打ったけれど…。一つ、教えてあげるわ」
私は彼女の瞳をじっと覗き込み、極上の笑みを浮かべた。
「愛が無い関係なんて、誰が決めたの?」
レニーの身体が、目に見えて凍りついた。
「私たちにとって、この駆け引きこそが至高の愛の形。嫉妬の火花を散らし、相手を挑発し、首輪を締め合うこの時間が、何よりの悦楽なの。…貴女の言う『正解の愛』なんて、私たちにとっては死んでいるも同然の、味気ない砂のようなものよ」
「……あ、あ…」
「さあ、帰りなさい。自分の内面にあるドロドロとした怪物を、他人の幸せで塗り潰そうとするのは止めなさい。見ていて、滑稽を通り越して不愉快だ」
ローデリックが冷ややかに合図を出すと、周囲の生徒たちからクスクスと失笑が漏れ始めた。
「不作法な子爵令嬢」
「狂人の説法」
そんな蔑みの視線に耐えきれなくなったのか、彼女は泣きながらサロンを飛び出していった。
嵐が去った後、私は再び椅子に腰を下ろした。
ローデリックが私の向かいに座り、先ほどよりも少しだけ柔らかな、けれど鋭い眼差しを向けてくる。
「……さて。今の女のおかげで、少し気分を害したよ。埋め合わせに、明日の夜会では僕以外の男と一度も踊らないことを誓ってくれるかい? ダイアン」
私はくすりと笑い、自分のグラスを彼のグラスに軽く当てた。
「あら、それは無理な相談ね、ローデリック様。…だって、貴方が他の男に嫉妬して、今みたいな『猛獣の瞳』で私を見るのが、私、世界で一番大好きなんだもの」
「……全くだ。君という女は、本当にそそる」
私たちは再び、お互いを刺し合うような視線を交わす。
外野が何を言おうと構わない。
この歪で、不誠実で、けれど誰よりも熱い「遊び」こそが、私たちの真実なのだから。
遠くで、レニー・ピアースの叫び声がまだ聞こえるような気がしたが、それはすぐに、ローデリックの甘い毒のような囁きにかき消されていった。
めちゃくちゃ楽しそうな二人
>そんなの、ただの依存だわ!
「正解の愛」に依存している人が言ってます
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




