ep4 会談を終えて
ep4 会談を終えて
会談の終わり、屋敷を後にしようとしたレヴェナを、ルーウェンが呼び止めた。
その声音は穏やかで、敵意も威圧も感じられなかった。
すぐ傍に控えていた騎士たちは、主の意図を察し、戸惑いながらもその場を離れる。
数歩引いた場所からまだ警戒の色を隠さない者もいたが、ルーウェンはそれを咎めることなく、静かにレヴェナへと向き直った。
薄曇った空から降り注ぐ光が、ルーウェンの薄い金色の髪とレヴェナの漆黒の髪を照らしている。
鋭い青の双眸に敵意の色はなく、ただ、どこかにじむような疲労が見えた。
彼は、差し出した手とともに言葉を紡ぐ。
「改めて、礼を言いたい」
その声音には、先ほどまでの会談の緊張が嘘のように感じられた。
少なくともこの瞬間、彼は王ではなく、一人の人間としてレヴェナに向き合おうとしているように見えた。
レヴェナは、しばし彼の手を見つめた後、ゆっくりと応じる。
「……ああ」
小さく交わした握手は決して固くはないが、互いにしっかりとした手応えを残すものだった。
レヴェナが人間に対して友好的なわけではないのは、ルーウェンも理解している。
彼女はただ、無意味な殺し合いを避け、同胞を守るために行動しているに過ぎない。
それでも、ルーウェンはこの魔族の王に対して単なる敵対者以上の何かを感じていた。
少なくとも、これまで幾度も剣を交えた魔族の中で、こうして言葉を交わし理を通そうとする者はほとんどいなかった。
__この出会いは、対話の可能性を開くのかもしれない。
ルーウェンはそう思いながら、ちらと視線を巡らせた。
屋敷の前で待機する騎士たちが、遠巻きにこちらを窺っている。
彼らの警戒が解けていないのは当然だ。
魔族は長らく脅威であり続け、そしてレヴェナ自身もまた、これまで何度も人間と殺し合った敵だったのだから。
「……会談に応じてくれたというのに、こうして警戒を向ける形になってしまったことを、謝らせてほしい」
ルーウェンは静かに言った。
「……」
レヴェナは、それにすぐには応じない。
ただ、沈黙のまま彼を見つめた。
その瞳の奥には、どこか計りかねるような迷いがあった。
「……我々の招きを受けながらも、同胞を伴わなかったのは……警戒していたからだろう?」
ルーウェンが続けると、レヴェナの表情が僅かに動いた。
「……」
沈黙が肯定の代わりだった。
彼女は、すぐに同胞たちの顔を思い浮かべる。
信用していないわけではない。
しかし__この会談がもし人間の罠だったなら?
自分だけならばともかく、同胞が巻き込まれることになれば?
あまりにも不確定要素が多すぎた。
だから、単身でこの地に赴いたのだ。
ルーウェンの表情からは、彼自身もまた、不本意な状況であったことが伝わってきた。
「……気にするな」
レヴェナは低く呟く。
「信用できないのは、お互い様だ」
静かな声に、どこか苦笑のような響きが混じる。
警戒は当然。
むしろ、こうして向き合えただけでも、大きな進展だった。
それに、今回の会談が終わったからといってすべてが決着したわけではない。
和平への道のりはまだ始まったばかりなのだから。
「……それに、また次があるのだろう?」
ルーウェンはその言葉を聞くと、驚いたように目を見開いた。
しかし、すぐに緩やかに笑みを浮かべ力強く頷く。
「……ああ。その時は、また頼む」
その返答に、レヴェナもまた小さく頷いた。
この握手が果たして和平へと続く一歩なのか。
それとも、ただの一時的な休戦の証に過ぎないのかは、まだ誰にもわからない。
それでも、互いの掌に残る確かな温もりだけが今は唯一の答えだった。
屋敷の庭に差し掛かったところで、ルーウェンはふと足を止め視線を巡らせる。
「……ところで、彼女を連れてきたのは__」
レヴェナは、その問いの意味をすぐに理解した。
ルーウェンの視線の先には、トマと穏やかに言葉を交わしているイザベラの姿がある。
彼女は努めて柔らかく微笑みながら、けれど毅然とした態度で会話を進めていた。
「……」
一瞬、レヴェナの目が細められる。
だが、すぐにまた無表情に戻り、しばしイザベラの様子を静かに見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「……もし、この会談が最悪の形で終わることになれば、お前たちのもとへ置いて帰るつもりだった」
ルーウェンは、ふっと目を細める。
その表情には、納得したような、あるいは予想していたものを裏付けられたかのような色が浮かんでいた。
もし会談が失敗に終われば、イザベラは人間と敵対する魔族の妻として、同族の敵として生きなければならない。
レヴェナはそこまでの業をイザベラに背負わせるつもりは無かった。
「……やはり、そうか」
小さく呟くと、彼は少し芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「しかし、今回は彼女に救われたようだ」
ルーウェンの言葉にレヴェナは沈黙したままイザベラを見つめる。
__あの女が口にした鉱山の話。
あんな話は、事前の会議では一度も話し合われていなかった。
土壇場で思いついた案であることは明白だ。
魔族と人間。
両者の間に横たわるのは長い確執と互いの正義だ。
ルーウェンたちが魔族に譲歩するわけにはいかないし、レヴェナもまた人間に譲歩するつもりはなかった。
だが__イザベラは、その対立を前提としながらも、均衡を保つ提案を出した。
彼女の持つ鉱山を代替案として提示し、魔界への領土拡大の牽制まで考慮したのだ。
レヴェナは契約によって彼女を娶った。
それはあくまで条件を満たすための関係だったはずなのに__
ルーウェンはそんな彼女の視線の先を見ながら、ふっと口角を上げる。
「ふっ……なかなか良い妻を持たれましたな、魔人レヴェナどの」
軽い調子で告げられた言葉に、レヴェナは僅かに眉を寄せる。
「……」
「そう睨まんでも」
苦笑するルーウェン。
仮にも魔族を前にしているというのに、この余裕はなんだろうか。
警戒心の欠片もなく、茶化すような態度を取る彼にレヴェナは呆れに似た感情を抱いた。
これが彼の人間としての資質なのか、それとも単なる無謀か__
いずれにせよ、これ以上付き合う気はなかった。
「……失礼する」
短くそう告げると、レヴェナは踵を返す。
ルーウェンのからかうような表情が視界から消え、代わりにイザベラがこちらを振り向くのが見えた。
トマとの会話を終えたのだろう、彼女は自然な仕草でレヴェナの隣に並ぶ。
「もういいの?」
「ああ」
簡潔に答えると、トマが穏やかに微笑みながら言った。
「レヴェナ様。本日は本当にありがとうございました」
「礼を言うのは私の方だ。今後とも、よろしく頼む」
その言葉に、トマは力強く頷く。
ルーウェンもまた、それを聞きながら微笑を浮かべた。
その場に流れる空気は、先ほどまでの緊張とは違い、ほんの僅かに和らいでいた。
イザベラは、トマとルーウェンに向かって一礼すると、静かにレヴェナと共に歩き出した。
レヴェナは契約の妻の横顔を盗み見る。
イザベラの横顔には、どこか張り詰めたものが残っていた。
それも当然だろう。人間の王たち相手に急拵えの案で交渉をしたのだから。
レヴェナは何も言わず、隣を歩く彼女の歩調に合わせる。
夜の風が静かに吹き抜け、遠くで街の屋台の喧騒が微かに響いていた。
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会談を終えたらすぐに魔界へ帰るつもりだろうと、当然のように思っていた。
だが意外にも、レヴェナは「今日はここで体を休める」と言い出した。
私は驚き思わず彼女を見上げたが、その横顔には特に疲れた様子も迷いも見えない。
(人間界に留まるのは、精神的に負担が大きいでしょうに……)
彼女が何を思ってそう決めたのかはわからない。だが、少なくとも私にとっては悪い話ではなかった。
会談が早めに切り上げられたとはいえ、長時間の緊張のせいで、体の奥にじんと疲れが滲んでいる。
今から数時間、馬車の揺れに耐えながら帰るのは正直ごめんだった。
屋敷へ戻るなり、私はベッドへ身を投げ出し、ふぅと息を吐く。
思考を整理する気力すらなく、ただ柔らかな寝具に沈み込む感覚を味わっていると__
コン、コン。
扉を叩く音がした。
「イザベラ様」
控えめに名を呼ぶのは、屋敷の従者だった。
「なに?」
「レヴェナ様がお呼びです」
「……?」
何かしら。
まさか、気が変わって「やはり今すぐ帰る」とでも言うのだろうか。
そう考えながら身支度を整え、従者について廊下を歩く。
けれど、案内された先はレヴェナの部屋ではなく、食堂だった。
(夕食にはまだ早い時間だけれど……)
疑問を抱きつつ扉を開けると、そこにはすでに一人の先客がいた。
長い黒髪に赤い瞳。
食卓に座り、こちらをじっと見据えるレヴェナと視線が交わる。
蝋燭の灯りが彼女の白い肌を仄かに照らしていた。
「……」
「何をしている。座れ」
(せめて何の用か言いなさいよ)
心の中でそうぼやきつつも、私は促されるままに席へと着いた。
静かな食堂には、窓の外から吹き込む夜の風と、微かに揺れる炎の音だけが響く。
目の前のコーヒーカップを手に取り、一口。
ほろ苦い香りが喉を滑る。
しばしの沈黙の後、レヴェナが口を開いた。
「____今日は、お前に助けられた」
意外な言葉に、私は驚いて思わず目を見開く。
対する彼女は、特に表情を変えることなく、続けた。
「……礼を言う」
「!!」
私は唇を少し開いたまま、言葉を探す。
しかし、驚きが勝ってしまい、すぐには何も出てこなかった。
レヴェナの方を見つめても、彼女はただまっすぐ前を向いたまま。
この無愛想な魔人が、素直に礼を口にするとは。
「意外ね」
「…何がだ」
「貴方が私に礼を言うなんて」
「…私を何だと思っている?」
そう言って顔を顰めたので思わず苦笑した。
彼女が私に対して「助けられた」と言ったことに、少しばかり胸の奥がくすぐったい。
正直、ほっと胸を撫で下ろす自分がいた。
(……よかった。少しは役に立てて)
私は軽く肩をすくめ、再びカップに口をつけた。
「どういたしまして。とでも言っておこうかしら」
レヴェナは小さく鼻を鳴らすと、すっと手を上げた。
すると、部屋の隅に控えていた従者が、静かに食事を運んでくる。
出されたのは、温かいスープと焼きたてのパン、それに香ばしいロースト肉。
湯気が立ち上る料理を見て、私はようやく気づいた。
「……一緒にってこと?」
「他に何がある」
……つくづく不器用というか…無愛想ね、ほんと。
それでも、こうしてわざわざ呼び出してくれたのは、彼女なりの気遣いなのだろう。
(ふふ……悪くないわね)
私は笑みを噛み殺しながら、ナイフとフォークを手に取った。
そうして、レヴェナと二人、静かに食事をとる。
「食わず嫌いしていたけど、案外美味しいでしょう?人間界の食事は」
「……不味いから食べなかったワケじゃない。私たち魔族は数日食事を取らなくても平気なだけだ」
「あら、そうなの。でも勿体無いわよ。滅多に来ないんだから食べておかないと」
「……」
旅行にでも来たつもりか?とでも言いたげなレヴェナ。
「王都ではもっと美味しい料理が食べられるのよ。それを食べたらきっと貴方のその仏頂面も治るかもしれないわ」
「……」
「これからは人間と話す機会も増えるだろうし、少しは笑顔の練習をしておいた方がいいわよ?」
「……余計なお世話だ」
そう呟き、仏頂面のまま食事を進めた。
だが、料理を口に運ぶ速度は中々に早い。淡々と、私より早く料理が減っていく。
おそらく気に入ったのだろう。
その微笑ましい様子を見て思わず口元が緩んでしまったが、幸いなことにレヴェナは食事に夢中で気付かれることはなかった。
時折交わす言葉は少なくとも、こうして穏やかに食卓を囲むことにささやかな安らぎを覚えた。
夕食を終え、食堂を出ようとした時だった。
「明日」
「?」
唐突に声をかけられ、私は足を止める。
レヴェナは炎のような瞳でこちらを見つめていた。
「この街を見て回る。お前も共に来い」
「……え?」
私は思わず彼女をじっと見つめ返した。
人間界に長く留まるのを嫌がるかと思えば、明日は街を見て回る?
いったいどういう心境の変化なのか__
(まぁ、でも)
悪い話ではない。
何も憂うことなく、ただ街を歩く時間。
それはきっと、今日の疲れを癒すにはちょうどいいだろう。
それに、久しぶりの人間界の街だし!!
私は肩をすくめ、小さく微笑んだ。
「ええ、いいわよ。付き合ってあげる」
レヴェナは黙って目を伏せ、そのまま踵を返した。
食堂を出た後も、彼女の背を見送りながら私はふと窓の外へ目を向ける。
夜の街には、祭りの名残のような灯りが点々と揺れていた。
明日は、どんな時間が訪れるのだろうか__。
そんなことを思いながら、私は静かに、廊下を歩き出した。




