ep3 (3)
ep3 (3)
会談場所にほど近い一角に私たちのための屋敷が用意されていた。
本来ならば数名の魔導士と騎士が同行し同じ屋敷に宿泊する予定だったが、ルーウェン陛下の計らいによりそれは不要となった。
「警護」という名の「監視」を外すことで魔族側に一定の配慮を示した形だろう。
結局、この屋敷に泊まるのは私とレヴェナ、そして最低限の身の回りの世話をする数人の従者だけとなった。
広々とした屋敷に妙な静けさが満ちている。
夕食もきちんと用意されていたが__
「私はいらない」
食卓についた私の向かいでレヴェナは短くそう告げた。
「……いらないって、あなた何も食べてないでしょう?」
「必要ない」
そう言って、彼女は何の迷いもなく席を立つ。
「今日はもう休む」
それだけ言い残し、用意された二部屋のうちの一つへ入っていった。
扉が静かに閉じる。
それきり、レヴェナは出てこなかった。
私はため息をつきながらひとり黙々と夕食を口に運ぶ。
料理は申し分なく美味しいはずなのにどこか味気ない。
広すぎる食堂のなかでただ自分の食器を動かす音だけが響く。
__私は何をしているのだろう。
無力感が胸の奥からじわじわと広がっていく。
今日の会談で私にできたことは何かあっただろうか?
いや、そもそも私がここに同席する意味があったのだろうか。
レヴェナが私を同行させたのは、ただの「人間の妻」としてだ。
会談に同席させるという意味ならベクタやティベリウスの方がはるかに役に立つに違いない。
私は魔族でもなく、王国の人間でもない。
半端な存在に果たして何ができるのだろう。
食事を終え自室に戻り窓際の椅子に腰掛ける。
静かにカーテンを開き、月明かりに照らされた庭をぼんやりと眺める。
__それでも
私にでも…私だからこそ、何かできることがあるんじゃないだろうか。
ぼんやりとした闇に覆われながら自問し続けた。
*****************
翌日。
会談の二日目が始まった。
昨日と同じ屋敷の一室に、昨日と同じ面々が集う。
朝早くから話し合いは再開されたが__
やはり、レヴェナとミケールの意見は交わることなく、ただ平行線を辿るばかりだった。
レヴェナは一貫して
「人間側が魔界へ領地を広げることさえしなければ、争いは避けられる」
と主張。
対するミケールは
「人間界を脅かす好戦的な魔族に対抗するためには、魔界の鉱山で質の高い魔鉱石を採掘する必要がある」
と譲らない。
どちらの言い分も、理屈の上では筋が通っている。
しかし、それがそのまま互いの譲れぬ立場を示していた。
やがて、ミケールが静かに問いかける。
「……仮に、貴様の言うとおりにこちらが鉱山を手放したとしよう」
レヴェナは無言で彼を見据えた。
「その結果、魔法具の量と質が落ちた我が国が、好戦的な魔族に攻め込まれたとする。その時、貴様たちは我々に手を貸すとでも?」
「それはできない」
レヴェナは即答した。
「……」
「もし我々が人間側につけば、他の魔族から裏切り者と見なされ、同胞に危害が及ぶ」
「つまり、ヴィダール王国の未来など知ったことではない、か」
「人間の国の存続は、お前たちが考えるべきことだ」
レヴェナの口調はいつもと変わらない。
冷静で、無駄がなく、情に流されることもない。
しかし、それこそがミケールにとって最も癇に障るのだろう。
彼は苦々しげに息を吐くと静かに言い放った。
「だからこそ、我々は鉱山を手放すことなどできないのだ」
「……」
「貴様たちと和平を結べたとしても、我々の敵はまだ多く残っている。我が国を狙う魔族がいなくならない限り、我々は防衛の手を緩めることはできん」
レヴェナは静かに目を伏せた。
ミケールの言葉は、ただの感情論ではなかった。
それは、王国を預かる者として、現実を見据えた上での判断__冷徹なまでに論理的な結論だった。
結局のところ。
人間界に最も近い
「レヴェナの治める魔界の土地」
王国はそこに手を伸ばさざるを得ないのだ。
もしそれを止めれば、王国は他の魔族からの侵攻を防ぐ手段を失い、やがて滅びるかもしれない。
それは、誰よりもミケール自身が理解していることだった。
__だからこそ、彼は絶対に譲れないのだろう。
部屋の空気が重苦しく沈んでいく。
睨み合うレヴェナとミケール、静観するルーウェン陛下とトマ。
このままでは、昨日と同じ。何も決まらないまま、ただ時間だけが過ぎる。
……何か、手を打たないと
私は、早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように静かに深呼吸をした。
できる限り平静を装い、虚勢を張って__口を開く。
「ルーウェン陛下」
沈黙を切り裂くような、はっきりとした声だった。
「私からひとつ、提案があります」
瞬間、室内の空気が変わる
「……ん?」
陛下が軽く目を細め、私に視線を向ける。
その場にいた全員の目が私に集中した。
ミケールは冷ややかな眼差しを向けてきたが、それを制するように、陛下が穏やかな声で促す。
「提案とは?」
発言の許可を得た。
私はゆっくりと立ち上がると、懐から数個の鉱石の欠片を取り出し、会議用の大きなテーブルの上へと静かに置いた。
光を浴びたそれらは、魔力を帯びた証であるかのように淡く輝く。
深い紫を帯びた結晶。人間界では決して採れない、魔界特有の鉱石__魔鉱石。
「これは、私が所有する魔界の鉱山で採掘された魔鉱石です」
静かな声だったが、誰の耳にもはっきりと届くような確信を帯びていた。
「人間界のそれより質が高いことは保証します。もちろん、調べていただいても構いません」
「……ほう」
陛下が興味深そうに目を細める。
ミケールは無言のまま、しかしその眼差しには警戒心が滲んでいた。
トマは鉱石の光を眺めながら、静かに思考を巡らせている。
彼らの反応を確認しながら、私は静かに続けた。
「現在、王国が管理している魔界の鉱山から手を引いていただけるのであれば──この鉱山を、そちらへお譲りします」
「!!」
一瞬、室内が静寂に包まれた。
しかし、その静寂は嵐の前触れだった。
次の瞬間、目の前の三人が驚愕の色を浮かべる。
ミケールの表情が固まり、トマがわずかに目を見開く。
沈黙を破ったのはトマだった。
「しかし、魔界の鉱山には魔物や魔獣が棲みついているのでは?」
「私の鉱山には魔物などは棲みついておりません。王国の方々が管理したとしても、魔物による被害を受ける心配はないでしょう」
トマは慎重に私の言葉を吟味するように黙り込む。
だが、その隣でレヴェナがゆっくりと瞳を細めた。
「……なにを勝手に…」
低く、静かな声だった。
レヴェナの赤い瞳がまっすぐに私を射抜く。
しかし、私も一歩も引けない。
「勝手も何も、あの鉱山は私の所有物でしょう?なら、それをどう扱おうと私の自由のはずよ」
「……」
レヴェナの表情は変わらない。
けれど、その目には明らかに不満が滲んでいた。
それでも、私は退くつもりはなかった。
__これは、私にしかできない提案なのだから。
沈黙を破ったのは、ミケールだった。
「……そんな話を、簡単には信用できない」
冷ややかで、警戒心に満ちた声。
私は小さく微笑んだ。
「ええ、もちろん」
私は堂々と告げる。
「譲渡する際には、いくつかの条件を飲んでいただきます」
ミケールの目が細められる。
ルーウェン陛下は依然として真摯な眼差しを私に向けたまま、静かに待っていた。
「ひとつ」
私は指を一本立てる。
「現在、王国が所有している魔界の鉱山から手を引くこと」
次に二本目の指を立てる。
「ふたつ」
言葉を区切り、確実に伝えるように続けた。
「私が譲渡する鉱山から採れた魔鉱石は、魔物の侵攻行為に対する”防衛措置にのみ”使用すること」
ミケールの表情がわずかに険しくなる。
ルーウェン陛下の目には、深い思慮の色が浮かんでいた。
「魔界への領土拡大に利用しないことを誓っていただけるのであれば、お譲りします」
私は、努めて笑顔を浮かべた。
しかし、心臓は早鐘を打ち、背中にはじんわりと汗が滲んでいる。
少しの沈黙を挟み__ミケールが静かに口を開いた。
「……五大貴族の令嬢だった貴女が、魔族に組するとはな」
その声は冷え冷えとしていた。
侮蔑と、蔑視。
それらが滲む視線が、鋭く私を貫く。
それでも、私は視線を逸らさなかった。
背筋を伸ばし、ただ彼を見据える。
貴族の令嬢としての誇りを纏い、魔族の一員としての立場を受け入れた自分として__
私は、ただ流されるだけの人形ではいられない。
この場で自らの意志を示さなければ、私はただ王国から流され、魔界からも浮いた存在となるだけだ。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
静寂の中、私はゆっくりと息を吐き、胸の奥にわだかまる迷いを押し殺した。
「私は、人間界と魔界__双方に利益のある提案をしているつもりです」
言葉に力を込める。
テーブルを挟み、真正面からミケールを見据えた後、再びルーウェン陛下へと視線を移した。
「今後、魔族に対抗するために魔界の土地を当てにしていては……魔族と人間の争いは、永久に終わりを迎えません」
この世界の歴史は、それを証明している。
「どちらか一方を滅ぼし、強引に世界を統べようとすれば……過去に起こった三度の大戦と同じことが繰り返されます。
そのたびに、多くの命が犠牲になる」
王国の歴史とはそういうもの。
しかし、ミケールの瞳は微塵も揺らがない。
まるで氷の刃のように冷たい視線が、まっすぐ私に突き刺さる。
「終わりを迎えないのは、守りに徹したところで同じことだ」
静かだが、重みのある声だった。
「我々が望まなくとも、魔族が戦いを仕掛けてくれば──否が応でも戦争にならざるを得ない」
「……っ」
私は思わず言葉を詰まらせた。
ミケールの言葉は痛いほど的を射ている。
確か王国が戦を望まなくても、魔族が侵攻してくれば応戦するしかない。
「その時になって”もっと力を持っておけば”と嘆いても、手遅れなのだ」
彼の表情は微動だにしなかった。
「……己の保身のために魔族に嫁いだ貴女には、理解できないだろうが」
冷たい声音とともに放たれた言葉が、鋭い刃のように胸を切り裂く。
「我々が第一に考えるのは、王国の繁栄だ。
王国に牙を剥くというのなら、魔族であろうと何であろうと、滅ぼすのみ」
ミケールの声は静かだったが、その内に宿る覚悟は揺るぎなかった。
王国を守るためなら、どんな手段も厭わない。
その覚悟が、彼を今の立場に押し上げたのだろう。
私の提案は、思慮の浅い”理想論”そのもの。
「……わ、私……は……」
喉が詰まる。
口を開こうとしても、言葉が出てこない。
ミケールの言う通りだ。
私は王国の繁栄のために戦ったことはない。
戦場で血を流したこともない。
そんな私が、何を語れというのだろう。
しかし__
「ふむ」
不意に、場の空気を変えるような声がした。
「ありがとう。イザベラ夫人」
「……え?」
呆然とした声が漏れる。
ルーウェン陛下だった。
ミケールが驚いたように陛下を見やる。
「陛下……」
ミケールの視線には、「まさかこの提案を受け入れるつもりではないだろうな?」という疑念が込められていた。
だが、陛下はそれに動じることなく、悠然と顎髭を撫でながら続ける。
「わかっているさ、ミケール」
その口調は穏やかだったが、確固たる威厳を感じさせるものだった。
「君の言う通り、防衛力の一層の強化は必要不可欠だ。
魔界の鉱山をすべて手放すことは、決して容易ではない」
ミケールの肩の力が、わずかに抜ける。
しかし、陛下はすぐにこう続けた。
「……だがなぁ」
彼の瞳が、私を見据える。
「彼女の提案を、簡単に聞き捨てる気にもなれないのだ」
ミケールが沈黙する。
トマも静かに思案しているようだった。
その場にいた誰もが、陛下の次の言葉を待っている。
陛下は、ちらりとレヴェナへと視線を向けた。
「魔人レヴェナよ」
「……なんだ」
陛下は微笑を浮かべながら問いかけた。
「夫人の所有物とは言うが、元は君の鉱山だろう?
仮に、夫人の言う条件を我らが呑んだ場合、鉱山をいただいてもよいのか?」
レヴェナは沈黙した。
長いまつげの奥で、紅い瞳が静かに揺れる。
私は、息を飲んだ。
彼女が何を考えているのか、私には分からない。
レヴェナはじっと私を見つめたあと、ふいに視線を逸らし__
「……あの鉱山は妻の物」
と、呟くように言った。
「どうしようと、妻の勝手だ」
「──!!」
私は思わず、レヴェナを凝視した。
勝手に言っておいてなんだけど、反対すると思っていた…
不承不承ながらも、彼女は私の提案を尊重したのだ。
「ほほう」
ルーウェン陛下は、それを見届けると満足そうに微笑んだ。
まるで、長らく考えていた難題の答えを見つけたかのように。
「よし、であれば──今回の会談はこれで終わりにしよう」
「……え?」
「「「!?」」」
陛下の言葉を受けて、驚きに目を見開いたのは私だけではなかった。
ミケールは反射的に眉をひそめ、レヴェナも訝しげに陛下を見つめる。
トマも目を丸くした。
この状況で、終わり……?
しかし、そんな私たちの反応をよそに、陛下はあくまで穏やかな口調で続ける。
「いいんだ、ミケール」
ミケールが何かを言おうとする前に、陛下は片手を軽く上げて制する。
「君の言いたいこともよくわかる。そして、彼女らの言い分も理解できる」
「……」
ミケールの横顔が険しくなる。
彼は未だに納得していない。
それは見ただけで分かった。
しかし、それでも陛下は続ける。
「これ以上、言い合いを続けても話は前に進まないだろう」
ルーウェン陛下の視線が、私の置いた魔鉱石へと向けられる。
「夫人の提案も含め、できない理由を並べるのではなく……皆で、前を向ける道を探りたい」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
沈黙が会談の場を静かに支配する。
その沈黙を破るようにトマが苦笑した。
「陛下がそうおっしゃられるのでしたら」
「ふん……」
ミケールが鼻を鳴らし、腕を組む。
しかし、それ以上の反論はなかった。
ルーウェン陛下はそんなミケールの様子を見ても、特に何かを言うことはなかった。
ただ、深く頷く。
「ならば、今日のところはこれでお開きとしよう。後日、改めて交渉の場を設ける。……ということで構わないか?レヴェナ」
「…問題無い」
そう答えた彼女の目元が少しだけ柔らかみを帯びていたように見えた。
ルーウェン陛下が優しげに微笑み頷く。
___会談は、終わった。
椅子を引く音が静かに響き、次々と立ち上がる。
ルーウェン陛下もゆっくりと席を立ち、側近たちが慌ただしく彼を囲んでいく。
私も、ほっとしたような、けれどどこか釈然としない思いを抱えながら立ち上がった。
ミケールが通りすがりに、私を一瞥する。
「……魔族に取り入ったと思えば、今度は王国を都合よく動かそうとするとはな」
「……っ」
その言葉に、ぐっと拳を握る。
ミケールは、私が何も返せないのを見届けると、興味を失ったかのように背を向けた。
「貴女が何を考えていようと、王国は王国の道を行く」
そう言い残し、彼はそのまま会議室を後にする。
「……やれやれ」
トマが苦笑しながら、私の隣に立った。
「彼は彼なりに王国を思っているのです。許してあげてください」
「……分かっています」
分かっている。
ミケールはただ冷酷なのではなく、それほどまでに王国の未来を背負っているのだ。
私が魔族側に寄った提案をしたことで、彼が危機感を抱くのも当然なのだろう。
「イザベラ」
「!」
ふいに、低い声がした。
声の主はレヴェナだった。
「行くぞ」
「……え、ええ」
彼女は何も言わなかった。
私が会談の場で勝手に鉱山の話を持ち出したことも、王国側と交渉を試みたことも、責めるようなことはしなかった。
ただ、すっと私の隣に立ち、歩き出した。
私は彼女の背を見ながら、静かにその後を追う。
___この交渉の結末が、どう転ぶかは分からない。
だが、少なくとも……今日ここで和平の道筋が途切れることにはならなかった
その事実に、私はほっと安堵していた。




