リウスとフレウス&More
今回はさらに二人の女性が登場します。タイトルの二人、ディド達とどうかかわっていくのでしょうか。
どこから話せばいいのか、と言う所で思考は常に初めに戻り、あるいは停止する。と言うのも、ホズが持ってきた案件-通算3件目だ-が、そもそも最初から間違えていたんじゃないかって言うツッコミができるのが一つ。有体に言えば、ホズが危険だと認識したことは全然そんなことは無かったんだと解釈できるそれで、言い換えれば全然危険なことではなかったと解釈できる、と言うことになるわけで。ただそうすると、この話はホズが「てえへんだ、てえへんだ」って駆け込んでくるところからスタートするわけだから、その最初から語ろうとする内容の方向性や伝えるべき雰囲気なんかに修正が必要なのではないか。とすると、結論・結果から提示した方が早いんじゃないかと言う気もしてくるのだけれど、しかしここで問題になってくるのが「てえへんだ」と言う『かの美青年農夫兼予言者』-いやうさんくせえ-の一言目が、そうは言っても経過や要素と言った結果以外の部分について、あながち間違いじゃなかったという事実を結局現時点で知り得てもいて。と言った具合のこれらを、どう効率良く説明を構成し、そして始めればいいのか思考迷子になっている。とまぁ、こんな醜態そのものの出だしが既に効率のレールから大きく脱線してしまっているのだけれど。ま、ここはやはり素直に、最初から起きた出来事順に話し始めるしかないか。果たして結果に辿り着いた時に「あ~そういうこと~」とポンと手を打って納得してくれる人が現れるかどうかは全く自信が無く、故に効率の良さを求め、そのレールから外れたのだけれど。逡巡はここで止めておこう-堂々巡りとか知らない-。本当に逡巡しなければならない出来事が、そして起こってしまったことだけは確かなのだから。
ネネと俺の長屋での幸せなブレックファストタイムは、ハチことホズの息せき切った登場でその終わりを告げた。まぁ長屋って概念が何なのかよく理解できないし、だいたい俺達の家は長屋じゃないし-長屋知ってんじゃんって言う-。あと、ホズは生まれてこの方「ハチ」と呼ばれたことはないのだけれど、出だしのイメージとして「あぁまぁそういう感じでスタートしたのね」と思ってもらえれば幸いです-いまいち雰囲気が分からない人は落語を聞いて(いや落語ってオイ)-。とにかくごくごくありふれた、それでいて真にかけがえのない平和な朝を、予言者の純粋な心配事が破壊してくれた。明らかに不機嫌な俺を弟子がぶち、俺とホズがお互いに落ち着いてから、彼が言う所のてえへんな、もといどえらいことを確認する為、俺達は現地へ飛んだ-思い出してくれましたでしょうか?-。ホズをいつものエアボール(型術式)に収納し、俺とネネは飛行術式で文字通りひとっ飛びに現地へ向かったわけで。現地。絶界山脈の麓近くまで来て、果たして驚異はそこに待っていた。
それは、俺がこの地域に初めてやって来た時、つまりは協会から追放され-厳密には殺されかけ-、そして逃亡したその日、第一村人として俺の前に現れたホズが、それこそ最初から依頼してきた案件『魔物退治』と全く同じ状況だった。つまりあの時対峙且つ退治した黒虎と全く同種の個体がそこにいた。けれど比較にならなかった。あの時俺が遭遇した個体の十数倍もの大きさを、今度の奴は勇に誇っていたからだ。しかも今度のそいつは、その背中から猛禽類の羽によく似た体躯と同色の真っ黒な翼が二対、更には頭部に水牛の角の様なものが一対生えていた。それだけでも充分に異様であり脅威でもあったのだけれど、それより遥かに戦慄させられたのは、魔気とも瘴気とも言えそうな気を、その巨大に過ぎる巨体全体に漂わせていることが見て取れたからだ。魔導師の本能、と言うより生存本能的に「一歩間違えれば簡単にこの世から旅立てる」と一瞬で察知できる程のそれを、ネネも感じ取ったらしい。ネネの利き手である右手が早くも術式を発動、明らかな高エネルギーを纏い始めた。あの火炎術式だ。けれど。どうあってもこの状況・この瞬間の常とう手段は、可能な限りに詳細な対象の観察及び能力把握と、それを踏まえた上での対応内容の検討・決定だ。戦闘行為だけが正解ではないと言った方が早いかもしれない。とは言え、そういう一連のプロセスをこんな事態が全く未経験であろうネネに求める方が酷である事も確かだ。が、やはり不測の事態は極力回避すべきと判断せざるを得ず、俺はネネを制止しかけ、と同時に対象個体に目をやった瞬間、それが目に留まった。いや、これでは穏当すぎる表現だ。有体に言って、否応なしに衝撃的な光景がそこにあった。その時黒虎は地面に対して頭部を垂れているかの様にしていたのだけれど、その先、つまり黒虎の鼻先に人影があった。何だ? このただの絶体絶命な光景は。しかしそこへ更に違和感とそれに伴う混乱が足されることになる。その人影は、その左手を黒虎のその鼻先にかざしている様に見えた。この状況、何がどういう風にどこへと向かって進行しているんだ? と言う事態に対して、何らの確認もしないままに術式を発動するなどと言うのは、致命的な意味での決定的なフェーズに移行するリスクが超バリバリにあるわけで、なのに発動しちゃうのは悪手中の悪手なわけだから、と判断するより早く。ネネの火炎術式は発動した。俺は即座に対火炎術式消滅を目的とする真空術式を放つ。タイミングも威力も間に合うかどうかは相当ギリギリだったはずだ-超弩級の火炎術式消せるレベルの真空術式発動なんて当然生まれて初めてのことだし-。下手をすれば黒虎どころか、その人影すら灼熱地獄に飲み込まれかねない状況だ。こんな極極刹那の中にあって、俺はそのたった一つ、人命救助だけを反射的に願った。けれど、俺達の術式それぞれに黒虎が反応した。いや何故反応できる。使用者が誰であろうと、術式はその発動後、コンマ1秒とかからず約2km圏内の対象へなら到達可能だ。雷電系や風系・太陽系・闇系に留まらず、火炎系・水系であっても、対象と同地点に発現さえさせれば、単純な回避はほぼ不可能と言っていい。けれど、それに反応された。つまり二つの術式を黒虎は咆哮一つによってかき消し、どころか、その咆哮は術式の要素によく似たそれであるらしく、俺達にそのまま襲い掛かってきた。その正体は超超高温の熱波であり、これが同程度の火炎術式なら、ネネのノーブレーキ版と同じ様にホワイトアウトを引き起こす程のレベルだ。ただ、今回のこれは風系に属する、いわゆる大気術式と同質と思われる。何らかの形で高熱化された空気は、しかしそれ自体は陽炎や蜃気楼の様に風景や光景を揺らめかせる様にして見せ、かつそれ自体は無色と言うやつだ。その点、火炎術式よりも視認は困難になる。そんな危険度超MAXなやつなのに-素で喰らって安全な攻撃型術式なんてそりゃ無いけれど-。そしてある意味、と言うか正真正銘で幸運だったのは、ここまで飛行術式でやってくる際、不測の事態に備えての防護術式を全員に対し発動していた為、その耐久度が致命的に低下するという点を除いて、俺達3人に何らかの被害が生じることはなかった。として、致命的に下がった防護術式自体が致命的な状況を作り出す。そう、2つの術式をあっさりと無力化し、なおも俺達を滅しようと襲い掛かってくるその熱波に驚いている暇はなかった。黒虎がその前足をかがめて半身を低くし、まさにネコ科の動物が獲物に対して跳びかかろうとしているあの姿勢をとった。
「逃げろネネ!!」
可能な限り俺は叫んだ。同時に念話も飛び切り強力なものを送る。けれどネネからの反応が無い。一言で言って、彼女は硬直していた。迎撃の意味も兼ねた二射目の態勢に、それでもネネは移行しようとしているらしいそれが、通常時なら瞬時に実行・完了しているはずのそれが、完全に不能に陥っている。こうなると、とにかく一旦は回避策しか選択肢はない。などと言う一連を本能に近い思考スピードで組み立てながら、それでも防護術式の修復は間に合うのかという圧倒的な不安が振り払えない。 と、その瞬間だった。強大な瘴気が放出され、俺もネネも、そしてホズも、まともにそれに煽られることになった。脳内が一気に混濁しかける程の混乱の中、必死で発生源に視線を求めると果たして。果たしてそこに、黒虎の巨大な頭部が、更に山とすら思える巨体から離れ、転がっていた。とすれば、この瘴気は絶命による最終放出だったのか? いや、それより俺達の命が助かったことにこそ安堵すべきなのだろうけれど、けれど何故。一体何がさっきから起こっているんだ? と、よく見れば、あの人影が、黒虎の鼻先に手を触れているのが見えた。と言うより、撫でているのか? ともかくも、どうやら個体は完全に生命活動を停止しているようだ。俺はまだ少し混乱している頭を抱えながら-そしてある意味ではだいぶ混乱している-、ホズ入りのエアボールを引き連れ、ネネのもとへと飛んだ。ネネは自らの肩を抱きすくめながら細かく震えている。俺が近づくとすぐに身を寄せてきた。その震えを直に感じ取った瞬間、俺は自分自身の慢心に気づく。そして、いつの間にか危機管理能力や、そもそもの危機意識をどこかにやってしまった自分を呪った。こうしてネネを恐怖に蹂躙させてしまっていることも救いがたい失態だけれど、更に最悪のケースもあり得た。今の俺の生きる上での拠り所を、ネネを、ホズを、永遠に失う可能性すらあり得た。ホズから第一報を受けてここに至るまで、一体俺は何をしていたんだ。いや、インシデントは余りにも多く、また、一つ一つの検証には相当の時間を要する。それより今は二人のケアが最優先事項だ。それでも今一つ緊急に確認しなければならない事がある。謎の人影。あれは何だ? 俺はネネの肩を抱きすくめるようにしながら、今更ながらも慎重さをもって、ホズも伴ってその人影に近づく。防護術式の修復は完了し、他の防御術式も複数スタンバイに入らせた。。と、近づくにつれ、その人影が左手に剣の様なものを携えているのが確認できた。まさかあれでか? あれだけで黒虎の首を? それは剣としては一般的な長さでしかなく、一般的なそれでは、一瞬であの巨大な首を切り落とすことなど到底実行不可能にも思えるけれど。けれど驚くべきは別にあった。至近距離に至り、対象がまぎれもなく人であり、しかも成人して間もないくらいの女性であることが分かった-ちなみに魔導師協会の成人年齢は23歳となります※お酒(飲酒可能開始年齢)も同様-。肩にかからない程度の銀髪に、澄んだ金色の瞳。肌の色は飛び抜けて白く、体の線はどちらかと言えば細い。それを特注を思わせる漆黒の鎧で包み込んでいる。また、その手にしている剣も、その刀身、柄、持ち手に至るまでが、闇を具象化したかの様な姿を見せている。光すら現在進行形で吸収しているのではないかと思える程に、影を湛えている。一体どういう工程であの様なものを生み出せるのだろう。決して武具方面に明るい方の俺ではないけれど、それでも今目の前にあるそれらが通常のものとまるで違う、言ってしまえば「理の成り立ちレベルで違う何かから生み出された何か」であることは分かる。そして何より目を引いたのは、彼女の表情に、確かな悲哀が浮かべられていることだった。涙こそ零してはいないものの、そこには明確な痛切さが現れていた。けれどそれは何故だ。自らが手を下した対象個体、黒虎の鼻先を撫でつつのその表情は、只々不可解さを感じないわけにいかない。そして俺のその混乱とも困惑とも取れる感覚は、彼女の一言目から連なる言葉の群れによって、さらにその混迷を極めることになる。
「なんて浅はかなんだ。ここまでの事態を避けられる方法などいくつもあっただろうに。率直に言ってあなた達への叱責の念を禁じ得ない。だが、そもそもあなた達は何者だ?」
最後のそれはこっちのセリフだった。てか、いやスゴくなんか責められましたけど。セルフで散々傷口に塩を塗ったばかりなのに、その部分を拳でガンガン殴りつけられているかの様だ。いやほんと誰様? これで混乱しないなら、他の何で混乱するんだって話だ。異界生物を倒したんじゃないか。脅威は去った。その結果、一も二もなく俺達が責められる…どゆこと? ただ、言葉を続けたのは今もって彼女だった。
「ただ、そこで震えている子が先制攻撃を開始した途端、横のあなたが放ったものは、その先制の無効化を図ったとしか思えない。それは確かですか?」
「その通り」
俺は素直に、そして幾分の強張りを以ってそう答えた。「あなた誰様?」状態が続いていたもんでね。そして彼女の質問は続く。
「それは何故?」
「対象が何であるかを、ある程度把握、あるいは確定により近づける為ですけど?」
何かがとにかくやや不満な人のトーンで今度は返してしまった。ちなみに語尾はやや上げ気味だ。相手との感情的状況の優劣を思わずにはいられない。
「見たところ、あなたはその子の指導的立場の様にも思えるけれど、もしそうなら、あなたがとった行動と、その子がとった行動の趣旨の差異がとても大きい気がする。それは何故?」
この状況や、相手に対して何らの責任や義務も無いことを考えると、答えなくていいし、「答えたくない!」と言う気持ちすら、俺には芽生え始めている。これは彼女に対する対抗意識的な何かか? けれどなんだろう。それにも関わらず、不思議にこの口が、彼女の次から次へと発せられる質問に、条件反射の様に答えを紡ぎだしていく。何らかの術式でも発動させているのかと言う考えが一瞬過るけれど、その可能性が全く皆無であることは、また紛れもなく明らかであって。そして、
「この子、ネネは今日初めて、あんな恐ろしいもんと出会っちまったんだ。心の準備ってもんができてなかったってやつだ。これからの子なんだ、ネネは」
予言者様が答えた。答えてくれてしまった。待ってくれ、頼んでない。てかさ、普通に割り込めるメンタリティさすがだなイケメン。
「その子がこの事態を想定し得なかった状況にあると言うのは、つまり日ごろの修練において一切に近く、こうした実戦を訓練も想定もしていなかったと言うことですか?」
「その通りだ。詳述は省くけれど、そもそも想定する必要が皆無だった。ただそうやって指摘されれば、今後については一考の余地が充分にあると感じてはいる」
「前例のない偶発的な事例だった、と?」
「いや、厳密に言えば今回に似た事例は1度だけある。その時の相手は、今回のこの個体よりずっと矮小なヤツだった。ただそれを経験したのは俺と横のこのホズだけだ」
「それが本当なら、やはりこれは悲劇だったと言わざるを得ませんね」
どういう意味だ? ただ、彼女のその最後の一言は、黒虎の鼻先を撫でていた時の、あの表情との親和性を感じずにはいられない。それに。それにもしかして、俺達がここへ到着し、つまり黒虎の存在を認めたその端緒、この人影に対して攻撃態勢を取っていなかったとしたら。いや。まさか。協会含む全世界の各国・各機関で認定・呼称される異界生物は、例外なく超攻撃的性格を帯びた個体ばかりで、対して非攻撃的個体などと言うのは、少なくとも俺個人においては、実際に相対し、あるいは参照したもののいずれにおいても皆無だった。それにネネが先制を加える前から、遭遇したその端から、危険だと判断するにはあまりにも十分な瘴気を、この黒虎から感じずにはいられなかった。だからこそネネは、脊髄反射的防衛本能-要は生存本能の一種だ-に近い形で術式を発動させたわけだし。そんな生命の営み的観点から言っても当然至極と言えるこの状況において、彼女は何をどう痛切に受け止めていると言うんだ。
「悲劇? 何がだ?」
俺は素直に聞く。何も分からない。幾つか言葉を交わした所で、全く何も見えてこない。とりあえずの安全は確保されていると思いたいけれど、それこそ黒虎に親和性を見出していたのではないか、つまりは単なる敵対ではない形での関係があったのではないかと勘繰る必要性すらありそうなこの女性に、俺の防衛本能は未だその解除を促してはくれない。そうだ、今度はこちらから問おう。今度こそこの口で。
「そして、あなたこそ何者だ?」
彼女は少しだけ笑みを浮かべた様に見えた。けれど「悲劇」と口にした時の悲哀と憂いが湛えられたままのそれであり、そのことが俺の精神そのものに、何か啓示に近いものを与えている様な気がした。
「とにもかくにも、こうした積み重ねが避けて通れない事は、どこでもやはり同じなのだな」
彼女は独り言としてそう呟いた。と言うか独り言だよな? それ。その視線はこちらに向けられることなく、変わらず黒虎の亡骸に注がれたままだし。それに俺のいずれの質問にも答えているとは言い難いし、決定的な主語は欠けてるし。
「名乗るならまず自らより始めよ、と言うことか。…我々にはそれは許されているというのに」
独り言は続き、そして終わる。
「私の名はリウス。リウス・アウトーレ。見ての通り、通りすがりの剣士だ」
通りすがっただけなん? こんな辺鄙of辺鄙sな所を? で、その通りすがりさんがドエライことをやり遂げたもんだ。まじか。しかもここに来て普通に名乗られたよ。この警戒心、どこに持っていこう。
「ネネです。あの、たぶんだけどごめんなさい」
そして弟子が師匠より先に自己紹介し、かつ謝っちゃいました。大人になったなこの3年で。で、俺はひょっとして退化…いやいやいやいや。
「たぶんだけど、とは?」
リウスと名乗ったその剣士がネネに問う。うん、俺もそれは気になった。どういうこと?ネネ。
「この黒虎がどういう生き物か、本当の本当には、ちゃんとは知らなかったし分からなかった。なのに私は攻撃することだけしか考えなかった。ディドは(と言う所で俺はちょっと片手をあげてみせる)様子を見ようとしていた。でもそのことは、今やっと気づいたこと。…もしかしたら。もしかしたら、黒虎と私たちは、お互いがお互いを回避することも、最初にあんなことをしなければ、できたかもしれないのに。あなたがそうやって鼻を撫でているところを見ると、その気持ちがとても強くなった。これはたぶん、私の最初の行動が大きなミスだった。だから謝らないといけない」
言い切ったな我が弟子よ。もはや人としてお前は俺を完全に上回ったな。なんてこった。
「その反省と後悔は傾聴に値する。私としてもあなた達の存在を、その最初から全く認識していなかったわけじゃない。ただ、最初のあなた(ネネのことだ)の行動は予測しなかった。結果からすればできたかもしれない、と感じる所もある。が、まぁ、取り返しのつかない事への憶測は、過去へただ留まり続ける他、何をも生み出すものではない。今後に活かす。時を生産的に進めるには、そうして自らを前に進めるしかないのだから」
リウスさんの返答とも独り言ともつかない言葉に、俺達3人はじっと黙って聞くより他なかった。ここで「じゃあなんか一件落着って言うか、まぁ残念な結果に終わっちゃったかも知れないけれど、この黒虎の為にも、これからはお互い気をつけて生きていこうよ! じゃ、そういう事で!」的に別れられたらどんなに楽か。まぁ、許されないよね。知ってる。さて、どうしたものか。
「ところで」
リウスさんがまた口を開く。
「私が誰か知っていますか?」
ん? どういう意味だ? 名前と職業はお聞きしましたが、もしかして記憶力クイズ的なアレですか? けれど、次のリウスさんからの問いで、その真意は判明する。
「私は私が誰なのか、本当の所分からない」
なるほどね。いや何がなるほどね、だ。けれど、うん、分かった。
「つまり、あなたは自分の名前と職業以外、記憶を失っていると」
「その様です。付け加えれば、この症状が、一時的なものなのか、それとも恒常的なものなのか、いつからなのか、原因はなんなのか、そのどれもが不明で」
どえらいことになって来たな。…あ。
「ホズ、お前が言ったどえらい事って言うのはつまりこの人がって事か?」
「うんにゃ、ここまでの全部とここからの全部だ」
でしょうね。てかもうそれ予言じゃなくね? にしても、黒虎の下り分かっていたなら言ってくれれば…言えなかったか。言えなかったのか。俺とネネが、ホズの最初の一言で全速力で飛び出したから。展開についてホズなりの予見内容を聞く機会は持てた。けれどそれはただ単純に外されてしまった。外してしまった。道中、ネネの飛行術式についての質問や、攻撃型術式について互いに意見交換こそしたものの、「これから具体的に何がどう起こるのか」について、ホズに何一つ情報も意見を求めなかった。もちろんそうしようとしてそうしたワケじゃない。けれど、結果そうしてしまい。そしてその結果として、命が一つ失われた。いや、相手は異界生物だ。互いに攻撃のみの歴史を紡いできて…。それが今日、変化するはずだった、かも知れないのか。有体に言って、リウスさんとの間に明確な友好性を認めることができた。彼女は攻撃態勢を一切取らない黒虎の鼻先を撫でていた。けれどそのリウスさん自身が、黒虎が俺達に危害を加えようとする事態へと至って…いや、違う。それ以前にこちらが全く予断無いままに先制攻撃を開始し、黒虎側からすれば、言ってみれば正当防衛的手段を講じたわけだ。しかしてそれは最悪、俺達の死を意味すると見て取ってか、リウスさんは直前までの黒虎との関係性を破棄し、その命を絶った。
ん? 何かとんでもない違和感がよぎったぞ。何だろう、言ってしまえば、とてつもなく大きな矛盾を感じている。…あぁそうか。はっきりした。ただこれを、それこそ明確に俺が意識するということは、俺達人間そのものへの認識が、根源から揺らぐことになる。だとして、はっきりさせてしまおう。俺は今こう思った。「なぜリウスさんは黒虎ではなく俺達の方を助けたのか」、言い方を変えるなら「何故俺達ではなく、黒虎の方を殺したのか」と。いやおかしい。俺がおかしい。おかしいよ俺-おかしいよ3段活用:試験に出ません-。いやさリウスさんは人間だろ。そして相手は、親和性が無いとは言い切れない状況だったのだとして、あの異界生物だ。人間が人間を助けることは当たり前じゃないか。いや、そうか? そもそも彼女はどこから来た? 記憶を失くしたと言っている。つまり何であれ、彼女の素性が今ここで明らかになることはない、と言うことか。獣使い? からのサーカス団関係者? 野生の生まれ? はたまた野に還っていった人々の末裔? はてさて。
「とりあえず家に一緒に来てもらおうよディド」
「え?」
「今はとにかくそうするしかねーべな。難しい顔は後でいくらでもできるべさ」
「え?」
「私からもお願いします。とりあえず落ち着く場所があれば、この上なくありがたい」
「え?」
ちなみに今の発言は、ネネ→俺→ホズ→俺→リウスさん→俺の順番だ。まぁ分かり易いよね。ここでふと『リウスさん自身の危険性』について考察する必要性があることに気づく。ホズの予言にしても、やはりそこも確認していない。けれど本人を目の前にして、二人に言うわけには…念話か。早速飛ばす。
「俺思ったんだけど、リウスさんはヤバい奴って可能性が―」
「ない!」
「ねーべ」
トーンの強弱の違いはあれど、ダブルでの即否定が待っていた。いやぁ孤独感つえーなぁ。そしてなんか辛えわ。
「OK。一旦戻ろう。それでとにかく先の話を、できる限りはしておこう」
「帰ってからね!」
「帰るべ、まずは」
「帰りましょう!」
リウスさんまで加わった。それも元気に。3対1か。やっぱ辛えわ。で、戻りかけで判明したことだけれど、彼女は魔導術式が全く使えなかった。そもそもの魔導力について、簡易測定でも全く反応は無かったから、その点で言えば当然ではあるのだけれど。けれど、あの剣捌きに術式が関わっていないという点では、驚愕を覚える以外の何ものでもない。正直言って「ありえない」と思ってしまう。もちろん俺自身は剣士ではないし、槍術をこなせないことはないけれど、一流の腕前と言うにはかなり程遠い-二流ですらない気がする-。更に言えば実践、あるいは実践として剣士等武術家と関わった事すらほとんど無いわけだから、彼女の剣術が実際のところどれ程のものなのか、また、その相対的、あるいは総体的評価のあるべき判断能力が俺には備わってはいないのだから、軽々に論じるわけにはいかないのだとして。しかしあれが人として可能な動きなのか? 人として、その純粋な肉体能力において実行可能なのか? もちろん魔導術式があれば充分可能だろう。いわゆる魔導剣術士。絶対数として少なくない。そして先ほどのリウスさんの、そのリウスさんの攻撃能力に匹敵する動きができる者も、僅かだとして確実に存在する。けれど、返す返すも、魔導能力ゼロの人間が、魔術の行使によってのみ可能なはずの動きを行えるという矛盾は、実際に現実として目の前で展開されたとして、理解不能の範囲を1歩も踏み出せそうにない。やはり何らかの危険因子は―
「ディド!」
「ディド~」
「ディドさん?」
分かってます。戻ればいいんでしょう?
「行こう」
ホズと同じ仕様でリウスさんをエアボールに収納し、俺達はそうして帰宅の途に就いた。
帰宅した時、時刻はほぼ正午を指していた。ランチタイムスタートだ。けれどもちろん-と言うべきか-そういう気にはなれない。そしてそんな奴は俺一人だけだった。ホズこと予言者様はいそいそとご自宅へとご帰宅されやがり、残された俺とネネ、そしてリウスさんは、まずは話を、と思っていたところからネネが
「すぐお昼ご飯にしちゃお」
と提案、即実行に移した。言うまでもなく、師匠の許可やら裁可やらはそこには影も形も必要性も存在しないし、できなかった。悲しいぜ。実際のところあまりにも自然且つ拒否の許されない決定ぶりに、俺は穏やかな笑みを添えて頷くことしかできなかった。と言うか、それが俺に許された唯一のリアクションだった。甘いな、全てに俺は。正体不明の剣士をあっさり自宅に招き入れ、その正体の一端すら明かそうとせず、あまつさえ、その当事者と共に飯を食おうとまでしている。そしてそのいずれもが弟子の提案・主導であり、俺はここまでただの一度も拒否権を発動できないでいる。そしてそれはこれからも、そうなのだろう。現に次の会話もネネスタートだし。愚痴が過ぎる? ごめん、聞こえないわ、俺の耳の中の耳が。うん、この表現は怖いな。
「メニューは、まぁ今回はサンドイッチで良いよね」
「そうだね」
「リウスさんは?」
「サンドイッチとは何だ?」
「「そこから?」」
で、栄えある本日のランチメニューはサンドイッチ、それからなんだかんだで食べそびれた朝食メニューからサラダと野菜スープがチョイスされた。ちなみにサンドイッチの具は2種類。コーンを和えたジャガイモペーストにサニーレタスとクランベリーがミックスされたものが一つ。もう一つは豚肉の生姜炒めに生玉ねぎのスライスと三つ葉葵を加えたもの。さっぱり風味とこってり風味を同時にいただく若干忙しい組み合わせだけれど、我々師弟共通してのお気に入りだからしょうがない-もちろん生姜と懸けたジョークも無しだ-。そして野菜スープは来客の受けNo.1という、我が家の堂々たる鉄板メニューだ。ジャガイモ・人参・玉ねぎ・ブロッコリーに企業秘密のスープの素と塩・胡椒-ほら、我が家は零細企業みたいなものだから-。下手すると三食全部に出てくる事すらある。と、アクアパッツァもあったのだけれど、美味しく健康的に食べる時間を過ぎてしまったという悲しい状況に移行してしいた為、家庭菜園と言う名の自然に還してあげることになった。大事だよね、生命循環-ただセコイだけとか言うツッコミはいらない-。果たしてリウスさんの感想は…
「美味しい! 泣きそう…」
だった。いや、感想盛り過ぎじゃね? にしては目が潤んでる? …マジか。
「良かった~!」
はネネ。まぁね、良いか悪いかで言えば良いよ、たぶん。たださ、ネネさん、我がオフィシャル弟子よ、只今食事の感想おっしゃったこの人結局誰よ?ってことじゃない。う~ん。ただなぁ、記憶喪失の一点張りから何か聞き出す手段が他に無いのでは致し方ない、と言うのは先ほどからホント変わらず。
で、一旦話は飛ぶけれど、夕食は大家さん宅で頂いた。後述するけれど、リウスさんなるこの女性は一晩我が家に泊まることになり、そのお断わりをしに行ったのだ。そしてその時大家さんは俺に面と向かって
「間違いなく良いお嬢さんだ。大事にしてあげな」
と宣告してきた。ほっほう、すげえ展開だな。なんでみんな無警戒且つ受け入れ態勢万全だよ。疑問形と言うか懐疑系住民は俺お一人様だけか? いやまぁ地域住民全体に確認したワケじゃない。どころかごくごく一部しか知らない。とは言え、俺の最も身近な人々が全員肯定的なのなんでよ。…そうだ! 「全員」と言うのに今回から外せない人が一人いらっしゃるんですよ。そのまぁ、その、ワタクシ、現在、恋人さんがおりまして。お名前がフレウスさんって言う只今23歳の方なんですけど、いや、13歳下でも成年していれば犯罪じゃないじゃないですか。どこの法か知りませんけど。そもそもこのフレウスは、ネネとの相性があまりに良すぎて-いいお姉さん過ぎて-家に頻繁に来るようになり、そうして俺ともなんだか相性ばっちりな感じだと判明し、まぁ今に至ってそういう事になってるんですけれども、それはさて置かせてください-進行の都合ありまして-。フレウスはこの午前中、我が家で留守番をしてくれていた。ホズの第一報から取り急ぎ出発した為、飛行中に念話を飛ばし、そして快諾してもらった。仕事持ちなのに-この件はまた後程-。ちなみに帰宅途中にも行きと同様、念話で概略だけは伝えておいた。その彼女は初め、リウスさんの鎧に驚いた様だった。そりゃ驚くよ。こんなんいないもん、ここら辺。てか、どこら辺ならいるんだよと言うくらい、異質な形状をしているし。そしてそもそも『武装』と言う概念が、当地域には無い。狩猟に弓矢やナイフ等を使うことはあっても、それは鎌や鍬と同義であって、剣や槍の近似種とは認識されていない。けれど、リウスさんの出で立ちはいきなりのほぼフルアーマーに、the 剣だもんな。で、フレウスは俺たちが到着して開口一番
「誰?」
って俺に聞いてきた。
「この綺麗な人」
と。いや、ん?
「ずっと見ていたいかも」
え?
「ねぇネネ、リウスさん、だっけ、綺麗過ぎるよね」
「そうでしょ~☆」
今日も今日とて意気投合するね君たちは。てか一体どこに合意形成してるんだ。リウスさんは何か照れているし。そういうもんなの? 女の人の対人感覚って割と謎だよね。…逆も然りなんだろうけれど。
「ねぇディド」
とはフレウス。
「とりあえずリウスさん、楽な格好になってもらったら?」
「そうだね」
そうなのか? いや、今そうだねって答えたのは俺なんだけれど。ネネもリウスさんも「あ、そっか~」みたいになってるし。まぁいい。確かにこの地域に、そして俺やネネに対して何か企てがあるのだとしても、こんな単独行では実行するにも無理があるだろう。だし、なら陽動では?って可能性もあるけれど、それについては現在周囲一帯に危険因子が全く感知されない。から、一旦様子見からの人助け選択肢チョイスは、そこまで悪手ではないのだろう。そしてフレウスはここで帰ることになった。言っても今日は平日で、彼女は近くの畜産企業の事務方で且つ主力を担っているので、こうして午前中丸々抜けることで、各方面へ割合ハードな負担を強いることになってしまっていた。もうホントご迷惑おかけしたよ。地域全体の一大事になるかもしれないと言う所からの要請ではあったけれど、結果だけから判じれば、ごめんなさい一択だよね。だのにフレウスったら嫌な顔一つとしてしないんだから、そりゃネネは大好きになるよな。そして何より俺が、なんだけれど。…てへっ。そのフレウスの去り際の一言が
「お昼まず食べて、落ち着いたら? あと、一晩様子見るんだったら、大家さんにだけは話通しておいてね」
だった。二言だし、ランチに関してはネネと丸かぶりだし。ネネは
「分かってる!」
って元気よく返事してたっけ。もう姉妹だな、君達。前からけっこう強く思ってたけれど。そしてお気づきだろうか。この瞬間リウス嬢の我が家での宿泊が決定事項となったのだった。どんどん大事な事が俺抜きで決まっていくな。『俺の同意』の空気感よ。反対とか意見する勇気が無いだけで、割とクヨクヨ悩んでいるからね。「クヨクヨしてるんだ」ってツッコミは無しで一つ。まぁでも、もしも本当に純粋に記憶を失くしているんだとして、そうして行き場が無い人を預かるのは、その事自体は普通に善行だよな。だいたいこのレベルで人のこと疑い出したら、近所の住民全員の総点検すら理屈としては必要になるだろう。
で、またまた大家さん宅での夕食会に話を戻すけれど、そうして「大事にしておやり」宣言がされたことで、俺の腹も決まった。何よりフレウスとネネからの提案(拒否権無し)なのだから。ちなみに大家さんによるリウスさんお気に入りポイントは「礼儀正しい人だねえ」とのことだった。それも四角四面の、例えば挨拶の為の挨拶ではないところ等がそうらしい。一つ一つがきちんと相手の芯に向きあって言っている。相手が話すその内容・態度や姿勢・気持ちを、自分なりに真摯に受け取り、そしてそれらに対し誠意をもって返すべきを返していく。真にまとも。そりゃ大家さんも気に入るよね。俺若い時どうだったろ? ネネくらいの頃はさておき、フレウスやリウスさん-関係ないけど二人は同世代に思える-の年齢くらいの頃、こんな風だったか? いや。うん。考えるまでもないな。全く違った。そして全くダメだった。あの頃の俺は、それまでに礼儀・礼節なんてものがこの世に在るなんて思わなかった。周りの人々がそれっぽい振る舞いをしていたな、と言うのは今ふと思い出すことはできる。当時も何となく意識に掠る程度の認識はしていたんじゃないかと、だから思ったりもする。けれど、それが自分にも本来は求められるものだという認識はなかった。好きなことだけを好きなようにやっていて、そして干された。ほぼ全てを取り上げられ、当時の俺の一番大事なものシリーズは全て失われ、そして追放された-厳密に言えば命の危険があった為逃亡した-。誰にも何も悪いことはしていなかったはずだけれど、じゃあその「誰にも」とは、今考えれば誰だったんだろう。その「誰」一人一人を、俺はちゃんと捉えることができていたんだろうか。協会の他の会員、研究院の部下、学院の職員や生徒達…。例えば学院の生徒達を、今ネネを見ている様に見ていただろうか。答えは明確にノーだ。そして当時、追放される直前までお付き合いしていたあの人を、今のフレウスのように感じることができていたか。これこそ全くのノーだ。そんなたかが知れた程度の認識しか自分に向けられていなかったと、当時の俺の周囲の人々が受け止めていたなら、バレていたとしたら、これはちょっといたたまれないな。分かり易く言ってしまえば、自分のやりたい事をやりたい様にやっていただけ。周りがそれをどう思っていたかなんて二の次。強いて言えば、周りも自分とほとんど同じ感覚で生きているものだと、どこかで思っていたのかもしれない。何だこいつ。何だ当時の俺。…子供だな。でっかく何かが肥大し、その上中身がスッカスカじゃないか。ついでに記憶もスッカスカ。誰だったんだろう、俺の周りにいた人達は。本当はどんな人達だったんだろう。そしてなぜ俺はそこまで関心が持てなかったんだろう。まぁ仕方ない。時空魔法-現行的に言うなら時間操作術式か-は禁忌中の禁忌だ。古代術式の記録の中にすら、言ってみれば「使用厳禁!」的に記述されちゃってるくらいだし。どうあがいても「あの頃」と言うやつを取り返せはしない。だいたいいつのあの頃を取り返せば、俺は満足するんだ? それに取り返せたとして、今の今、今の俺の周りにいる人々を、その人達と共に過ごしてきた時間、そしてこれから過ごすであろう時間こそを、俺は失うことになってしまうじゃないか。それこそごめんだ。居たたまれないどころではない。仮定した今時点で、その俺自身を消滅させたくなるくらいの精神的な圧に襲われる。今のままでいい。月並みにも月並みかも知れないけれど、今をとにかく大切にしよう-だって本当に本当にその通りだと思うもの-。いやさ、なればこそさ、あの頃大切にできなかった時間、結果として本当の意味では大切にできなかった人々、そして大切にできなかった自分の分まで、今を、今のままを大切にしよう。
「大事な結論は出た?」
フレウスが不意に尋ねてきた。なぜ分かったし。
「思いつめた顔、しかも困ったような怒ったような思いつめた顔、してたよ? 珍しいね?」
あ、そんなもんですか。そんな顔自分してたし、そもそもそれは珍しい事なんですね。
「ちょっとまぁ、色々思い出すことがあった。今度二人の時にでも話させてくれれば」
「うん、もちろん」
大好きだな、俺、この人のこと。フレウスにもまぁちょっと色々あったりしたけれど、それでもずっと俺の事をまっすぐ見続けてくれている。きちんと受け止め続けてくれている。そんな彼女に、俺はとにかく俺のできる何やかやを駆使してでも応えたい。と言うこのやり取りは、夕食の席で行われた。フレウスが仕事帰りに大家さん宅に寄ってくれたのだ。やったぜ。と言うか、よっぽどのことが無い限り、夕食はいつもネネと3人で取っている。もちろん我が家で、だ。は、さておき-どこかで詳細は語らせて。語りたいのよ。ノロケ? 何その単語-大家さん宅での夕食会。メンバーを再確認すると、大家さん・フレウス・ネネ・俺、そしてリウスさんだ。一応ここまでの顛末を話すと、お昼ごはんの後、リウスさんには3時間ほど客間で休んでもらい、ついでにその際にはさらに普通の格好になってもらい-またしてもサーシャが借してくれた-そして大家さん宅に午後3時半頃でお邪魔した、と言う塩梅だ。初めはご挨拶だけのつもりだったのだけれど、大家さんが急に
「ネネ、台所手伝いな」
と言い-そういう漢気あるのよね、大家さん(ちな女性)-、ネネも喜んで台所へと飛んで行った。…もちろん術式ではなく自分の足でね。てか常々思う。若いとなんで走れるんだろう? オール歩きじゃ不満なの? で、ごくごく当たり前のように手持ち無沙汰になった俺は、リウスさんに少し尋ねてみた。
「自分の名前以外で覚えていたり、思い出したことはある?」
リウスさんは少し考えてから、
「覚えていると言えば、剣については、その扱い方を体が覚えていました。ただ、例えばどうしてあそこにいたのか、と言う記憶の分野になると、本当に分からない。それと、私が斬り倒したあの生き物は、本来敵対すべき存在ではなかったという確信はあります。覚えているというのとは違いますが」
最後のは重いな。ネネが今ここにいなくて正直良かったと思っちゃう。確かに俺達が現場に到着したあの瞬間、異界生物は彼女に対して何ら危害を及ぼしてはいなかった。あの時は多少の気の動転もあって、厳密な確認を行えず、更に付け加えれば、ネネが攻撃態勢へ移行することを防げなかった。結果、反撃を受け。繰り返しにはなるけれど、異界生物からすれば、あれはある意味で正当防衛だったわけだ。いや、正真正銘の正当防衛か。ただ、仮にあのまま放置していたならどうなっていただろう。これまでに確認された異界生物に親和的・友好的反応なり対応なりが見られた事例は、記録としては皆無だ。だけどそれもどうだろう。全ての事例においてファーストコンタクトが非敵対的行動であったなら、全ての結末は等しいものとなっていただろうか。また、記録外で、実際事実として異界生物との非敵対的、非戦闘的、ないし友好的、あるいは共存・共生関係が成立した・成立している可能性やその数はゼロと言い切れるのか。全ては推測・憶測の域を出ないとしても、否定し切れる根拠が一つとして無いとも言える。そしてリウスさんは、これらの事に対して何か関わりがあるのだろうか。剣士としての技術と同様、異界生物への認識が何らかの真実と結び付いていたなら、もしかしてこれまでの歴史が、その真実が、そしてこれからの歴史が、根本的に変わり得るのではないか。一体この人間は何を抱えてここまで来たんだ、リウスさん。
「分かれば、でいいけれど」
俺は尋ねる。
「あの時、黒虎との遭遇時、本来であれば俺達は何をすべきだったんだろう?」
「そのまま少しでも早く帰れば良かったんだと思います」
即答だった。彼女の異界生物への認識は、どうやら本当に俺のifに合致してきているらしい。予言者ホズよ。お前、またしても正解を出しやがったな。「どえらい奴が来て、どえらいことになる」。全部当たってんじゃねえか。つか正解出してんじゃねえよ…えげつなさ過ぎるぜ、この正解内容は。いやさ、「今後の地域住民等への危害等、リスキー足り得る黒虎に先手を打つ形で対処したんだ」と後付けすることは一見可能だ。なら何故リスキーと判断できるんだ? あの個体は果たしてその要素を示していたか? 前例が複数あると言うのも、それぞれの個体は本当の意味でリスキーだったのか? 今回同様、対象の保護や移送などを考慮せずに単純に攻撃を加え、結果、野生版正当防衛手段である反撃が行われることによって戦闘状態が成立し、そして常に駆逐されてきたという結果のみだったとしたら…本当の被害者は誰だ?
「あの生き物が何なのか、は分からない?」
「何なのか、とは?」
「どこから来たのか、どういう生態を持っているのか、そんなところ」
「推測ですが、どこからと言うことでは絶界山脈の遥か彼方、と言うことは間違いないでしょう。それから生態についてですが、あの時分かったのは、群体・集団でコミュニティを形成し、よって基本的に群れで行動しているということ。そして何らかの都合で、あの子は群れからはぐれた」
あの子、か。そして「あの子」は俺達と遭遇し、俺達が仕掛け、対象は防衛行動に出て、そしてそんな俺達を救う為、リウスさんが防衛行動に出た相手「あの子」を処分した。何らかの理不尽が起こっている。いたのかも知れない。そう思わないわけにいかない。そしてそれは今回の一件に留まらない、とも。
「もう一つ質問があるんだけれど」
俺は若干喉がひりつく感じがしながら、そうして尋ねる。
「リウスさん、あの時なぜ君は俺達を助けてくれたんだ? もっと厳密に言うと、なぜ俺達の方を助けてくれたんだ?」
「ネネが攻撃を開始した途端、あの子はあなた達だけを犠牲にして終わらずにはいられなくなりました。3人よりもずっと、とてつもなく大きな規模で犠牲者が生み出されることが確定しました。そしてそれはいわゆる弱肉強食的な自然淘汰の枠を超え、世界にとってあるべき答えではないものを生み出してしまう。その選択をするべきではないという判断が、最も重要なものだと認識し、それが行動結果となりました」
つまり俺達を助けたのは目的ではなく、あくまで「結果として」だったのか。そうじゃない選択、そして結果も場合によってはあり得たのか? …俺達は助けてもらったと素直に解釈すべきなのか? いや、違うな。俺達こそが素直にこの結果に、この状況に感謝するしかないんだ。誰の何が真意で真実かなんてことについては、その答えはいずれ出るかも知れないし、出ないかもしれない。だとして。そんなことはさておいても、俺自身からすればフレウスとネネと、こうしてこれからも日々を過ごしていける。それこそが何ものにも代えがたい結果であり、唯一の真実だ。心から素直に、大いなる何ものかへ感謝を捧げよう。
「答えてくれてありがとう。それと、これは今すぐ答えてくれなくてもいいけれど、当面リウスさんがこうしたいって事とかはある?」
あぁ、とリウスさんは頷く。とにかく察しのいい人だ。頭の回転もきっと速いんだろう。で…記憶喪失? うまく結びつかないな。
「答えになるか分かりませんが、しばらく、とにかく、自分が何者なのかを考えず、穏やかな時が過ごせればと思います。それが結果的に何かに、最も大事な何かに私を導いてくれるという予感があります。ですので」
「穏やかに過ごしたい、か。OK、その手伝いならできそうだ。」
「?」と言う顔をするリウスさん。
「しばらく、我が家で良ければ使ってほしい。あの客間で良ければ、と言うか」
「そんなことしてもらって良いんでしょうか? あなた達にとって私は、私こそが謎の存在でしょう? どうしてそういう選択が生まれるんですか?」
「ん~。強いて言えばただシンプルに直感的に『そうしてあげたい』と思ったから、かな。直感ついでに言えば、リウスさん、君は悪い人ではないようだし」
「悪い人…」
「ちなみにこの提案に賛成? 反対?」
「賛成します、心から」
「上々」
そう、実のところ、話はこの時点でまとまっていた。大家さんから「大事にしておやり」と言われる前に、大事にすることはそこそこ決まっていた。ので、大家宣告-なんてものがこの世にあればだけれど-へのは
「そのつもりです。ひとまず我が家の客人として静養してもらえれば、とリウスさんとも話しました」
そう応えた。ちなみにこの直前、フレウスにはお伺いを立てておいた。「聞いてない!」って怒られたくないし。あと、一応リウスさんは成人女性だし。で、フレウスは一も二も無くOKだった。さすがだぜ、と言いたいところだけれど、これにはちょっとしたいきさつ在りまして、それは少しだけの後程で。からの大家さんGOサイン頂き。あとは弟子への結果報告を…
「ふ~~~~~~~~~~ん」
ネネの反応は意外なものだった。もっと素直に「よかったぁ」とか「これから楽しくなるね☆」的歓迎コメント聞かせてくれるかと思ったのだけれど…それ納得してるのしてないのどっち的反応をお示しあそばされた。
「私聞いてないけど?」
お前がそれ言うんかい。いや意見表明って言うか発言権はもちろんあるけれど。だし、気分を害したなら悪かったよ。ただ何ででしょ?どしたのかな、ネネちゃん。
「あのお客様でさ。それ的な感じの暫くホームステイ的なその…」
毎度おなじみ師匠側しどろもどろパターンだ。通常運転過ぎて軽く泣ける。
「フレウスはいいの? ディドはちゃんと話したの?」
どっちが師匠か分からなくなる瞬間を迎えた。対してフレウスは
「私は全然大丈夫。それとディド、ネネにはちゃんと伝えた?」
穏やかな笑顔でそう答えるフレウスに、今度はネネの方が「?」となる番だった。と言いますか、今度こそちゃんとお伝えせねば、我がお弟子様に。
「あぁそうか、いや、こんな返しとは思わなかったから」
「もう。いいから早く伝えてあげて」
「OK。ネネ。俺、フレウスと結婚することにした」
「えぇ?!」
ネネが驚いている側で、大家さんが一番早く反応した。
「素晴らしい解決策じゃないか。さすが器量良しじゃ誰にも負けないフレウスだね」
俺は褒めてくれないのね。いいけど別に。ただ、二人で出した答えだし、てか「お客さん泊める為に結婚する」みたいな雰囲気で言わないでほしい。もちろん順番逆だし…なギャグだよね大家さん? …え?
「ちょっと聞いてない! 嬉しいけど超不満!」
でしょうね。ここまでの流れからしたら、そうなっちゃいますか。と、フレウスがネネの両手を自分の両手で包み込みながら、優しくこう言った。
「ネネ。本当だったら、もっとちゃんとした形で、ネネに一番最初に伝えたかった。私達にとってネネは誰かと比べられない、とにかく一番過ぎるくらい一番大切な家族だから。それに、これで本当に私たちは本物の家族になれると思う。私はそれがとても嬉しい。だからネネにも一緒に喜んでほしい」
ネネにはそれでとにかく十分だったみたいだ。目に涙を浮かべながら、くしゃくしゃの笑顔を見せてくれた。ついでの大家さんの目元にも光るものがあった。つくづくいい人だ。リウスさんも若干戸惑いつつ
「お、おめでとございます」
そう祝福してくれた。いや、上がるね、この夕食会。なんか人生のエポックメイキングやたらと起こっていません? さても、確かに大家さんが言う通り、誰もが納得できる解決策・解答と言う言い方をするなら、これしかなかったし、とすれば、これしか選びたくなかった。結婚。こういうのは勢いとタイミングとよく言われるけれど、なるほど、自分がその場に立つとめちゃくちゃ実感できるな。しかもタイミングと言うのなら、今日のこの件をメインに語るなら、けっこうギリギリだったりもする。何しろ二日前、二人での何気ない午後の散策中に
「この二人でなら、一生こうやって散歩してられそうな気がする」
「じゃあ結婚する?」
「うん、もちろん」
みたいな、と言うか実際そのやり取りで決まっての今日、だったりして。いやはや全く照れるぜ、へへ-末永く爆発しておくか-。つまりフレウスも我が家に、と言うか順番で言うならフレウスが我が家に家族としてくると決まった直後、リウスさんが客人としてしばらく滞在することが決まった、と言うのが正しい順序なんすよね。フレウス。俺の妻として、我が家の一員になってくれる。最高かよ。雨降って地固まり過ぎてる。ホズ達にも明朝、早速報告せねば。
ともあれ弟子の了承は得た-フレウスとリウスさんの件それぞれでね-。いやホント、どっちが上の立場なんだか。ただフレウスが言う通り、俺にとってもネネはすでに家族だと思っていたし、もちろん今も思っている。本人には面と向かって言ったことは無いし、これからも言うことは無いけれど、そう思っている。娘だと。…妹だと家庭環境若干複雑目な設定になっちゃわない? それと、本人にそう言わない・告げないのは、何も照れ臭いからとか、言わなくてもわかってるはずとかってことではなく。今、ネネには弟子として週五日のトレーニングの合間、あるいはその一環として、魔導術式研究の助手を務めてもらっている。また、各魔導インプラントの点検やメンテナンスも、勉強ついでに周ってもらっていたりもする。だからと言うか、親子らしいことは傍目から見ても、どこにも無い様に映るだろう。が、しかし。朝食を常に一緒に作り、休日の内、月2回は絶界山脈までの『巡回視察』と言う名目での遠出をしている。その際には、この地域の自然や文化を、体験や術式の実践などを通して学びつつ、ピクニック的レジャー&トレジャー要素もありつつで、と言うか正味「お出かけ」に分類した方が正確だったりもする。一応名目だけでなく、先般の黒虎遭遇的リスクも考慮しての本物の巡回要素もあるはあるので、これにはフレウスなど他の人を連れては行かない。二人きりの巡回で、ピクニックで、そういう意味で貴重な自由時間だ。そして大概は他愛ない話が時間のほとんどを埋めることになる。仲の良い友達とこういう話をしたとか、誰それの面白エピソード、師匠の改善してほしいところシリーズ等々。ちなみに改善してほしいところシリーズ第1弾は「挨拶はちゃんとしろ」だった。いやもうホントどっちが(以下略)。二人で暮らし始めた当初、朝お互いが起きて顔を合わせた際にネネが「おはよう」と言い、それに俺が頷き返したら、彼女が変な顔をした気がした。それからもそんなやり取りのままで数日が過ぎたある朝、
「なんでディドは『おはよう』って言ってくれないの?」
と弟子がおっしゃられた。「え?」としか返せなかった師匠へ
「それは私、やだ」
と更にお続けになられた。その瞬間、俺の脳内には走馬灯の様に『過去に人から挨拶されて頷き返してきただけの俺』シリーズが一気・一挙な大放送-世界観軽く吹っ飛んでることは否定すまい-となり、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…確かにっ。ごめんだこれはぁぁぁぁぁぁ…」
となった。いやさついでに過去挨拶返さなかった全ての人々よ、可能なら許しておくれ。
「言うっ。これからはちゃんと言う。悪い気させてごめん」
謝った。そしてこれこそが『ガチで弟子に謝ったシリーズ』第1弾になった。いやそんなシリーズ展開すんなしではあるけれど。…話、逸れに逸れてるな。戻そう。
故に。我が家は色々なってない父親を、しっかり者の娘が面倒見てる、と言うスタイルの方がしっくりくる。つまり俺達二人は家族として成立していると言える。少なくとも俺はそう思っている。ただネネの、俺と出会ってから今に至るまでの一番の希望であり目標は、周囲を戦慄させ脅かす程の自身の魔導力を、自らの能力を以って、自らの能力として確実に制御したいと言うことであり続けている。である以上、その点で俺とネネの間には一線を引く必要がある。むしろ「引かねばならない」と言った方がいいだろう。言うまでも無いことではあるけれど、魔導師と言うのは剣士に例えるならば、四六時中抜身の刃を携えてそこいら辺を歩き回っている様な存在だ。それが何かの加減でちょっとでも何かに触れれば、それは斬れる。当然だろう。斬る為に、そもそも刃は存在しているのだから。だから、その扱いは相当の慎重さを要すし、それは他者や他の物などへのリスクと同時に、自らへの様々なリスクも抑えることに繋がる。翻ってネネが携えている刃は、ともすれば本人の意思すら無視して壊滅的結果まっしぐらレベルで躍動しかねない魔剣・妖剣の類とすら言える。その扱いは、一歩間違えれば中の一歩間違えればな代物であり、つまり一歩すら間違えちゃならない代物であり。それに対して俺達二人の間がなあなあなやり取りでは、いたずらにリスクを放置し、あるいはそれを高めることにしかならない。よってそこには-魔導力及びその術式を扱う現場においては-、常に一定以上の緊張感、そしてそれを保持し維持する関係性が求められる。時と場合によっては、リスクヘッジを充分に習得していない彼女へ、厳格に指摘・対処しなければならない場面もあるし、実際何度もあった。不用意に、あるいは無差別に他の何がしかを傷付けぬ為、そして自信を傷付けぬ為、何度もその様な場面は繰り返されてきた。対して、年齢的にその精神が熟すには至れるはずもない彼女が、何らかのストレスを覚えることも間違い無くあったと思う。けれど、殊魔導力・術式の扱いに関しては-剣の扱いに関しては-、そう言ったある種の衝動的感情は確実に抑え込まなければならないし、抑え込めなけれればならない。激情に駆られて振り回される刃ほど、無意味で情けなく、みじめで非建設的で非生産的なものも無い。だから。だから『親子』とはいかない。もともと赤の他人である俺達二人が、そういう距離感の詰め方をすることは、親子と言う基準になると言うことは、正しい剣の扱いを教え且つ学ぶに当たっては、障害にしかなり得ない。俺が父親であったなら、対して娘となるネネは、場合によっては無分別に感情をぶつけることもあるだろう。高じて目も当てられない振る舞いや惨事を引き起こすと言ったこともあり得たかもしれない。そして今尚あり得る環境に至ったかもしれない。そしてそれはまさに、ネネ自身が望むものと正反対の状況を生み出すことに他ならない。だから。だから俺達は親子にはなれない。なりたい、と切に俺は思っているとしても。あるいは、お互いにそう思っていることが分かっていても。いずれの魔導技術指導の場面においても一切の緩みを許さない、その為に。彼女自身の希望を失ってしまうような事態をけして引き起こさせない、その為に。その一線を俺は、俺達は死守しなければならない。だいたい俺、超甘々な親父になる自信だけはあるし。いやさもちろん人の親になった経験なんて皆無なのも事実だけれど、それはもはや既定路線的制御不可能な、つまり性レベルのものであって。
フレウスにはこの一線のことを、そして言ってしまえば俺が手放そうにも手放すことができないこの葛藤を余さず伝えてきた。いや、吐き出させてもらった、と言った方が正確か。親子になりたい。が、決してなれない話を。指導する側としての様々なプレッシャーを。そして、そんな俺の話に対して、フレウスはいつも静かに耳を傾けてくれる。魔導師ではない彼女に、実際の魔導力や術式に絡めて何か理解できるかと言えば、おそらくは困難だろう。けれど彼女は俺に、そしてネネに、常に寄り添ってくれる。人として、素体としての人として、肩書や能力なんて価値観の及ばないごくごくシンプルな人として、最も近い距離にいてくれる。それだけでなく、常に寄り添ってくれている。人として俺達を受け容れ、また、俺達も彼女を受け容れている。そうであることをお互いが確信し、そのことに喜びを、そして幸せを感じる中で、フレウスは俺のネネに対する在り方を理解し、受け容れてくれている。加えて、ネネの師匠として、年輩者として、父親になれない男として取りこぼしている何やかやを、彼女がしっかりと拾い上げ、穴があれば埋めてくれている。埋め尽くしてくれている。繰り返すけれど、ネネの彼女に対する信頼は絶大で、絶対だ。ネネのパーソナルがここに至るまで平常を保ち、魔導においても俺から適切な姿勢で学び続けてくれることができていることについて、彼女の存在なくしては、そのいずれも到底不可能だったろう。ネネにとってフレウスは何ものにも代え難い無二の親友であり、姉であり、失ったはずの母親ですらあるのだろう。彼女達二人の様子を見ていて、つとにそう思う。もはや俺の知らない二人だけの秘密コレクションも相当量あるだろう。それはまた、フレウスにしてもネネに対して絶対の信頼持っているからなのだろう。見せかけの、上っ面の優しさなんてものは、ネネの感受性の前には全く効果を発揮はしないだろうし、むしろ忌避や軽蔑の対象にすらなるだろう。と言うか、おそらく一般社会はその様にできているのだろう。そう意味においてはちゃんと、その様にできているのだろう。誰かを容易く信頼することなど、誰もできはしないはずだ。容易くできてしまっている時点で、それは芯からの信頼とは別物なのだろうし、故に勘違いや誤解や妄想の類でしかないはずだ。信頼、あるいはその構築とは、実際の所、なかなか実現することは難しい。そこらへんで大失敗をやらかしている俺が言うのだから間違いない。それならこの二人がどうしてその様な関係を持つことができたのか、と言う話になるけれど、これは二人の人間それぞれの心の内側を覗く作業が求められるし、つまり全くもって実行不可能な検証だ。あえて言うなら「巡り合わせ」ということになるのだろう。その、幸運としか言いようのない事実こそ、なんと微笑ましく、素直に嬉しい事だろう。俺達は今ここに至って、あらゆる意味で、あらゆる距離感で、少なくとも「結局のところは赤の他人」ではなくなった。俺達は他の誰でもない、全く代替え不可能な3人になっていた。
ので。結婚の報告が「その他二名」もいる所で行われたことについて、ネネが不満を表明することについては、何ら責めるべきポイントは無いと言える。いや、俺にだって無いよ? だってこの直前で決まった事なんだから。「俺とフレウス以外で誰よりも早く伝えた」的観点で言えば、それに間違いは無いわけだし。まぁ、あえてこの場では黙っておいて、家に戻ってから伝えても良かったんだけれど、とは言え、リウスさんが当面同居する許可を大家さんに取らなければならなかったし、その為には本人を直接検分してもらわなきゃならなかったし、だから夕食会は結局必須だったし、そこにネネとフレウスが加わらない理由は一つも無いし。で、返す返すも結婚はその直前で決まったし。だから俺に落ち度は…。…。…あるか。もう少し落ち着いてそれぞれの段取りを、段階を踏めば、あるべき順番、シチュエーションを選択することもできたかもしれない。とまぁ、悔いれば取り留めもなく、キリも無いのでやめよう-責任放棄とか大いなる敗走とか知らない-。
結婚。めでたいことだ。最高に幸せなことだ。ともすれば後々までネネに愚痴られるかもしれないけれど、それすらこの大きな幸せの一欠片と言えるだろう。現に今の今、ネネの表情は、いつにも増してずっとずっと幸せそうだ。ならば。これが最上でないならば、何が最上と言えようか。ちなみにリウスさんが記憶喪失であることは、大家さんには内緒にした。行き倒れかけた旅の剣士を、その静養も兼ねて、しばらく滞在させると言う名目にしてある。大家さんはその名目自体には特別関心は湧かなかったようだけれど-正直助かった-、とは別に気になるポイントがあるようで、
「しかしなんだねえ、あんた(俺のことだ)こそ、この前急にふらっと現れて、いつの間にかここへ住み着いたくせに(この人の許可があってこそのスタートだったんですが、あえてそこは触れておかないでおきますね)、いつの間にか3人も養える甲斐性持ちになってるとはねえ」
いや俺かい、気になるポイント。リウスさんの事は何? もう終了? と、フレウスがそこへ口を挟む。ちゃんとツッコんでくれるかな?
「私はこれからもバナンさん(フレウス勤務先の社長さん)の所で働くもの。ディドに面倒見てもらうわけじゃないからね」
ネネが続く。
「私だって働いてるもん! みんなの(誰と誰と誰だよ)手伝いして、お小遣いもらってるし」
まぁね。確かにそうだけどさ。じゃあ俺やっぱ大したことないんじゃん。大家さんが応える。
「ああ、そういやそうか。悪かった。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。いやディドは今にしてもどこか頼りなさそうじゃないか、それで、さ」
普通に無礼じゃないか? そういうことは本人がいない所で言ってくれよミセス。だいたい地域のほとんどの事業顧問さんだよ、俺。魔導インプラントのチーフエンジニアだし-サブにネネしかいないけれど-、それに元魔導師協会副首座でもあるんだぜ-逃亡したし、だから秘密だし、もはや誇りどころか恥ずべき過去とすら思っているけれど-。…う~んと。無礼じゃないじゃん、大家さん。残念だよ。
そう言えばこの件-協会絡みの一連-に関してはフレウスにも伝えていないな。どこかで伝えるべきなんだろうけれど、まぁチャンスはその内ありそうだ。いよいよ真実の全てを伝える人、伝えたい人第1号が現れたんだな。ホズはそれとなしに察知している様な気もするけれど、あいつにしてもそもそもの協会としてのデータが無いから、その実際の所はほとんど把握してはいないだろう。
実際の所。いやまぁ、とにかく積極的に伝えたい事ではない。少なくとも俺にとっては。うん。やはり恥ずべきことだ。実際的なこと・実社会的なことなど何一つ理解できていないでおきながら、肩書だけはやたらたいそうなものを付け、自分の好きなこと・やりたいことをやって来ただけ、なんて。てか、そんな情報、誰得なのよ。ただ一方で、フレウスにはそんな俺の過去を知ってもらい、尚且つ受け止めてもらいたいという思いがある。だし、なんだかんだ言っても割と大きな過去を-俺の人生の5/7、四半世紀分だ-伝えない事が、彼女に対してフェアだとは思えないし。今のところ『仕事探しでこの地にやって来た魔導師』『前職も似たような現場で、そこからある意味独立的に出てきて今に至る』と言うのが、この地域での俺のオフィシャルデータだ。もちろんフレウスには-そしてネネや他の人たちからも-詳細を求められる事が無いではないけれど、「小難しい技術関連の話になっちゃうから」的趣旨で濁している、と言うか逃げている。ちなみに、フレウスからは更に親や生まれ育った場所・環境を聞かれそうなものだけれど、しかしそう言ったことはこれまで一切無かった。それもフレウスのフレウスたる所以、と言うか俺の大好きポイントの一つだったりする。彼女なりに何かを察し、今聞くべきそれじゃない、と思って避けてくれているのか。いや、そもそもそんな素振りすら一切見せなかったりもする。他に話すべき事・話したい事は山ほどあるにせよ、だ。けれどそれも、これからは切り換えていきたい。人生のギアを、あるいは人としてのギアを、本格的なドライブモードに入れる時だ。『結婚』。どえらい響きだぜ。
と言ったところで、今日の夕食会はお開きになった。一人で悶々としたり自己解決したりしている内に時間は過ぎていた感すらある。他の人たちはただただ楽しくおしゃべりしていたし、そっちの方が人としてずっと正解なんだろうけれど。まぁともかく、各人それぞれ目的を果たし、得るものは得た感じもあり。で、フレウスはこの後、実家へ帰っていった。…実家住まいなので-結婚した途端に別居したとかいう展開ではない-。思えば、今となっては俺の義理の両親となったお二人の待つお家へ、ということになるのか。そういう意味でのご挨拶、早く行かねばな。なお、彼女のご両親はやはりそれぞれが代々続く農家で、主に麦とじゃが芋を栽培している。そちらでも、今や用水路システムや肥料製法に関して魔導インプラントが導入されてはいるけれど、彼らの生産・ライフスタイルに特段の変化はない。もちろん生産量は飛躍的に向上した。品質も相当に改善された。けれども他の事業者の様に、作地面積を拡大し、従業員を多数雇用し、流通・販路の拡充を図ると言った傾向とは一線を画し、二人きりでゆっくりのんびり、これまで通りの農村生活を送っている。と言って何か哲学めいた思想があるわけではなく、「性に合っている」「そうしたいから」だそうだ。それはそれで、俺にも何となく理解できる。自分たちが充分に食べられる必要十分な糧さえあれば、そこからさらに社会全体を富ませる方向にまでシフトしようと思う必要性は、実は無い気さえする。かくいう俺自身は大量生産化などの経済発展を推進してきた側ではあるけれど、そうは言ってもそれそのものを目指したわけではない。むしろそれぞれの事業者が-元々の第一次産業従事者だ-少しでもその生活水準が向上すれば、という思いで俺と共に始めたことが、思いの外、その中でも多くの人々-ほとんどの人々と言っていい-の相当に積極的な向上意欲を呼び起こすことに繋がって、結果として地域全体の飛躍的な経済発展にまで至った、というのが実情であって。
フレウスに話を戻そう。彼女も幼い頃は実家の手伝いをよくしたらしい。そうして自身もゆくゆくはどこかの農家に嫁いでいくか、なんなら一人娘なので入り婿チョイスで実家を継ぐんだろう、と幼いながらになんとはなし考えていたらしい。けれど彼女が15歳となった年、この地域に図書館ができた。まぁお分かりの事とは思うけれど、厳密に言えば我が家の書庫なのでして。さておき。以来、彼女は軽めの本の虫となり、そして人生観が変わった。具体的には『建築設計』に目覚めた。これも「なんで」と言う理由は特に無いそうで、「え? 好きだからだよ?」な事らしい。さても、それが俺こと魔導師のコレクションであることからして当然と言えば当然なのだけれど、それ関連の書籍の中には魔導技術の概要あるいは特定詳細事項の知識等を必要とする箇所が相当数あった。そしてこれまた当然のことと言えるけれど、それに関する知識を持つ者は、当時も今も俺一人だけだった。そんな自然の流れ-ある意味では天変地異だけれど-から、彼女には俺をほぼ毎日質問攻めにする必要性が生じ、よって我が家に頻繁に出入りするそんな時間のちょっとした合間にネネとも段々と親しくなって、というより、その当初から相当馬が合って-彼女たちの10歳と言う年齢差も無関係にして-、あっという間にその無二の関係は成立と相成った。付け足せば、殊魔導技術においては、ネネは妹弟子を手に入れたことにもなった。と言ったフレウスを暖かく見守り、自分たちは決して驕らず、ありのまま生業を続けているご両親だ-やはり明日午後にはフレウスと時間を合わせてご挨拶に行かねば-。
と、今一つの課題はリウスさんの明日からの予定、その内容をどうするか、だ。ふと、この間のちょっとした回想から思い付いたけれど、一つの候補としては書庫を利用してもらうのだはどうだろう。試しに
「本は読める?」
と尋ねたら、
「大好きです」
との答えが返ってきた。ただの好きじゃ収まらないのね。ってのは置いといて、本好きだった記憶はあるのか。いや、記憶と言うよりは感覚の分野か。けれどこれは実際にその初日、リウスさんが書庫で最初の一冊を手にした時に瓦解した。いや、それは全壊に近いかもしれない。
「何が書いてあるのか分かりません。この文字群は一体…」
だそうだ。確かに各地域ごとに言語は大なり小なりの差異を持つし、だから『外国語』と相互いに認識するものも、また存在する。けれど、現在辺境とされるこの地域含め、世界共通語が文字通り世界共通の言語として普及・定着・機能し始めてから一千年は優に超えている。故に、現にこの地域でも、若干用法が違うものがごくわずか存在はするものの、コミュニケーションを取れない事など全く無かった。リウスさん…。この人本当にどこに住んでいたのだろう? それとも、それすら記憶から飛んで行ってしまったのだろうか? いや待てよ? それならどうしてここまで円滑な会話コミュニケーションが成立するんだ? 異言語の現地に住み続けた結果、読み書きできないけど日常会話はできるようになっちゃいましたってアレか? それ語学留学として成功してるかどうか微妙やな、でおなじみのアレ的現象なのか? ただ、それより何より驚いたのは、
「じゃあ、記憶している文字で、何か一文を」
とリクエストしたら、そこにはまさに判読不可能なそれが現れることとなった。俺の目の前に羅列されたそれらは、知る限り、どの地域の言語にも全く該当しなかった。かすりもしないと言っていい。果たしてそんなことは可能なのか。俺は言語学的なものには完璧には通じていないけれど、しかしその程度の知識レベルでも、文字と言うジャンルには言葉同様の系譜があり、関連性や類似性があり、何なら連想性があることくらいは知っている。けれどこの文字群の極まった独自性は? 試しにリウスさんに読み方をリクエストすると、果たしてこれと全く同様の感想を抱くこととなった。イントネーション、響き、何一つだ。が、ここに来て明らかに、と言うか衝撃的に引っかかる事実に行き当たる。どの地域の言語にも類さないスペル・発音であることはほぼ確かなのだけれど、それとは別に、なんとこの俺が思い当たるものが出てきた。出てきてしまった、と言ってもいい。古代術式。その発動に際して必要な一種のアクセスツールに当たるものが、同一とまではいかないけれど、まさにそれらに酷似している。
術式には、特に現代術式の中には絶対数として多く、ルーン文字の何らかの表記方法によって、あるいは詠唱によって発動されるものがある。いわゆるスペルマジックがそれだ。表記術式・詠唱術式などとも言われるものだ。他方、と言うかもちろんと言うか、無表記・無詠唱のものも存在する。割合としては、やや非スペルマジックの方が多い。対して古代術式のそれは、その全てが非スペルマジック、無表記・無詠唱による発動となる。もちろん判明しているもののみについて、とはなる-解読が進むにつれ、もしかしたら新たな事実・新たな術式としてのそれが発見されるかもしれないとして-。ただ、古代術式に対しての俺の確信とも言えるイメージは、言い表すなら「スピーディかつダイレクトかつダイナミック」となる。つまり術式の構成そのものが、より早く・強く・直接的な発動と作用を求める傾向にあり、そしてそれは大規模・高威力ではあっても、長大な呪文や巨大な魔法陣と言った大がかりさとは無縁である、という現時点での研究結果・到達点が、よりその現実をクリアにしているだろう。一定の時間、ないし複雑な手順を極力排し、よりシンプルに瞬間的火力特化を図っているものばかり、と言える。そして、現存する資料等に並ぶスペル群の解読結果として明らかになった、発動シークエンス時にアクセスキー的に必要となる術式の一つが、リウスさんが例として挙げた言葉、その発音とまるで符号を合わせるかの様、一致した。
もう少し詳細に触れると、古代術式の発動実験-『発掘的発動』と言われている-においては、解読対象となる文字や記号に符合するであろう発音を、探り探りかつ慎重に当てはめていくこととなる。慎重にというのは、つまり強弱のコントロール方法も分からない術式をぶっつけ本番で発動させた場合、想定外の事故等リスクが発生することを、可能な限り抑制する目的がある。で、無事に発動しさえすれば、その後は現代術式の無詠唱型術式と同様、感覚的発動が可能となる。つまり初回の発動時のみ詠唱的手順を踏むことが、現代の俺達には求められていると言っていい。そしておそらく古代の人々においては、それすら必要無かっただろう、と推測している。例として、古代術式において現代の火炎術式に相当するものを対象に説明しよう。そしてその当該資料には発動方法が書き記されているケースとする-ちなみに、現存する資料においては発動後の現象しか判明していないものもあったりして、この場合はさながら逆引き辞典の様な状態になる-。で、まず読めない。当然、読めない。参考とする古代語字引みたいなものはあるけれど、現代語においても同じことは言えるのだけれど、その組み合わせ・順番の前後等によってまるで一々意味は違うし、用法例もあるにはあるけれど、それとて字引同様ケースバイケースとなってしまう。だいたい判明しているよう形式に近い形で実行・発動すれば、そのそもそも分かっている術式効果に近いものしか発現しないわけで、よって解読とはならないわけだ。話を「読めない」まで戻そう。字引によってスペルの一語一語までは解読可能とする。なんなら発音もある程度可能としよう。が、翻訳はおろか意訳もできない。ただ、そうして一語一語に沿って術式の発動シークエンスを試みていくと、時に現象めいたことが起こる場合がある。小さな火がポンと生み出される、とかね。つまり正確・不正確は別にして、術式発動の瞬間を迎えたということになる-通常ここに至るまでに1週間~1ヶ月程度かかる-。そうすると、その発動の感覚が記憶され-ごくまれに一瞬過ぎて「今の何?!」状態で失敗、と言うトホホ展開もある-、以降はスペル等を探り探り、あるいは丁寧になぞることなく、その感覚的なものの精度を向上させる作業に集中していくこととなる。初めは小さな火しか出せなかったものが、最終的には極大白光灼熱地獄まで到達する、みたいな感じだ。俺にとってはこの作業こそが、そして最もロマンを感じる部分だったりもする。なんなら完全に解析完了したり、術式が上限キャップまでの完成を見たりすると、一抹の寂しさすら感じるくらいだ。イベントのフィナーレの瞬間、多くの人が興奮MAX最高潮な時に「あ~あ終わっちゃうよ」とか盛り下がってる奴が俺だ。さておき。
他方、繰り返しにはなるけれど、古代術式と言うのは現代のそれよりも、ほとんどのものが圧倒的に発動時間が早く、ノンブレーキ・ノンリミットな意味も含めて即効性もある。けれどと言うか故にと言うか、安全性や安定性、反動作用-火炎術式なら火傷以上の何か、もしくはその逆の身体凍結作用等-の点で、大多数がセーフティ前提の現代術式と比較して著しく劣っている。もしか解明がより進めば、現代術式並に制御し易くなる可能性もある。ただ、言ってみれば「やり方ひとつ」と言う部分でもある。つまり発動条件乃至要件が判明しさえすれば、それを繰り返し試行・改善・精錬していく中で出力値の制御などが可能となれば、安定性・安全性もほぼ同時に開発・付与できる場合もある。そうなるとやはり古代術式の方が、殊に発動時間と言う点では圧倒的に優位だし、威力・効果としても現代術式のそれを上回るものが多い事からして、総合的優位性が歴然としてあることは否めない。さておき、発音、響きの話だ。
「ちなみにリウスさん、これなんて書いてあるの?」
「『私は夕食が待ちきれません』です」
食いしん坊さんなのかな? まぁ体力勝負の剣士さんならでは、としておくか。色んな意味で素直だな。として、もう一度発音してもらう。…やはりそうだ。これは古代術式のイントネーション・アクセントに、微かだけれど、それでも確実な近似性を認められる。いや、ひょっとしたら、このリウスさんのイントネーション・アクセントこそが、そのオリジナルそのものなんじゃないか?
俺はすぐに、既に解読済みの古代魔導書を一冊、彼女へと差し出した。
「読んでみてほしい」
きっとその時の彼女は、その魔導書を差し出す俺の瞳に星々が燦然と瞬いているかの如き煌めきを見出していたことだろう。見たくないのに見えちゃったレベルで見出しちゃっていただろう。どうでもいいね。で、そして、だ。対する彼女の瞳は直後、すっと曇りマークを示した。結論は早かった。
「読めません。なんかその、ごめんなさい」
すっと同書が返却され、同タイム、きっと俺の瞳からも星々が消え失せ、一面陰鬱な気象状態を呈したことだろう。てえしたもんだぜ全く。…ほら、なんだかレトリックまで曇りがちになって来たぜ。まぁね。わかってたよ、どっかでは。そんな世の中甘くないし、対してうまくもいかないだろうな、なんてことはね。何だったら身をもって超知ってるっつーの。ってことで心の切り替えスイッチ押すよ~? せ~の、ぽちっとな!-テンションが迷子-。…だとすれば、やはり近似性があると言うだけで、彼女のいたであろう言語環境と、対する古代世界には、実際の所リンクするところは無い、と言うことになるのだろうか。何ともはや。【※編集中:ってことでここまでで回想終了。:←これがいるかどうか要確認】
そんなこんなで、と言うべきか、今度は彼女が書庫に収められている様々な本を俄然、何ならおそらく当初にも増して読みたい欲が高まったらしい。お預け喰らったものがなお一層欲しくなる、の法則なんだろうなこれ。となれば取るべき道はただ一つ、教育機関の活用だ。折しも季節は初秋。この地域に3つある教育機関全てが、新学年での新学期スタートを迎えたばかりだ。で、リウスさんは小学1年生になった。そう、ピカピカの1年生だ。まさか俺の人生で、自分の子供ができる前に小学校へ身内として訪れる機会があろうとは。余談と言うか付け足しと言うか、前にも話したけれど、この地域の高等教育機関設立には俺も関わっている。つまり15歳から18歳までの年齢帯を対象とする学校だ。小学校(初等教育機関:6~12歳対象)並びに中学校(中等教育機関:12~15歳)は、俺がここにやってくる前からあった。で、その充実化にも俺は一役買ったのだけれど。置いといて。
初めに校長先生との面談だ。デクラウスさんと言って、俺と10歳程度しか変わらないけれど-47歳だ-、とても聡明な男性だ。自分が管理責任を負うこの小学校の運営方針から具体的な行動策定まで、一々感心させられる。大筋としては、精神的自立の尊さ・重要性・厳しさと、他者との共存の意味するところ、そう言った物事への認識・価値観の在り方を通奏低音的に設定した各カリキュラムの設定・実践を行っている。言い方を変えれば、社会構成員の-社会運営の-一員になるための基礎作り・下地作りが校内・カリキュラム内で展開されることに対し、自らが主体性を持つことの意味と、それそのものの修得を目指すと言った感じだ。テストで100点を取るのではなく、社会に出た時に関わる人々からより多くの笑顔を獲得することを目的としている、と言うか。教育機関と言うのはどこもそうなのだろうか? いや、魔導師協会直轄の魔導師学院は少なくともそうじゃなかった。テストで100点を、と言うのではなかったけれど、かと言って人々のより多くの笑顔をというわけでもなかった。強いて言えば「より多くの魔導師が世界でより幅を利かせる為」か。幅を利かせらるようになる魔導師は、そりゃ笑顔になる奴が圧倒的多いのだろうけれど、それについて今印象を尋ねられれば「別に」って感じだろうな。特に感動はしない、というか。少なくともデクラウス校長に対する共感めいたものをそれに感じることは決して無い、と言ったところか。とは言え教鞭をとっていた奴-俺だ-が言うセリフではないかもしれない。だいたい俺は更に目的が違って、と言うか目的なんてものがそもそもなくて、ただ「自分が興味があるものは他人も興味があるんじゃないの? いやあるでしょ。じゃあそれ教えるわ」な、何だったらこの中で一番ペラッペラな感覚だったわけで。まぁいい。良くないけど。今が半生反省モードが始まるタイミングじゃないことに気づいたわけでありんして。本線復帰。
社会性を徐々に身に付けるに当たって、その水準につき、社会構成員の一員を目指す段階を低年齢から設定するところについて、デクラウス校長は
「それに早い・遅いはないんじゃないんでしょうか。得てして大人は子供の能力を過小評価しがちです」
「『無限の可能性がある』と言う感じですか?」
「そう言った表現も悪くはないのでしょうけれど、もう少し現実的な意味合いとして、これを捉えてみましょう。つまり初等教育の段階にあっては特に、特定の子がどんな才能を持ち、それがどの様に花開いていくかと言うことについて予知することなどほぼ無理です。若干話の趣旨からそれますが、『天才児』と揶揄される子がいたとしても、その子に更に他の天才的な才能が眠っている可能性は充分にあります。けれど、現在天才だとされる能力開発のみに本人も周囲の大人も集中することによって、他の能力が実質的に破棄されてしまうケースは相当数あると考えられます。こう言ったことからも『カリキュラムとしてこれさえ組んでおけばいい』というものはありません。ですから、我々教育の専門家は子供たちの発達段階と言うのは何かと言う所に関して一般の人々よりは知っている立場として-知っていなければならない立場として-、『社会とはこういう側面がある、あるいはこういう側面がある。それに対してかつて人々はこうしてきた、現在こういった対応をしている。さて君たちはどう考え、どう対応していくか』と言う投げかけを常に様々な形で実践する責任者として相対していくことが求められていると考えています。いわゆるケーススタディの応用・発展と言えば分かり易いでしょうか。それは国語・算数・理科・技術・美術などと言ったカテゴリーを選びません。国語から国語なりの社会との関わり方、算数から算数なりの社会の関わり方は必ず学べます。学びがそこに必ずあるからです。ちなみに、それには教育機関と保護者・地域の相互連携がものを言います。社会や人々そのものに対する価値観、発展的方向性の価値観といったものの共有が求められるわけです。現在わが校では、保護者とは月次の報告会の中で互いに様々な意見・要望を出し合う中で、片や地域とでは有志の住民の方達と三ヶ月に一度、懇話会と言う形でその作業を行っています。相当数の方が参加し、その後の大宴会までがセットになっているのが特徴と言えば特徴でしょうか」
確かにおっしゃり通りだ。って言うかその大宴会さ、俺も参加してたわ。その前にいつも色々みんなであーだこーだ子供や学校の事を話し合ってるのは、そういう目的やら意味があったんか。別に「校長先生と話す機会なんて滅多に無いから、ついついそっち方面で話が盛り上がり勝ち」って事じゃなかったのね。それそのものが目的で、その後のお楽しみの方こそがオプションだったんですか。いやはや。
そうだ。ネネの放課後教室への先生レンタルを、このデクラウスさんは快く了解してくれたんだよね。ある意味『天才児の限定的な英才教育』をしちゃう予定だった当時の俺に、そういう意味合いでバックアップしてくれてたの、申し訳ないけれど今知りましたわよ。ありがとうございます。そしてごめんなさいこれからもよろしくお願いします。
「繰り返しにはなりますが」
デクラウスさんが話を戻してくれる。ありがたい。全編通じて横にいてくれないかな-なんてね☆…メタメタやな…-。
「いずれにしても、こういった学びの機会や環境をスタートさせるのに早い遅いはありません。大事なのはタイミングでなく、結果としてそれをスタートさせるかどうかと言う事になります。ただ」
そこまで言って校長先生は微笑する。
「ただそれにしても、この様な方が小学1年生としての入学希望者として来られるのは予想外ではありました」
リウスさんの事ですね、分かります。つまりこうだ-校長先生ジョークの解体作業スタート-。「どう見たって大人で社会経験も一定以上はあるだろう人が、何かの研究の為、あるいは履修しなかった分野の習得を目指すとかなんて水準の話ではなく、その前の前の段階と言うか初期段階の教育から受けたい、と言うのはあらゆる意味で信じ難く、感覚的に賛同できるかと言う点においては受け入れ難い」と言うことだ。もっと踏み込んだ言い方をすれば「来る必要が明らかに無い所へ来ていると誰もが判断せざるを得ないシチュエーションが目の前にある。これに対する最適解はやんわりお断わり一択以外にあるだろうか、いや無い」的な感じか。まあね。校長先生でなくとも、と言うか一般の人こそ「何で?」って普通に思うだろう。それが当然っちゃ当然だし。ただ、基礎中の基礎的言語の短期間修得に最も向いているのはどこかと言えば、小学校しかないのかな、と。それも初級の初級から始めようと思えば、1年生からしかないのかな、と。って言うことを、どう説明したもんか。…よし。
「記憶喪失なんです、彼女。それを取り戻す、または単純な知識習得だけになっちゃったとしても、それはそれで一般レベルの文章理解が可能となるようにお願いしたいのですが」
素直さ100点満点中100点の回答を差し出した。1つも隠さず、可能な限りシンプルにまとめた。そして、校長先生が新たな疑問や設問を提示することは無かった。ついて、リウスさんはピカピカの小学校1年生になった。やっぱり素直が一番。simple is best。たぶんね。
もっとも、彼女は毎日1時限設定されている国語(言語習得)の授業にのみ出席し、算数や理科など他の授業には出席しなかった。だから、と言うか『進級』も早かった。要は言語の習得スピードが超速かったわけだ。それはそうだろう。彼女の一日は-朝起きて夜眠るまでの間は-、食事等の生活必須項目以外はほとんど言語学習のみに費やされたのだから。そして半年もしない内に、彼女は小学校を卒業した。「ついこの間入学したとばかり思っていたのに」を本当に地で行っちゃったタイプだ。この人剣士だけど、脳みそが筋肉以外のものでできているのかもしれない-当たり前だ-。もちろん独習以外に、放課後教室や、段階的な読書物のレベルアップ-最初は絵本からだった-も相当積極的に活用された。それにしても早い。書庫にも誰よりも圧倒的に長くいる。そして何より驚くのは、彼女がかなりの速読派だと言うことだ。それも決して斜め読みのそれじゃない。絵本の頃ならまだしも、例えば普通なら読破にひと月はかかりそうな歴史書を、一週間どころか数日でこなしたことがある。だし、他の本もほぼほぼ同様の基準で次々クリアしている。剣士の別の顔としては超弩級で異常だ。極めて非常に異常だ。で、試しに細部についてランダムに複数設問しても、そこには全問正解が待つのみだ。誤答が一切無い。言ってしまえばこの人、人間らしくない。と言うか、記憶力が凄すぎる記憶喪失者って何なん? 能力ならぬ脳力が高度過ぎて、的なことで稼働し過ぎた挙句のオーバーヒートやらショートやらを引き起こした、と言われても信じてしまえる。けれど、まさか、ね。
何にせよ、彼女は小学校を卒業して以来、たまの散歩や誰かにお呼ばれする時、あるいはちょっとした家事-我が家において炊事・掃除・洗濯は一通り分担制だ-以外は、書庫にこもりっきりになった。と言うといわゆる引き籠りっぽく聞こえなくもないけれど、実際のビジュアルは図書館最上級ヘビーユーザーお姉さんだ。「あの人毎日見るよね」「ここに住んでるんじゃないの?(ウフフ)」的な。いやまぁ住んではいるんだけれどね。にしても。逆に剣士としてのトレーニング等、それに類する様子を見ることは無かった。なんならここに来て以来、基礎的な肉体トレーニングすら、全く見たことは無い。「これじゃあ記憶が戻ったところで、今度は本業のリハビリが必要になっちゃうんじゃないか?」なんて心配すら、勝手とは言え、こっちはしてしまう。リハビリセンターの管理人とも、こうなると言える俺としては、これを甘んじて看過することは―
「新しい人生を本人が望んでいる可能性だってあるかも知れないのに、よく分からない内に介入しちゃうのはまずくない?」
妻に叱られた。割と真正面からド正論で。俺が
「あの人本来剣士なはずが、今じゃすっかり無職で本好きな一般女性になっちゃってるけれど、ちょっとそこら辺、リハビリセンター長として言っておこうかな」
なんて軽く言ってみたら、こうして斬り伏せられた。まさか妻の方が剣士として目覚めていたとは。あ、念のため言っておきますけれども、これジョークですからね? …さておき。確かにフレウスの言う通りだ。彼女がどういった原因、あるいは理由で記憶を失い、どういった経緯であの森の中にやって来たのか何も知らない俺が、なんの権限があって他人の人生に修整を加えることができると言うのだろう。いや、できはしない。
「一応念のため言っておくけど、あなたはリハビリセンター長でもないから。仮にそんなものがあったとして、職員ゼロの入所者ゼロだからね」
マジレスバリバリに厳しい現実を次々と突きつけられる。とんだ鬼コーチが家族になったもんだ。
季節は冬の終わり、その去り際を迎えていた。そして次の季節は、その姿を見え隠れさせている。そこには成長の兆しはあろうと、未だ土の中に、あるいは何らかの殻の中にその身を置く何がしかが窺える。そのいずれもが、そう遠くない内、力強く、更なる成長を始めることだろう。誰がどんな手を加えなくても。そうして春は、季節は巡り続けてきた。壮観と言うより他ない様を、展開させ続けてきた。そのほとんどに人の手は加わってはいない。加える必要もなく、あるいは加えてこなかったからこそ、今の今に至るまでこうしてあり続けてきたとも言える。
翻って、我が家の判断だ。リウスさんに必要と思える質問なり意見を、人生の目的なる分野で話してみるべきか。剣士としてはいかがなものかと説いてみるべきか。答えは一つだ。そしてそれはとっくに妻様がお示しあそばされている。と言うことで。リウスさんは今までと何ら変わらず、どこかの夫婦間で取るに足らない、諍いにすらならないやり取りになどもちろん気付かず、その超の付く読書家生活を送り続けることとなった。
とは言え、何の進歩・進展も無かったかと言えばそうではない。一つには料理がお上手になりました。フレウスの手ほどきが名コーチ級だったのもある。ということで我が家の料理当番につき、フレウス・俺組、ネネ・リウスさん組で回していくことになった-ちな昼食を除く-。さてもネネ・リウスさん組が繰り出す料理の数々は、そのほとんどが一言で言って「斬新」だ。あらぬ食材をあらぬ調理法で仕上げてくる(フレウス談)。しかして旨い。こういった意味での新鮮味も加わっているからかも知れない。いやさ毎回とは言わずとも、かなりの頻度でニューオリジナルを連発してくるところは舌を巻く。料理だけに。…ごめんなさい。これはその実、ネネがそもそも無茶ぶりをしているから、と言うのもある。ネネが言うには
「どんな変な提案でもリウスが巧くこなしてくれちゃうから、『これはさすがに無理だろうな』の一歩奥を行っちゃうんだよね」
とのことだ。お前、がんばってんのリウスさんだけじゃねえか。あとなんだ「一歩奥」って。「一歩手前」がぎりセーフなら、その逆はぎりアウトって意味にならないか? てかそれを聞いた時には、これまで無事に「旨い」とか言うだけで済んでたのが、急に奇跡の日々に思えてきたものだ。ほんと、日常のどこに危険が潜んでるか分かったもんじゃないよな。だいたいわが弟子よ、ここに来たその初っ端から、料理の天才ぶり発揮してくれてた気がするけれど、そんな素敵な君は一体どこへ行ってしまったんだい? そしていつどこで路線変更しなすったのか。とは言え、まぁ実のところ、俺もネネの事を非難することはできない。俺はその正反対に、フレウスに対して何かアイディアを提供したことなど一度も無いからだ。だいたい俺、この地域に来る以前は料理経験ほぼ完全にゼロだったし-前にも触れたけれど、片手で数えられる程度のその経験だって、ぶっちゃけ不純系だしさ-。だから協会飛び出してくるその日まで、そのほぼ全てで誰かが作ったご飯を食べさせてもらってた。料理は自分で作るものなんて発想自体無かったと言うか。だし、ここに来てからだって、いざ自分で作るものと言えば単純明快系メニューオンリーだし、てか相当おすそ分けに頼ってきたし。自立しそびれた実家暮らし成人と何ら変わらない。てな具合で、俺こそが手伝い専門家になってしまってる。ちなみに俺は無茶ぶりはしない。と言うか怖くてできない。誰が怖いかって? …お察しください。だから強いて言えば時たま希望を伝え、ほとんど却下される程度だ。悲しい。言って女性3人に対して男ソロだからね。好みの多数決的優先度では圧倒的に劣勢だ-正直数字以上に劣勢だと言わざるを得ない-。ともあれ、リウスさんの料理の腕は上がっています。
で、二つ目。これを先頭に持ってくるべきだったかもだけれど、リウスさんに対するいわゆる『さん付け』をやめた。と言うかこの話、彼女が我が家に住み始めてから一ヶ月過ぎたくらいの頃のエピソードだから、出し所ホントここじゃない感あるけど、まぁ良かったら聞いてやってください。申し出は彼女の方からあった。
「私に『さん』を付けることをやめてもらうことは可能でしょうか?」
と。そのまんまだ。
「全然いいけど、どうして?」
ネネがすぐに反応した。フレウスがその後に続いて
「その方が過ごしやすい、とかでしょ?」
と尋ねた。
「そう捉えてもらったらありがたい」
とご本人。これにて終了。俺には「うん」も「すん」も言う暇は無い。女系一家だ。てかまぁ本人が望んでるなら拒む理由は何も無いだろう。で、一家3人が、そして間もなく我が家周辺の住民ほとんどが「リウス」とのみ呼ぶようになった。うちらはまだしも周辺の人たちほとんどって、溶け込み早過ぎだろ。引きこもりなのに外の世界に溶け込むってのもなんか凄いし。少ない外出のチャンスの活かし方よ。ただ彼女の、人をある種引き付ける何かは、明確に感じる。それは「美人で真面目で素直」だからだけじゃない。何か別の、何かだ。これはいずれ話そう。ともかくここでもこれからは「リウス」とのみ呼称する。…ほんと順番間違えたな。書き直すか? いいか。次。
最後。これこそが重要な変化であり、かつ進展と言えるだろう。少なくともこの地域全体にとっては。結果からお伝えすると、リウスは「公的な自然環境アドバイザー」に就任した。と言って何らかの任命や認証システムが存在するわけではなく、「そういう人だ」と地域全体から認知されるようになった、と言うことだ。具体的には、森林と農地及び宅地開発のバランス調整・原生生物との共生調整について、その計画内容へチェッカーとして入り、必要に応じて修正等提起することが主な職務内容になる。換言すれば、人と動植物の共存を図るにあたって、魚や獣の乱獲・極端な森林伐採による動植物の致命的な減少や、再生可能資源の致命的損失など、必要以上の収奪等不均衡により、結果として人のあるべき住環境が損なわれないことを目的とすることが最重要項目となっている。このキッカケは何なのかと言うことだけれど、これはその実、ある時リウスが発したとあるキーワードに、ネネが注目したことによるところが大きい。
引きこもり系読書家ことリウスの数少ない日課の一つに、『午後の散歩』がある。我が家の住人となってから2週間ほど経ったある日のこと、リウスがその日課から帰宅し、放課後教室が始まる直前のネネへ、
「このままでは極めて心配なことがある」
と突然言い出したらしい。
「木々や草花、動物たちの多くが悲しみを抱えている。この悲しみは、いつか人にとっても大きな悲しみになる。それは一切の人も他の生き物も望まぬ『いつか』となってしまう」
ホズがめでたく予言者失職となる展開かと思えたけれど、幸いにしてそうではなかった。さてもその抽象的かつ謎めいた「いつか来る悲しみ」と言うキーワードに、ネネにも直感するところはあったらしい。
つまり。この頃になって、この地域においては農漁業が益々加速度的な拡大傾向にあって、それに伴う人口増加も相当なハイペースとなっていた。俺がこの地域に来た当初と比較して、人口は実に千倍以上に膨らんでいた-具体的な数値を言えば、五千人弱だったそれが五百万人以上のそれになった-。と言うと想像を絶する変化にも思えるけれど、そもそもが極端な過疎地域で、その広大さだけが取り柄だった土地が、標準より若干高めな人口密集地になった、と言うだけの事だったりはする。さても魔導インフラ・同インプラントの生産・設置・稼働による経済的効果はてき面にもてき面で、その人口爆発の起爆剤的中心要素として充分過ぎる役割を発揮していた。しかしそれが、リウスに言わせれば「まずい」ことだった。この経済成長に伴う各事業の開発行為が、周辺の自然環境・生命環境に対して無自覚な形で継続していけば、それは単なる破壊行為としかなり得ず、巡り巡っては人の生活環境、ともすればその生命をも破壊しかねないとのことだった。
「確かに…そう言われてみれば」
と、ネネから報告を聞いた俺なりにも、思い当たる節がいくつかだけれどあった。その中でも一つ心に残っているものを挙げれば、やはり農地開拓の一環で、とある森林区画の伐採計画が持ち上がった時その場所が、ある住民達にとっては子供時代の遊び場であり、今も時々には憩いの場として活用されていることが分かり、開拓そのものが中止となったケースがある。また今一つ挙げれば、やはり魔導インフラ・インプラント導入に依って、湖沼・河川での漁が効率化・大規模化していく中、その数年間で水棲生物の生息数が明らかに甚大な減少を見せた。これはリウスが来る以前に発生し、また気づいた事であり、つまりそう言ったことに無頓着な俺達ですら気が付かざるを得ないほどの大惨事一歩手前な出来事だった。以降、ほぼ全ての天然資源を基にした養殖生産に移行するきっかけになった。だからと言うか、リウスの話をネネから聞いた時、その詳細を聞く前から、直感的にその本旨を察さざるを得ないものがあった。「俺達はいつもほとんどそう言った種類の事に注意を怠りがちだし、ましてやどういった形で関心を持ち、見識を深めればいいかと言った視点を持つ発想がそもそも無かった」と言うことについて。果たしてその後、リウスに具体的な場所や現象、そしてそれらの列挙理由を聞き、そのそれぞれに一々合点がいった。いってしまった、と言うべきなのかもしれないし、その上で一旦その全てを反省しなければならないのだろう。そしてその時点でも既に、この地域周辺に限って言えば、在来の動植物たちの生育環境をほとんど無自覚に変化させてしまっていた。「自然に対する結果的な一方的収奪」と言っていいかもしれない-いや、言えちゃう環境がすっごくダメなことは承知の上でね-。
「今はまだ、それは修復可能レベルにぎりぎり留まっている」
とリウスは言う。けれど、さりとても、これからも産業発展は続いていくだろう。それには森や川や湖の持つ資源を、俺達人間が分け与えてもらい続けることは、避けられなくある。他方、魔導インフラの発展・発達スピードは飛躍的なものがあり、それに比例しての経済活動も、ある種累進的な、二次関数的な、つまり「ある日突然」に近い形での爆発的勢いによる成長を遂げることは想像に難くなく、であることからの人口爆発までが充分に起こりうる状況にある。その時に、あるいはその時に至るまでに、自然共生の概念が、その推進剤-つまり俺達だ-に伴っていなければ、動植物たちがその時受ける侵害及び損害は、場合によって致命的な、つまり修復不可能な状況を迎えるかも知れない。だったらいっそ。いっそ今からリウスには地域の産業推進企画へ参画してもらうことが必須当然ではないか、と、これはうちの奥さんのご意見だった。リウスは例によってこちらを責めたりはしない。けれど、またしてもこちらはウンウン唸ることになった。それで難しい顔にどうやらなっていたらしい俺の右頬を、彼女の日建て親指・同人差し指の2本でつままれ、そう提案された。なんだろ。一見虐げられている様にも見え、ご褒美の様な気もし-おぉ、この感想マジでどうでもいいな-。と言うことで、リウスも承諾してくれ、更には他のメンバーの賛同も大歓迎的に得られ、彼女はその職を手に入れた。引きニートが随分なランクアップを果たした様にも見える、けれど、残念ながらこれ、無給であります。と言うのも、俺を含む元からの所属メンバー全員がそもそもボランティア的に行っている為に無給だったし、そもそもついでに言えば、この企画集団には個人・団体のどこからも一切の資金供与が無い。メンバーのほぼ全員が企業のオーナーに就いているから、と言うのが一番分かり易い理由になるだろうか。そう、いわゆる経団連としての企画集団であり、一切の資金の持ち寄りをしないし&する必要が無いから、と言い換えることもできる。少なくとも今までその必要性が生じたことは一度も無かったと言うか。てな事をリウスに伝えた所、彼女はまさに「ポカン」と言う顔をした。美形のポカン顔は、それはそれでその造形に見るべき点があるのだけれど、話が完全に脱線するので自重しよう。
リウスは言った。
「そもそもお金とは何ですか?」
あんたのそもそもはそっからかい。そんなことすらも記憶から消え去ってしまっているのか? 人によっては命よりも大事なのに?-まぁその発想が軽く一大事なのは脇に置いておくとして-てか、散々本読んでるんだから、知ってないわけないよね?
「貨幣価値について何らかの提起がされようとしているのですか?」
軽く難しい風に連続質問を受ける。これなに、めんどくさいタイムに入りますの? とは言え、無碍にする理由も無いから一応説明してみるか。
「あのねリウス。ご存じかも知れないけれど、生きる為には、食べ物や住む所、着る服等々必要なものがあって、それらを手に入れる為には対価としての代価が必要で、それがつまり貨幣、お金ってことになるわけだ」
「そんな場面に立ち会ったことが無いんですが」
確かにあなたは図書館の住人と言えるほどの引きこもりで、しかも俺が無償で保護しているのだから、そりゃそうか …って、んなわけあるか!-どうこの冴えたノリツッコミ)-あ、でも。そう言えば買い物には何度も行ってもらったけれど、常に俺やネネと一緒で、でしかもこの人当然お金が無いからってことで、支払いは全部こっちだったものな。だし、リウスが来る前から、専用の魔導機による支払処理システムが地域全体で普及した為、一般的な貨幣のやり取りは一切見る機会が無くて当然だ。ただ、そう言った支払い時のやり取りを今までなんだと思って見てきたんかね?
ともあれ、いずれどこかのタイミングで自分で生計立てられるようになる必要はあるし、元の記憶も取り戻せるなら取り戻した方がいいし-元々きちんと生計立てることができていたなら、という話ではあるけれど-、なんならこのアドバイザー職が無給だと分かった時点で、何らかの異議申し立てやクレーム等の表明あるかと思っていたけれど…。まさか生きていくのにお金が必要だと言う概念自体がそもそも欠如していたとはね-いやさ、だから彼女の莫大な読書量の中にそんな基本中の基本情報は含まれていなかったんかね?…いなかったんだろう-。まぁでもこれもリハビリの一環と思えば、希望が無いではないか。何がきっかけで記憶が戻るかなんて余りにケースバイケースで、だったらよりバリエーション豊かに、つまり極端なリスク的方法を取らない限りは、何でも経験してもらうことが大事なんだろう。と言うことで、これも彼女の為には十分採用するに値すると判断し、何より本人も望むことの為、と言うかなり順風満帆なスタートを切ることとなった。
けれど。こう言い方を変えた方がいいかもしれない。スタートこそは順風満帆だったのだけれど、と。転機は唐突に訪れる。
ディドも幸せを手に入れ始めたところ。さてしかし好事魔多し。この先の展開やいかに。
よろしければ引き続きお読みください。




