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ep3 会談(1)



目を覚ました瞬間、ひどい喉の渇きと——完膚なきまでに打ちのめされた現実が、頭の奥にじんと焼きついていた。


意識が覚醒するにつれ、身体の重さがのしかかる。疲労が骨の髄まで染み込んでいるのがわかる。


(……ああ、そうだった)


リズとの決闘。


魔力をほとんど使い果たし、最後は意識すら保てずに倒れた。


思い出すだけで、悔しさが喉の奥を締めつける。


ゆっくりと上体を起こし、辺りを見回した。


暗い石造りの壁、高い天井、そして窓には重厚な黒いカーテン。


間違いなく、ここは魔族の城——私の部屋だ。


誰かが運んでくれたのだろう。


ベッドの横には水差しとグラスが置かれていた。


手を伸ばし、グラスに水を注ぐ。


冷たい水を喉に流し込むと、少しだけ意識が冴える気がした。


(……情けない)


あれほどの差を見せつけられたのに、私は何もできなかった。


人間である時点で限界がある?


魔族と張り合うこと自体が無謀だった?


そんなことはわかっている。


でも、だからといってあそこまで何もできないだなんて…


(フッ……見返すどころか、恥を晒しただけだったわね)


考えが堂々巡りを始めたその時。



ガチャリ



ノックもなしに扉が開く音がした。


「……っ」


顔を上げると、入ってきたのはレヴェナだった。


黒衣を纏い、長い黒髪をなびかせた彼女は、私の姿を見るとほんの少しだけ目を見開く。


「目が覚めたか」


低く落ち着いた声。

私はグラスを置き、できるだけ何でもないふりを装う。


「……おかげさまでね」


レヴェナは私から目を離さぬまま、部屋にある椅子を引いて腰を下ろした。


不穏な沈黙が流れる。


「許可なく城の外に出るなと言ったはずだが」


静かながらも、その声には冷たい棘があった。


「……」


言い返そうとしたが、何も言葉が出てこない。


退屈だったから。とでも返すべきか。

どれも、惨めに敗れた後の言い訳としては無意味だった。


レヴェナは小さく息を吐く。


「お前は私たちにとって重要な存在だということを自覚しろ」


その言葉に、私はわずかに眉をひそめる。


「……」


「万が一、お前に何かがあれば和平など論外だ」


レヴェナの赤い瞳が鋭く光る。


「……わかってるわよ」


私の返事を聞いても、彼女の表情は変わらない。


「わかっているのなら、勝手なことをするな」


淡々とした口調なのに、不思議と強い威圧を感じる。


言い返したいのに、何も言えなかった。


レヴェナはじっと私を見つめた後、幾分か柔らかい声色で言う。


「お前の身体を診てもらったが、幸い怪我はない。だが、魔力を急激に消耗した影響で倦怠感はしばらく残るだろう」


「……」


確かに、体が重くて仕方ない。


魔法を使いすぎた時の症状に似ているが、ここまで酷いのは初めてだ。


「今回の件は、お前にだけ責があるわけではない」


レヴェナは淡々と続ける。


「だが、今後は勝手な行動はするな。いいな」


「……」


目を逸らして頷くと、レヴェナは椅子から立ち上がった。


「今は身体を休めろ。体調が戻ったら話がある」


「……話? なによ?」


「あとで話す」


「……わかったわよ」


彼女はそれ以上何も言わず、部屋の扉を開ける。その瞬間、私は咄嗟に口を開いた。


「勝手なことをして……ごめんなさい」


「……」


カチリ


扉が閉まる音が響く。


しばらくぼんやりと天井を見つめた後、私は小さく息を吐いた。


(……情けないわね。本当に)


そんなことをぼんやりと思いながら、私はもう一度、グラスの水を口に含んだ。







****************







夜の城内は静かだった。


窓の外には青白い月が浮かび、闇の中で光る魔道灯が、石造りの廊下をぼんやりと照らしている。


私は廊下を進みながら、心のどこかで緊張していた。


ネルから「レヴェナ様たちは書斎にいらっしゃいます」と聞き出し、気づけば足がそちらへ向かっていた。


本当はまだ休んでいるべきなのかもしれない。


けれど__


(……あのまま寝ているだけなんて、耐えられない)


私は魔族の花嫁としてこの城にいる。

だが、それは単なる飾りで終わるつもりはない。


だからこそ、私は扉を叩いた。


コン、コン


「どうぞ」


聞こえたのはベクタの声だった。


私は扉を押し開き、書斎へ足を踏み入れる。


レヴェナが机に向かい、書類をめくっていた。


その傍らにはベクタとレベリウス。


彼らはちらりとこちらを見て、それぞれ異なる反応を見せた。


「……おいおい、もう歩き回っていいのか?」


ティベリウスが呆れたように眉を上げる。


ベクタは軽く微笑み、


「顔色も良さそうですね」


と、柔らかく声をかけてくれた。


しかし、レヴェナは違った。

私を一瞥すると、深く息を吐き——


「……ネル」


低い声で名を呼んだ。


「はい」


 ネルが淡々と返事をする。


「体調が戻ってから寄越せと言ったはずだが」


「お止めしましたが、イザベラ様は大丈夫だと__」


「……ネル、他人ではなく自分で判断するんだ。わかったか?」


ネルは少し顔を伏せ、小さく頷く。


「……はい」


私のせいでネルが小言を言われてしまった。

申し訳ない気持ちがよぎる。


「随分と心配性ね?」


努めて軽く言ってみせる。


「見ての通り、私はもう全快したわ」


「我々魔族は、相手の魔力を推し量ることができる」


レヴェナの赤い瞳が鋭く光った。


「下手な芝居は無駄だ」


「……っ」


鋭く本質を突かれ、私は思わず言葉に詰まる。


確かに、体調はまだ万全ではなかった。


けれど、動けるようになったのは本当だし__何より、あのままベッドで大人しくしているのは癪だった。


(……こういうところがいけないのよね)


わかっているのに、つい動いてしまう。


そんな私を見て、ベクタが苦笑した。


「顔色も悪くないですし、無理をしなければ問題ないでしょう」


「ベクタ……」


やれやれ、と肩をすくめながら彼は続ける。


「まぁまぁ、レヴェナ様。お話しするだけなら大丈夫ですよ」


レヴェナはベクタを一瞥し__やがて、諦めたように小さくため息をついた。


「……勝手にしろ」


レベリウスが声をかける。


「すまなかったな。もう体はいいのか?」


「ええ、なんともないわ」


そう答えたあと、少しだけ声を落とす。


「……迷惑をかけたわね」


レベリウスは少し安堵したような表情を見せた。


「ならよかった。あの馬鹿二匹には、俺からしっかり言っておく」


脳裏に、リズとユルゲンの顔が浮かんだ。


リズはきっと「ごめんねぇ〜」と笑い、ユルゲンは「まぁ、しょうがないよね〜」とか言いそうだ。


そんなことを思っていると、レヴェナが再びこちらに視線を向ける。


「……」


何かを考えるような、じっとした視線。


やがて、深く息を吐くと、本題に入った。


「近々、ヴィダール王国と正式に会談する」


「!!」


心臓が跳ねる。


ヴィダール王国。


そこは私が先日まで暮らしていた、人間界の国の名前。


その驚きを見透かしたように、ベクタが続けた。


「お二人の結婚が決まる前から、機会を窺ってはいたのですが……」


彼は柔らかく微笑しながら言う。


「結婚を機に、急に話が前に進みました」


「……そう。よかったじゃない」


まるで他人事のように返したけれど、内心は少し動揺していた。


「そこで、イザベラ様」


ベクタがこちらに向き直り、穏やかな声で問いかける。


「貴方の意見を聞かせていただけませんか?」


「私の?」


「はい」


思わず眉をひそめる。


「……意見を言ったとして、信用できるの? 私の言うこと」


問い返すと、ベクタは相変わらずの柔らかな微笑みを浮かべた。


「安心してください。鵜呑みになどしませんから」


「……」


つまり、完全に信用しているわけではない、と。


けれど、彼の言葉には嫌味も否定も感じられなかった。


(……この手の人間が、一番厄介なのよね)


人間界でも、表向きはにこやかで油断を誘いながら、冷静に状況を見極めている者がいた。


彼らは真正面から剣を向けてくる者よりもはるかに警戒すべき存在だ。


(まぁ……彼は”人間”じゃないけれど)


そんなことを考えていると、ベクタが会談についての説明を始めた。





__会談は一ヶ月後。


場所は人間界と魔界(レヴェナが統治する土地)の境目に近い町。


参加条件として、魔族側は部下数人以外の随伴を禁じられている。


一方、人間界からは国王をはじめ、“王の右腕”と称される五大貴族のうち、クラヴィスト家とフェオードル家の当主が出席。


さらに、彼らの護衛として魔導士や騎士が数十人同席するという話だった。





その説明を聞いて、私がまず思ったことは__


「……がっつり警戒されているわね」


「そうなのですよ」


ベクタは微笑みながらも、どこか苦笑するように頷く。


自分たちは大勢の兵を引き連れてくるのに、こちらには最小限の人数で来いと言う。


(これでは最初から”対等な交渉”とは言い難いわね)


ちらりとレベリウスを見ると、不満げに眉をひそめていた。


「クラヴィスト家とフェオードル家の人間とは、王都の学院で一緒だったから、多少の顔見知りではあるわ」


考えながら言葉を続ける。


「……面倒なのはクラヴィスト家ね。現当主とも会ったことがあるけれど、魔族との和平なんて冗談でも言わないような家よ」


クラヴィスト家。


それはヴィダール王国建国当時から王家を支えてきた由緒ある家系。


同時に、魔族との戦争で最も多くの功績を上げてきた家でもある。


先代の家の者では魔族との戦いで命を落とした者も少なくない。


つまり__筋金入りの魔族嫌いが代々受け継がれている家系というわけ。


「やはり、今回の会談は『人間界に干渉するな』という警告の意味合いが強そうですね」


ベクタが淡々と推測を述べる。


その言葉に、私は思わず皮肉な笑みを浮かべた。


「私とこの女の結婚、裏目に出ているんじゃないの?」


「そんなことはありませんよ」


ベクタは柔らかく微笑み、言葉を継ぐ。


「警戒されていようと、これほど早く話し合いの場を設けていただけたのなら、それだけで充分です」


「ふうん……」


「今回の会談における最大の目標は、人間界側の警戒心を少しでも下げることですね」


「……容易じゃあないわね」


「ええ。だからこそ__イザベラ様の意見をいただきたいのです」


ベクタの瞳が、まっすぐに私を映す。


「……無茶を言うわね」


思わずため息が漏れた。


「それでも、あなたの視点が必要なのですよ」


「……」


私は少しだけ考え込む。


(……たしかに、私は”元人間界の貴族”)


魔族側の事情も、人間界の貴族たちの思考も、ある程度は知っている。


「……気を悪くしないでほしいのだけれど」


私が言葉を選びながら切り出すと、書斎の空気が自然と張り詰めた。


「人間界側……特にクラヴィスト家は対等な関係を求めていないわ。

……言葉は悪くなるけど、おそらく平伏を求めてくるでしょうね」


一瞬、部屋の温度が下がった気がした。


誰も驚いた様子は見せない。むしろ、これまでの経緯を考えれば当然の話だった。


「ただ__」


私は言葉を切り、意識的に場の空気を和らげるように続ける。


「国王陛下は……ある程度話の通じるお人だと思うわ」


「現国王、ルーウェン・プラウドですね」


ベクタが即座に確認してきた。


「ええ。彼は先代国王と違って他国との交流に積極的なのよ。

私が学院にいた頃も、他国からの留学生が増えたし……才能があれば平民からも生徒を受け入れるようになったわ」


過去の記憶が不意に蘇る。


王都の学院には、貴族とは異なる視点や価値観を持つ者たちが増えた。


(その結果、ああいう生意気な連中が増えて……)


苦々しい思い出ばかりが浮かんできて、思わず頭を振る。


(いけない、いけない)


「……ていうか、彼が国王だからこそ、今回の結婚を思いついたんじゃないのかしら?」


何気なく指摘すると、ベクタが微笑んだ。


「さすがですね。そのとおりです」


(試すような真似を……扱いづらい男ね)


含みのある言葉に、私はほんの少しだけ睨むように視線を向ける。


「そして、これはあくまで噂だけれど」


思い出しながら、私は続けた。


「学院でも時々耳にしたわ。『陛下とクラヴィスト家は馬が合わない』ってね」


「それは初耳ですね」


ベクタが興味深そうに目を細める。


「これは私の想像だけれど__」


さらに言葉を重ねる。


「この会談の非対等な条件、陛下ご自身ではなく、臣下たちが取り決めたものじゃないかしら」


ルーウェン・プラウドは、王都学院時代から”穏健派”として知られていた。


ヴィダール王国よりも遥かに国力の小さい国とも、対等な関係を築こうと尽力するほどの男だ。


そんな彼が、魔族とはいえ和平を望むレヴェナたちに対して、高圧的な条件を突きつけてくるとは考えにくい。


だとすれば__


「……だとしたらなんだ?」


「!」


突然、レヴェナの冷静な声が響いた。


いつの間にか考え込んでいた私は、ハッとして彼女を見る。


彼女の赤い瞳がじっと私を見つめていた。


(催促、された……?)


そんなことを考えながらも、私は思いついたばかりの案を口にしてみる。


「……冗談半分で聞きなさいよ?」


念を押しつつ、言葉を続ける。


「会談の条件がルーウェン陛下の意志ではなかったと仮定して……逆に、貴方たちが陛下が好みそうな形で会談に臨むというのはどう?」


書斎に沈黙が落ちる。


当然だ。ピンとくるわけがない。

だから私は、さらに補足する。


「つまり、貴方たちは陛下たちとは逆に、警戒心の欠片もない形で会談に臨むのよ」


ゆっくりと、一語ずつ区切るように言った。


「極端な話__レヴェナ、貴方ひとりで会談に出席する、とかね」


「__!!」


レベリウスが驚いたように目を見開く。


滅多に表情を崩さないベクタですら、少しだけ表情が揺らいだ。


だが、レヴェナだけは無表情のまま、静かに私を見つめている。


「さすがに……それは……」


ベクタが慎重に言葉を選ぶように呟く。


「だから、たとえばの話よ?」


私は肩をすくめて、軽く笑ってみせた。


(例え話にしても、もう少し言い方があったかしら)


けれど、完全に否定されるわけでもなく、彼らは考え込んでいる。


「まぁ、確信は無いけれど」


改めて口を開く。


「会談で提示された条件ほど、陛下は警戒していないと思うわ」


どんな条件が提示されようと、会談の主役はあくまで国王陛下とレヴェナ。


「……取り敢えず、ルーウェン国王の人柄については、そこまで身構える必要は無さそうですね」


ベクタが静かに結論を出す。


「そう考えて問題無いはずよ」


私は頷き、少し視線を巡らせた。


「それで?貴方たちは?今のところどんな案を考えているのよ?」


会談の場における魔族側の立ち回り方。


私の知識と、ベクタたちが集めた情報を照らし合わせながら__


書斎での会議は、夜が更けるまで続いた。

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