◆マニア―偏執狂的な愛
八つ目
学園の喧騒が遠く感じる、冷たい夜だった。
私は、自室のベッドの上で膝を抱えて震えていた。母からの手紙、弟からの拒絶、そして次々と私を否定していく令嬢たちの声。
「どうしよう……どうしたらいいの。私、このままじゃ修道院に送られちゃう」
誰からも愛されず、誰の役にも立てず、ただ不作法な令嬢として消えていく。
そんな私の前に、彼は現れた。
「レニー。そんなに震えて、どうしたんだい?」
ジョーエル様。
彼はいつだって、私が必要な時にそこにいてくれる。暗闇に差し込む、唯一の光。
「ジョーエル様……。私、結婚相手が見つからないんです。学園のみんなは私のことを笑うし、母様には見捨てられて…。私、どうすれば『正解』に辿り着けるんですか?」
ジョーエル様は、私の隣に座り、優しく私の頭を撫でた。その手のひらの温度が、氷のような私の心を溶かしていく。
「そうだね…。君の素晴らしさを理解できない連中ばかりで、俺も心を痛めているよ。でも、レニー。諦めるのはまだ早い。例えば、パリエロ伯爵家の三男、フランク君はどうかな? 彼はまだフリーだし、今日は大聖堂に行くらしいよ。彼なら、君の熱意を分かってくれるかもしれない」
「フランク様…。神様に愛を誓おうとしている、あの方ですね」
「そう。でも、神様への愛なんて寂しいじゃないか。君が彼を『人間同士の愛』へ連れ戻してあげれば、それは素晴らしい救済になると思わないかい?」
「救済…。ええ、そうですわ! 私が彼を救ってあげなきゃ!」
私は、ジョーエル様の言葉に突き動かされるように大聖堂へ向かった。
けれど、そこで待っていたのは女神の宣告だった。
『お前は相応しい報いを受ける』
その神の声に、私は魂が凍りつくような恐怖を覚えた。
学園に戻り、震えながらジョーエル様にそのことを話すと、彼は深く、深く溜息をついて私を見つめた。
「それは大変だ…。女神様を怒らせてしまったんだね。でも、レニー。女神様はこの国を守る神だ。もし君が、この国の『未来の不幸』を阻止できれば、きっと許してもらえるはずだよ」
「この国の、不幸…?」
「そう。アイゼイヤ王太子殿下と、セシリー嬢の結婚だよ」
ジョーエル様は、私の耳元で囁いた。
「あの二人に愛がないのは、君も見ていて分かるだろう? あのまま二人が結婚して、愛のない王家になれば、国中に不幸な子供が溢れかえる。それはこの国にとって、最大の災厄だ…。それを止められるのは、君しかいないんだよ、レニー」
「私……私しか…」
「そう。卒業パーティーで殿下を説得するんだ。君の真実の言葉で。そうすれば女神様も君を認め、君は『国を救った聖女』として、誰からも愛されるようになる。もちろん、俺も君を全力で支えるよ」
ジョーエル様の言葉は、まるで魔法のようだった。
そうだ。私は間違っていない。みんなを救って、私も救われるんだ。
その盲信が、私をあの壇上へと走らせた。
……けれど。
結果は、あまりにも冷酷だった。
アイゼイヤ様の一蹴。周囲の嘲笑。そして、騎士たちによる拘束。
すべてが終わったと思ったその時、ジョーエル様が私を抱き上げてくれた。
「もう大丈夫だ、レニー。静かな場所へ行こう」
その言葉を信じて、私は彼の腕の中で安堵していた。
彼だけが、私の味方だ。彼がいれば、私はどこへだって――。
馬車が止まったのは、アトキンソン侯爵家の、人里離れた別荘だった。
ジョーエル様に抱えられたまま、私は豪奢な寝室へと運び込まれる。
「…ジョーエル様。私、やっぱりダメでした。殿下たちは愛し合っていたし、私はまた、みんなを不快にさせて…。女神様の言った『報い』って、このことだったのでしょうか」
私が弱々しく尋ねると、ジョーエル様は私をベッドに下ろし、ゆっくりと上着を脱ぎ捨てた。
その瞳は、先ほどまでの優しさなど微塵も感じられない、暗く、澱んだ狂気に満ちていた。
「いいや、レニー。報いは、これから始まるんだよ」
「……え?」
「アイゼイヤたちが愛し合っていたのは、計算外だったかな。でも、君があそこで騒いで不敬罪を確定させてくれたおかげで、ようやく君は『法的に』この世から消えることになった。君を引き取った俺の責任において、君を一生、ここから出さない正当な理由ができたんだ」
ジョーエル様の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「な、何を…何を言っているのですか? ジョーエル様…?」
「君は不思議に思わなかったのかい? どうして俺が、君にわざわざ『突撃する相手』を教えていたのか。どうして、君の家族の窮状を知っていたのか」
ジョーエル様は私の頬を撫でた。その指先が、蛇の這うような感触で肌を滑る。
「君がローデリックに突撃するように仕向けたのも、ヴィクトリア嬢の秘密を教えたのも、全部俺だ。君が学園中で孤立し、誰からも拒絶され、自分を肯定してくれるのが俺しかいなくなるように…丁寧に、丁寧に、外堀を埋めてきたんだよ」
「……っ、そんな…! じゃあ、あの大聖堂のことも、王太子殿下のことも、私を陥れるために!?」
「そうだよ。君は本当に期待通りに動いてくれた。自分のトラウマに振り回されて、滑稽に叫び回って…。そのたびに君の価値は下がり、誰も君を助けようとは思わなくなった。……完璧だ。これでようやく、君は俺だけのものになった」
ジョーエル様の顔が近づく。
その笑顔は、これまで見たどんなものよりも美しく、そして――吐き気がするほどに歪んでいた。
「……嫌。嫌よ! 離して!」
逃げようとして腕を掴まれたが、その力は恐ろしく強く、びくともしなかった。
「無駄だよ。君はもう、死んだも同然なんだ。外の世界では『狂った末に失踪した子爵令嬢』として処理される。君の弟も、君がいない方が家が安定すると喜んでいるよ」
「…っ……ランバート……。母様…」
ジョーエル様は、絶望に染まる私の顔を、まるで最高級の芸術品を眺めるような陶酔しきった瞳で見つめた。
「ずっと、欲しかったんだ。その愚かで、思い込みが激しくて、誰かに愛されたくて必死に足掻いている君が」
彼は私の耳元に唇を寄せ、熱い吐息とともに、心の奥底をかき乱すような言葉を繋いでいく。
「知っていたかい? 俺はずっと前から、君を見ていたんだ。両親の喧嘩に怯えて、耳を塞いで震えていた幼い日の君を。自分の家庭が壊れているからこそ、他人の愛に異様なまでに執着し、一つ覚えのように『正解』を叫び続ける……その哀れで、滑稽で、あまりにも『純粋な狂気』に、俺は一目で心を奪われた」
「そんな…ずっと前から…?」
「そうだよ。君が他人を救おうと必死になればなるほど、周囲から嫌われ、泥を投げられ、輝きを失っていく…その過程が、たまらなく愛おしかった。俺は、キャメロンのように君を冷たく突き放して正気に戻したりしない。ウォルトのように君を分析して治療したりもしない。そんなことをすれば、君という『美しい悲劇』が台無しになってしまうだろう?」
ジョーエル様の手が、私の喉元を優しく、けれど確実に逃げ場を奪う強さでなぞる。
「君が誰からも拒絶され、最後に俺の胸に泣きついてきたあの瞬間…俺の人生で最高の悦楽だったよ。俺はね、君のその歪な正義感も、トラウマも、過呼吸になるほど弱りきった心も、全部そのまま閉じ込めておきたいんだ。君の羽を一枚ずつ、痛くないように、けれど二度と飛べないように丁寧に毟って…俺だけの鳥籠の中で、死ぬまで俺を信じて飼い殺されておくれ」
「……っ、狂ってる……貴方も、狂ってるわ…!」
「ああ、狂っているとも…。君が『愛の正解』を求めて彷徨っていたように、俺も『俺だけの所有物』を求めて彷徨っていたんだ。そして、ようやく見つけた。俺の狂気をすべて注ぎ込める、空っぽで、美しく壊れた器を」
ジョーエル様は、私の涙を舌で掬い取り、不気味に微笑んだ。
「これからは、俺だけを見ていればいい。俺が君の『正解』になってあげる。君が求めていた、熱くて、偏執的で、君のことしか考えない……最高の『偏執狂的な愛』を授けてあげるよ」
ジョーエル様が私を押し倒す。
その瞳の中に映る自分は、あまりにも無力で、愚かだった。
「やっと…やっと手に入れた。誰にも渡さない。誰にも見せない。君の絶望も、涙も、その虚ろな瞳も、全部俺のものだ」
私は、震えながら天井を見つめた。
あの大聖堂で、女神が微笑んでいた理由を、ようやく理解した。
これは、私が他人の愛を否定し続けてきたことへの、最悪で、最高にふさわしい報い。
温かくない。甘くもない。
ただ、冷たくて暗い檻のような、独善的な愛。
「愛してるよ、レニー…。一生、逃がしてあげないからね」
ジョーエル様の囁きが、耳の奥にこびりついて離れない。
私は、自分が求めていた「特別な愛」の中に、ようやく閉じ込められたのだ。
良かったね、愛をもらえたよ
次はエピローグです
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