第二十八話 リベンジマッチ
僕は杖をきつく握り直した。
「……ルイドス。ここに僕のお兄様とヴィクターさんが来ているはずだ。何処に居る?」
「聞こえなかったのか?今すぐ帰れと言っているんだ」
「僕の質問に答えろ」
「相変わらずお前は偉そうな口だな。……ならばこうだ。杖を捨てて両目を瞑れ。そうすれば案内してやる」
それは明らかに降伏の要求だった。
すると、僕の隣でセリナが一歩前に出た。
腰の斧に手をかけ、ルイドスを鋭く睨みつける。
「それって、ただの連行じゃないの!」
ルイドスはセリナの姿に視線を移し、わずかに目を細めた。
「セリカ・マーガレット……じゃないか。いや、あいつは死んだんだっけな」
「私は、セリカでもあるのよ!」
セリナが強い口調で言い返す。
だが、ルイドスは面白くもなさそうに鼻で笑い、冷めた目で僕を見た。
「シエロ。お前は似たような奴と絡んでばかりだな。そんなに死んだ奴が恋しいのか?」
「黙れ。いいからお兄様の居場所を教えろ!」
「……お前の兄は、今頃『あの人』にやられてしまっているかもな」
(あの人...?)
「いや、あれは人ではないか……」
ルイドスの呟きは、ひどく冷たく、どこか深い絶望を孕んでいるように聞こえた。
「お兄様は、ルイドスのお兄様であるヴィクターさんと共に行動していたはずだ。だとしたら、ヴィクターさんだって危険なんじゃないのか!?」
僕が叫ぶと、ルイドスはふっと顔を落とした。
前髪の影に隠れて表情は読み取れないが、明らかな動揺がその肩を震わせていた。
「兄上なら……きっと無事さ……」
自分自身に言い聞かせるような、弱々しい声だった。
その時だ。
ザワッ……。
風もないのに、中庭に生い茂る庭園の植物たちが一斉に蠢き始めた。
枝葉が擦れ合う音が、まるで無数の蛇が這い回るように耳にまとわりつく。
(この感じ……嫌な予感がする)
「まさか、二度も貴様に侵入されるとは。警備隊は何をやっているんだ?」
背筋が凍るような、冷たく底知れぬ威圧感を放つ声。
蠢く植物たちが道を譲るように割れ、ルイドスの背後から一人の女が歩いてきた。
豪奢なドレスを身に纏う、ルイドスの母親――イザトラ・スカラルドだ。
「母上!?」
ルイドスが弾かれたように顔を上げ、声に明らかな緊張を走らせる。
「ルイドス。よく二人を引き留めていたわね」
「あ……ありがとうございます。母上」
先ほどまで僕に向けていた強気な態度はどこへやら、ルイドスは顔を青ざめさせ、畏縮したように深く頭を下げた。
「で?この国の王が死に、王位を引き継ぐ家系も絶えた。次なる王家となるこのスカラルドの王宮に、一体何用かしら?」
イザトラは、まるで路傍の石でも見るような冷酷な瞳で僕を見下ろした。
「こ、ここに僕のお兄様が来ているはずだ」
「フン。確かに、お前の兄はここへ来た。あの『汚れた血』と共にな」
「汚れた血……ヴィクターさんのことか!?」
「そうだ。あいつはこの由緒正しきスカラルド家に歯向かった、愚かな反逆者。あんな下劣な奴と、同じ血が私たちに流れているわけがないだろう」
(実の子供に向かって、そこまで言うのか……!)
胸の奥が冷たくなるのを感じた。
「ま、今頃あの二人は『あの方』にたっぷりと遊ばれているだろう」
「あの方って、誰のことだ?」
「お前たちが知る必要はない。どのみち、お前らもここで終わるのだからな」
ギリッ、と隣で歯鳴りの音がした。
見れば、セリナが腰の戦斧を引き抜き、刀身を巨大化させてイザトラへと切っ先を向けていた。
(セリナ!?)
「さっきからあなたが言っていること、一つも理解できないわ!」
怒りに満ちたセリナの叫びを受け、イザトラは忌々しげに目を細めた。
「お前は……あの虚しく隕石災害で死んだ、マーガレット家のガキに似ているわね」
「私は、セリカでもあるのよ!」
「死んだマーガレットの怨念が、ここまで這いずってきたと言うの?」
イザトラは心底小馬鹿にするように、ふふっ、と鼻で笑った。
「まぁいいわ。容姿も似ているし、好都合だ。昔の借りを、今ここでたっぷりと返させてもらうわ」
ザワワッ……!
イザトラの足元から這い出た太い蔦が、硬質な『刃』へと変形していく。
「ルイドス」
「は、はい」
「お前は邪魔が入らんように、そっちの黒髪のガキを押さえておきなさい」
「……ッ」
ルイドスは顔を強張らせながら、小さく頷いた。
(ルイドスは、本気で僕と戦う気はない……!)
その迷いを見抜いた僕は、ルイドスをあえて後回しにし、全意識をイザトラへと傾けた。
「さぁ、私に刃を向けた罪……ただで済むと思うなよ」
イザトラが手に持っていた扇子をセリナの方へ振り下ろした瞬間。
数十本もの植物の刃が、毒蛇の群れのように一斉にセリナへと襲いかかった。
「セリナ!」
僕の叫びより早く、セリナは地を蹴っていた。
迫り来る無数の刃に対し、己の身の丈ほどもある巨大な戦斧を紙切れのように軽く、そして器用に振り回す。
ガガガガガッ!!
「こんな魔術で、私がやられるとでも思っているの!」
鋭い金属音が火花を散らす。セリナは植物の刃を完璧に捌き切り、その勢いのままイザトラの正面へと突撃した。
イザトラが舌打ちをし、床から分厚い茎の盾を隆起させてセリナの猛攻を防ぐ。
(今だ!イザトラの背中が完全に空いている!)
僕は死角を突き、一瞬でイザトラの背後へと回り込んだ。
杖を構え、縁を練り上げる。
「水晶膜界――!」
強力な水流の拘束魔術を至近距離から叩き込もうとした、まさにその刹那だった。
ダンッ!
「ルイドス!?」
僕の視界を塞ぐように、ルイドスが横から強引に割り込んできたのだ。
「母上に何かするなら……僕だって、お前を止めるぞ!」
ルイドスの手には小さな杖が固く握りしめられ、いつでも魔術を放てる状態だった。
僕は直ぐに杖に込めていた縁を一度切り、ルイドスに対して構え直す。
「ルイドス、そのままその餓鬼を押さえておきなさい」
イザトラが冷酷に言い放ち、セリナへの反撃を開始する。
「私なら大丈夫よ、シエロ!」
「随分と舐められたものね!お前があのマーガレットの亡霊だと言うなら、ここで祓ってやるわ!」
ガキンッ!!
凄まじい衝突音と共に、セリナの巨大な戦斧とイザトラの植物刃が激しくぶつかり合う。
(イザトラ相手に、セリナ一人で勝てる可能性は低い。手助けに向かうには、まずは目の前のこいつを――)
「ルイドス。邪魔をするなら、昔みたいにボコボコにしてやるぞ」
「お前こそ、僕が昔のままだと思っているのか?」
ルイドスが杖の先に縁を練り上げる。
ビリッ、と周囲の空気が細かく震えた。
(なんだ……?)
僕は思わず目を見張った。
それは、一年生の時のただ力任せに魔術を使用していたルイドスとは考えられないほどに、高密度で精密に練られた縁だった。
「やっと、基礎からしっかり学んだんだな」
「あの頃の僕ではない。今度こそ僕はお前に勝つ。――リベンジマッチだ」
ルイドスの瞳には、かつての傲慢さとは違う、静かな決意が宿っていた。
(リベンジマッチとかカッコつけやがって。そういうカッコいい台詞……僕だって一度言ってみたかったい!)
ルイドスは練り上げた縁を杖の先端に溜め込んでいく。
「泥の球!」
ルイドスによって放たれた泥の球が、勢いよく僕に向かって飛んでくる。
昔、ルイドスが放っていたものより、速度も精度も何倍にも上がっていた。
しかし、所詮は初級魔術。今の僕には無意味な牽制だ。
僕は飛来する泥の球を最小限の動きで横に躱すが、ルイドスは構わずひたすら僕に向けて連射し続ける。
「そんなに初級魔術がちゃんと発動できるようになったのが嬉しいのか?」
僕は飛んでくる泥を躱し続け、ルイドスに反撃しようとグッと足を踏み込んだ。
その時だった。
ボトッ。
前に踏み込んだ右足が、ズブズブと深く沈み込んだ。
足元を見下ろすと、そこにあるはずの芝生はなく、僕の右足は底なしの泥沼に呑まれていた。
「なっ!?」
「お前は僕のことを馬鹿にしているから、周りに目がいかないんだ!」
ハッとして辺りを見渡すと、いつの間にか僕の周囲一面が巨大な泥沼と化していた。
(そうか、さっきの魔術は僕に当てるのが目的じゃなかったのか……!?)
「もう遅いぞ!」
ルイドスがさらに莫大な縁を練り上げる。
(こんな泥沼、流してしまえばいいだけだ)
僕はそう判断し、即座に水魔術を発動させた。
「荒波の奔流!」
一気に泥を洗い流し、間合いを詰める。僕の放った荒波が、足元の泥をすべて掻き消すように激しく流れ込んだ。
「そう簡単に僕の泥を消せると思うな!泥流の海嘯!」
(中級魔術を、無詠唱で発動できるようになったのか……!?)
ルイドスが放ったどす黒い泥の波が、僕の荒波と真正面から激突する。
だが、ルイドスの泥波よりも、僕の練り上げた波の方が勢いが勝っていた。荒波が泥を押し返し、完全に打ち消す。
バァァァァンッ!!
弾け飛んだ泥混じりの水が、まるで土砂降りの雨のように降り注いだ。
お互いの全身が泥水でずぶ濡れになる。
「ルイドス、ちょっと格好つけただろ?」
ルイドスは答えず、無言で縁を練り続けている。
「無詠唱には驚いたけど、魔術の構成がまだまだ雑なんじゃないか?」
「……黙れ」
濡れた前髪の奥から、ルイドスが僕を強く睨みつけていた。
「お前は昔から、本当に腹が立つんだ。お前は常に僕より魔術の才能があって……いつかお前に勝って、底辺に這いつくばらせて、屈辱を味わわせてやろうと毎日考えていた」
「だけど、さっきのお前の無詠唱魔術を見て直ぐに分かったよ。このまま僕がどれだけ努力したところで、真っ当な方法じゃ一生お前を越えることは無理だってな」
「何を言い出すかと思えば、僕を褒めてくれてるだけじゃないか」
「だから……僕は僕のやり方で、お前を越える」
すると、ルイドスは懐から『拳サイズほどの赤黒く輝く球体』を取り出した。
脈打つように禍々しい光を放っている。
(あれはなんだ?魔道具か……?)
ルイドスは躊躇うことなくそれを口の中に押し込み、喉を詰まらせながらも無理やり飲み込んだ。
「なっ、ルイドス!?」
「うっ……がぁぁぁッ……!!」
ルイドスは片膝を地面につき、額から大量の冷や汗を流しながら喉を掻きむしって苦しみ始めた。
(ルイドス、一体何を飲み込んだんだ!?)
直後。
呻くルイドスの身体から、これまでの彼からは考えられないほどに『異質で強大な縁』が爆発的に溢れ出した。
その縁は、ベンジャンやリリア先生の時とも違った。いや、知っている。
あの黒い魔物の縁に酷似した、悍ましい感覚だった。
「ルイドス、お前……」
「ハァ……ッ、ハァ……ッ」
ルイドスは激しく息を切らしながらも、杖を天へと掲げた。
「我が手に集え、万象の成す地脈の核」
(あの詠唱は……!?)
まずい。僕はルイドスの詠唱を止めるべく、一気に間合いを詰めようと足に力を込める――が。
(なっ……!)
身体が、岩のように重くて動かない。
先ほどの泥波で全身に浴びた泥が、今のルイドスの異常な縁によって急速に硬化し、僕の身体を拘束する強固な枷となっていたのだ。
「密度は光を喰らい、重力は魂を砕く」
構えた杖の真上、ルイドスの頭上に規格外の巨大な岩石の塊が生成されていく。
その巨大な質量が太陽を遮り、この中庭全体を絶望的な影で包み込んだ。
「な、何よこの巨大な岩は!」
「ルイドス……遂にやったのね」
その特大の岩石は、セリナやイザトラのいる位置まで巻き込むほどの広範囲を覆っていた。
「ルイドス!!!」
イザトラがルイドスの名前を鋭く叫ぶ。
ハッとしたルイドスは母の方へ視線を向けると、巨大な岩石の密度を保ったまま、被害が僕だけに集中するように凄まじい精度で圧縮・収束させていった。
(クソッ!……流石にこれをまともに食らえば、ただじゃすまない)
僕は泥の枷に抗いながら、即座に無詠唱で風の魔術を放つ。
「風塵斬!」
鋭い風の刃がルイドスの首元へ向けて飛ぶ。
(あの巨大な魔術の構築中だ。直撃を避けるには、詠唱を中断して躱すか、別の魔術に切り替えるしかないはず――)
だが、ルイドスは動くことも、詠唱を止めることもしなかった。
彼はただ、空いた左手を前に突き出した。
ズゴゴゴォォッ!
地面から瞬時に分厚い岩壁が隆起し、僕の斬撃を完璧に防ぎ切ったのだ。
ドガァァァァン!
「何!?」
(一つの魔術を詠唱中に、別の魔術を発動させただと!?)
それは、今の僕にすらまだできない神業だった。
あの異質な球体を飲み込んだ影響か、今のルイドスは完全に限界を超えている。
しかし、驚愕している暇はなかった。
ルイドスの詠唱魔術が、ついに完成の時を迎える。
「シエロ。――これで僕の勝ちだ」
ルイドスが天に掲げた杖を、渾身の力で僕の方へと振り下ろした。
「崩界粒塊!」
圧縮された超質量の岩石が、周囲の風を巻き込みながら隕石のように僕へと迫り来る。
「風の一吹き!」
僕は自身の身体に強風をぶつけ、強引に後方へと吹き飛ばすことで岩石の直撃範囲から逃れようとした。
しかし、巨大な岩石は意志を持っているかのように軌道を変え、僕を追尾してくる。
見れば、ルイドスの目が血走り、杖の先で岩石の軌道を強引に操っていた。
(逃げ切ることはできない、か……)
だが、先ほどの強引な吹き飛びと、ルイドスが巨大魔術のコントロールに意識を割いたことで、僕の身体を固めていた泥の枷にわずかなヒビが入り、パラパラと剥がれ落ちた。
(……多少は動ける)
僕は、あの巨大な岩石から逃げるのをやめた。
足にしっかりと力を込め、迫り来る死の塊を真正面から見据える。
どうせなら。
昔みたいに、お前の渾身の一撃を真っ向から粉砕して、僕が勝つ。




