ep5 レヴェナとイザベラ(1)
ep5 レヴェナとイザベラ (1)
翌朝、目を覚ますとまず最初に支度に取りかかった。
久しぶりに町へ出るのだから思いきりお洒落を楽しみたい気持ちもあったが、今回はそういうわけにはいかない。
何せ、一緒に歩くのは魔人レヴェナなのだから。
彼女が目立つのは避けられないにしても、私まで派手な格好をすれば余計に人目を引くだけだろう。
ここはあえて地味に、目立たない格好を選ぶのが賢明だ。
(ふん…お洒落したかったけれどね)
身支度を整え屋敷の階下へ降りると、すでに玄関前にはレヴェナの姿があった。
彼女は昨日の装いとは違い、無駄な装飾のないシンプルな服をまとい、長い黒髪も後ろでまとめている。
さらに、人間とは異なる魔族の特徴__尖った耳が、今は人間と同じ形へと変化していた。
私は思わず目を見張る。
「変身の魔法?便利ね」
レヴェナはちらりとこちらを見ると、無言で頷き、言った。
「……支度が済んだなら行くぞ」
その声には、どこか落ち着いた響きがある。
玄関を出ると、二人の人物が待っていた。
王家直属の騎士団__この外出に同行する護衛……いや、監視役。
屋敷の従者から事前に話は聞いていたが、実際に対面するとやはりあまり愉快な気分にはなれない。
騎士たちは正装ではなく、一般の町人と見紛うような軽装に身を包んでいた。
そのうちの一人、端正な顔立ちの男が、私たちに向かって一礼し、名乗る。
「王国騎士団、第一師団長__ミカル・ロウズ。本日の警護を担当します」
彼は会談の初日に見かけた男だった。
続いて、もう一人の女性の騎士が、眼鏡越しにこちらを見つめながら、堅苦しく敬礼する。
「同じく警護を担当する、第一師団所属__アンネ・リリューです」
真面目そうな印象を受ける騎士だった。
私はちらりとレヴェナの様子を窺う。
警護とは名ばかりで、実際には彼女の動向を監視するのが目的だ。
こんな扱いを快く思うはずがない__そう思っていたのだが。
「よろしく頼む」
レヴェナはそれだけ言い、特に彼らを冷たくあしらうこともなく穏やかに受け入れた。
騎士たちは一瞬、驚いたようにわずかに目を見開く。
ある程度の敵意や反発を予想していたのだろう。
(まぁ……この女なりに、ここは事を荒立てずに済ませようとしているのね)
レヴェナがもう少し柔らかい雰囲気を出せれば、彼らの警戒も解けるのかもしれないが__
この仏頂面にそんなことを期待するのは酷な話だ。
私は肩をすくめ、話題を切り替えることにした。
「それで?何か見たいものはあるのかしら?それとも彼らに案内を頼む?」
すると、レヴェナはわずかに視線を逸らし静かに答えた。
「……特に用はない。行き先はお前に任せる」
「私に?」
思わぬ返答に、私は一瞬きょとんとする。
それは……つまり__
(まさか、街を歩きたいと言ったのは……私のため?)
驚きと、少しばかりの戸惑いが胸をよぎる。
けれど、レヴェナの横顔はいつものように冷静で感情を表に出すことはない。
私のためだなんて、そんな言葉を彼女が口にすることはないだろう。
だが、もしそうだとしたら。
(……ふふ、まぁ、それならそれで)
私は小さく微笑み、くるりと踵を返した。
「いいわ。じゃあ、私が案内してあげる」
そう言うと、レヴェナは無言のまま静かに頷く。
そして、私たちは揃って屋敷を後にし、朝靄の残る街へと足を踏み出した。
**************
町はすっかり収穫祭の熱気に包まれていた。
色とりどりの旗が通りを彩り、屋台が軒を連ねている。
焼き立てのパンやローストした肉の香ばしい匂いが漂い、人々の笑い声が絶え間なく響いていた。
そんな活気に満ちた通りを、私はレヴェナと並んで歩いていた。
(久しぶりの町歩き……収穫祭の雰囲気も悪くないわね)
しかし、しばらく歩いているうちに私はふとあることに気がついた。
……妙に視線を感じる。
賑やかな人混みの中、行き交う人々が私をちらちらと見ている。
(あら?やっぱり私が目立つのかしら?)
貴族の令嬢である私の容姿は、こうした町では際立つもの。
平凡な服装を選んだとはいえ、それでも人目を引くのは仕方のないことだろう。
(はぁ〜…やっぱり、この程度の変装では隠し切れない気品が溢れ出てしまうみたいね)
……と、思ったのも束の間。
人々の視線の先が、自分ではなく隣の人物に向いていることに気がついた。
(……は?)
レヴェナだった。
彼女は黒髪を無造作に結び、服装も至って地味。
尖った耳を変身魔法で隠しているとはいえ、目立つような格好をしているわけではない。
だが__
「……うぐっ」
改めて横目で見ると、その姿は驚くほど整っている。
端正な顔立ち、しなやかで引き締まった体躯、そしてどこか人を寄せ付けないような静かな雰囲気。
そのせいか、町の人々は興味深そうに、見惚れるように彼女を見つめていた。
すれ違う女性たちは、ちらちらと彼女を盗み見ては顔を赤らめているし、中には友人同士でひそひそ話をしている者までいる。
男性たちも同じく、レヴェナが視界に入ると足を止めて惚ける者までいた。
(なによ……)
私が横にいるのに、誰もこちらには目を向けてこない。
(ちょっと顔が整っていて、私よりちょっと背が高いだけじゃない!)
心の中でびきびきとこめかみに血管を浮かび上がらせていると、隣から声がした。
「どうした」
「 べ つ に ? ^ ^ 」
気づかれたらしい。
しかし私はそっぽを向いて、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
レヴェナはそんな私を一瞥すると、すぐに視線を前へ戻した。
どうやら本当に気にしていないらしい。
(余計に腹が立つわね……!)
時刻は昼時。
通りを歩いていると、ふと食欲をそそる香りが漂ってきた。
収穫祭の屋台には、焼き鳥や揚げ物、焼き菓子など、さまざまな食べ物が並んでいる。
そんな屋台の前で足を止めたレヴェナが無言で品物を眺めていた。
じっと見つめるその視線には、僅かばかりの興味が見え隠れしている。
私は思わず、ふっと笑みを浮かべた。
「興味があるの?」
「……いや」
「そう。なら、ここで昼食をとる必要はないわね」
そう言って屋台を離れようとすると__
「待て」
レヴェナが短く言い、視線をこちらに向けた。
「食事をとるのなら、手早く済むものがいい」
(ふっ、結局食べるつもりなのね。完全に人間の料理に胃袋を掴まれてるじゃない)
私は肩をすくめる。
レヴェナは適当に目についた串焼きを二本手に取った。
すると、一つは自分の口へ運んだあと、もう一つを私の差し出してきた。
「え?」
「食べろ」
「あ、ありがとう?」
思わず反射的に受けってしまった。
(欲しいと言ったおぼえはないけれど……まぁ、くれるというのなら)
しかし、口に入れる直前、ふと思い直す。
「……こういうのは庶民の食事で、私のような高貴な人間の口には合わないのよねぇ」
優雅に微笑みながら、そう言い放つ。
すると、レヴェナはすっと目を細め、静かに呟いた。
「……舌が肥えると傲慢になるということか」
「うるさいわね」
ムッとしながらも、一口かじる。
……じゅわっと口の中に広がる肉汁と、香ばしい焼き目の風味。
(……美味しいじゃない)
気づけば、無言のまま串焼きを食べ進めていた。
そして、とうとう最後の一口を口に運ぶ。
名残惜しそうに串を見つめていると、隣から静かな声が聞こえた。
「……食べたいのなら、もう一つ買えばいいだろう」
私は慌ててレヴェナの方を振り向く。
「い、いらないわよ!」
「そうか。もうひとつ頼む」
『あいよ!』
「んなっ…!!」
即座に否定するが、レヴェナは特に何も言わず、追加で買った串焼きを淡々と食べはじめた。
(くっ……!)
こんなことなら、もう一本買っておけばよかった。
だが今さら戻るのは癪だったので、私はぐっとこらえて、その場を立ち去ることにした。
町の収穫祭を巡る時間は、まだまだ続いていく。
広場の一角に、人だかりができていた。
魔法を使った大道芸らしい。噴き上がる炎、宙を舞う水球、浮遊する光の球__次々と繰り出される華やかな魔法に、観客たちは歓声を上げている。
「……」
レヴェナは、その光景を無表情のままじっと見つめていた。
無関心かと思いきや、赤い瞳はわずかに興味を湛えている。
魔族ともあろう者がこんな庶民の余興に惹かれるとは、少し意外だ。
「あなたでも、こういうのに興味を持つのね」
からかうように言ってみたが、レヴェナは視線を動かさず、「魔法の応用としては面白い」と淡々と答えた。
彼女にとっては娯楽ではなく、研究対象のようなものなのだろうか。
(まあ、私も特に興味があるわけじゃないし……)
イザベラは肩をすくめ、大道芸よりも真剣な面持ちで見入るレヴェナの横顔を盗み見る。
彼女がこんな風に何かに集中している姿を間近で見るのは初めてだ。彼女にとっては敵である人間界の文化。
正直、町を巡り歩くと聞いて期待より不安の方が大きかったが、不快感を示している様子は見られない。
ほっと胸を撫で下ろした。
露店が並ぶ通りを歩いていると、魔鳥の羽を売る店を見つけた。
大きな籠の中には、色とりどりの羽が詰められている。
店主によると、「ティアロ」という魔鳥の羽で、色によって異なる加護が得られるのだという。
「金の羽は富を、紅の羽は情熱を、翠の羽は健康を……」
そう説明され、私は迷わず金色の羽を手に取った。
(煌びやかな未来は約束されているようなものだけれど、ま、念には念を、よね)
「あなたは?」
隣を見ると、レヴェナは水色の羽を指でつまみ上げていた。
「水色は……安寧の加護か」
「……」
一瞬、彼女の意図を測りかねたが、すぐに察する。
レヴェナはこの羽に、魔界の安寧___すなわち同胞たちの平穏を願ったのだろう。
彼女らしい選択だと納得すると同時に、胸の奥が妙にくすぐったくなった。
(……らしくないわね、私)
そう。私は魔族じゃない。人間だ。
契約関係なだけ。余計な情はいらない。
そう自分に言い聞かせながら、金の羽をそっと握りしめた。
夕方になり、収穫祭の喧騒はさらに熱を帯びていた。
大通り沿いの店の席に腰を下ろし、ワイングラスを傾ける。
町の人々は陽気な音楽に合わせて歌い、踊り、夜の訪れを祝うように賑わっていた。
レヴェナもグラスを手にしながら、静かにその光景を眺めている。
「楽しそうね」
「……ああ」
淡々とした声だったが、その瞳はどこか穏やかだ。
魔族の間では、こんな祭りはあるのだろうか。
彼女がこうして、町の賑わいの中で静かにグラスを傾ける姿は、まるで異邦の旅人のようだった。
(顔は仏頂面だけれど、案外好きなんでしょうね。こういう雰囲気が…)
そんなことを思ったが、口には出さなかった。
今のこの時間はただ静かに楽しみたかったから。
街のざわめきの中、私たちは言葉少なに、しかし確かに同じ時間を過ごしていた。
*************
「なんなのでしょうか、あの2人…」
夕暮れに染まり始めた町並みを歩きながら、アンネは小声で呟いた。
「…何がだ?」
隣を歩くミカルが、目を細めながら応じる。
アンネは視線の先を示した。
人混みの中に見える黒い髪の魔人と、銀の髪を揺らす少女__レヴェナとイザベラだ。
収穫祭の喧騒の中、彼女たちは露店を見て回り、魔法の大道芸に足を止め、出店で買った食事を手にしていた。
あくまで警護という建前の監視を続けるミカルとアンネも、二人を見失わぬよう適度な距離を保ちながら町を巡っている。
アンネは迷うように言葉を継ぐ。
「あの魔人は、狡猾な魔族だと…思っています」
彼女は、国王ルーウェン陛下が危険を冒してまで和平の交渉を進めようとする魔族。
その実、甘い王に付け入る狡猾な侵略者だと思っていた。
だが、今日一日彼女を見ていてそう単純な存在ではないことを知る。
確かに彼女は感情を表に出さず、冷徹な印象を与える。
だが、庶民の暮らしを見ても、食事を前にしても、大道芸を見ても、その目に浮かぶのは純粋な興味の色だった。
策略を巡らせ、腹の底では人間を嘲笑っているような雰囲気は、どこにもない。
(本当に、和平を望んでいる……?)
そんな考えが、アンネの胸をよぎる。
ミカルもまた、腕を組みながら二人の背中を眺めていた。
「……俺も、少し考えを改めるべきかもしれないな」
その呟きは、珍しく真剣な響きを帯びていた。
「イザベラ様も……」
アンネは、少し困惑したような表情で言った。
「どうした」
「……彼女は魔族に寝返った裏切り者です。ですが……」
公爵令嬢でありながら、魔族の元へ嫁いだ女。
その事実だけを見れば、人間を捨てた裏切り者とみなされても仕方ない。
だが、実際に彼女の様子を見ていると__
言葉を紡げずにいるアンネの代わりにミカルが言葉を継ぐ。
「思っていたほど魔族に心酔しているわけでも、完全に敵対しているわけでもないようだ」
少なくとも、レヴェナに心酔し魔族側のために動いているようには見えなかった。
というより、ふたりのやりとりを見ていると……
(あれは…本当に魔族と人間なのだろうか)
言葉の端々に刺々しさがあり、しかしその一方で、互いに干渉し合っているようにも思える。
油断すると、町の人混みに溶け込んでしまうような、そんな錯覚を覚えた。
ミカルは苦笑する。
「どちらにせよ、俺たちは任務に集中すべきだ。余計なことは考えるな」
アンネも同意するように、小さく息をつく。
「……はい」
この監視任務は、思った以上に考えさせられることが多かった。
ただの敵ではないかもしれない__だが、それがすぐに信用に変わるわけではない。
(もう少し、見極める必要がある)
祭りの喧騒の中、二人の騎士は静かに任務を続けていた。
***************
夕暮れの空は茜色に染まり、収穫祭で賑わう町の灯りが次第に際立ち始める。
人々の笑い声や音楽の調べが、涼やかな風に乗って心地よく耳をくすぐった。
久しぶりの人間界は思った以上に楽しく、時間が経つのもあっという間だった。
目に映るものすべてが新鮮で、街並みのざわめきさえも心を弾ませる。
それでも、陽が傾き始めるとほんの少しの疲労が身体に滲むのを感じた。いや、私よりも____
ふと隣を歩くレヴェナの横顔を盗み見る。
彼女の赤い瞳は相変わらず冷静に町の喧騒を見つめている。けれど、一瞬だけ、ほんの僅かに伏せられた睫毛の影に疲れの色が滲んだ気がした。
「……なんだ」
私の視線に気づき、レヴェナが僅かに眉をひそめる。
「……」
けれど、その問いには答えずに、私は考える。
魔界とはまるで違う空気、喧騒、視線。彼女のような存在がここにいるだけで、多くの者の関心を集め、警戒や好奇の目に晒される。何も感じていないわけがない。
(ふむ)
私は短く息を吐くと、何でもない風を装って肩を竦めた。
「んー、なんだか疲れたわね。そろそろ戻りましょ」
わざとらしく腕を伸ばしてみせ、軽く欠伸までついてみせる。
レヴェナが不思議そうに私を見た。
「……」
まるで私の真意を探るように、じっと見つめられる。
けれど、私が視線を逸らさずにいると、彼女はふっと小さく息を吐いた。
「……わかった」
それだけ言って、レヴェナは歩き出す。
彼女のペースに合わせて並ぶと、その横顔は先ほどよりも少しだけ柔らかくなっているように思える。
こうして並んで屋敷へと歩く足取りは、行きとは違ってほんの少しだけ穏やかになっていた。




