昼下がり、ソーヴェインへと風は吹く
連邦登場をきっかけに、ソーヴェインが様々に動き出しています。
物理的に、あるいは心の在り様として。
ディドもみんなと共に動き、歩み続けます。
報告会は結果『会合第二部』の様相となり、終了は午後八時を回ろうかというタイミングだった。帰宅すると、フレウスが出迎えてくれた。俺は我知らず、彼女を抱きしめた。フレウスはいつもと少し違う俺にほんの一瞬戸惑ったように思えたけれど、すぐにそっと、抱きしめ返してくれた。そして
「がんばったね、ディド。皆の為にがんばってくれたんだね。それに今の今も、がんばってくれてるんだね」
そう囁いてくれた。そう囁き続けてくれた。
「そういうの、なるべく二人だけの時にした方が良いと思うけど」
ネネがいつの間にか、リウスと一緒に戻ってきていた。って、そりゃそうか。午後からこんな時間まで延々続けるわけはないものな。何たる不覚。覚悟を決めた直後に膝カックン決められるとは。…はなはだ俺らしいな、おい。いいけど。君らに対しても、君らも思ってこそ、覚悟したのだし。だし、一番好きな相手に労を労ってもらったって…いいけど人前でやるのは確かに違うか。ちっ、後回しにしてやんぜ-と言うか、後でまた一つ宜しくお願い致します-。以上全て、いつもの通り心の声。さぁここからは実際に声を出していこう-何かのスポーツクラブかってんだ-。
「リウス、谷・壁造成予定地の生き物だけれど、どんな感じだったの?」
奥さんの方が、完全に俺よりも早く通常モードに戻っている。さすがだ。けれど、ちょっと淋しい。のは本当にどうでもいいとして。
「全容把握できました。もちろん時間経過と共に状況に変化はありますが、短期間の内にそれが激変する要素はほぼ皆無でしょう。三日以内に造成は実行予定ですから、移動に関しては充分に遂行可能です」
完璧な答えをありがとう。すげえな。「どうして?」って聞く必要が、何故か分からないけれど全く無い様な気がするレベルだぜ。聞くし、聞かせてもらうけど。
「すごかったんだよリウス。あれ魔導力じゃないよね?」
ネネがちょっと興奮気味に話す。
「はい、私にそう言った力は備わっていませんから」
「でもあの時リウスね、地面に片膝ついて、それで右の手の平広げて地面に置いて。そしたら、あれ間違いなく大気震撼型の波動だと思うんだけど、あれでホント全部カバーしたって分かった」
詳細ほぼゼロの情景描写だけれど、雰囲気は何となく朧気レベルで伝わっては来るな。と言うかネネ、お前はお前で分かったのかよ。…で、何がだ? てかどうやって分かったんだ? 聞きたいことが増える一方だ。そしてそれより何より、リウス。魔導力ゼロのはずのお前が、実際問題正味な所、どういう事になってるんだ?
「実は、と言う事でもないのですが、半年前、ベレオルの森でディド達三人と初めて会った時、その前に私は黒虎と接触していましたよね。覚えていますか?」
逆に忘れられるわけがないだろ。ついでにこっちは根本的かつバラエティ豊かに、様々な事を考えさせられたっつーの。しかも最も肝心な問題については、未だ答えを模索中だし。
「その少し前、私が現時点で持っている一番古い記憶になりますが、『あの森の中にいつの間にかいて』と言う時に、私は今日と同じ力を使いました。その時は意識的にではなかったのですが。そうして例えば、対象が自分とどの程度の距離にいるのか、あるいはどういう生態で、と言う様に把握しました。また当時は、同時に他の動植物についても、半径10km程度だと思いますが、黒虎と同様に感知、把握を行いました。と言っても『偶然そうできた』と言った方が良いかもしれませんね。どうして私がそんな能力を持っているのか、今も分かっていないわけですから」
そうしてまた「テヘッ」と言うあの感じの笑い-今回は若干苦笑寄りだったけれど-を浮かべる。美人でいながら可愛いと言うのは割と罪だな。やたら容姿端麗に育った姪っ子を眺める親戚のおじさんの様な、100%余計で頓珍漢な事を想いつつ、しかしながら結局疑問にブレーキがかからぬではないか。それが魔導力じゃないなら、じゃあ何なんだ。野生の勘? それとも記憶喪失前に何らかの学術研究的なものに携わっていたとか? けれど、それならネネの言う『波動』は何を意味しているんだ?
「気になるって言うか、興味がそそられちゃうのは確かにあるけれど、肝心の生き物たちは保護できそう?」
フレウスが聞く。そうだ。一番肝心なのは、今はそこだ。として、自分発の案件について、責任感含めてと言うのもあるだろうけれど、それがつまり「自分の為じゃなくて」と言うところがポイントだよね。うん、まじに尊敬ポイント。…ノロケはいいか(←気づいた)。
「結論から言えば、保護対象に関しては動物のみ、ほぼ可能となります。植物には犠牲が発生せざるを得ないでしょう。」
「どういうこと? どうやったらできるの?」
ネネが喰い気味に尋ねる。もしかして俺と同じで、威力よりも技術の方に関心があるのかな? いい傾向じゃないか-楽観論者? 『我田引水』? 知らんがな-。ちなみに「植物には犠牲が出る」と言う点に、うちの奥さんの表情は少し曇ってしまっているけれど、これはちょっと後でフォローしよう。今できぬことは済まぬ、妻よ。
「具体的な技術論、ということでは私には説明不可能です。結果として実行可能としか言えない、と言いますか。『結果』というのは、つまりごく単純に言えば、この能力によって全動物を現場から退避、あるいは近づかせないようにします。壁・谷造成完了時に、その能力による効果は解除されます。」
まぁ「現場」と言っても三千km×十kmの範囲全体をそう呼ぶなら、だよね。人が持ち出すと、当事者の俺自身、ようやくその範囲感的なものを実感するな。広いな。今更だけど。
「つまり一定時間、動物に対して『支配力』な能力を行使するってこと? ディド、術式にそういうのあるの?」
ねねは矢継ぎ早に質問を繰り出す。ちなみにどっちに先に答えてもらいたいんだ? てかリウスは詳細については答えられないよね。では師匠が直々にお答えいたそうぞ。
「術式に近いものは複数あるし、フレウスにお願いされた当初は、それがまず頭に浮かびもした。ただ、俺が実行予定だった術式は、目的完遂までに一週間以上は間違いなくかかってしまう。具体的に言えば、特定ポイントに動物が集まるよう、術式を発動する。で、これは幻惑術式や催眠術式の効果に似ているけれど、厳密には『脳神経刺激系』に当たる。動物の立場からすれば『なんだかよく分からないけれど、とにかくそう行動せずにいられない』と言う点で、だいたいどれも似たり寄ったりなんだろうけれど、負担が一番少ないのがこの術式、ってことがポイントかな。ただ、この術式の有効範囲の設定の仕方が問題なんだ。極論、特定ポイント一ヶ所に全動物を集めることもできる。つまり最長三千kmの直線上、その付近の動物を対象にできる。けれどその場合、仮に中間地点に発動させたとして、そのポイントから最も離れた場所にいる動物は千五百kmを移動することになる。それを休みなく移動できたとして、どんなに早く移動できる動物でも一ヶ月じゃきかない期間はかかる。これも仮の話だけれど、そんな広大な範囲の、そして膨大な数の動物が一ヶ所に集まったら何が起こるか。ありとあらゆるリスクが、想定するメリットを、どんな形であれ、完全に叩き潰すだろう。では複数のポイントを設置して分散させればどうだろう。例えば、どんなに離れていても、どの種の動物であっても『せいぜい三時間程度で移動可能なポイントを設置する』と言うケースで考えてみよう。この場合、最も移動能力が低い動物となると、カタツムリ辺りを想定すればいいだろう。三時間で、おそらく100メートル以上は移動できると思う。とすると、谷造成時、その底へ転落しないで済む絶対安全圏は五十mを想定しているので、そういう意味で条件はクリアしている。ただ、それではその複数ポイント、『複数』とは言うけれど、実際どれ程の数が必要となるのか。効率からとなると、三角形を基本とした話になるだけれど、結論から言うね。両岸に設置したとして約十七万二千弱。術式発動、俺達の移動時間、最終発動ヶ所への移動時間三時間を加えると、一度も寝ないで二週間程度かかる。ネネと半分ずつにし、睡眠時間や休憩時間を加えての一日の実働時間を十三時間として、それでも十七日間はかかる」
ここで一呼吸置かせてもらう。「誰かに聞いてもらっている」と言う状況は、「研究者のある種の職業病で多弁になりがち」と言う主観的分析があるのだけれど、大丈夫だよね? いや、そろそろ結論に向かおうか。「その三角形の話詳しく」とかいう心の声は無視が正解なんだろうし。
「で、この時間のかかり方の最大のネックは、最悪のケースとして、早期に連邦が武力行使に出た場合、完全に間に合わなくなると言うことになる。完全に対処不可能な状態で、そしてソーヴェインは何らかの形で滅ぼされたかもしれない。だからね、今ここできちんと言うべきだろう。フレウス、できない約束をするところでした、否、してしまいましたごめんなさい」
フレウスが「嘘でしょ」顔で呆れてるのが伝わってくる。ネネがその肩に「まあまあ」問う感じにぽんぽんと叩いてあげてる。できる弟子がいるってのはいいもんだな。泣けてくるぜ、別の意味で。さて現実逃避、じゃなかった、必要な説明の仕上げと行こうじゃないか。
「これに対し、リウスは3時間なんだろ? 比較にならないし、言えば勝負にもならない-する必要のない勝負だとしてだ-」
「カタツムリも大丈夫ですよ」
リウスが微笑む。フレウスは「良かった良かった」と言う顔でウンウン頷いている。
「もう一つ情報を加えるなら、既に先ほどの調査の段階で、ある程度のスタートを動物たちには切ってもらっています」
俺達他の三人は「ん?」となる。リウスが続ける。
「当日の三時間と言うのは、それが完了したかどうか。そして万万が一漏れた動物がいるなら、そのケアを万全にするため。それら作業に充分必要な時間として、それだけ必要、と言う事なんです」
なるほどね。最初に言っていた「移動に必要な三時間」って言うのは、ちゃんと言うとそう言うことになるのね。うん、すごい。それしか言えない。
「私の障壁装置設置プランはいいんでしょうかぁ?」
ネネがおどけて言う。
「うん、大丈夫だと思うけれど、念の為聞こうか」
俺は他意無くそう応える。この子の力を侮ったことなど一度も無い。侮れるわけがないのだから。だからと言って作戦立案者の責任を全うするに当たって「全く何も知りませんが任せます」は通用しないだろうし、弟子の監督・管理は師匠の務めの内だし、てなことでね。
「今皆に地形データ送るね」
思念データが入ってくる。現場の地形に、ネネが適宜にポイントを振った個所が光の点滅によって表示されている。思っていたよりも直線に近い。
「湖とか池・川、あと地下水脈、それとマグマ。全部避けたらそうなった」
マグマね。忘れてたよ。すげえな弟子。造った谷に仮にそれが噴出した場合、冷えて固まった後は大地になり、そしてその分、谷の深さは失われ、最悪何の意味も無くなる。…何だろな、俺がネネの事を「師匠」って呼んだ府がいいんだろうか?
「って言うかね、あんまりよく分からないけど、ここまできれいに分けられるのは奇跡なんじゃないかって思う」
あぁ、確かにそうだ。特に川や地下水脈の流域なんかってのは、本当に広いし、それぞれが何らかの形で干渉しあいがちだしね。それらの間を行こうと思うと、相当なジグザグ状になるか、あるいは避け切れない場合、術式によって、川や水脈への何らかの加工を施す必要もあった。ただそれはそうできると言うだけであって、その結果、地形や生態系に、更に様々な負担をかける可能性は大いに出てくるはずだ。その心配をしないで済む方が、しかし奇跡なのは間違いなく、そして今回はそうなった。「天は我に味方した」と一言で片づけてはいけない何かがある気配もするような話だけれど…まぁそれを突き詰める時間では今はないか。
ネネの地形型探知術式能力も素晴らしい。できるとはわかっていたけれど、ちゃんとこなしてくれる当たり、と言うかこっちの想定以上の成果を上げてくれちゃって、感心以外の何ものでもない。強いて言うなら師匠側が反省しなきゃならないってことかな。うん、気持ち的にこれも後回しでいいや、ごめんね。もちろん当日は俺が現地に行って、最終確認した上で、修正すべきものがあれば修正しながら進めることにはなるけれど、それは全く必要ない予感はバリバリする。この子に対する指導などを通じたこれまでの経緯の中で、それはほぼ完全な確信と言っていい程の信頼もあるし。むしろどう完璧なのかを確認する楽しみすらある。
と言うことで、領土防衛作戦プランは完成した。なんて言うと大仰と言うか、おどろおどろしいと言うかだけれど、単純な話、自分たちが大切にしてきた土地を、ただ悲惨な目に遭わせたくないだけだ。もちろん自分達自身を含めて、ということだし。
さてもだ。このプランを可及的速やかに完遂するとして、ネネや魔導インダストリアルとの打ち合わせの結果、一応明後日正午を『作戦終了時刻』、言い換えれば『納期』として設定できることが確認された。逆算的に説明しますと-
⑤終了十分前に谷の造成術式発動
④その十分前に魔導障壁装置稼働開始
③-Aその三時間前に同装置設置ポイント指定及び設置術式発動
②同時刻にリウスによる動物移動最終確認及び
①その一時間前に現地への移動開始
こんな感じ。つまり明後日の朝七時半に俺達は行動開始、というわけだ。それまでに、障壁装置が魔導インダストリアル社の二十四時間フル稼働によって、全て完成予定となっている。やばい。こうして考えてみても、リウスの貢献度がハンパない。いや、これに関わる全ての人がそれぞれ力を発揮すればこそだし、そう意味では誰もが貢献度と言う点で評価あってしかるべきなのは当然だろう。ただ、それを決定的に成功に導く要因が「特にリウスの能力にかかっている」と言う所か。
しばらく後、フレウスから「私ワガママだったかな…」と、若干落ち込み寄りに言われたけれど、それは違う。他の生物を無為に犠牲にして、自分たちが生き残るなんて選択は、やっぱり「あるべき選択肢」とはとても言えないだろう。つまり命を救える可能性や、ましてや方法があるにも関わらず、それを放棄すると言うのは、今回の作戦に限らず、ソーヴェインの今後の根本的スタンスに関わってくることは間違いないだろう。そう言う意味で、致命的結果回避の目算が付いたのは、この作戦最初の行幸と言う気もする。ともあれソーヴェインにおけるその先史以来の、言うなれば『史上最大の大本番』が、これから始まる。
なんだろう。これは俺にとって、俺と言う人間にとって、とてつもなく決定的な、それこそこの自身の根本と言う根本が一気に変換を遂げる予感が、今、してならない。それは人生観や価値観、魔導技術の革新、あるいはその転換、はたまた更に他の分野においてのエポックメイキング的革新あるいは転換等々…。「天と地がひっくり返る」なんて慣用句があるけれど、俺個人にとって予感するところは、まさにこれがピッタリって感じさえする。こういう時だよな。ホズ先生に占ってほしい時ってのはさ。なんてのは冗談だ。戯言だし与太話だ。まぁいい。てかこれで良い。明日、その大本番の幕はいよいよ上がる。このソーヴェインの地で生を営む全ての人々の手で、それは開ける幕だ。同時に、俺たち全員が演者であり、演奏者だ。終演まで、そのグランドフィナーレまで、一気に突っ走ってやろうじゃないか。
翌々早朝、実に清々しい夜明けを迎えることになった。ここ最近の天候は相当に安定しているから、その点当然と言えるかもしれないけれど、それはそれ。いわば社会的情勢として、そして地域的情勢として、そしてそれら各状況としての黒雲が到来していることを鑑みれば、今の今のこの出だしは、かなりポジティブな何かを示唆していると感じずにはいられない。まぁ、完全に「そうあってほしい」と言う気持ちの裏返しではあるのだけれど。
昨夜二十一時に就寝し、現在早朝の五時丁度。と言って、実際その二時間くらい前から、何となく目は覚めてしまっていた。もちろん術式で半ば強制的に、自分自身を睡眠状態にはできるけれど、「今日一日」と言う日に求められているあらゆる状況に思いを至らすなら、摂理にいたずらに逆らったりしない方がいいのだろうとは思う。体が、その本能的反応として自然に、その種の緊張状態にあると言う風に感じるし、そうであることをむしろプラスに活用していく方が良いだろうと判断した、と言うのもある。そして、軽く悶々としながら今に至っている、と言う部分も正直あるけれど。
フレウスも、そういう俺の気配を感じたのか、ほとんど同じタイミングで、目が覚めていたんじゃないかと思う。お互いがお互いに「起きてるな」って感じていて、「でもやっぱ午前三時ってのは早過ぎるよな」って感じでお互い寝ている態を継続する、みたいなね。今の今、半身を起こした俺に間髪入れずに「おはよう」って声をかけてきたところからも、俺の確信は証明されたと言っていいと思う。うん、大げさに言っている自覚はあるよ、ごめんね。まぁ、夫婦でしっかりシンクロしていたと言うか。そして自然と手が触れ合い、握りしめ合った。
「がんばろう」
「がんばろう」
どちらからともなく、そしてそう声を掛け合った。
三十分後、諸々身支度して居間へ行くと、既にリウスがそこにいた。今日も今日とて、今朝も今朝とて、彼女は本の虫として活動を開始していた。タイトルは『聖ティグヌスその終焉』。内容としては、表題の聖ティグヌスさんが若い時からけっこう放蕩の限りを尽くすに尽くしてたんだけど-その様子が物語の大部分を占めている-、ほとんど死ぬ間際になって、突然やたらと凄まじい悟りを開いたとされる一代記だ。俺は何故かたまたま読んでいたので内容も知っていたし、それこそこの主人公にシンパシーを感じてすら感じていたりもするんだけれど…
「リウス、何故このタイミングでそのチョイス?」
「ただただ興味深くて」
それが彼女の答えだった。人生ある意味はっちゃめっちゃな人の話を、この大本番当日朝に読むマインド内容こそ興味があるんですけれど。聞く前より謎が深まっちゃうパターじゃないか。まぁいい。この人がこうして通常営業なのは、ある意味今日一番大事だとも思うし。
間もなくしてネネも来たところで、昨夜作り置きした朝食を四人で食べる。ある種の緊張感を共有する者同士、そこそこ静かに進行する朝食になるかと思ったけれど、俺以外の三人はほぼいつも通り、会話の花が十二分咲きの満開状態だった-あえて言うけど「十二分」って「超にぎやか」ってことね-。「そう言えば」みたいな感じで、近所の服飾店の新作談議が、今回の中心テーマとして取り上げられ、で、そんな花が先に咲き誇りまくっていた。…入れねぇ。参加を期待されてもいないのだろうけれど。他方、俺がこの土地に来るまで-八年以上前になる-、そういう類の店、あるいは業種そのものが、影形すらなかったことを想えば、隔世の感すら覚えてしまう。それまでは、言うなれば各家庭での裁縫仕事が大部分を占めていた様だ。あるいは一年に一・二度と言う程度で、その手の行商人が「ついで」みたいな感じで持ってきたものを物々交換で手に入れたり、地域の中でもそういう技術に優れた人がいて、やっぱりそこでも物々交換で提供したりされたりだった様だ。経済成長の一端がここにもある、なんて感慨深げに思いながら、会話に参加できない現実から逃避したりもして。淋しくないかって? …全然。何言ってんだか。
ちなみにと言うか、俺はフレウスと付き合うまで、服やら『おしゃれ』的なものにはこれっぽっちも執着したことが無かった。別にこだわりがあったわけでもない。冗談の様なホントの話、物心つく前から魔導師服と寝間着以外のものを、ほとんど着る機会無く生きてきた。魔導師服-「魔術着」とも呼ばれる-は、術式のサポートコントロール能力を有するものや、その逆のアンチマジック機能を有するなどして着用者保護を目的とするものなどがある。まぁなんにせよ、協会内(協会領)で生活・活動する分には、これだけで良かった。厳密に言うと、これでなければダメだった。例えれば、戦場に一般兵が出るに当たっては鎧が必須と言う感じだ。加えて、公的・私的いずれの時間も分かたず術式研究に明け暮れていた俺からすれば、寝る時を除いては-時には寝る時ですら-お世話になりっ放しだったし、更にはこの地域に来てからも、一日の大半はそのスタイルで過ごしてきた。もちろん実際的な日々の内容は、協会にいた当時から大きく変わったものの-『ソーヴェイン魔導技術顧問』と言いたいところだけれど、実質『よろず魔法相談所』な日々だ-、基本的に魔術関連をそのほとんどの機会で扱っているという点で、この服の必要性そのもに変化が生じたわけでもなく。
が、そんな日常にフレウスとの時間が加わった時から、俺の服事情は大転換を迎えることとなった-と言うのは表現としていささかオーバーだと自覚してはおりますが、まぁ「恋は人を変える」と言うことで-。つまりはその俺の日常に、魔術に全く絡まず、かつ睡眠以外の時間が発生することとなった為だ。これは余談の余談だけれど、お付き合いしたての初めの初め、一番最初のデートの日、とある飲食店前で待ち合わせたのだけれど、そのファーストコンタクトで爆笑された。
「先生、私とのデートも仕事ってことは無いですよね? アハハッ」
と。そう、当時はまだ俺「先生」呼称だったのよね。ってそこじゃない。そう、俺は魔導師服で出かけたのだ。それ以外の服で出かけたことなんて全くないし。いや俺、協会にいた頃さ、当時お付き合いしていた人とは普通にこの格好であっていたわけよ。ただ、思い返すに、その当時のお相手は一般的な服を着ていた時があったような…うん、この蓋は開けんでおこう。良くないよ、こういうのは。さておき。
「じゃあですね、今日はご飯食べるだけの予定でしたけど、その後で先制の服選びに行っちゃいましょう!」
初デートの彼女のその二言目が発せられて以降、そして今に至るまで、時折一般の服を着る人に、俺はなった。なんというか、ちょっとしたジョブチェンジを果たした気分だ。
他方我が弟子にして年頃の女の子ネネは、ソーヴェインでの生活がスタートした当初はサーシャなど近所の人達からおさがりをもらっていたのだけれど、しばらくしてフレウスなど同性の友達と本格的に付き合いだしてからは、そうした店舗に行くことが何よりの愉しみの一つとなったようだ。俺の弟子のくせに、元おしゃれ感覚ゼロの師匠のその弟子のくせに、シャレオツ街道爆進中とはね。そもそもフレウスというオシャレ番長に邂逅した瞬間から、運命は定められたと言っても過言、だな。過言だ。として、魔導力やその技術関連以外にも人との出会いや『創作料理』とか、『ツキ』含めてホント色々持ってる弟子だよな。多才で多彩だ。その内、魔導師服までカスタムデザイン始める勢いすら感じちゃう。言っても袖・裾等の長さや、それこそデザイン自体が割と機能に直結しているから、一般の服と勝手は違うものではあるのだけれど、あの子、それすら克服と言うか、簡単にこなしちゃいそうな気がするのよね。で、案外「そっちの道」に進んだり? てか、今は明るく不確定な将来展望より、今日これからの現実、一大作戦だ。ふと気づけば三人は今日の夕食の献立について話し合っている。これも大いに盛り上がっている。お花きれいだな。…これは現実的なのか、な? まぁ作戦のその内容に関する打ち合わせについては昨夜の内に全て済ませてあるし、今の今、取り立てて確認することは無いには無いのだけれどね。として、時間だ。
「そろそろ出発しよう」
三人へ声をかける。
「あ、なんかリーダーっぽい」
フレウスが何か面白いものを見つけた様、嬉しそうにそう言ってくる。
「やる気があるのは良いことだよ」
弟子が師匠を誉めてくる。サンキュー(棒読み)。
「ランチBOX確実に忘れないようにしましょう」
リウスが「それ最重要事項だから」みたいなテンションで言ってくる。OK、やっぱり俺、どんな場所でもイニシアチブ取れない人生だわ。あとリウス、その食いしん坊キャラみたいなセリフ何。
てな具合に俺達一行は我が家を出て、まずは魔導インダストリアル社の第一工場へと向かった。工場ではオーナーのデオロルさん以下、工員さんなど従業員さんが総出で出迎えてくれた。朝早くにも関わらず、それよりも突貫作業からの徹夜明けだと言うのに、どの人もどの人も、まるで今日の朝日の様、エネルギーに満ち満ちた明るい表情で、こちらとしてもちょっと心が震える思いがする。また、それだけのチームパワーをまとめ上げるだけの器と力量のでかさと言うものを、デオロルさんに感じないわけにはいかなかったグラタスさんと言い、この兄弟は本当に「何かを創り上げていく」と言う力が尋常じゃない。もちろん、こうして一緒になって取り組んでくれる従業員さんと言う名の「仲間たちがいればこそ」と言うのはあるにせよ、「要となる人の在り方」というのも、それと同じくらい重要な要素なんだと思う。きっとその二つが揃って初めて発揮される力と言うのも、あるのだろう。そしてその一つは間違いなく、今目の前にいるこの人たち、このチームを指すのだろう。
「先生! 注文通りのもの、突貫で全基完成してるぜ! こいつらみんな、褒めてやってくれ!」
デオロルさんは心から嬉しそうに、開口一番、そうリクエストしてきた。言われるまでもない。
「皆さん本当にありがとう! お疲れさまでした!」
俺は心から感謝していることがきちんと伝わる様、なるべくその場にいる人達全員に届く様、声を張り上げ、そして深く頭を下げた。ふと、何か気配を感じて視線を横に移すと、フレウスが同じ様に頭を下げていた。フレウス自身が個人として謝意を示したかったからというのは分かるけれど、それに加えて「夫婦として、そういう意味でここに共にいる」感を意識しないわけにいかなかった。今朝、お互いの手を握りしめ合った、あの感覚だ。これ、「当たり前」と思わないように、これからも生きていこう。この人だけは失うわけにはいかないぞ、俺。
と、そこへ
「さすが兄貴! 魅せてくれるね大社長!」
大社長の弟ことグラタスさんが現れた。隣にはレジエルさんとノクリエルさんもいる。この三人に、我が家からは俺・フレウス・リウスの三人が加わっての計六人で、これから谷・壁造成現場へと、文字通り飛ぶ。そしてネネは、このままこの工場に残り、魔導障壁装置転送元の現場責任者として、任務に就く。…えー、当初皆様に対しましては「ネネちゃん含むディドさん一家四人揃ってのピクニックもとい現場作業になる」旨お伝えしておりました。が、昨夜になって「現地へ装置を転送する際、何らかの不具合が工場側で起こった場合、そこに魔導技術の専門家がいなくて大丈夫なのか」と言う点、懸念が示されまして、急遽このような運びとなった次第であります。はい、ネネちゃんはぶー垂れもせず、むしろ『現場責任者』という肩書が非常にお気に入りになったご様子でしたので、一部の方々にはご心配頂いておるかとは思いますが、「ご懸念には及ばない」と言うことで一つ、ご了承いただければ幸甚にございます。はい、定型句終了。
と、繰り返し的な話にはなるけれど、現地での実務担当は、実質俺とリウスの二人だけということになる。ただ、今回は極めて重要性の高い作戦決行である為、これ含む今回の一大プロジェクトの中心メンバーである三人-レジエルさん・グラタスさん・ノクリエルさん-に、「直に現場で管理者的立場としていてもらった方がいい」となっての、今回の帯同となった。うちの奥さんの仕事はもちろん、『動物保護大作戦』として「リウスがそのディレクターなら私はそのプロデューサーね」なポジションが用意されている。そして、とにもかくにも俺の絶対的な意味でのサポーターだ。「遠くにいても通じ合ってる。お互いの存在が確かな力になる」と言う価値観には何ら異を唱えるつもりは無いけれど、「だったら物理的に直近、もっと言えば隣にいれば最強じゃんね」って言い方もできるでしょ? そういうことなんです。その奥さんの中で、初めのピクニック気分が特に変化してないのも、こっちからして変に気負わなくて済むことに多大な貢献をしてる。さすが絶対的サポーター。
と言うことで、俺以外の現地組五人を個別に、例のエアボールへと格納し、引き連れ、現地へと飛んだ。
午前八時過ぎ、ソーヴェインと連邦の間に延々と広がる大平野『スタッグ平原』は、その上を高速で飛ぶ俺の目には、まるで光波打つ大海原の様に思えてならなかった。快晴と言っていい天候、惜しみない太陽光、その朝の大地を吹き渡って行く風。そんな上空を一気に飛び抜けていく俺達は、さながら超長距離を移動する渡り鳥か。黄金色の、その広大にも広大なうねりは、いわば手付かずの原野を意味してもいる。当の二国間を大きく隔てる大平原。それはソーヴェインにとって、今や単なる「未開の地」ではない。約束された大地、いつか皆で辿り着くべき丘、明日のそのまた先へと続く大いなるうねり。そう、そこは今や、ソーヴェインの未来そのものを内包する大地だ。そして、これら可能性にのみ立脚する言葉の数々を現実とする為、その為の決定的な第一歩目を、今、この六人で踏みしめたと言えるだろう-「いや、歩いてないし、どころか飛んでんじゃん」とかは聞こえない-。もちろんネネや魔導インダストリアルの人達のバックアップがあってこそであることは言うに及ばず、ソーヴェイン全住民の思い全てを乗せた第一歩目となる-だから聞こえんちゅーに-。そのことは、飛行移動中唯一可能なコミュニケーションツールである念話すらほとんど交わさなかったものの、俺以外の五人の人達も、それぞれが異口同音的に、その思いを抱えていたはずだ。そして。
現地には予定通り午前九時に到着した。一昨日ネネが念話で送ってきた通り、あるいは計画段階での想定通り、見渡す限りの大草原、そしてごくまばらに点在する樹木の他には、ほとんど何の気配すらもしなかった。けれどリウスだけは到着直後、これも一昨日ネネが話していた通り、片膝を地面につき、そして同様に片手を当て、まるで瞑想に入るかの様にして目を閉じた。次の瞬間、確かな大気の震撼を体感することとなった。これか。これがネネの話していた『波動』か。大気震撼型の現象。魔導技術の門外漢である他の四人にも、「何今の?」と充分興味なりが湧くほどに確かに感じられるそれだった。けれどと言うかやはりと言うか、それは俺が知る限りにおいての魔導力由来のそれでは無い様に思えてならなかった。そもそも魔導力特有の発動感が無い。更には、魔導障壁装置用に持参した魔導計測器に全く反応が見られないことが何よりの証左と言える。ただ、試しに生態ソナー目的に術式を発動させると、半径十km圏内においては確かに、まごうことなき動物達の反応が出た。そのどれもが確実に、造成予定地点から五十メートル以上は離れ、その内の半数以上は更により離れようとしている。そして反対に、この地点へと向かおうとする反応は一つとして認められなかった。相変わらずその原理は一切不明ではあるにせよ、どうやら全面的にリウスを信頼して良さそうだった。そのことを妻に報告すると、彼女は微笑みながらもうっすらと涙を浮かべな、小さく何度も頷き返してくれた。リウス、マジで感謝だぜ…!
さても、こちらもうかうかしていられない。魔導障壁設置術式を一気に展開していこうじゃあないか。この作業は超々高高度、上空三万mの成層圏から発動させる。理由は単純明快、配置予定の約三千kmという距離に対して、方向や感覚の統一性を管理しやすくする為だ。逆に地上でそれを行おうと思えば、その調整にかける時間を、膨大なまでに浪費することになるだろう。作業内容としては、ネネがあらかじめ設定した設置予定ポイントへ、転位術式を発動させていく。念の為申し添えれば、愛弟子の見立ては完璧だった。と言うか愛弟子、上空百キロメートルの中間圏から調査・測定したらしい。「防護術式展開していたから大丈夫だったもん」とか言っていたけれど、その高度になると真空近似の環境に超強風が合わさり、一般水準の魔導師であれば定位置キープがほぼ不可能な状態に陥る。と言うか単純に命の危険が付きまとってしまう。気づけば良かったし後の祭りだけれど、結果オーライで良かったよ愛弟子。もう二度とすんなし-と実際釘刺しもした-。いやはやどこまで末恐ろしいのだか、あの子。言ってみれば今やっているこの作業だって、弟子の能力に頼って、師匠が最後に単純作業で仕上げさせてもらってる構図だしね。「クリームのデコレーションまで済んでるホールケーキに、イチゴとチョコプレートを載せるだけ」みたいな感じだ。…まぁ、さすがにそれよりちょっとは技術力がいるのだけれどね。送り出し側のネネからの通信では、特にと言うか全く問題は無いようだ。
はてさて、この成層圏からは、さすがに詳細なポイントを肉眼で確認することなどほぼ不可能ではあるけれど、映像転位術式によってモニターしている為、誤差はまず生じ得ない。十数秒に一ヶ所の割合で術式を展開し、発動したその刹那、「見た目にはほぼ同時」と言うタイミングで、装置が現出していく。すぐ側にはフレウスがいてくれるから、作業規模に一切関わらず、心の中は平穏そのものでいられる。時速百km台の超強風に摂氏マイナス三十度超の極寒エリアであるにも関わらず、何だったらぽかぽか暖かい気持ちになっている-「あらゆる保護機能を持ったエアボールに入っているから、物理的に暖かいのは当たり前でしょ」とか無粋なこと言う人は嫌い-。ちなみにレジエルさん等他の三人は、少し離れた所で俺達をニヤニヤ眺めている、ワケないですよね、すみません。もとい、監視役として事の成り行き・地上の様を注視している。この高度において、肉眼で詳細を把握することは不可能だけれど、各エアボール内にモニタリング可能となる様、映像中継用の術式が施されている為、任意で状況進行を追える様になっている-「送り手」側となる撮影型魔導装置は、古代術式による無数の鉱石を利用してのもので、マルチモニターとして対象全域に無数に展開している-。また、フレウスとは念話の常時接続を行っているので、リアルタイムに意見や感想が送られてくる-今は小動物や昆虫等、『小さな生き物たち』までが一斉に特定エリアへ移動している様に、安心したり喜んだりしている真っ最中だ-。にしても、昨日もそうだったけれど、そもそも責任感の強いこの人は、ついさっきに至るまで、事の成否に対して大いに心配やプレッシャーを感じていたはずだ-確かにこの『動物大移動』の発案者ではある-。それが実際に今、彼女にとっての最大の懸念であるそれが、確実な成功へと向かってひた走っているわけだから、そりゃ興奮しない方が無理と言うものだろう。故に、リウス。一体君は何なんだ? 今更だけれど敢えて言おう。今、俺達の目の前では何が起こっているんだ? 結果最重視の今の今は、追求も追究も保留している-せざるを得ない-けれど、然るべき時が来たなら是非なくそのフェイズへと移させてもらおう。ネネに任せてもいいかな? いやいや、やはりぶっちゃけ俺自身で、その真相を手繰り寄せてみたいものだ。知りた過ぎるもの。あの『出会った日の最初の最初』に思ったことが遥かに膨れ上がっての再認識になるけれど、あいつ、とにかく絶対、ただの剣士じゃない。てか剣士だったところなんて、それこそ最初の最初だけだし。本気で何者なんだ? …なんて「考え事しながらの術式発動良くないよ?」的なこと、ここにネネがいたら言われそうだな。この術式はいわゆる『神経研ぎ澄まし系』には属さないし、どちらかと言えば自動進行型にすら近いものだけれど、「目下の最大の謎」を考察しながらと言うのは、さすがにリスクゼロではないだろう。只今心中に現れた愛弟子の助言に従おう。後でリアルな方の愛弟子に怒られない為にも-それが一番大事じゃない事は分かってますけど個人的には最重要に近い項目なんですよこれ(必死)-。…師弟の関係性が、アベコベ通り越して逆転し切った感すらあるな。
障壁設置作業は一時間半経たずに完了した。想定より一時間以上早く終了できたのは、調査段階でのネネのプランが文句の付け所なく的確だったと言うのもあるし、その内容として始点から終点までほぼ直線に配置すれば良かったからと言うのもある。つまり効率の点で最良に近いパフォーマンスを得られたわけだ。また、その効率の良さが前提となって、開始早々から加速度的に作業を進めることができた、と言う嬉しい誤算もある-等速的な作業になるとも思っていなかったけれど、ここまで加速するとも思ってなかったと言うか-。時間も余っているし、ちょっと理由の深堀をしようか。そもそもこうした物質転位術式は、ほとんど初歩的な技術しか求められないけれど、それを送り出し側としてネネと言う天才児がやったと言うのもある。例えば工芸品において相対的に単純な細工をするにしても、名人と素人が同じ様な形で完成させたとして、結果、決定的な差異が生じることになるのと理屈はほぼ一緒と言えば理解してもらえるだろう。加えて、彼女とは『古代術式』と言う共通言語的な相互理解があるから、なまじ一般の魔導師同士よりもはるかに阿吽の呼吸度が高いのもあるだろう。
作業を隣でずっと見ていたフレウスは、この一連にただただ感心してくれた。
「ほぼ毎日、普通に一緒にご飯食べてて、けっこうおバカな話しかしてない二人ばかり見てるから、正直びっくり」
うむ。バカな話しかしてない俺らしか知らないは、でも言い過ぎでは? もっと他の日常シーンもご覧頂けているはずだけれど。ただ「確かに」と思うところもある。例えばネネと魔導関連のトレーニングをしているところや、企業案件でのミーティング風景なんかは、つまり『プロフェッショナル仕様』な面をフレウスが見る機会と言うのは全く無かったかもって言うね。もちろんわざわざ見せる種類のものでもないし。こんな一大事でもなけりゃ、ね。
ふと、俺達夫婦以外の三人の様子が気になり目を向けると、どうやら例の『今後のソーヴェインにおける最高意思決定の在り方〈機関・システム構築に向けて〉』をテーマに意見交換している真っ最中だった。繰り返しにはなるけれど、現況、ソーヴェインには明確な統治機関は存在しない。「結果的にその役割を果たしている部分もある」組織として、二大組合が存在し、言わば『企業(主)統治』とするのが最も近いか、なんてフワッとした状況だ。そういう環境においては当然、企業集団の経済活動が最大・最重要基盤となっての意思決定が為されることになる。数年前なら、そこにほぼ全住民が関係していたわけだから、一応社会運営方法として問題とすべきものはほとんど無かった。何か希望や不満や問題があれば、オーナー同士・従業員同士・オーナーと従業員同士で、特別分け隔てなく意見交換なり話し合いなりが行われ、そのほとんどが落ち着くべく落ち着き、収まるべく収まった。けれど。今やその二大組合に職種として属さない人口が、全住民の三分の一にまで割合を増加させている。そしてそれら含め、ソーヴェインの人口は五百万人を超えた。その今、最高意思決定機関そのものが確実に必要となった今、その構成要員のあるべき選出方法や運営方針は、二大組合の理事選出で取られてるような「その場の雰囲気からの何となくの合意形成」から飛躍的に変化・発展させた水準のものが求められる。ただこの手の案件は、古今東西におけるいずれの国家・地域も相当の慎重さを求められる種類のものなのだろう-歴史を紐解けば、特に失敗例は枚挙に暇が無く、成功例のほとんどは結果失敗例となる一時的なそれでしかないものが大多数を占めているわけで-。そして残念ながら、世界魔導師協会と言う名の独裁国家No.2からプーの野良魔導師に降格を果たした俺には、つまりどうあってもそういう物事に関する思考センスが無いので、三人の話には参加せず、聞くとはなし聞くことにした-「明確に聞いてます」的スタイルだと意見求められちゃう可能性があるし、その結果がっかりさせちゃう超怖結末しか正直見えないんすよ-。フレウスはそんな俺の気配を察してくれたのか、俺と同じスタイルで付き合おうと思ってくれたらしい。夫婦そろっての拝聴会となったわけだ。「はいそうかい」とか思いついたけど、誰をがっかりさせるか分からないから言わないことにする。……。ごめんね?
三人の中で目下盛り上がっているのは国家の権限、いわゆる『三権』-立法・行政・司法-そのものにおけるあれこれだった。だいたいこんな感じだ。
①君主制・封建制・独裁制等の各国家では、国王等国家元首が三権を一括、あるいは「その上」としての絶対的大権を有するケースが多数ある
②『二権一体』-例えば立法&行政の各権を一括して有し、司法(裁判所)だけは別にあるとか-のケースも少なくなくある
③それらのシステムは押しなべて統治者(為政者)側にとって「スムーズ」に機能している
④民主制や非独裁型の共和制を採用する各国家-三権分立型が中心だ-と比較すると、被統治者(一般国民等)側にはより強い権利制限が伴うケースが多数見られる
⑤一般国民目線から単純比較すれば、自らの権利が認められる程度や範囲が大きい三権分立型の方に優位性を感じ易い
⑥いずれの国家システムであっても、善政・悪政は存在する
⑦「良い国(良い政治)」と言うのは、その時の統治側&被統治側双方の在り方に依存する
まとめちゃおう。二つの例出させていただきます。
①とある絶対的権力を持っている王様のいる国は、パッケージとしては独裁国家になる。けれどそれが人のできた王様で、国民の幸せ第一でその権力を行使している為、臣民(国民)側は幸福感の高い生活を送ることができている。
②とある共和国では、完全フラットな感じに全国民間の互選(選挙)によってリーダー(権力行使者)を決めている。ただ、リーダーが結構頻繁に変わるので、政治方針(目標)もコロコロ変わっちゃって、産業等経済が安定的に発展できず、結果多くの国民が生活に困難を抱えちゃってる。
こんな感じだろうか。「具体的にどこの国が」と言うのじゃなくて「あるある」的な風にしただけなんだけれど。だし、もちろん「嫌な王様のいる国で、臣民みんな困ってます」とか、「選挙で納得いく人がリーダーで、やっぱ選んで良かったわー」な国もあるだろう。そして「それでは翻って我が方は、どんなシステムを採用すべきか」的な、試案作りにも近い三人の会話は続いていく。
地上のリウスをモニターすると、開始時と変わらないポーズ-立膝で地面に右の手の平を押し当てた姿勢-のままだった。当該エリアの動物一斉大移動を完了&確認するのに「三時間必要」と言うことだったけれど…。現在一時間を過ぎた所で、状況はどの程度進んでいるんだろう? 順調なのかな? もっとも、リプランニングやリスケジュールが必要となった場合には、リウスから通信が入ることにはなっているから、「今のところ特に問題無し」と判断していいのだろう。とは言え、だとして。彼女が今手掛けていることこそが、大いなる謎に満ちまくった大事業なわけで。そして魔導師の自分からすれば「解明を試みたくなる、ならざるを得ない大いなる課題」と言う意味での大問題とも言え。
さてもあと二時間弱ある。レジエル・グラタス・ノクリエル三氏による『ソーヴェイン未来建設試案アワー』拝聴会を再開しよう。はいそうk…ごめんて。てかフレウスが変わらず熱心に聴いているので、俺からしてもそうするより他無いと言うかね。
只今のテーマは、『仮に今のままの結果的な企業統治スタイル、つまり事業主主体の二大組合による統治が続いた場合、何が想定できるか』と言うことらしい。『』のくくりが必要だったかはささやかな疑問だとして、要は先ほどからの続きだ。「封建制」とか「共和制」とかのアレね。…ごめん、やっぱよく分かってないのよ俺。まぁ…その「先ほど」の統治システムの良し悪し話は、「システムそのもののタイプも関係するけれど、結果的にはそのシステムの運営者と運営方法に依拠するところが大きい」と言うところに一旦落ち着いた。と言うところからの続きね。
で、「運営者・運営方法に依拠する」と言う観点から捉えたとして。現況、レジエルさん等事業主の内で大きな割合を占めるのは、他の一般労働者とある意味では同質の零細・小規模事業主だ。そしてレジエルさんやグラタスさんの様な大規模事業を展開する企業は、数的にはごく少数という状況でもある。また、この間の発展の過程においては、その事業の大小に関わらず-と言うか例外なく-事業主と従業員が分け隔てなく互助的に事業を推進してきた。ので、「事業主が一方的な強権力的ポジションになっちゃって」なんて事とは無縁でやって来た。けれど。今後、二世代・三世代から先-レジエルさん等の孫から先の世代-となっていった時に、つまりはその様な黎明期・創業期の感覚と無縁な世代が中心となると、どうだろう。付け足せば、その出自から、ある意味生まれついての事業主・経営者側となった人たちが中心となった場合、果たして今の事業主達の様な、従業員に対するフラットな姿勢・目線-公正で健康的な運営視点-での経営が継承され、あるいは担保されるのかとなると、どうだろう。これは完全な主観・個人的感覚になってしまうけれど、俺が知る限りの過去の様々な事例-ソーヴェインを除く他地域の様々な事例-からすれば、正直「いささか心許ない」と言わざるを得ない。そんな心許なくなる事例を(わざわざ)二つ上げますね。
①とある国の『優れた建国の祖』の息子が「やんちゃ」ではちょっと片付かない様な奴で、やらかし政治を行った果てに傾国状態まで行った。結局最後、本人は粛清された。
②とある大企業創業者の孫(三代目オーナー)が、経営能力に関して初代の遺伝子をちっとも継ぐことができず、と言うか格段にかじ取りがド下手だった。結果「今後も栄華を誇り続けるであろう」と目されていた同社は倒産しましたとさ。
それにこう言う事例は稀ではなく、多少の違いは在れど「割とよく聞く」感じの話だったりする。そしていずれの場合でも、最も損害を被るのはその支配下にあって、且つ何の罪もない一般の人々-国民や社員と言った人々-となる。と言う「ダメになっちゃったパターン」と、そこまでいかないけれど建国の祖・創業者の時ほど組織的に一体になれず、ともすれば精神レベルでは乖離・断裂・断絶等の各状態に陥るケースこそ枚挙に暇が無い。って暗い想像ばかりだなオイ。と言うか俺、魔導師協会にいた頃、ここまで「組織の在り様」について考察したことなんて一度も無かったよな。まぁ今の今にしたって、こうして端で聞いているだけだけれど、「自分なりに捉えてみよう」と積極的に努力するまでには成長したでしょ?(えへっ)。いや、あの頃は大大大好きな古代術式研究を行う際の代償的義務として、同協会副首座としての各種業務を行っていたと言っても過言ではないと言うか事実と言うか-見る人が見れば「不真面目が行きつくところまで行きついている」と思われても仕方が無かったレベルだっただろう-。別に「不真面目でいいや」と思っていたわけではなかったけれどね。強いて言えば、その職務を遂行するに当たって最低限必要な熱量の、その標準的な水準には達していなかったかもしれない。今さら責任を感じるべきものでもないし、てか感じようもないけれど、反省すべき点はゼロではないだろう。路傍の石にも教訓は宿る。そして、後悔しても反省はしない、なんてのも今さら感ありありの月並みな言い回しだけれど。実際問題、人の心情として後悔するのはしょうがないとも思うけれど、全ての場合において非建設的かつ非生産的だし、その時間を省察ないし今後の傾向と対策的に反省することに比べて、効力的なものがゼロレベルな非効率アクションでもある。それはこの八年の間に、俺がとにかく確認し続け、そして確認させられ続けた事実だ。
話と意識を今の今に-三氏による空中井戸端会議に-戻そう。つまりソーヴェインが今のスタイル-二大組合の結果的統治スタイル-のまま、「現在の延長線上的スタイルで運営されていくとして」ってところからね。そうすると、必然的かつ不可避に各企業の事業主が代替わりをしていくこととなる。で、結果どの様なオーナー集団としての構成になっていくにしても、「現在の構成・体制の持つ公平性・進歩性・開明性を保持し続けられるようにしたい」、このことが「当座の理想」と言うことが三人の共通認識の様だった。ちなみに端でリスナー専門でやっている俺達夫婦の見解は、「グラタスさんがんばってるね」だった。いやさレジエルさんとノクリエルさんがその手の話で盛り上がることこそは必然レベルに当たり前だと思うけれど、グラタスさん。「難しいことは分からねえ! どんと行こうぜ!どんとよぉ!」が服着て歩いてるような人だと、周囲の人みんなが思っているキャラなのに「今日はどうしちゃったんだろう?」みたいなね。いや、とっても良いことだと思うんですけれど。と言うかそこはまぁ、ここ数年大企業のオーナーとして活動してきた人なだけに、パッと見では分からない進化を遂げていた、あるいは「元々そういう素養があったけれど、それ以外の部分が光り輝きすぎて、見えづらかっただけ」なのかも知れない。ごめんなさい、グラタスさん。
さてもだ。当座の理想、「理想」と言うだけに「それはなかなか実現困難な課題である」と言うことも意味し、そしてそれは間違いなくそうなのだろう。なぜ困難なのか。それは今挙げた三つの要素-公平性・進歩性・開明性-のいずれもが、人や時代によって、それら踏まえたあらゆる状況によって、流動的に変化し、あるいはその定義も価値観も存在意義も、「同様の性質を持つと言う前提があるから」となるのだろう。全ては流れていく。何かの有名な文句に「川の流れは同じ様に見えて、決して同じであることは無い」なんてのがあったような。
さてもソーヴェインに置き換えて言えば、現在の体制の在り方や、それが基づく価値観等が、「将来に渡って最も求められ続けるそれであるのか」と言えば、実のところ「不透明」だと言うしかないだろう。「先のことなんて本物の予言者にしか分からない」とか言い出すとちょっとややこしいけれど-知り合いにそんなのが一人いた様な気がしてね-。これが一点。もう一点、これは今触れた事に付随する様なものだけれど、つまり未来永劫人は生きられないのだから-それ故に人は次世代より先のことを心配もするのだろうけれど-、体制の各ポジションに関する人事は否応なしに変化し続けざるを得ない。故に。例えば組合の役員に関して、どんな選定・選出方法を設けたとしても、その「三要素保持」の目的を達成するのに十分な集団が形成されるかどうかは、究極「あくまで確率論の世界に委ねるしかない」と言うことになるのだろう。今の二点踏まえて一言で言うのなら「先のことなんて誰にも分からないし、誰にもコントロールなんてできないよね」と言うごくごく当たり前な感じになってしまう。「なら何を考えても無駄か」となりそうだけれど-以前の俺なら、その「入り口」で踵を返し、研究室へと現実逃避ダッシュを華麗に決めていた-、そこは「三人寄ればなんとやら」らしい。暗中模索的暗闇には、まだ「光が差し込む余地」と言うものがあったみたいだ。
端的に言えば、「今の(当代の)自分たちの思いを、後世に受け継いでいこうじゃないか」「それにはどうするべ」が次のテーマとなっていた。今の自分たちの思い。地域の人間同士が日頃から交流を絶やさず、時に知恵を出し合い、時に力を合わせる。そして困っている人は決して放っとかない。新しいことにはどんどんチャレンジし、そうして辿って来た道には誇りを持つ。争いよりは融和。ただし本質的かつ根本的かつ根源的に守らなければならない事には、全力を挙げてこれに取り組む。
これらは「普遍的価値観」と呼んで間違いないはずだ。厳密には「それ等は確かにあるのだと信じたい」と言う不確かなものなのかも知れない。けれど、あるなら、それは「何より確かなもの」となる。そして「それを受け継いでいってもらいたい」「受け継げるだろう」「受け継いでくれるだろう」と言う希望を信じ、それを込め、その基本思想に基づくシステム構築の可能性を模索することそのものは、十分可能だろう。何よりそれは、今の自分たちが果たしたい責任の一つでもある。
その一端を少しだけ具体的に掘り下げよう。ここでは二例、触れることにする。
【一例目】公民教育プログラムについて
これから責任世代となる次世代以降の人達-特に学生から下の子供達となる-については、事業主(企業オーナー)だろうと一般労働者)だろうと、あるいは教育者や研究者その他諸々、いずれの職種においても、それぞれに必要なスキル(職能)修得とは別個に、と言うかそれと併せ、ソーヴェインと言う名の社会を構成・維持・構築する為のスキル修得を行える環境作り、つまり『公民』になる為の教育プログラム作りが求められる。
その基本設計の段階で課題となるのは二つ。第一にはその内容だ。これはノクリエルさん等教育者を中心にチームが編成され、そこで改めてたたき台が、そして具体的な設定からの策定に至ることだろう。
課題の第二は、プログラムの実施方法だ。極端な例を出せば、企業オーナーの子供達なら企業オーナーの子供達だけの集団、ワーカーの子供達ならワーカーの子供達だけの集団ごとでこれを行うとする。と、結果的に何らかの差別化・差異化が起こってしまい兼ねず、結果、本末転倒となるリスクがある。その回避策をあらかじめセットしておく必要がある。社会運営の下支え、あるいは大前提と言える「共通認識を持てるようにしよう」と言う時に、それが『お互いの立場を理解し合えないリスク』が発生しちゃう環境で行われてしまうなんてのは、バッドエンドのフラグとフラグ回収が同時にやってくるようなものだ。
既に今、教育機関は様々な実情に合わせて、地域性に由来してのタイプ別・差異化が進行している。この先、他国の様に世帯ごとの状況の違い-親がどの職種に就いているか等-によって、教育機関の選択やその環境の差異化は、より明確化していくことが充分予期される。であれば、今から、殊ソーヴェインの基本中の基本的教育『公民教育プログラム』においては、こうした「見えない壁」的状況に左右されない環境の下で実施できる環境設計が求められる事になる。もっと言えば、その「壁」に左右されない人になってもらう為でもある。ただしこれはすげー難しい話だ。超難しい。「学校の授業」的な範囲-一週間の内の所定の限られた時間、つまりせいぜい三時間程度が限度-でやったところで、その効果はおそらく期待値を明らかなレベルで下回ることになるはずだ。そもそも日常的にと言うか日常そのもののレベルで、「普段から当たり前に、その種の『壁』が無い状態」で実施してこそ、人間形成や感覚の醸成が行われていく種類のもののはずだ。
「当該カリキュラムは、ストレートに実施する以外に、弾力性の高い、あるいは柔軟性に富んだ方法が実施可能だと、個人的には思います。例えば『共通体験の機会を増やすこと』が分かり易い方法の一つかもしれません」
とはノクリエルさんの弁だ。つまり、そのカリキュラム以外に時間を取り、スポーツや文化、あるいはそれ以外の体験企画を行う。それも各教育機関の枠を超えた横断的な枠組み・組み合わせを基に-例えば「全学校の同学年ごとでスクランブルして」ってことね-、それを「頻度高めで行えれば」と言うことになる。うん、やっぱ難しいよ。てかこう言う「理想に走っていく感じ」系の計画って、「ダメになる確率がやたら高くて、しかも短命」な道突き進む感あるよね。ただレジエルさんも、このノクリエルさん案には基本同調しているみたいだ。
「始めるにしろ継続していくにしろ、困難さは出てくるだろう。だからって別に後ろ向きになる必要は無い。むしろ地域ぐるみなんかで『子供と大人と言う垣根すらも取り払って一緒に楽しめる何か』的視点で取り組んでいくなら、と思いもする。祭だのフェスだのは子供も年寄も若い衆も、嫌いだって人間はそこまでいないだろう。それにもちろん今ここで空中に浮かびながら「三人だけで結論を出そう」と言うわけでなし。ある種の『時間制限』はあるが、やたら急いで、結論を出すことそのものを目的にして、粗末なものを作ったってしょうがない。そんなやり方じゃあ、だったら最初から作らなきゃよかったじゃないかってな代物になる可能性だってある。そもそも学校だけで当然全部は教えられない。そして学校以外の場もあるんだから、どんどんそういう場を有効活用していけばいいはずだ。そういう目線で制度設計とやらを行えば良いんじゃないか」
とのことだ。俺も「それはそうなんだろうな」と思う。かつて協会にいた頃、他国を訪問する機会の内の数回、「祭りだのフェスだの」な催し物に触れる機会があった。そのいずれもおしなべて、老若男女がそれぞれなりに「基本楽しんでる」、そんな風に見えたことを記憶している。だから『地域の皆で楽しめる何か』なイベントを立ち上げられるなら、『学校の枠』も『大人・子供の枠』も吹っ飛ばし、なおかつずっとずっと継続可能なものとして残っていくような気がしている。な個人的意見は例によって心の中だけで唱えるだけだけれど。対してカリキュラムとしての公民教育は、正直ピンとこない。『教育のプロ達』にお任せするしかないな、これは。返す返すも一般的な『学校教育体験』を持たない俺には、考える事すら向かない課題の様な気もしている。とは言え俺だってソーヴェインの一住民だ。しかも一人の女の子の保護者でもある。プロの案が出てきた暁には、その案そのものから色々と学ばせてもらうこととしよう。
【二例目】ソーヴェイン運営について
ノクリエルさんが昨日提言したことの深堀。つまりソーヴェイン全体、ソーヴェインそのものの運営構成と、その選出方法作りについて。とは言っても、そもそも今の俺達には『一地域におけるゼロからの政治システム作り』なんて経験は、誰一人としてしていない。って言うか、全世界見渡したって、何なら古今東西の人類において「その経験なら俺あるわ」なんて人はそうはいないだろうし、そういうプロジェクトの中心人物ともなれば、それこそ歴史に名前が残るクラスの話ではあるのだろうけど。超にも超が付くレアケースだろうし、経験者がゼロなのはむしろ「当たり前にも当たり前だ」と言った方が正解だろう。今の状況を畑づくりに例えるなら、「これから作物を作りたいのだけれど、目の前の土をまずどういう状態にしたらいいのかとか、水や肥料はどうすればいいのかとか言う前に、その作物自体の種が見当たらない」的なことになっている。そのゼロの状態から「自分たちの想像力&創造力やスキルをフル活用して生み出していく」ことは不可能じゃない、とは思う。けれど「充分可能だ」とは到底言えない水準の話であることに変わりはない。実践・実証歴が誰もがゼロのプロジェクトに取り組むに当たっては、予見不可のリスクを相当数抱え込む懸念は否めない。例えば、その立ち上げ内容に関して、より良い方法や方式があるのに、無知・未経験が故に、それを無意識的に破棄・放棄してしまう可能性も大いにあり得る。なんて愚痴にも近い不安は、やはり三人寄っているのでフワッと飛び越えていく。ってことでこれらのリスク回避は現時点で二つ出された。
〈リスク回避策一つ目〉
各種文献に総当たりして、古今東西の政治体制そのものや、それを構成する制度・運営環境整備を含めた維持・発展方法について研究・討議する。
〈リスク回避策二つ目〉
「実現可能であれば」と言うことだけれど、これから始める『八ヶ国交渉』の際、それと同時に現地見学・実地検分な感じで各国の見学・観察をさせてもらう。欲を言えば、それぞれの当地の人々-政治関連の要人や、それに付随する人達-に直接学ばせてもらいたい、と言うのはある。また、一連の事がある程度落ち着けば「更なる外地・外世界へ誰かを派遣して同様の情報収集を」と言うことも視野に入れたい。
加えて、その前段階として、これらを管理・運営するためのチームを編成する必要もある。その人選方法は現状、この間繰り返してきた「あの原始的な集会」での希望者を前提に自薦・他薦で集めるしかないだろう。「ないだろう」と言う言い方は、けれどその響きに反比例して相当希望のこもった現状認識であることは、外しちゃいけないポイントだけれど。必要な知識やスキルが無くたって、やる気や元気がある大人の集団なんて、希望しか感じないだろう。
さて、ソ―ヴェイン全体の運営水準を発展させるベースとしての方策-研究や教育等-について、あくまで個人的集団な三人の内々話段階ではあるけれど、一定の試案はまとまった。もちろんこの後、全体的な合議に諮られる一案でしかないけれど。またまた農作に例えるけれど、「土を耕し種を蒔き、の前にそのプロセス案を作ったところ」な段階か。全体の合議=土を耕す段階、決定されたシステムの実際的な稼働開始=種蒔き、とそして続いていく。として、端で聞いている俺からすれば、それらの内容は基礎設計として概ね間違ってはいないと思う。協会の超の付く中央集権的な運営や、能力差別型オンリーに特化した教育システムにアレルギー感すら覚える俺フィルター通しての感想ではあるのだけれど-だって自分の命を狙った奴を好きになる人なんていないでしょ? いたとしたらそりゃ物語の中だけの話だって-。
なのだけれど、このテーマのスタートに戻ってしまうようだけれど、そうした研究・教育等の土台の上に立つ政治三権を、どういうスタイルにするかは未だ見えてこない。さしもの三人寄らばパワーも、その先の展開を見かねてしまっている様に思えた。なところへ、グラタスさんがふと、
「『暫定』って言葉があるじゃねーか。あれでいっちょやってみるってのも手じゃねーか」
と言い出した。つまり、現状では最終的、あるいは決定版な結論なんて出せないけれど、他方ソーヴェインそのものの運営システム作りが待ったなしならば、「とりあえずの臨時運営チーム」を一旦設けてみては、ということだ。加えて、一定の研究・合議等の段階を経ながらという発展的な形で、三権に関するそれぞれの所轄組織を最終的な形での設置まで持っていく。翻って、その『第一弾(第一段階)』としての組織を一旦「暫定的に」設置しようと言うのが、グラタスさんの言わんとするところだった。俺的には正直「妙手だな」と思った。最終段階が、決して「時間に追われて」みたいな感じで妥協の産物にならない所も好感が持てる。ただ、特に一つ気を付けるべきは、過去、「臨時」や「場当たり的」あるいは「なし崩し」に成立した臨時政権が、その権限の線引きや限界を設定せず、強権や独裁状態に陥ったケースが、歴史上少なからず存在すると言う事実だ。その結果として、何らかの形でその政権や、どころか国家そのものが崩壊の憂き目に遭うケースもまた同様で。だからこのリスクに関しては、極めて強く警戒しなければいけない。良かれと思って実行したことが、想定外の悪質な状況へと変化すること自体は、「世の中あるある」の中でも相当頻度の高いものの一つでさえある。だけにだ。そしてこれを避けるには最初が肝心、つまり設置する時点において、このリスクの回避策を徹底する必要がある。その「避け方」のポイントは以下の二つ。
〈避け方ポイント一つ目〉
臨時組織の解散・終了期限を厳格かつ可能な限り早期に設定すること。これには第二段階以降最終段階までの策定・設置が、絶対条件として付随する。
〈避け方ポイント二つ目〉
この第一段階目の組織で行われる政策決定及び、その承認プロセスのルールを確定し且つ実行すること。例えば「何となくみんな賛成っぽいからそれで」なノリだと、いわゆる不満分子関係のリスクが、ありとあらゆる形で表出する可能性が出てきてしまう。「聞いてない」「納得いかない」「俺達・私達のグループは断固拒否・抵抗するぞ!」から始まり、それらを解決・解消できるルールや権限(者)が存在しないが故の混沌状態に陥る可能性がある。そしてこれはほんの一例レベルの話であり、実際には同時多発的に、あるいは複合的に、あるいは連続性を以って等々の負のスパイラルリスクさえある。
他方、この第一弾組織については、必然、少人数編成とする必要が出てくる。繰り返しにはなるけれど、時間をかけて丁寧に設置する暇は無いし、それは設置後も「様々な決定プロセスに時間がかけられない」事をも意味する。だからいたずらに大人数編成にでもしてしまうと、スムーズかつスピーディな意思決定が担保できなくなる恐れが出てきてしまう。加えて、そこには結果的に強権力の付与も求められる。何しろ三権の分散がされる前、つまり全権力が一体となって、その少人数の一組織によって行使されることになるのだから。実際それは必要であり、必然そうならざるを得ないものではある。だとして「危険だ」と言う認識が不必要かと言えばそうじゃない。だからこそ、ポイント一つ目で挙げた、この強権チームの消滅時期を明確に、且つ、より早く設定することが、ソ―ヴェインの将来に対して健康的な判断となり得る。
とまぁ、空中三者会談の見学者として、あるいは書記として-依頼なんかされてないんだけれど-ここまで要点をまとめてみました。で、ここからは俺の個人的意見、と言うか完全な私見になります。『リスク』や『懸念』・『慎重さ』なんかが、ある種の責任的重さを伴って付いて回るのは、この手の話-何かを新規に立ち上げていくと言うケース-では致し方ないとは思う。まして五百万住民の明日から先を創造していくと言う時に、「リスクヘッジ無しでやっちゃおうぜ!」みたいな人がもしいるんだったら、その人とは人間についての根本的なレベルから話し合いを持つ必要があるだろう。なんだけれど。言い換えれば、「リスクはあくまでリスクでしかないし、懸念もあくまで懸念でしかないよな」とも思う。つまりそれらは「現実に起こり得るもの」であるのと同時に「現実には起こっていないもの」でもある、と言う一般論的な理屈が一つ。と、今の実際のソ―ヴェインに当てはめて-これは楽観論と取られてしまうかもしれないけれど-お伝えするに。今日の、今の今に至るまで実際活動してきた臨時の代表団(交渉団)、そして臨時会合の参加メンバーは、中心企業の主要メンバーや、ノクリエルさんの様な研究者など学術関係の有識者の中でも、とりわけこのソーヴェインの運営に強い関心を持ってくれている人達で構成されている。わけだけれど、まずもってここに悪政の対立構造や抑圧傾向は一切見られない。端的に言えば、強引・傲慢な運営姿勢は決して見られない。「あくまでも現段階では」と言うのも事実だけれど、だとして。で、これは一重にレジエルさん・グラタスさんを始めとする企業経営者達が、自分達にある意味自然発生的に付与された特権的立場や権限をほとんど行使せず、ではなく、あくまで「地域の責任者」「寄合の長」的な認識で事に当たっているのが、その最大の要因だと思う。だから例えば「俺は誰それより偉い!」「俺、あいつらに対して命令できるんだもんね」みたいな発想は彼らには無いだろうし、少なくとも結果的にそんなアクションは、今まで誰からも一度として無い。それよりも「自分と一緒に働いてくれている奴らに、極力不自由な思いはさせたくない」な責任感が、動機のほとんどを占めていると言っていい様に思う。それは俺が来てからの八年間、ほぼ毎日目の前で連綿と行われてきたやり取りが何よりの証拠だ。
と言うことを踏まえてリスク・懸念話に戻ろう。つまりあくまで何も手を打たず、そのまま後世までその強権体制を放置-「濫用」と言った方が近いことになっちゃう意味での放置-をすれば、遅いか早いかの違いはあるにせよ「それが顕在する」まであるだろう。あっちゃうだろう。けれど今のソ―ヴェインの状況や、おそらくメンバーとなるであろう顔ぶれを思うには、まず眉をひそめて考える必要は無いはずだ。もちろん「念の為」「万が一」と言うことでは押さえておかないといけないだろう。逆に「大丈夫」だからこそ、万全を期した制度設計を以って万難を排す、とするのが何より求められる事なんだろうし。まして、そこで話している三人はほぼ間違いなく臨時組織のその先も担ってくれるだろう人達だから、そういう意味でも「そのスタートをより確かなものにしたい」と言う点で、意識は共通・共有されているのだろう-仮にこの内の誰かがその立場に立たないのなら、あるいはそれにも関わらず、と言うのももちろんあるだろうけれど-。
そんなこんなのミーティング佳境を迎える中、地上のリウスから通信が入る。
「完了です」
つまり当該エリアこと三千km×百mの全動物が移動を-結果的な避難行動を-完了した、と言うことだ。事実の単純な確認であり報告だけれど…どえらいな。
「リウス、ありがとうっ」
直後、フレウスが大きな喜びそのままを声に出してそう伝える。「えっと、念話だから必要無いのよ奥さん」とはもちろん絶対に言わない。無粋だし、「その後」が怖過ぎる。と、
「リウスさん! 私からも最大の敬意を送りますっ」
ノクリエルさんが我が妻とほぼ同じテンション、ほぼ同じ音量の実声でそう伝えた。あれ? そういうキャラなのノクリエルさん。どう見ても純粋&元気一杯グループより、クール&インテリジェンスグループ所属な人だと思ったけれど。んま、「生き物超大切だし」と思うのに、キャラも何も無いか。
他方、俺も対生物用ソナー術式を発動してみたけれど…リウス、マジでやり遂げている。いやはや、素直に「参りました」と言わざるを得ない。対して地上の銀色短髪お姉さんが、それぞれの祝意にも似たお礼へ軽く手を上げて応えている様子が、術式端末を通して映し出されている。いや、これはむしろ俺に対して「さぁ、さっさと自分の仕事を始めるんだ」的な合図か。うん、まずリウスはそんな人間ではないけれどね。として。始めようか。この先のソ―ヴェインの命運に、この先の俺達の命運に決定的に関わる、俺自身の俺自身に依る俺達全員の為の一仕事ってやつをね。
と言えば「いかにも大がかりな術式発動か」と捉えられそうだけれど、前にも触れた通り、大がかりなのはあくまでも対象範囲である所の「三千kmの谷を造成する」と言う部分、あるいはその事実だけだ。術式実行者である所の俺にとってのそれは至ってシンプルな「他の一般的な術式の工程や負担度合いとほとんど変わらない」と言うのも確かな事実であって。実行イメージとしては、絶界山脈側へ約五km「陸地全体をずらす」と言うことになる。早い話が、「権利者が全く存在しない側に移動しちゃおう」と言うことだ。逆に連邦側へ移動するようなことになれば、おおよそ筆舌に尽くしがたい面倒ごとの数々が持ち上がっちゃったり、立ち上がっちゃったりするだろう。「絶界山脈から先にも、何らかの生物が存在し、それに対する影響が発生するのでは」と言う懸念-また懸念だ-もある。ただ実のところ、ここ数年来、俺とネネは何度も対象地域の調査を行ってきた。けれどその結論は「人間はおろか、動物の痕跡すら一切認められない」と言うものだった。樹木や草花等植物も、山脈にかかるところまでは植生しているものの、その先は皆無だった。『魔鉱石』と言う存在を除いては、まさしく不毛の土地。それが世界の外縁の全貌…なんだろうか。数度の黒虎来襲が頭を過る。うん、今考察するべきところではないな。とまれ、この陸地移動に関して、影響を受けるだろう生物こそほぼ皆無だと言う根拠を以って、この術式は実行された。ソーヴェインは、そういう点で「ある意味救われている」と言えるのかも知れないけれど、「いやいやそもそも連邦来なけりゃさ」と言う話でもあって、なんともはやだ。
と、この術式の注意点の一つが『地震対策』だ。「移動している最中にガタガタ揺れたりすんの?」と言う人もいるかもだけれど、と言うことではない。何なら地表はほとんど影響は受けないだろう。立っている人が移動の拍子にステンッとなることもない。さっさと結論を言ってしまえば、問題は『地中の溶岩』だ。ここソーヴェインにおいては火山の存在はおろか、地震さえ発生しない地域ではある。あるけれど、溶岩、と言うか溶岩流は存在する。「地表から数千mも地下に」とはなるけれど、として存在する。
と、この術式の注意点の一つが『地震対策』だ。「移動している最中にガタガタ揺れたりすんの?」と言う人もいるかもだけれど、そう言うことではない。何なら地表はほとんど影響は受けないだろう。立っている人が足元の絨毯を強い力で引かれて、その拍子にステンッとなる的なこともない。さっさと結論を言ってしまえば、問題は『地中の溶岩』だ。ここソーヴェインにおいては火山の存在はおろか、地震さえ発生しない地域ではある。あるけれど、溶岩、と言うか溶岩流(マントル対流)は存在する。「地表から数万mも地下に」とはなるけれど、だとして存在する。そしてこれが「術式によってどうなるか」と言えば、ぶっちゃけ分からない。「何にも起こりませんでした」まである。けれどその逆、何かが起こるとするなら、それは地震だ。そしてこれまた「どの程度の規模になるか」なんてのも分からない。そして「分からないんだったら」の対処法はただ一つ。その名も「溶岩流全部冷やして固めちゃえ」術式だ。うん、そんな名称の術式なんて無い。まぁ「要はそうなります」ってことね。これで当面の地震や関連する現象は抑えられる、ハズだ。この先数千年、数万年単位で見れば、もちろん何らかの変化はあるだろう。『大陸大移動』的な例のあれね。それに対して、今回何らかの変更は加えられることになるとは思う-現に移動するし-。ただこれは余りにも先のことなので、リスクもメリットも検討しようがない。ただ、「その時になったらその時の人たちよろしくね」って無責任な言い方をするつもりもない。と言うのは、ちょっと触れたけれど、ここソーヴェインでは火山も地震活動も皆無だからだ。地殻変動は間違いなく起こっている。けれど絶界山脈の関係で、その範囲も絶対的に微小だろう。何しろこの山脈そのものが、『絶対不変の世界的外縁』として存在し続けているからだ。この先山脈がどうなるかは分からないけれど、それは今回の術式とは別件になる。それともし仮に、数万年と言わず、術式実行直後に急迫する変化が訪れたなら、その時は俺がいるじゃないですか。任せてくださいよ。
てなことで術式発動から三分後、全長約三千km、幅約五km、そして深さ約十kmの谷が誕生した。「あっさり言い過ぎじゃね?」な空気を感じなくもないけれど-感じるけれど-、繰り返しにはなるけれど、術式実行者本人である所の俺自身の感覚的には、「そんな風にお伝えするしかない」と言うのが実際の所だったりする。「いやもうむっちゃ大変だったんすから~!」「マジ聞いてくださいよコレ」とか言うテンションの必要性とか必然性なんて無くてと言うか。例えば、今あなたの目の前に小ぶりな花瓶があったとする。それを「両手を使って横たわらせてください」と言われて「えーマジ無理なんですけどー」と言う人はおそらくはいないだろう。それと感覚的にほとんど変わらない事を「今俺はやっただけ」と言えば、分かってもらえるだろうか。ただ、だからこそと言うか、その術式実行による影響には細心の注意を払わなければいけない。今回で言えば、谷の幅が数cm・数十m・数kmと広がっていく中、それが約三千kmの全範囲のいずれにおいても何らの支障-水脈や溶岩流の噴出等-も生じていない事を確認する作業そのものは、自動検知で対応した。まさかに対象範囲全てを直接この目でモニターするわけにもいかないし、だからってここにいる六人で手分けしたって追いつきはしないだろう。それに見た目じゃ分からない事もあるし。それよりも術式発動範囲全てに特定の要素-熱や水など-と接触した際の反応プログラムを並行発動させる方が何かと確実だ。「むしろやらなきゃダメ」とさえ言える。で結果、何らの支障も異常も検知されなかった。だし実際、発生もほぼ絶対的にしていないだろう。ネネによる事前調査、起こり得るリスク等への事前対策、そういう事前準備シリーズが軒並み「功を奏してくれた」と言ったところか。「転ばぬ先の杖」なんて言い回しがあるけれど、それだね-「ツッコミどころが多過ぎる」とか知らない-。そうは言っても、今回は妻やリウスのヘルプあってこそ無事に成し遂げられた点、俺にもまだまだ反省すべき点あり、ではあるよな。精進精進。
ところで術式完了直後、その妻とリウスが、に留まらず他お三方含めた皆様が皆様お揃いで絶句あそばされていた。いや皆、五人が五人けっこうキャラバラバラなはずなのに、同一リアクションて何よ。てかこれまで「こうなりますからね」「こうしましょうね」な説明やら打ち合わせやらを散々してきたでしょうに。と、そんな五名様のリアクションを不信がっている暇は、今の俺には無い。本日のこの現場にはまだ「仕上げ」が残っている。魔導障壁の一斉励起、全基稼働開始作業を行わなければ。というわけで、地上に一人待機しているリウスの元まで、他の四人と一緒に降りる。そこは既に「谷のこちら側」としてのソーヴェイン領となる。
そして俺は、その始動術式を発動した。かくして谷と同じ全長約三千km、加えて高さ約一万mの淡青色の光の壁が瞬時に発現した。今回も自動検知システムからは、何ら異常反応は無かった。念の為の完成確認として、壁の検品を行う。触れて何かしらのダメージを生じさせると言う種類のものではない。その一方で、物質・反物質・魔導系エネルギーいずれも一切透過させないと言う性質が機能していることが確認できた。
と言うことで、全ての現場作業が終了したことを他の五人へ報告しようとしたのだけれど…あれ? まだ皆さん、目と口がポカン状態キープなさっちゃってますけれど? 何の反応もしてくれないとグレちゃうよ? まぁグレないけども。三十六だし。グレてる場合かって言うね。すると、そろそろとフレウスが俺に近づいてきたかと思う間に、そのままガバッと&ギュっとで抱きしめてくれた。わぉ。これってご褒美? それともなんか致命的に悪いことでもしちゃった俺を慰めてくれる最後の抱擁? 「あなたは気にしなくていいのよ」的な? いや何か言ってちょうだいな、他の人でもいいし。と、
「凄過ぎるよディド。褒める気力もちょっとうまく出ないくらい」
俺の耳元で、妻がそう囁いた。何と言うか、確かにちょっと気の抜けた声には聞こえる。だけどなんでだ?
「あ~…」と咳払いにも似た声を漏らしつつ、レジエルさんが口を開く。
「今まで何度も説明されてはいたし、こっちからもそれなりに質問もしたりしたが…。実際に目の前で展開されると、妙な言い方にはなるが、思考が追い付かなくなった。ソーヴェイン全土を、その大地丸ごとを絶界山脈側に移動させるなんて一体全体…。そりゃ『神の所業』って言うんじゃないのか、先生」
ほぼ平坦な表情にも見えるけれど、その口元、口角はわずかばかり上がっている。冗談を言う時のレジエルさんの癖だけれど、今日はぶっちゃけ面白くはないな。と言うか、レジエルさんの「呆然とした」系の表情こそ、意外と言うか予想外と言うかだけれど。
それに「神の所業」とは。さすがに評価が行き過ぎている。今回は古代術式の発動と相成った。「魔導術式に一定の知見と素養があれば誰でもできる」と言うほど誰にでもできるわけではないだろうけれど、「極めて困難で、成功したら奇跡もんだよ」って種類のものでもない。要は「人間がやろうと思えばやれるだろうことの一つ」って言い方が一番近いレベルのものだ。
「これまで『できない』と言う前提で物事を進めてきた事は一度もありません。が、こうしてディドさんのおかげで状況が完成してからの方が、そしてこの前段でのリウスさんの『御業』含め、返って『不可能を可能ならしめた』と言う形で受け止めざるを得ません。こんな偉業をどうして可能ならしめたのでしょうか、と」
ノクリエルさん。語り口はいつものノクリエルさんだ。本人なんだから当たり前、とはしかし言えないな。レジエルさんと同様、平坦な口調でオーバーな感想を口にするなんてのは、ノクリエルさんこそ似合わない。「自分が今、何を口にする必要があるか」って言う、人に対して言うべき内容の管理能力に関してソーヴェイン随一の人という印象だったけれど。その前の三者ミーティングで脳内オーバーヒートにでもなったとか? ただ、確かにリウスの仕事は『御業級』だったよね。どう考えてもえげつないよ、あの術式は。いや、だから術式じゃない何かなんだよな。であればこそ、その得体の知れない感から言っても御業そのものってなるのか。全く落ち着きようのない結論だな。てか「正体不明でした」って結びは結論にもならないか。と、ちなみにグラタスさんは、とりあえずレジエルさんやノクリエルさんの一言一言に「うんうん」て頷く以外、特に感想なりなんなりが出てくる様子はなかった。こんなグラタスさんこそ、更に更に珍しい。「言うこと何も無くても何か言葉は吐き出します」でお馴染みのハズじゃなかったのか。「いやあ、やっと終わったな、ガハハッ」くらいありそうな気がしたけれど。まぁ、今朝の集合から工程が終了した今の時点で五時間近くぶっ通しで来たものな。それに加えて昨日・一昨日の会合、の直前まであった連邦特使団への対応。一昨日は朝焼けを見る会もあったっけか。それらひっくるめて、精神的にも肉体的にも何の負担も無いって言う方が無理があるか。
と、ここでリウスが口を開く。
「ここに相応しいだろうどんな言葉も思い浮かびません。が、とにかくこれが現実に起こった事だけは確かですし、それを起こしたのがディド、あなたで間違いないこともまた確かであると言うこと。今はそれらを認識する事だけで精一杯です」
だなんて。いやそれ君に対する俺のセリフだよ。まぁとにかく俺の内心の公約通り-それを世間では「公約」とは言わないそうだけれど-リウス、君のその力、きっと解明させてもらうぜ。これに関してはネネも腕まくりしてくれている-頼もしいぜ、我が愛弟子は-。として、フレウスはそんなリウスの言葉を聞いて、彼女に歩み寄り、そしてハグをした。さしずめお疲れさまハグと言ったところか。
いや、こうしてみれば一仕事終わった感はあるな。実際一仕事終わったは終わったわけだけれど。そして達成度合いとしては瑕疵ゼロだろうこと含め、「上々」と言ってもいいかもしれない。地上から見る成果としては、地平線のその先まで果てが無いかの様に続き、底が無いかの様な深さを湛える谷があり、そして同じく地平の果てと、加えて空まで果てしなく聳える光の壁がある。俺の責任範囲としては、確かに「合格」と言ってもらって良いのかも知れない。しかしてそれには、ここにいる五人だけでなく、魔導インダストリ社の人たち、代表団・臨時会合の参加メンバー、そしてそれらの人々の家族・友人・知人総ひっくるめでの賛同や大きな支えがあってここまで漕ぎ着けられたことは間違いない。その縁に、状況に、素直に感謝したい。
他方これは、本丸の大計画にとっては、あくまで最初の一歩に過ぎない。月並みな言い方にはなるけれど、「ようやくそのスタートラインに立った」と言うのが正確な表現なんだろう。しかもこれはゴールの見えない、と言うよりゴールの場所が確定していないレースであり。…いや、俺個人、俺と言う人間にとってはそれは違うか。フレウス、ネネやリウス、ホズ一家、俺が真に大切にしたいと思う人達が心から笑える、笑い合える日常や場所を守り、そして作り上げること。うん、それが俺のゴールだ。だからその途中にどんな道や、それ以外の何かが待ち受けていようと、その何もかもがそこにあろうと。俺は、俺が尽くせるだけの力と言う力を尽くして、その全てを克服し、あるいは打ち破っていく。それのみだ。
と、そこへネネから念話で通信が入る。
「ディド、終わった? ちなみにこちら異常なし」
「あぁ、とりあえず一通り全部終わった」
「オッケイ。あと、そういう連絡はすぐにする約束じゃなかった?」
良かった。普通に怒られた。こちらの現場の皆さんが、感情こそ起伏に乏しいものの、口々に大仰な事を言うものだから、「本来の俺の立ち位置」と言うやつを正直見失いかけていた。俺はやっぱり典型的な『弟子に叱られるタイプの師匠』だったんだな。それが実際典型的なのかどうかは知らないし、それ以前にやたら情けない立ち位置ではあるけれど。…けれど妙に安心もする。
「悪かった。とにかくこれからすぐに戻る」
ネネにそう伝えてから、俺はフレウス達に
「じゃあ一旦帰りますか」
そう声をかけた。
太陽は南中にあり、風はやや西寄りか。この全身を優しく撫でるようにして、次々と吹き抜けていく。平原は見渡す限り、その一面がゆったりと波打っている。時々小さく高く、鳥の声がする。
「遅めの昼食を取るにはぴったりの陽気じゃないか」
フレウスにそう伝えると、彼女は俺の頬に軽く口づけをして、「その通りだね」と微笑んでくれた。生きてて良かった。心からそう思える人生最高の昼下がりを、どうやら俺は手に入れたようだ。
鳥はなおも高く歌い、風は遥か彼方を目指し吹き続けている。俺達は向くべき方へと向き、歩み始めた。
さて準備は整いました。
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