序
始まり始まり~
「愛が無い関係」なんて誰が決めたのですか?
「聞きました? 先日新しく開かれたサロン、紅茶の品揃えが素晴らしいそうですわ」
「ええ、遠方から取り寄せた稀少な茶葉ばかりだとか。今度のお茶会が待ち遠しいですわね」
陽光が降り注ぐ学園のテラス。三人の令嬢が囲むテーブルには、穏やかな時間が流れていた。女性が三人集まれば、話題が共通の知人の噂話へと移るのは、この社交界において呼吸をするのと同じくらい自然なことだ。
「サロンといえば……この間、キャメロン様をお見かけしたの」
「まあ、エクレストン伯爵令嬢を伴って?」
「ええ。婚約されたばかりですもの、さぞ熱心に睦まじく…と思っておりましたのに」
一人が扇で口元を隠し、声を潜める。
「それが、驚くほど事務的な雰囲気でしたの。会話も短く、まるで…そう、仕事の打ち合わせをしている商人のようでしたわ」
「あら。もしかして、あまり仲がよろしくないのかしら?」
「婚約したてでそのドライな様子は、少し心配ですわね。もしかして、早々に解消なんてことも…」
クスクスと、悪意のない、けれど好奇心に満ちた笑い声が混じる。
それは、どこにでもある他愛のない「評価」に過ぎなかった。
「――あの、すみませんッ!」
その平穏を切り裂いたのは、あまりにも場違いな、鼓膜を震わせる金切り声だった。
驚きに肩を揺らした令嬢たちの視線の先に、一人の少女が立っていた。ブラウンの癖毛を振り乱し、必死な形相で詰め寄ってくる姿に、令嬢たちは反射的に眉をひそめる。
「あの、私、レニー・ピアースと申します! キャメロン様のお話が聞こえてしまって…!」
「……ピアース子爵令嬢、でしたかしら。ご挨拶もなしに、一体何事ですの?」
困惑する令嬢を無視し、レニーは胸の前で両手を固く握りしめた。その瞳は異様なほどに潤み、切迫した光を宿している。
「教えてください! キャメロン様は、婚約者様とうまくいっていないって本当ですか!? キャメロン様は…私の幼馴染は、あの婚約に不満を感じていらっしゃるんですか!?」
「レニー様、もう少し声を落とされては? 周囲の目もございますわ」
「そんなこと言っていられません! 愛のない結婚なんて、そんなの、あってはならないことなんです! 彼は今、お辛い思いをしているんじゃ…!」
「愛のない」という言葉に、令嬢たちは一瞬、顔を見合わせた。
中心にいた高位の令嬢が、冷ややかな、けれど完璧な社交用の微笑を浮かべて口を開く。
「…キャメロン様がどう感じておいでかは、ご本人にしか分かりませんわ。私共はただ、お見かけした姿をお話ししたまで。決して、お二人を貶める意図などございません」
釘を刺すような言葉。しかし、レニーの耳には届かない。彼女は自分だけの世界に没入し、ぶつぶつと呟き始めた。
「…そう、ですよね。他人には分からない…。でも、端から見て冷え切っているなら、それは……愛が無い関係、なのよね?」
「そこまでは存じ上げませんわ」
「確かめなきゃ。キャメロンを救わなきゃ…。ありがとうございます、失礼します!」
礼もそこそこに、レニーは駆け足でその場を去っていった。
残されたテラスには、冷めた紅茶のような苦い沈黙が残る。
「……何ですの、あの方は。あまりにも無作法だわ」
「ええ。同じクラスで普段は大人しい方だと思っておりましたけれど……。あんなに執着なさるなんて、少し気味が悪いですわね」
一人が扇をパチンと閉じ、軽蔑を込めて溜息をついた。
たとえ恋仲であろうと、夫婦であろうと、その内側に流れる熱量は他人が推し量れるものではない。
「ええ、本当に。――愛が無い関係かどうかなんて、他人が見て決めることではありませんのに」
その至極まっとうな呟きを、遠ざかるレニーの背中が拾うことはなかった。
レニーは自他境界が癖毛のようにフワッフワな女子です。




