◆フィラウティア―自己愛
二つ目
さすが私の見込んだ婚約者だ、そう心から思った。
集まった生徒たちの前で表彰されるウォルト様を見て、私は一人で頷いた。
先日、学園付近で馬車同士の事故が起きた。
人通りの多い道での衝突事故であり、怪我人も出るものだった。
そこに居合わせたウォルト様は初期の混乱を治め、通行人の誘導に騎士への連絡、さらに医師の手配までを迅速に行った。
ウォルト様の指示は的確で、現場に到着した騎士たちへの引き継ぎも非常にスムーズだったと聞いている。
駆けつけた医師により怪我人も適切な治療を受けることができた。
彼は、素晴らしい手際だと大人たちに褒められると、はにかみながら答えたそうだ。
『我がバーネット家は代々騎士の家系です。私も常日頃から騎士の訓練を受けています。普段の生活の中で培った精神力により、いち早く平常心を取り戻したに過ぎません。むしろあの事故後の対応で、私に手を貸してくれた人々に感謝を申し上げたいくらいです』
その話を聞いた私は深く感心したものだった。
なんという好青年だろう、さすがは私の婚約者だ。
向上心の欠かさない彼の隣に並び続けられるよう、私も励まなければならない。
表彰され、微笑みを浮かべながら騎士の礼を取るウォルト様を見て、再度私は頷いた。
「ウォルトさま、とても素敵でした!今度一緒にお茶をいかがですか?」
「あの!クッキーを作ってきたんです!良かったら訓練の合間に食べてください!」
「週末に我が家でパーティーを開くのよ!ウォルト様にぜひいらしてほしいわ!」
集会が終わったと思ったらこれである。
短い金髪に澄んだ青い瞳のウォルト様は、女子生徒が思い描く王子様のような容姿をしている。
普段から彼を慕う生徒に囲まれている様子だったが、あの事故の後で彼を囲む人が増えた気がする。
しかしウォルト様はそれを当然と思うこともなく、あくまでも紳士的に対応していた。
対人関係もそつなくこなす辺りも頼もしい。
もっとも、その態度が逆に令嬢たちの執着心を煽っているようだったが。
「バーネット卿は今日も溜め息が出るほど素敵ね…。…それにしても、嘆かわしいことだわ。あのような素晴らしい殿方の婚約者が、どこぞの田舎娘だなんて。宝の持ち腐れもいいところだもの」
「まったく、ヴィクトリア様のおっしゃる通りですわ!嘆かずにはいられません」
「ええ…イース嬢のような華のない地味な方が、あの方のお隣を歩くだなんて…想像するだけで恐ろしいことです」
「やはりウォルト様のお隣には、ヴィクトリア様のような美貌と気品を兼ね備えた方こそ相応しいですわ!」
婚約者に感心していたら、いつものように声がかけられた。
マクドウェル伯爵家のヴィクトリア嬢と取り巻きたちだった。
相変わらず賑やかな人たちだ。
ちなみにマクドウェル伯爵家は元侯爵家だそうで、先々代の失態により降格させられたらしい。
それでも我がイース子爵よりも格上なので、大人しく端に寄り道を譲る。
しかし彼女らは私の目の前で止まった。
「あら、ごきげんよう。…どなたかと思えば。ウォルト様の婚約者の座に、見苦しくしがみついている田舎娘ではありませんの」
「マクドウェル嬢、本日も…」
「お黙りなさい!田舎娘の挨拶など、耳障りなだけだわ」
挨拶を返そうとしたが遮られてしまった。
いつものことなので何とも思わないが、貴族としてどうかと思ってしまうな。
「そもそも貴女のような地方貴族が、この華やかな王都に馴染めるとお思い?にじみ出る育ちの悪さは隠せませんわ。一目で田舎者だと分かりますもの!…それとも、鏡でご自分の野暮ったいお姿をご覧になったことがなくて?」
「それに、そのリボン…見ていて恥ずかしくなるほど野暮ったい色ですこと。ご自身に似合う色もご存じないのかしら?」
「いえ、違うのですわ。貧しい田舎のお屋敷ではドレスに合うリボンひとつ、満足に買い揃えられなかったのでしょう」
「あらお可哀想に……。そういえばお肌も荒れていらっしゃる。まさか侍女も雇えないほど、ご実家は困窮していらっしゃるの?」
「よくもまぁ、そのみすぼらしい姿で、ウォルト様の隣に並び立とうなどと思えたものね!」
もしかしたら彼女たちは優しいのだろうか。
ここまで私の改善点を指摘してくれる存在は貴重だ。
やはり親戚からいただいた化粧水は肌に合っていないようだな。
帰りにリボンと一緒に買い直すとしよう。
「イース嬢はウォルト様のお姿にしか興味が無いのですよ」
「そうですわ!イース嬢には伯爵夫人としてウォルト様に寄り添い、尽くす気などないのでしょう」
「そう言えば…お二人がむつまじく歩かれているお姿など、一度も拝見したことがありませんわ。他のご婚約者たちは、学園内でも共に過ごされていますのに」
「現に、ご覧になって?ウォルト様があのように他の令嬢に囲まれていらっしゃるのに、イース嬢ったら眉一つ動かさないのですもの。嫉妬も焦りも見せないなんて、婚約者としての愛が感じられませんわ」
「それに、ウォルト様も彼女に執着されているようには見えませんものね。お互いに空気のような扱い…まるで、ただ書類上だけの希薄な関係ですこと」
「結局はご自身を引き立てるための、アクセサリーとして手元に置きたいだけなのですわ」
「ウォルト様への愛も、敬意もない…。そのような方が、いつまでも彼の隣に居座らないでほしいものね。愛がないのでしたら、一刻も早く身をお引きなさい!」
これには私も怒った。
他人に、私たちの関係をそこまで悪し様に言われる筋合いはない。
ここで返さなければ我が家の名が廃る。
そう思い口を開きかけた時、見知らぬ女生徒が会話に割り込んできた。
「…あの!バーネット卿との間に愛が無いって、本当ですか!?」
声の方を見ると、ブラウンの癖毛の令嬢が胸の前で手を組んで、緊張しながらも真剣な表情でこちらを見ている。
よくこの場に割って入ろうと思えたな。
それにしても一体誰だ?
「…なっ、何ですの貴女!?藪から棒に…わたくしたちの会話に割って入るなんて、一体どこのどなた?」
「あ、あの、私レニーって言います!ピアース子爵家の者なんですけど、そこのイースさんに言いたいことがあって…!」
「…シェリー・イースは私ですが、何かご用ですか?」
初対面で『さん』付けは無いだろう、失礼じゃないか?
突然の乱入者であるピアース嬢に不信感を覚えながら尋ねる。
ピアース嬢は手をぎゅっと握りしめ、息を吸い込んでから大きな声で言い放った。
「愛の無い関係で婚約者を縛り付けるなんて最低です!バーネット卿を解放してあげてください!」
「……は?」
何だ、この失礼な令嬢は。
ただでさえマクドウェル嬢らとの会話で人目を集めていたのに、ピアース嬢が大声でとんでもないことを言ったせいで、ますます野次馬が集まってくる。
マクドウェル嬢らも呆気にとられているのが視界の隅に映った。
「愛の無い関係とは失礼ですね。そもそも、初対面のピアース嬢が私たちの関係に口を出すなど、おかしいとは思いませんか?」
「そうですわ!そもそも、このわたくしが話している最中ですのよ?目上の人間の会話に土足で踏み込んでくるなんて…マナーもご存じないのかしら!」
珍しくマクドウェル嬢と意見が合った。
もっとも彼女の場合、自分をないがしろにされプライドが傷ついただけだろうが。
しかしピアース嬢は目上の人間を無視して私に噛みついてくる。
「そんなのは嘘です!だってイースさんとバーネット卿が仲良くしているところなんて、見たことがありません!愛の無い関係なんて、許せません!バーネット卿との婚約を解消してください!」
「ちょっと!…貴女、このわたくしを無視するおつもり!?」
「マクドウェル嬢、落ち着いてくださいませ」
訳の分からないことをわめき続けるピアース嬢と、無視されたことへヒステリックに怒るマクドウェル嬢。
婚約者の表彰を見に来ただけなのに、どうしてこうなった。
とにかく誤解を解くため、静かに諭すことを試みる。
「そもそも、私はウォルト様をきちんとお慕いしております。見ず知らずの方にそれを否定されるのは、正直に言って不快です。やめてください」
「口ではなんとでも言えます!子供みたいな独占欲でバーネット卿を縛り付けるなんて最低な人ですね!」
「…いい加減になさいよ、貴女!!このわたくしを差し置いて、いつまで一人で喋り散らすつもり!?」
だめだ、ピアース嬢には話が通じない。
さらにピアース嬢が無視するから、マクドウェル嬢も怒りを収められなくなっている。
私一人では手に余る状況だ。
教師を呼んでピアース嬢だけでも取り押さえてもらおう。
そう思い周囲を見回すと、こちらへ近づいてくるウォルト様が目に入った。
「ウォルト様!」
「シェリー!大丈夫か?」
「まあ!バーネット卿だわ!」
ウォルト様が来てくれて、張りつめていた空気がゆるんだように感じた。
マクドウェル嬢も怒りに水を差されたようで、普段の振る舞いに戻った。
「シェリー、一体何が」
「バーネット卿!イースさんが婚約解消に応じてくれなくて、迷惑してるんですよね!私からイースさんに言ってあげますから、もう大丈夫ですよ!」
「貴方!目上の人間の言葉を遮るなんて、何を考えているの!?」
目に余るピアース嬢の振る舞いに、ウォルト様が一瞬驚いたように固まる。
しかし、すぐに持ち直した様子で私とアイコンタクトをとり、ウォルト様が口を開く。
「マクドウェル嬢、この場は任せてもらえますか?」
「…フン。仕方がありませんわね。貴方様のお顔に免じて、今回は引いて差し上げます。これ以上、礼儀知らずな方の相手をするのも限界でしたし」
「貴女のお心遣いに感謝します。…ところで私と君は初対面だけど、名前は?」
「はい!私、レニーって言います!ピアース子爵家の者です!バーネット卿はイースさんに困っているんですよね、私わかりますよ!」
「そうか…困っているなど一言も口にしてないけどね。シェリー、状況説明を」
うん、ここだな。
「マクドウェル嬢とのお話し中に、ピアース嬢が割り込んできました。ピアース嬢は、ウォルト様と私の関係を『愛の無い関係』と断じました。私たちの婚約を解消するよう、大声で要求しています」
ピアース嬢はうまく言葉を発せず、口をパクパクと開閉している。
簡単なことだ、ピアース嬢は話す前に息を吸い込む癖がある。
ならば相手が話そうとしたタイミングに合わせて言葉を被せればいい。
先程まではマクドウェル嬢も話していたから上手くいかなかったが、相手が一人ならどうってことはない。
今までさんざん私たちの関係を好き勝手言ってくれたな。
ここから先、ピアース嬢には一言だって喋らせてやるものか。
「まずピアース嬢、あなたは私を『イースさん』と呼びますよね。ずっと気になっていました。初対面の方へ、いきなりそのように呼びかけるものではありません。これは初歩的なマナーです」
「…」
「また、目上の方が話しているのに遮ってはなりません。目上の方の言葉を無視してもなりません。まさか、階級制度をお忘れですか?制度に従わないということは、この国の最上位である王家にも従わないと宣言しているのと同じこと。クーデターを企てていると考えられてもおかしくありませんよ」
「…!」
マクドウェル嬢が大きく頷くのが目に入る。
この国の階級制度は昔ほど厳格ではないが、それでも無視して良いものではない。
そもそもマクドウェル侯爵家が伯爵家へ降爵したのも、公爵家への無礼があったからだと聞いている。
そこまで考えが及ばなかったのだろうか、今になってピアース嬢は顔色を悪くする。
そして弁明しようと息を吸い込んだのを見て、私はさらに言葉を重ねた。
「それだけではありません。あなたは私に対して『子供みたいな独占欲でバーネット卿を縛り付ける』と言いましたね?その理由が、ウォルト様と私が仲むつまじく過ごしていないからだと」
「…」
「私はその言葉に対して、きちんとウォルト様をお慕いしている、否定するのはやめてくださいと言いましたよね?それでもピアース嬢は否定し続けましたが…これは名誉棄損ではありませんか?」
「ピアース嬢の言葉を聞いたと証言できる者はいるか?」
ウォルト様が私とアイコンタクトをとり、周囲に集まった群衆を見渡すと、多くの方が手を挙げてくれた。
ざっと二十人以上、これだけ居れば十分だろう。
ピアース嬢がまた息を吸い込む。
きっと愛の無い関係が事実であると、声高に叫ぶつもりなのだろう。
私がそれを許すとでも思ったのか。
「そもそも、愛が無い関係なんて誰が決めたのですか?」
「…!?」
「あなたの話を聞いて、ずっと不思議に思っていました。なぜ仲むつまじく過ごさないだけで、愛が無いと思ったのですか?なぜウォルト様が他の生徒に囲まれているだけで、嫉妬や焦りを見せなくてはならないのですか?なぜウォルト様に執着していなければ、愛していないと取られるのですか?」
「!?」
後半はマクドウェル嬢と、その取り巻きたちを意識して言ってやった。
彼女らは気まずそうに目をそらしている。
ピアース嬢にいたっては、息を吸い込むことを忘れているようだ。
さっとウォルト様とアイコンタクトをとり、続きを言葉にする。
ああ、ようやく言いたいことが言える。
「ウォルト様は私の婚約者ですよ。『私が選んだ』婚約者です。私は今まで、自分の判断や審美眼を疑ったことがありません。この私が見つけ出し、選んだ婚約者であるウォルト様を、どうして疑ったり執着しなければならないのか、誰か教えてくださいますか?」
私は自分を愛し、自分の選択に自信を持っている。
この私が選んだ相手を疑う余地などない。
疑う必要が無いから、一緒に過ごさなくても問題ない。
相手を信じているから、その心が移ってしまうのではないかと、心を痛める必要もない。
自分が選んだ相手を尊敬しているから、心の底から賞賛することができる。
必要以上に相手を束縛することも好まず、お互いほどよい距離感で付き合える。
自分が選んだ相手を誇りに思っているから、私たちの関係性は最高のものだと、胸を張って言える。
わざわざ言葉にするまでもない、当然で当たり前のことだ。
しかしピアース嬢も、マクドウェル嬢も群衆も、理解できないような目で私を見ている。
さて、なぜだろうか。
「そうですよね、ウォルト様」
「ああ、その通りだ。シェリー、私からも言わせてくれるか?」
ウォルト様を見て同意を求めれば、当然のことのように頷いてくれた。
ピアース嬢の前を譲ると、ウォルト様は一つ一つ言い聞かせるように言葉にする。
「ピアーズ嬢、誤解しているようだから、ハッキリと言っておこう。私とシェリーは愛し合っている。しかし、それをわざわざ言葉や態度で確認する必要はない。なぜなら自分と、相手を、信頼しているからだ」
「…」
「ええ、ウォルト様を信頼しております。そもそも、私たちは先程からアイコンタクトを取っていたのですが、気付いていませんでしたか?」
「それだけで通じるんだ、私たちは。それに、大切なパートナーを安っぽく見せたくないから、人前で触れ合うようなことは避けている。君はその点も、気に入らなかったようだがね」
「…」
「わざわざ愛し合っていることを見せつけて、承認欲求を満たす必要もありませんからね。当然ですが、独占欲も所有欲もありません」
「そういうことだ。分かったらこれ以上、私たちに関わらないように」
「それが条件です。もし再び関わってくるようでしたら、ここに居る皆様を証人に、名誉棄損で訴えます」
「学生の身分だから、と甘えないことだ。大人として自立しなさい」
青い顔で俯くピアース嬢から視線を外し、マクドウェル嬢と取り巻きたちを見る。
「以上でございます。私たちが愛し合っていることの証明になりましたか?」
「…はぁ。もう、十分ですわ」
マクドウェル嬢は、パチンと音を立てて扇子を閉じた。
その顔には憑き物が落ちたような、どこか晴れやかな諦めの色が浮かんでいる。
「見せつけられましたもの、言葉や態度がなくとも通じ合う愛の形。正直、わたくしには真似できませんわ。完敗です」
「そうですか、証明できたのであれば何よりです」
「フン……前言は撤回いたします。貴女はただのアクセサリーなどではなかったようですから。ごめんなさいね、失礼なことを申しまして」
プライドの高い彼女が謝るとは、正直言って驚いた。
マクドウェル嬢らとは、たまに会えば何か言われるだけの関係だったから、そこまで悪い印象は持っていない。
自らの過ちを認められる人間は好きだ、ならば受け入れるのが筋だろう。
「謝罪を受け入れます。それに、マクドウェル嬢と皆様には私の容姿の改善点を指摘していただきましたので、むしろ感謝しております。今後もご指導いただけますと幸いです」
「…はぁ!?嫌味を助言と受け取るだなんて、どういう神経をしていますの!?本当に可愛げのない、呆れるほど図々しい方ですわね!」
「そうでしょうか、まだまだ向上できる部分をハッキリと教えてくださる方は、貴重な存在だと思いますが」
「勘違いしないでいただきたいわ、誰が貴女ごときに!もう二度と御免ですわ。行くわよ、皆様!」
そう言い放つと、マクドウェル嬢は制服の裾をひるがえし、足音高く歩き去る。
取り巻きの令嬢たちも、慌てた様子でその後を追っていった。
「この騒動を報告しなければならないな、私たちも行こう」
ウォルト様のさりげないエスコートで、私たちはその場を後にする。
それにしても、思わぬ騒ぎになってしまった。
しかし私たちの関係性を周知できたから、良かったとしよう。
これでウォルト様と私が釣り合わないと言い出す者は減るだろうから。
「シェリー、君、私が壇上にいるときに頷いていただろう」
「見えていましたか。やっと世間がウォルト様の良さに気付いたのだと、感慨深く思っていました。私は最初から知っていましたが」
ふふ、と二人で笑い、そっと視線を交わす。
たぶん私たちは今、同じことを考えている。
「さすが私の婚約者だ」
フィラウティアの関係性が一番長く続きそうだと思ったり
この二人は自己肯定感がバリ高いです
別名:後方腕組み婚約者カップル
Q.子爵家のシェリーが「相手を選んだ」的なこと言ってるけど選べたん?
A.いろいろあって選べた。設定はある。
そろそろヒロイン?になんかしらほしいなと思ったので、
次はレニー視点の話になります
何で彼女がこんななのか書きたい
だからと言って許されるわけではない




