ディドとホズ、そしてネネ(後編)
ディドとネネの暮らしが、それぞれの次の人生の幕が開きます。
それより以降、日々大した依頼は舞い込んでこない。相も変わらず地域の事業サポートと言う形で手を貸し、恋愛絡みの依頼は断り続けている。いやまぁ、そんなの年に数回しかないけれど。・・・それはそれで多くね?とも思うけれど-今のところ、やんわりとNoを突きつけ続けている-。ただ一つ、と言うべきか、一要素として加わったのは、やはりネネの存在だ。彼女が我が家に来てからここまでの過程をお伝えします。とにもかくにもまずはここの生活になじむため、サーシャやホズ、メリッサさんと言った限られた人々と接触する以外は、家事や、近所の散策、そして読書に、その時は費やされた。散策の相手は俺か、サーシャとその娘たちで、おかげでネネとクロエ(姉/3歳)・レミー(妹/1歳)の3人は「分かちがたい関係」になったらしい。さても、ネネの読書欲はどうやら本物らしい。とにかく時間の隙間と言う隙間を読書で埋めている。自室にもいつも1冊以上は必ず持ち込んでいるようだ。
書庫を大規模なものにして良かったと改めて思う。住民達にとっても得られるものは多々あると思うけれど、俺にとってはネネが充足していることに、俺自身も充足していると感じられるからだ。しかし、この様に他者の感覚を自身の感覚として捉える-共感、あるいは同調と言う言葉が最も近いのだろうか-経験を、俺は今までしたことがあっただろうか? おそらく-おそるおそる-言えば、答えはNoだ。言うなれば、俺は今まで俺のみの充足ばかりを、結果として目指してきたところがある。それ自体が目的ではないにせよ、俺が取り組んできた研究活動とは、協会に所属していた後年には「魔導研究全体の発展の為」「世界全体における、その社会全体への魔導師協会のあらゆる形での貢献をより促進する為」などと建前を作ったりもしたけれど、俺自身の本心・感覚からすれば、あくまでも自分がしたい研究をしたいが為だけにしてきただけだ。もちろん他者にとって-社会全体とやらにとって-役立つものや、貢献できた事はあったろう。少なく見積もってもかなり、それはあったろう。けれどそれは、ある意味ではただの副産物でしかなかった。俺が得たい結果を取得する際、結果として生じた副産物。ただ、そういう事実に気づいたのは、気づくことができたのは、ネネの存在を置いて他にはない。しかしそもそもこんなに短期間で、ここまでの感覚を抱かせるこの子は、この子の存在が意味するところとはいったい何なのだろう。別に何かしらかの答えを急いでいるわけではないから-と言う所で半ば放置気味な問いではあるけれど-、反対に、それが頭の中から完全に消えることは無かった。
ともあれ、二人で暮らしていく中で、ネネの方もだいぶ落ち着きを見せて、と言うか、みるみる元気になっていった。まず、よく喋るようになった。たいていは読んだ本の内容や、日々の散策で初めて出会った様々なもの-特に魔導施設に相当惹かれるものがあるらしい-への質問や感想。そしてサーシャやクロエ・レミーと何をしたか等々。そこに笑顔も、それほど珍しくなく見ることができるようになった。同年代の女の子の中では-あくまで俺の感覚では、と言う事だけれど-比較的おとなしい、むしろ大人びているところが感じられはするけれど、それでも毎日の体験に、心が躍ることも間々あるようで、その副産物として、笑顔が見られるようになったのだと思う。俺と俺の副産物との関係よりはずっとマシだ。いや、この話はもうよそう。元気になったと言えば、ついに-と言うか-、ネネは俺が魔導師である事に俄然強い興味を示し出し、俺からの指導を願い出てきた。それはここに来てから2週間ほどたったある夜の事だった。
「教えてもらいたいことがあるの」
夕食を終え、2人ともそれぞれの事に取り掛かろうとしている、と俺自身は思っていたのだけれど、どうやらネネは違ったらしい。ちなみにその時俺は、相も変わらずの古代術式研究-兼娯楽としての読書-にいそしむ所だったのだけれど、まぁ、来るべくして来た予定変更なんだろう、これは。さてもネネはその一言と共に、俺が持っていた-いそしむ気満々だった-本を指さした。正直なところ、一瞬ドキッとしたのは否めない。何も後ろめたいことは無いものの-その手の本でもないし、…どの手か知らないけれど-、うん、いや、有るか。この本取得の際の過程について後ろめたいことなど一つも無い、と言えば、俺はかなり腐った何かになるだろう。なりたくないし、そもそも言い切るつもりもない。思い切り言い切りかけてるにせよ。…ノーカンにしてくれ-言い切ってんじゃねえか、腐ってたわ俺-。ただ、ネネに対して後ろめたさを抱かなければならない何かがあるとは思わなかった。俺たち二人は言うなればどちらも協会からの脱走者で、そしてこの本含む一群は、その協会からの戦利品とも言え。って事からして「ちょっとした仕返し」としてはネネに認めてもらって良い様な…教育上けっこうハッキリと悪い様な。うんまぁ何にせよ、ゆるく所々後ろめたいんだな、これ。で、ドキッとしたわけだ。けれど、とりあえず
「この本のこと?」
と、世界でも最も穏当な感じの返しをした。
「そう、あなたが協会から取ってきたやつ」
知ってるー、この子知っちゃってるー。あーもう後ろめたさ完全復活だわこれ。
「いやいやいや、ちゃんと原本は返したよ、全部」
「噓、一冊だけ返してないでしょ」
な・ん・で・知・っ・て・い・る。
「しかも『一番取られちゃダメなやつだけ返ってきてない』ってやつでしょ、今手に持ってるの」
はい、全問正解いただきましたー。言い逃れする気、何だったら途中までそれなりにあったけれど、もう全然、今や戦意全喪失だわ。コールドドゲームかつパーフェクトゲーム決められちゃってるよ。何の競技か知らないけれど。いや待って、この子の情報能力とか分析能力・推理能力、それに証明能力の高さは一体何なの? 俺はどんな名探偵さんを家に招き入れちゃったの?
「教えてくれる?」
答えは何にせよNoだ。理由は3つある。
①この魔術書が、他の古代術式と比較しても、何故かずば抜けて危険度が高い代物が多過ぎるからだ。天変地異やら疫病大流行やらが副作用で現れるなんて超余裕クラス。いや、じゃあそんな技術をお前は知りたいのか、と問われれば、ただただ知識欲に従順なボクとしてはYesと答える以外、選択肢は無いだろう。あるけど。無きゃいけないけど。いやさ、この術式達はほぼほぼ確実に『この世界の真理』に、その核に最も近い存在、あるいは真理そのものだという確信がある。だから、その結果が充分に予測できないまま、リスクヘッジが為されないままには誰も解いてはいけない。が、誰もが知りたいは知りたいだろう。俺も例外じゃない。で、ネネには教えられない。
②ちょっと繰り返しっぽくなるけれど、やはり術式反動-副作用や反作用、カウンターとも言われる-が半端じゃない。その全てを解き明かしたわけではないけれど、いずれも、この俺でさえも-とあえて言おう-、本当に些細な油断が、自身を、原子レベルで崩壊させるものばかりだ。それに術式行使者だけの問題じゃない。意図しない、否、想像を絶する反作用が、一定の領域・空間なんて生易しいものではなく、世界そのものにもたらされるリスクさえある。世界史にあまりに特異な存在として刻まれている『空白の300年』というものがあるけれど、それはこの古代術式が直接の原因とされている。そしてこれは、その通常使用によってではなく、反作用と言う名の誤作動によるものだという説すらある。とは言っても、この問題に関する諸説は、問題の性質から言ってある意味当たり前とは思うけれど、全て例外なく根拠不明だったりする。ので、本来は取り上げるべき内容でもないのだろうけれど。まぁとにかく、この点からも解読・使用は、ネネ含む全ての人が厳禁となるし、少なくとも俺一人は進めている。うん。
③前の二つで、なんで古代術式の中でもこの一冊だけはアカン中のアカンものなのかと言う説明としては足りていると思うけれど、あえてもう一つ上げるとすれば、ネネ自身の力量が、ネネの魔術師格が、その成長・発展方向が、そのいずれもが現段階では全く不明だからだ。相変わらず規格外の、と言うか、計測不能状態が続いている彼女を、いずれ必ず何らかの形で判定・判断することにはなるだろうけれど、と言う事さえ、今は希望的観測の段階でしかない為、前述の2点が無くても-超あるけど-現段階で開示も教示も行えない。端的に言って、この先ネネが悪い魔導師になっちゃって、世界滅亡を至上命題にする可能性だってあるわけだから。
っていう3点を、俺はくどくどとネネに言わなかった。言ったのは
「確かにこの本はヤバい。ただ、俺は君が魔導師としてどんなタイプなのかちっとも分ってないから、そんな確認の意味も含めて、とりあえず順番でやっていこう」
「順番て?」
「基礎の確認から始めさせてもらう(ネネしかめっ面)、それから応用実践(ネネ「ん?」って顔)、状況によっては発展研究とその実践も(ネネの表情パッと明るくなる)。ってまぁ、ここは研究院ではないけどさ」
「いつから始めるの?」
「ぼちぼち…」
「ねえいつ?」(喰い気味に来るの可愛い)
「OK、とりあえず祝祭日以外の、午後から夕食準備開始の17時までの間にやるとして…」
「明日から?」
「10日後からにしよう」
「遅いよ」
「いや。君にはあともう少しだけ、集中してここの事を知ってもらいたい。会ってもらいたい人もまだ何人もいる。で、一番重要なのは…」
「学校行かなきゃいけない?」
「正解。んまぁ行きたくないって強く思ってるなら、無理には勧めないけれど」
「強く思ってる」
「まじか」
「うん、まじ。…でも」
「でも?」
「何となく行った方が良いかなって思う」
「うんうん」
「学校は何時から何時なの?」
「この地域は初等科高学年で午前8時から午後3時まで、中等科で午後4時までってなってる」
「じゃあ一日2時間くらいしかディドは教えてくれないの?」
「たぶん学校の事とか結構大変だし、その2時間でも充分いっぱいいっぱいな気がする」
「ディドが学校の先生もやってよ」
「無理☆」
「じゃあ学校行かない」
「ほっほう」
最後の俺の返しはどうやらまずかったらしい。そう、俺がくどくど言ったのは通学に関してだった。オチとしてもまずかったか。ともかくネネはその時、黙ってお風呂に行ってしまった。俺は世間一般の子育てによくある最小レベルの躓き、あるいは最薄レベルの壁に初めて行き止まりを喰らった保護者の様にうろたえた。まぁ翌朝元気に朝食のプランを、俺の起き抜けから説明しに来たネネに、結果的に救われることになったのだけれど。仲直りテクに関して言えば、あちら様の方がやたら上手と言うことか。感心してる場合か、と言う所だけれど。ただ、お互いにその後、しばらくは魔導のまの字も口にすることは無かった。と言うより、ネネは俺の言った10日後を、静かにカウントし続けている様だった。それより学校のがの字の方も出なくなったのが、結果痛かった。ホズとサーシャに相談してみても、
「魔導師と言うのがそもそもあなたが初めてなので」「そして更には教育機関がこの地域に設置されてから大して期間も経ってないし」「自分達二人も大してお世話になったことが無いので、とにかくお答えは差し控えます」
みたいな返しをされた。何この孤独感。ただ、サーシャがヒントを出してくれた。結果的に。彼女はこう言った。
「学校行かないで、ほとんど他の人とも会わないのは良くない気はする。午後なら、今までみたいにたまには家に来てもらってもいいし、それは助かる部分もあるし。それに、時々ネネと歳が近い子も何人か来ることもあるから…」
何かピンと来るものがあった。
「そうだ、補講だ」
「え?」
「学校が終わったら、希望する子はうちに来てもらって、ネネにもそこに混ざってもらって、それで勉強してもらえば良いんだ。学校の先生にも、良ければ何人か時々来てもらって。学校とは違う雰囲気やってもらうのも良いかもな。それでちょっとやってみて、ネネが結果学校に行きたくなったら、その時はもちろんそうしてもらおう。で、逆に魔導技術指導を朝8時半くらいから、お昼ご飯を挟んで昼の2時ころまで、その最後の1時間はまとめや予備的な時間的に使えば…いける!」
「何がだよ」
素でホズにツっこまれた。どうやら俺の教育プランを彼は予知していなかったらしい。だいたい学校創設者の一人が「学校に行かなくとも良い」と判断していいのか、と言うツッコミこそあるだろう。けれど、ここで気づくことだけれど、結局のところ、俺だってまともには、まともな形では学校には通わなかったし、通えなかった-周りの大人の責任と、途中からは自己責任分もあるかと思う-。他方、魔導師協会にせよ、あるいはこの地域の住民にせよ、教育機会のバリエーションなんて千差万別で。それでも俺は今の今に至っては、特別何か悔いが残っている感じは無いし、何より何か生まれて初めて、本当に目指したいもの、手に入れたいものと言うものが、朧気ながら、それでもそれが、そういものがそこにあるという確かな感触を感じている。感じることができている。それはこの地域の人々と出会い、そして本当の意味で共に汗を流し合ってここまで来たということがあってこそ、であり。だから勝手に代弁するわけではないけれど、この地域の人々だって、結果としてではあるけれど、今まで学校と呼べるものが初等教育水準より上が無い中で、一般労働者、社会人に十代の初め頃にはなった人が大半であって、それでもこうして自分たちの土地を維持し、今に至っては相当に豊かなものへと変貌させることができた。これは推論ではなく、すでに確定している結果としての現実だ。それぞれの人それぞれの結果を、十分な教育機会が無いと一般的にはされるだろう環境下にあっても達成した。そういう言い方もできる。「でもそれはあくまでも結果的にだし、その一定水準の教育機関があったならもっと良いことになったんじゃないの」と言う視点はあるかもしれない。可能性の話をすればそれはそうだと思う。ただ、それと同時に、だとして、結局過去には戻れないし、であればこそ、そこから得た教訓としての今回の中等教育機関の創設だったわけでもあって。で、そういうことについて言えば、様々な意味において、協会で受けた教育プログラムは決して無駄ではなかったわけだ。どころか、大いに役立っていちゃったりもする、と言った方がフェアなのか。うぅむ。思えば、あのプログラムは俺特注の俺カスタム仕様だったわけだしな。…超良い方に考えれば、とも言えたとして。
なんて遠回り激しく、ゴールらしいゴールも見えない教育論展開タイムだけれど-あとちょっとだけ続きますがごめんなさいね-。つまり大事なのは、と俺が思うことは、一律の正解や「平等」とやらに、それこそ十人十色な個性を無理やり全て押し込んで型にはめようとすることに懸命になることではなく、それぞれの人のそれぞれのあるべき在り方、在りたい在り方が実現できる、あるいはそれに向かう環境が保障されることなんじゃないだろうか。っていうのは簡単で-ついでに言うと月並みで-、じゃあそれが今回のネネ個人、ネネ一人を対象にするのでなく、不特定多数を相手にした場合、一体どういうものが求められるのかと言うのは全然想定できないところではあるのだけれど。けれど。だとして。だからこそ。ネネの「それぞれ」があっても良いハズだ。だし、それと俺が学校を創設したメンバーの一人であることに、ワザワザ関連を持たせる必要は一つも無い、と言うか、あるべきことでもないのだろう。ただ、無いべき、とも言わないし言えないのか。「じゃあなんで学校作ってんだよ」「お前こそ型にはめようとしてんじゃねーか」的ご意見あろうことだし。たださ、型というか、人間形成の基本ベースとなり得る教育機会を選択するという権利は、これまたそれぞれの子供がそれぞれの在り方探し、その選択肢の中に含めていいし、で、いざそれを選択しようというその時に、その基本ベースがきちんとそこに用意されている、保証されているという環境提供として捉えるなら、学校もまんざら悪いものじゃないと思いません? どうなんだろ? 何の話してるのって? まぁ別の機会にもうちょっと考えてみよう。他の創設メンバーさん達-だいたいは地域の第一次産業従事者の皆さんです-はとっくにちゃんとした解答持ってる気もするけれど。俺がもし一般的教育機会を得たとしたならどうなっていたか。とか。いや、戻らぬ過去の憶測ごっこはもういいや。大事なのは未来への推測と、そして何よりネネ自身の今を大切にし、その環境づくりに俺自身がちゃんと頑張りたいっていうこの状況の認識、そして実践あるのみと言うことだ。引いてはそれが大人としての俺の責任範囲だし、覚悟も何なら、今のこのつらつら考える中からできちゃってる気もする。出口の無い思考迷路に迷い込んだだけじゃんってツッコミもできそうだけど、ゴールなきゴールを目指すのが人生であり、であればこそ可能性は無限大なんだと信じ抜くことができるわけだ。発想の飛躍からそれこそ着地点が見えませんかね。いや、とにかくネネだ。ネネの今にちゃんと寄り添おう。ということからして、うん、たぶんこれはネネにとっても悪くない判断のハズだ。今の今、無理に学校には通わせない。通わなくて良い。それよりも、彼女にとって俄然生きる力に作用している魔導教育にウェイトを置く。
ってな結論部分を、帰ってから早速ネネに提案してみた。ところ、そもそも自分の希望だったとはいえ、学校に行かなくていいという話に戸惑っている様に見えた。故か
「それでディドはいいの?」
そう訊ねられた。
「もちろん、と言うかまず俺自身が良いと思ったからさ。うん、ネネにとって悪い話じゃないと思って今提案してみてる」
「良かった。それならそうする」
微笑むネネ。安心してくれたような気がする。それなら最高だけれど。
「俺もその返事が聞けて良かったよ。んま、とりあえず『お試し期間』って事でやってみよう?」
「うん」
話はまとまった。と、学校に行かないことを正当化するつもりはないし、できないだろうし、そうじゃない可能性の是非については散々さっき申し述べましたので省くんですが、これ、俺の直感。ネネたぶん勉強が超得意なんだと思う。と言うのも、基本魔導師は、理系中心の学問を必要とされることが多い。つまり数学・物理学・生物学・地質学・天文学等が一定水準以上で基礎及び応用・発展まで修得されることが、魔導技術そのものの実践における習得とその技術向上において必須となる。ちなみに対する文系は、例えば為政者や官吏として各国・地域の各職種に就くとして、政治学・法律学、あるいは基礎教養としての文学・歴史学等が求められると言えば求められるのだろうけれど、こと魔導技術・術式に直接的に関わるものはほぼ皆無と言える。もちろん無いよりは有った方が良いだろう。ずっとずっと良いだろう。あくまでその人自身がその様に生きたければ、とは言え。そしてあえて付け足せば、魔導師協会そのものが様々な意味で存続するためには必須中の必須とは言える。何で急に協会の話ってくらい脈絡の無い蛇足だけれど。ボクってばまだ協会に未練があるのかしらん?
さておき、なので、ネネには理系センス有りと感じざるを得ない。と言うのも、やはり彼女の本のチョイス内容だ。応用科学や発展科学など、理解するためには基礎学力どころか高等教育水準の学力が必ず求められるそれら書籍を、そんな学習機会・修得機会がおそらくなかったはずの彼女が好んで集中的に読み続けている。初日に物語本をチョイスしていたけれど、そんな光景は今となっては断然レアな減少とさえ言えるくらいだ。俺側からしては「なんでそれ系の本ばかり集中して読んでるの?」なんて質問などはせず、と言うかあえて触れずに見るともなく見てはいたのだけれど、果たして。果たしてその直感は当たった。
我が家の書庫の一部を『放課後教室』として使用開始して間もなく、ネネのその理系無双は確定した。学校から有志として来てくれた教師達の中でも、とりわけ理系分野の教師をネネはほぼ常にがっちり離さず、質問攻めにも攻めた-最後の攻めたは「ゼメタ」と読んでほしい-。更にその内容修徳・習熟のスピードも、教師からして脅威とすら言えるレベルだということも判明した。つまり俺の直感は爆当たりだった。ただ、このschool of after school『放課後教室』での最大の収穫は次の2点であります。
①地域の子供たちの中でも、より学習意欲の高いグループへのケアが厚くなった-熱くなったと言っても過言ではない、マジで-。
②ネネに同年代含む友達がやたら増えた。
もちろん俺個人としては②に関して、とても深く感慨を覚えざるを得なかった。何として、ある意味最初から、俺の弟子として指導を受ける生活が、その中心、なんならほとんどそれになるイメージは漠然とはあったものの、やはり11歳と言う年齢の子供が、他者や、それを含む社会を体験せずにいていい環境、いや、いてしまう環境など、好ましいとは言えない。ホズ家の面々がどうだと言うんじゃない-いや、俺にとってあんな最高なファミリーはない-。ではなく、何しろこの俺がいい例だ。この上なく悪い例としてのいい例だ。理由? なんだったら未だに協会を追放された実際の理由や背景など、人間関係や協会の本質も含めたそのコアでディープな部分を掴むことすらできないでいる。社会性ポンコツと言えばいいのか。いや、もう言ってて心が本当に痛くなりだしたのでやめよう。「言ってて」って言うより「イッテテ」って感じだよね…。…。ともかく。ネネに普通に友達ができた。どうやら彼女は教師達へのその質問攻めの合間-ほんの隙間だ-に、ちょっとずつ話すようになっていったらしい。会話の内容は、学校の事や地域に関して、そこでの遊び関連の事柄や人間関係-人間関係!-なんかが主なテーマらしい。ネネも話し相手の子達も、最上級のブレイク方法(ネネ談)として、その種の情報交換と共有が行われているとのことだった。俺もその様を遠目から見ることがあって、で、ちょっと聴覚強化術式的な手段用いてその中身を覗いちゃおっかなとか思ったりもする。するんだけれど、たぶんバレたら、いやバレなくても何かしらつまらないことになりそうな気がしたのでやめた。父親に自分の書いたラブレター読まれた経験とか無いので、経験的実感とかとは違うんだけれど。常識? 何それ美味しいの? として、とてもとてもネネが楽しそうにしているのを見る限り、我が目論見の大成功の感慨に浸らざるを得ない。
もっとも、そした俺の感慨などどこ吹く風、歯牙にもかけないのがネネ本人と言う現実も方やあって。と言うか、彼女のその歯牙は他でもなく俺に対して突き立っちゃってる。と言う言い回しが適当かどうかは置いておいて、つまるところネネの最大の関心事は自らの魔導力及びその技術向上に他ならなかった。そしてそのツールは俺より他に誰も何も無く。そして。そして俺とのマンツーマン指導タイムは、その年齢の子供には似つかわしくないほどの、どころか成人のプロフェッショナル性が高い魔導師級の本格さが常に求められている。以前彼女に伝えた通り、まずは基礎的なところから初めはしたのだけれど、その本格さはその初っ端から全開的にさく裂した。魔術・魔導技術の主要諸元、つまり地・水・火・風・雷などに代表される自然系、それに人含む動植物の心身操作系についての基礎体系から各構成要素の大枠部分等から、初歩的な術式に触れていこうとしたのだけれど、端的に言って、ほぼ全ての内容につき習熟且つ修得していた。ごくごく当たり前のことだけれど、これは極めて異常な事態であり状態だ。基本、全ての魔導師は、全ての術式を使えない。これは、一つには術式の数そのものが無数と表現していい程に存在しているから、と言う面。加えて、そもそも術式一つ一つが瞬間的ないし短期的に習得できるものなどまず無く、実用的なレベルまで習熟するのに、最低でも数週間という時間は要するという時間的制約面がある。ちょっと妙な、と言うより明らかに矛盾した言い方にはなるけれど、この二つに関しては実はネネにも当てはまる。まぁ聞いてほしい。つまり彼女は全ての術式を修得していないし、あるいはそもそも知り得ていないものの方が圧倒的に多い。ただし。「全ての術式を使えない」はずであるというという点につき、つまり「あらゆるジャンルの習得は不可能」と言う原理にも近いテーゼを、彼女はいとも容易く且つ豪快なまでに吹っ飛ばした。どう言う事か-ホントどう言う事だよ-。厳密に言えば、自然ないし心身操作術式の各体系につき、まず魔導師それぞれには適性が存在する。更にその適正は基本的にその種類が限定され、かつ使用レベルもピンからキリまで存在する。例えばある魔導師にとって、地・水の属性2種に適性があり、他全てはその初歩的な、あるいは基礎的なものでさえ実行不能であるという意味で適性が存在しない時、適性のある地・水について、その実行可能な強度範囲が、水属性であれば海洋レベルで操作できるけれど、地属性では小さな岩砕く程度しかできません、とかそんな具合だ。これとは別に、ほんの少数存在するパターンとして、ある意味幸運なことにほとんどのカテゴリーにつき適正のある魔導師も存在するは存在する。ただこの場合、だとしてその全てを修得するには、魔導師がどれだけ一般人より長命であったとしても、そんな寿命ですらいくらあっても足りない。仮に適正ジャンル全てを「どんな形でもいいからできます」的に習得するとしたなら『広く浅く』程度しか出来ない。逆に、それを回避した限定的修得、つまり『狭く深く』修得していくのであれば、魔導師本分のより高次元での達成は可能となる。この二つの要素に最初の言い方-原理にも近いテーゼ-をシフト&フィットさせるなら「全ての魔導師は、術式につき、その全ての系統において、それらを全て高次元で出力・実行することはできない」となる。もちろん俺も例外ではない。そしておそらくネネだけが、有史以来初の例外となった。その事実が明らかになったのは、と言うか俺がそれを確認したのは例の10日後、つまり俺とネネの師弟関係が実際にスタートしたその初日、その瞬間は訪れた。
我が家の地下には、そもそも俺が術式の様々な実践の為に造設した、謂わば試験場がある。距離単位的な位置としては、自宅の直下300m程の所を天井部分とし、一辺が約1km、もう一辺が約3km、天井までの高さ約800mという長方形型の立方体を成している。内壁は全て対術式衝撃吸収型及び消滅型術式の常時発動状態で形成した。材質はルグニウム岩と言う岩板を使用していて、トップシークレットと言えばトップシークレットなんだけれど、魔導師協会本部の中枢中の中枢『主殿』も同様の構造となっている。早い話、どんな術式を当てようとも、全くもってビクともしない壁、と言うことで。だとして、そんな我が家の試験場で、俺は腰を抜かすことになる。
記念すべき第1回魔導教室(仮)における俺からネネへの最初のリクエストは
「自分の得意な術式を今可能な最大出力でお願いします」
と言うものだった。【この部分いらないか、大幅修正必要】→≪で、今ふと思った。この時彼女が精神操作型術式を選択していたならどうなっていたのだろう、と。相手俺しかいないし。防御術式でとにかく防ぎきるしかないのだけれど-反撃は当然しないしできなかっただろう-、果たして無事で済んだのだろうか、いや、そうはいかなかっただろう、決してそうはいかなかっただろう確信を強く持たざるを得ない。心底からのゾッと感が湧き続けざるを得ない。何故か。≫
彼女が最初に選択したのは「『魔法』と言ったらまずはコレ!」的火炎術式だったのだけれど、彼女がそれを発動させたのと同時に試験場全体がホワイトアウトし、かつ真空状態が形成され、そして手元の魔導力計測器においては摂氏7千度を記録した-温度計じゃんってツッコミは後にしてくれ、それどころじゃないんだ-。もちろん試験場外部には一切影響は及ばなかった。てか、あってたまるか。あと試験場は当然無傷だったし、ネネと俺も無傷でした。と言うのも、俺達二人には事前に「念には念を」の防御障壁ver.最高出力を発動させていたもので、あは。うん、リスクヘッジってマジ大事。ちょっとの油断が命取り、命あっての物種、生きてるって素晴らしい。もう生命賛歌のオンパレードが止まらないっつーの。
「いや、さすがにちょっと加減してくれよ」って彼女へツッこむのは、しかし不当だろう。最大出力で、とお願いしたのは誰あろう他でもなくこの俺自身なのだから。いやさ、この事態を予見できていたなら、そんなお願いするわけないじゃんね。んまでも俺も学習したよ、さすがにさ。
「他にも得意なものがあるのなら見せて。あ、ただし今ぶっ放したやつの1/100程度まででプリーズ」
マジでお願いした。そして。そしてネネはそれ以外のほぼ全ての物理カテゴリーを、火炎術式の1/100相当で出力・発動してくれた。ありがとう。わけわからないよ君。ほぼ全ての物理カテゴリー術式が、たった一人の人間から世界最高水準で発動されているなんて。しかもその人間と言うのがこんな少女だなんて。学校で例えるなら通常の科目に芸術・体育全ての試験で満点出す様なものだ。でなけりゃ、この世のありとあらゆる運動競技のいずれにおいても、たった一人で世界最高水準のパフォーマンスが発揮できるって言った方が実態により近い。…一体何が俺の目の前で展開されているのだろう? この子は一体本当に何者なんだ?
ここで、そう思うに至って、ようやく俺もなんとなくだけれど合点がいく。魔導師協会が彼女を襲った理由。彼女自身はともかくとして、この能力値、とても穏やかな感覚で認識することなどできはしない。言葉を選ばず言えばただただ危険だ。そう、協会はきっと、彼女を最大レベルで危険視し排除、もしくはそれよりさらにおぞましい動機を以って、彼女の家族諸共急襲したのだろう。そして正直言えば、協会が彼女を危険視したその動機については、共感こそ反吐が出るくらい全くできないけれど、理解と言う点ではできなくはない気がした。まぁあの協会ならそう思い、判断もするか、と。ただこの時点で、俺が協会をある意味で見損なっていたことは、後ほど、それなりに後ほど、いたく痛く感じることになる。けれど、それはまた別の話だ。この時俺が、俺の心が圧倒的に支配されたのは、この未知数最大Maxのヒロインが、魅力最大Maxな存在へと完全にシフトしたことだった。一言で言えば、「何この子? 超育てたい」!だ-二言じゃねーか-。もちろんどういういきさつないし仕組みでこんな神がかりな事ができるのか思わなくはないとして-てか思わざるを得ないけれど、として-、それより、これからのトレーニングによる洗練によってどれだけ、よりチョー神がかりになっていくかという事の方がずっとずっと、なんだったらそれ100%で、俺の思考は構成されることになった。
けれど、全ての試技を終えたネネは、そんな興奮Max-さっきからMaxMaxうるせえな-な俺とは対照的に、完全に抑制が利いていた。何なら抑制が服を着ているかの様だった。彼女は
「こんな数の系統出せちゃうのって、自分でも本当おかしいって分かってる。でも、それをちゃんとコントロールできるようにしたい。強い弱いみたいなのはできる。でも使い方がバラバラ過ぎる。だからちゃんとコントロールして、それで、私が何なのかも、その内分かるようになりたい。
「うん」
「もう一つ。ディドに古代術式教わったら、ちゃんと私は答えが、私がほしい答えが分かる気がするの。それは私だけがって言うのと違くて、なんかもっとずっと大事な事のための様な気がしてる」
なるほど。すっげーよく分かる。何で古代術式でそんな素敵なことが解明できるって思ったのか、そもそもどうして古代術式自体を知っているのかっていう根本的な疑問はちょっと脇に置いておく-いや大丈夫、ちゃんと別の機会に解明編用意してますので待ってて頂きたく-。自分自身のあまりに莫大なエネルギー=魔導力が、本人にしてみても全く意味不明な存在なんだって感じていること、そして世界の根源、あるいはその真理にダイレクトに触れているであろう古代術式なら、現代の様々な制約・縛りに侵されていると言ってもいい術式とは違って、その『最後』の、もしくは『最初』の扉を開く大いなるカギになるんじゃないかって直感しているのだろうことについて、俺自身、激しく思い当たることがあった。共感なんてもんじゃない。それはこの俺自身にとってこそ、他の誰でもないこの俺自身にとってこそ、まさに古代術式の解明に取り組んでいる唯一にして、人生最大の命題だからだ。俺自身が、自分はいったい何者であるのかと言うことについて、古代術式と巡り合い、その解明を始めた端緒から、衝撃に近い感慨を覚えずにはいられなかった。
初め、13歳で協会の研究院に入って以降、2年ほどで現代術式の概要を把握し、何だったらその研究活動に軽く飽き飽きし始めていた俺に当時の首座が、まさにその古代術式の知識の宝庫、古代魔導書庫の扉を文字通り開いてくれた。そしてこう伝えられた。
「ここで好きなだけ研究してくれていい。試験・試技の類も好きなだけやっていい。ただし指定された範囲外に、決して何も持ち出さない事だ」
すなわち書庫に付属する研究施設内のみで、解読も実践もやれと言うことだったけれど、当時の俺には願ったりかなったり過ぎた。何しろ33歳の今に至るまでの最高の玩具、いやさお宝を手に入れることができたのだから。玩具と言うのも、決して軽い冗談のつもりで言ったのではない。それに付言すれば、今に至るまでの俺史上最高の遊び友達で、大親友で、最大のよき理解者足る存在に、この古代術式研究は他ならないからだ-何? え? 全然寂しい人とかじゃないよ俺? 続けるね?-。それはとにもかくにも、ネネが言った『自分がほしい答え』、真の意味での『ちゃんとした答え』が、その行為を通じて見つかる気が、俺もしているからだ。それも現在進行形で。古代術式にはそう思わせる何かがある。例えば、と言うことで雷電系術式を現代と古代とのそれで方式の違いを説明するならば-あくまでそれぞれの1ケースと言う事になるけれど-。現代術式の方ではまず、本動作-術式効果の発現状態-の前には、必ず予備動作が複数必要になる。まず術式発動者自身とその対象周辺の一定範囲外に、その影響が及ばないよう制限的空間を作る。地上であればドーム型、空中であれば球状型の幕を張る感じをイメージしてくれればだいたいそれに近い。これはその周辺環境など、無関係な他要素に影響を及ぼさない為ではあるけれど、と言うと慈愛に近いものを感じる向きもあるかもしれないけれど、さにあらず。想定外・予想外の連動・連鎖的反応を阻止して自分自身を色んな意味で守るためと言う、利己的と言ってもいい理由が第一に挙げられる。そしてこれは術式のタイプ・難易度によって出力方式・出力量等が変わる為、魔導系の教育機関では初等科から研究院まで、指導者が絶えず繰り返し伝え続けることの一つになっている。次に、発動者自身への害的反動を阻止する為、それぞれの術式ごとにこれまたカスタマイズされた防護術式を発動させる。雷電系であれば通電・感電をシャットアウトする術式となる。また場合によっては、いわゆる『この世にあらざるもの』がその発動に何らかの形で関与する形式も存在し、その場合は往々にして呪詛的要素が発現する為、特に何の対策もしなければ呪われる。が為、それ用の防護ないし解呪術式も事前にセットで発動しておく必要がある。それから初めて本動作として、大気中のエレキ系等のマテリアル・電流的要素-分かり易い所では雷雲や雷そのもの-から、魔導師それぞれの各種力量(魔導容量・技術水準等)に応じて発動動作及び発動を行う。これら一連によって、発動者自身の安全性を担保しつつ、対象に雷電系作用(魔導作用)を発現させる、と言うのが現代術式全体においてもほとんど共通の流れと言っていい。で、現代術式がここまで外的反動を回避しなければならなくなった原因・最大の要因だけれど-先ほどの説明で気づかれた方もいらっしゃるでしょうけれど-、これらがそもそも呪術、すなわち呪いを出発点としているからであり、では呪いとは何かということだけれど、その発動条件としての呪物、つまり贄ないし生贄を必要としている点にある。換言するに、何らかの犠牲を生じさせなければ、、呪いをその先に生じさせることができない、と言う原理が存在している。贄の類がどの様にして魔導要素に繋がるか、と言うのは当然術式ごとのケースバイケースとなるけれど、大枠的捉え方としては「この世にあるものを、この世にあらざるものへ捧げる見返りに、その力を発動してもらう」あるいは「その力を自らに付与してもらう」という形になる。ちなみに、魔導師ではない一般の人々のお願い事は、実はこれに近い形式として存在していると言える。覚えがある人も少なからずいること間違いなしの形式だ。つまり何か叶えたいことがあって、それが不可思議な力に助けてもらう必要があるなってなって、てなことで『神様』や『土着神』の類にお願い事をしようとする時に、神殿・祭殿、あるいはご近所の祠へ行って、そこに金銭や食べ物等をお供えしますよね。そしてそうすることにより、お願いされた側-神様達-がそのリクエスト内容に沿ってお仕事してくれるって言うアレです。現代術式はそれをよりシステム的に、場合によっては増幅させたり時間短縮したりして実行している、とイメージしてくれればよろしいように思う。当然術式に応じてそのお供え物の種類や規模等は変わるし、だからより大規模、より強力な術式を発動させる為には、それ相応の贄が必要とされる。ただ贄達も黙って捧げられはしない。金銭であれば懐を痛めてくるだろう。そして命ある者達-かつて命あった者達-は、それを奪ったものに対してちゃんと復讐をしてくる。それは人も含めた動植物全てが例外なく当てはまる。ただ、日常茶飯事これを行う魔導師においては、一々何かをその様にして犠牲にしていてはその身がもたない、あるいは世の中がもたなくなってしまう。が為、その回避ないし防護術式を発展させてきた、それが現代術式であり、その歴史そのものとなっていると言っていい。
では、対して古代術式はどういったことになるかと言えば、早い話、この贄・生贄が無く、従って防護ないし回避術式の類が一切無い。雷電術式なら、ただビリビリッと対象に当てるだけだ。身も蓋もない言い方だけれど基本はそれだ。ただそうなると、発動者本人も生身のままでは致命的な損傷・損耗から逃れ得ない。と言うのも、古代術式の場合、その発動段階において-厳密にはその直前等の前段階で-実行者本人がそのマテリアルそのものになる必要があるからだ。「は?」でしょ。もうちょっと説明続けるね。雷電術式の場合であれば、実行者自身が電流、あるいは雷マテリアルのエネルギー体そのものとなって-同化して、というかどうかしてるけれど-、その自身の一部あるいは全部をもって対象に作用する、させる。「なんでそんな発動方法なの?」って俺も思ったけれど、まあとにかく現状それしか古代術式的には発動方法が他に無い。よって、雷によって雷が損なわれないように、炎が炎によって、氷が氷によって損なわれないように、実行者本人は何らの影響等犠牲を生じさせること無く-呪い返しみたいなのも無いわけだしね-、対象のみがその効果を受けることになる。ワケが無い。そんなワケあるはず無いよ。色々な意味で残念ながらそんなことは無いと言わざるを得ないんだ、これが。だってさ、人が電流そのものになっていいわけないじゃない。なれるよ、この術式は。でもなった後どうすんの? 一生電流として生きていくの? てか一生電流として生きていくことなんてできるの? 火にだってなれるし、氷にだってなれる。で、なったとして、だからそれはもう人の体じゃないんだよね。事実上人としては死んじゃってる。ある意味「一生に一度」なら発動できるかもしれないけれど。でも、ここからが肝心な所だ。古代術式は、そんな究極的に致命的な発動状況を想定してはいない。少なくとも現在解明されている術式全ては、実行者がマテリアルそのものになることを前提としつつも、繰り返し-可及的範囲内でなら連続して-使用することが可能である事を前提ないし示唆している。古代術式の発動法についての説明は、それが雷電系術式なら「はい、まずあなたは雷になって、その一部を対象に放ってください」となる。そして基本、いずれの系統もその形式での説明となっている。で、前言をある意味180度転換するのだけれど、実際マテリアルそのものに体の一部もしくは全部を変換させたり同化することは、古代術式の理論上、結局致命的なことにならない。そりゃそうだよね。対象消滅させる前に自分が消滅しちゃうなんて理屈も無いだろうし、攻撃当てた事に満足して「もう後はどうなってもいいや」的な発動者なんて、ゼロじゃないにしても限りなくゼロに近いだろう。戻れるんですよね、元の体に。うん、これも「なんで?」って言われても俺には回答するすべはない。だってそうとしか書いてないし、実際発動した後俺の体は元に戻ったし、と答えるしかないと言うか。一応その部分も解明しようとは思ってる。リスクはとにかく少しでも減らしていきたいし。けれど今の時点では分かっていない、分からない。正直言えば分かる気がしない。んまそれはいいや。そしてこの古代術式、問題はまだある。それは、この発動方法が-そうは言ってもと言うかやはりと言うべきか-究極的にピーキーな代物だということだ。ほんの少しでも手違い等イレギュラーな事があれば、発動者は最悪、瞬時に死に至る。もちろん「やっぱり呪い返しはありまして」的な事じゃない。再三お伝えしてます通り、やっぱり人が電流とかになっちゃって、で戻れない可能性があるからってのがその大部分な理由であります。あとは反動系とか対象到達後の巻き添え系とかだけれど、それらは現代術式にも当てはまる事ではあって。言えば、俺はこの古代術式の自然系においては火炎系・大地系・雷電系および天体系の一部を、現段階において修得・実行可能ではあるのだけれど、その発動時においてはやはり常に身体、そして生命そのものに対し、場合によっての瞬時消滅リスクが「薄皮一枚隔ててそこにある」的実感がある。物凄まじくあり、そしてその感覚から逃れ得ることは決してできない。そんな術式、現代術式じゃ一つも無いとすら断言できる。のに。だとしてだ。「呪い返しが無い」という一点から可能となるノーブレーキ・ノンリミットで展開する術式、その一体感、そして習熟すればするほどに逆に無限の可能性を提示してくるそれら一連の在り様を体感するほど、この探求からこそ余程逃れ得ないものだという確信、いや、事実そのものがそこにある。と同時に、その様にして否応無しに自然原理と触れ合うほど、真理と相互いに近づいていくかのような感触がある。この世の最たる深淵、この世に在らざるものとの境界線上、そういった究極の存在への好奇心が、この心を圧倒的なまでに支配していくことへ抗うすべをこそ、俺は全く持てない。そしてそこには「真理とはこれである。故にお前はこれこれこういう存在なのだ」的水準の答えに巡り合える、辿り着けるかもしれないという期待も、この真理探究と言う命題と決して離れることなく、むしろ密接して存在し続けている。
ネネもどうやらその入り口に立っている。そういうことになるのだろう。そこでふと思ったことを俺は口にする。
「ひょっとしてだけどさ、最初の火炎系って古代版?」
「そうだけど?」
そうなんかいっ。いや、かなりあっさり答えてくれるな。一応言うけれど、禁忌・禁断・禁呪で禁止な秘宝だぞそれ。いやって言うか
「もしかして、今協会って普通にオープンに教えたりしちゃってるわけ?」
「ううん、ちょっと内緒でコピーさせてもらっちゃった」
いや~、俺たちそこそこ似た者師弟だな、オイ。てかだいぶ一卵性寄りの似た者レベルじゃないコレ? んま、入手の際こっそりだったか一戦交えてだったかの違いだけはあるか-だいぶ違うとか何言ってるのか分からない-。何にせよ。
「分かった。ならこうしよう。俺もネネと同じコピーやりまくったんだよね。その中にはヤバいやつも確かにある。すっげーすっげー危険だし、だから試技も実技もまずしない方がいいとは思うんだけれど…。ただ、解読含めた古代術式の運用法については、現代術式の修練も含めて、二人で協力しながら探っていこう」
「なんかよく分からないけど分かった」
つまり厳密に言えば、俺達は師弟と言うより、研究仲間・同僚に近い関係になった-ネネには後でもう一度説明しよう-。もちろん彼女は、俺と比較すれば、どの術式のどの段階においても、まだまだ勉強・研鑽・修練・習熟と言った点につき、明らかにも明らかな隔たりはあるし、より努力する必要はある。けれど、言わば俺には無いもの、例えば発想内容やその方法、使用や運用方法等についての異質のセンスは間違いなく存在するし、それらは「かなり見るべきもの」と言い換えてもいいレベルで存在する。やはり、と言うべきか、彼女はその魔導容量だけが神がかっているのではなかった。術式への理解力や修得センスと言ったそれぞれのパラーメーターが、俺の研究院時代のかつての同僚や部下と比較しても、その誰よりも確実に上回っていると確信させられるものがあった。特に解読済みの古代術式に関して、その試技・実技で言えば、ほぼオールジャンルOKと言う、あのワケの分からないセンスがあればこそ、いや、無ければ決して辿り着けない、もしくは辿り着くのに相当の時を費やす必要があっただろう工程を悉くクリアしていく結果をもたらしたことについては、師匠と弟子的位置関係で説明するなら、ある意味それが逆転した瞬間も少なくなくあった。「弟子から学ぶこともある」的穏やかなものじゃない。俺からネネに「さすがですね師匠!」って言いかけちゃうレベルのそれだ。うん、言いかけちゃったのよね俺。知識量の差って言う絶対的なアドバンテージあればこそ、結果として最初の立ち位置が変わることは無いのだけれど。とか言いつつ本音を言えば、上下関係的な感覚は、俺も彼女もほとんどお互いに抱いてなかった。そもそも彼女は上限関係なんてほとんど理解してなかったし、俺も再三再四お伝えしているけれど、そんな社会勉強する機会が無く、故に身についてなかったし。と言うより。二人とも魔術が大好きだった。特に古代のそれについては、お互いとても惹かれていた。そしてお互い協会から追われた-ちゃんと言うと殺されかけた-ことにより、二人きりの研究所がスタートした、と言うのがより正確な表現だと思う。そして実際のところ、この研究所において無数の古代術式が解明され、かつ俺達二人はそれらを修得していくこととなった-結局試技・実技は行いまして(てへ)-。それに伴い、お互いの魔導技術力含めた魔導能力は向上の一途を辿る事にもなり。数年の後、ネネに関して言えばもはや伝説ないし神話級の存在、あえて表現すれば魔導師ではなく、そして星主すら飛び越えた存在『魔神』と認定されてもおかしくないだろう領域にまで足を踏み入れることになった。俺、教育方針として何かかなり致命的にやらかしている感があるけれど。
けれど「それはこの魔導界隈においてのみだ」と言う言い方もできる。と言うのは、ネネのそれ以外の部分においては、つまり一般的社会生活においては、ごくごく普通に日々を送り続けることとなったからだった。この場合の「普通」とは、この地域の他の住人と何ら変わらない生活様式に身を置いている、と言うことを意味している。例えば週に何度か家事の一環として買い物に出かけ、週に何度かご近所さんに招かれ、もしくは招いての食事会をし、そして週末には放課後教室で仲良くなった子供たちと遠出をしたり、時々にはお泊り会をしたりと言った、その年頃の子供としてはありふれた日々を送っていた。また時々には、俺について回って、地域の各事業の魔導方面においての手伝い等も行った。これもネネにとっては魔導訓練の一環とだった。魔導インフラの在り方・概要・機構について触れ、またその稼働に関わる事によって、現代術式の多様性や発展性への知見を高め、また深めることに確実につながっている。それはともすれば古代術式一辺倒になりがちな傾向を、大いに抑制することに役立つことにもなった。
と言う所で「抑制がなぜ必要か」と言うことに触れておかなければいけないだろう。理由は大きくは二つ。
1つ目はこの間何度も触れている事だけれど、古代術式には『安全装置』が無く、ので普段これを使用することになる一般人にはリスクしかないという点だ。と言うか、古代術式を基に何らかの魔導装置を作成したところで、一般人にとどまらず、魔導師にとってすら「一歩間違えれば」的なリスクは発生する。めちゃめちゃ発生する。だからこの手の技術開発と言うことになると、半強制的に現代術式に依らざるを得ないことになるし、翻ってはネネにおいてもそれは同様に求められることになる。あと、現代術式で魔導装置を作成・運用することは、それではそれで結構面白い。だから「現代術式だって古代術式くらい面白いじゃん」ってネネに確実に感じてもらえる効果もあったりする。
2つ目。古代術式だけ身に付けようとすると、あるいは身に付けてしまうと、「なんか偉くなった」感な勘違いが相当に生じやすくなる。ので、ネネにそんな魔導師人生送らせたくないという点だ。どういう事か。例えば雨を降らせ土地を肥沃化させる一件はすでに触れているけれど、それに当たっては、様々な術式が入り組んでいる中でも、古代術式が中心となっている。として、その実行に当たっては当然の事ながら魔導師の存在が必要不可欠となる。古代術式の使い手は魔導師の中でも本当に希少な存在だし、もし、そういった行動オンリースタイルとなってしまえば、全ての現場でそれこそもう大変貴重でありがたい存在としてチヤホヤヨイショが行われることとなり、自ずと自分自身をやたら尊大に、権威的に、何なら「私ってば孤高の存在よね」くらいに盛大に勘違いすることができるだろう。他の職業と全く同列の一ポジションにしか過ぎない、ただ古代術式も扱えるだけの魔導師だと言うだけの事実がブラインドされ、いとも簡単にそれら錯誤を誘発することになるだろう。
付け加えれば、余りに当然のことだけれど、この世に生きとし生きる人々総体に対して、魔導師の割合は圧倒的に少ない。そういった状況にあるにも関わらず、例えばそのように自分を高次元的な存在だと誤解してしまえば、場合によっては致命的なしっぺ返しを、術式発動によるカウンターを喰らわなくとも、そちらの何らかのカウンターを喰らう可能性は大いにあるだろう。そしてその実例に関して言えば、残念ながら枚挙に暇がない。
ネネが古代術式修得に固執する環境を抑制し、現代術式の実践をこの方式で積み重ねていく意味は、ほとんどこれらに集約される。
他方、これは俺自身がこの地域で、今の立場-魔導インプラント設計士&エンジニア-で生活していくことになって以来、常に切実に感じている事だけれど、魔導師以外の存在と、一般社会の運営・発展を期し実践していく過程においては、自身の魔導技術力が時に想定外の成果・発展をもたらすことに繋がっていった。これは確実に言えることだけれど、協会研究院にあのまま籠っていたのでは永遠に得ることができなかったものを、実に膨大に手にすることとなった。もちろん魔導インフラの恩恵にあずかる人々からして同じことは言える-言ってもらえる-ことだとは思うけれど、それより何より、ホズ夫妻や事業の共同推進を始めとするこの地域の人々との交流が、その最たるものだ。協会では明けても暮れても研究三昧だった。そしてその隙間で色恋沙汰にうつつを抜かし…いや、あそこでの日々は全てうつつを抜かしていたと言った方がいいのかもしれない。当時は当時で精力旺盛・元気一杯に何事にも取り組んでいたと言えばそうだけれど、今のこうした日々と比較してしまえば、どこかやはり浮ついている感はぬぐえない。それしか知らず、それのみに没頭し、その発想が無かったとは言え、それ以外を自ら知ろうとすることを得なかった。正直、別にそれはそれで幸せだったと思う。こうして今比較することができればこそ、こうした検証が可能なのであって、「何も知らなかったあの頃」のままで充足していた俺がそのまま生命を全うした場合、一体どこで「この生き方・在り方はどうやら違うぞ」と感じ、あるいは気付けることができただろう。あるいは、それでこそ到達し得ただろうことや境地もあったかもしれない。一番分かり易いのは古代術式研究だ。今と比較して、これだけに関して言えば、あの当時の方が時間的にはずっと充実していた。極論、それだけさえしていればよかったし。もちろん学院で講師のまねごともしていたし、副首座として協会の政策決定にも関わっていたとも言える。けれどいずれも、充分なお膳立てを人にしてもらったものばかりだ。それすらまともに全うしていただろうか。講師であれば、基本、学院側から指定された範囲内であれば、あとは好きなようにやっていればよかった。とは言え。古代術式はさすがにご法度だったけれど、現代のそれについては、教え子たちがそれぞれどういう段階の知識・経験を得ているのか、なんてことには目もくれず、ただひたすら自分の話したいことを話していただけ、やりたい事だけをやっていた気がする。副首座に至っては、もはや実質的に何もしていないに等しかった。副首座間の各グループ含む協会内の各セクションから練りに練って上げられてくる各政策案について、ただただ何らかの形で賛成票を投じ続けていた。記憶する中で反対行動を取ったことは一度も無い。何しろ自分が追放-と言うか殺害目的のそれだったらしいけれど-される時ですら、抵抗も異議申し立ても行わなかったのだから。けして皮肉じゃない。単純な事実だ。それに、研究活動を除けば、何かを能動的に行ったことは一度としてなかった。やはりこれも「その発想が無かった」と言うことになるのだろう。好きなこと、得意なことだけをやり、それ以外を知らず、それで充足していた。けれど今は違う。結果的にではあるにせよ、新しい世界を知った。新しい世界を切り開くことによって、新しい世界が切り開かれたことによって、過去は決して輝かしいものではなくなった。あの頃の充足は、今ではただの不足でしかない。ここでも確かに代り映えのしない毎日がある。代り映えのしない依頼、事業、他の住民との交流。けれど常に俺は考えている。今何か問題は起きていないか、起きている問題は何か、どうやって対処していくか、そのさらに先でどういう展開が臨め、そこにはどういう手段を講じていけば良いのか、常に考え、それを他の人々と交換し合い、構築し合い、失敗と成功を共有している。代り映えはしない。その見た目は変わらない。けれど、その内側には常に変化の予兆が、そして変化そのものが存在している。時の経過と共に潜在していたものが次々と顕在していく。5年と言う歳月の中でも、結果、とてつもなく大きな変化を遂げた。それはこの地域の事だけではない。ここに住まう人々が皆、そして何より俺自身が大きく変化した。魔導研究においては、それを行うこと自体に変化はない。事業も、昨日から明日へつなぐだけの今日かも知れない。けれど時は常に流れ、その流れは絶えず変化している。ネネも俺も魔導師人生をこんな形で送ることは、それぞれのその事前においてはまったく想定していなかった。その予測不可能な未来を今日に、今に変えながら、日々暮らしている。その時を、一つ一つ積み重ねている。「いつかちゃんとしたものを」「いつか大切なものを」を二人とも探し続け、それをどちらもいまだ見つけられずにいる。けれどそれは、可能性として常に存在し続けている。そして案外既に、すぐ側に、あるいは目の前に、実はもうそれは存在しているのかもしれない。あとは俺達に、それを実際にこの手でつかめるように、そうしてただ待っているだけなのかもしれない。予測は不可能だ。同時に、未来は常に存在し続けている。
日々大した依頼は舞い込んでこない。その筈だった。けれどある日、と言うのはネネがここに来てから約3年が経過し、であるから、俺がここに来て8年が経過したある初秋の今日となるのだけれど、久々に予言者様がやって来た。予言者様が予言を持ってやって来た。そう、われらが美農夫ホズ様だ。最近朝食担当になったばかりの俺に、ネネが明日のリクエストを細かく説明してくれていた。どうやら現在の彼女のマイブームは、イチジク・セロリ・レタスの組み合わせに、若干の粉チーズと適量のオリーブオイルをかけまわし、それをフォークで食べきるということらしい。年頃からしたら「とにかくいっぱい食べたい!」ってのが普通な気がしたので、
「それお腹スッカスカに空いたままで終わらない?」
と聞いたら馬鹿にされた。女心が分かってないことについて、そして他のリクエストがまだあって発表待ちだったにもかかわらず、結論-ただの考えなしの感想をそう呼ぶなら-を出したことについて、こてんぱんにやられた。そうしてノックダウンしパンチドランカーにすらなったところへ、そんな早朝のごくありふれたひと時に、農夫兼予言者様はやって来たのだった。
開口一番彼は
「えげつねえもんがやってくる。相当えげつねえ」
そう言った。
「それは我々二人が穏やかに朝のひと時を過ごしているところへやって来たお前の事か?」
そう素直に聞いて、ネネにぶたれた。ぶつなよ師匠を。死に体に追い打ちかける的な、そんな子に育てた覚えは無いんだけれど。
「いや、えげつねえのは俺じゃねえ(知ってた)。ネネと同じだ、いや違う、今度のは絶界山脈よりずっと先、とんでもなく分からねえぐらい遠くから、とにかくなんだかえげつなくぶっ飛んでくる」
ぶっ飛んでのはお前の説明の仕方だとツッコむのをこらえ-弟子からの暴力にこれ以上耐えられない-、
「それはだいたいいつ頃の予定だ?」
と尋ねた。ホズは
「もう来てる」
そう言った。オイ。それ予言か? ただの事後報告じゃね? するとネネが横から
「ねぇホズ、それって恐いもの? 危険?」
そう尋ねた。優秀な子だ。既に情報収集能力は、師匠のそれをはるかに上回っている。
「恐くねえ。だが今すぐ向かった方がいい」
「すぐ行こう! ね? ディド!」
変化は常にそこにある。可能性は今また新しい門を開き、俺達を招いている。
「俺たちの戦いはこれからだ!」みたいな終わり方ですが続きます!
よろしければ引き続きお付き合いください。




