ep1 (2)
「ほ、本気なのか?」
「ええ…本気ですわ」
私の申し出を受け、父もグランも、ガートらも動揺していた。部屋には重い沈黙が落ちる。
無理もない。貴族の令嬢が魔族に嫁ぐなど前代未聞の話だ。
「話によると、この話を持ちかけてきた魔族は穏健派。おそらく私と結婚することで人間界の上流階級と関係を築きたいのでしょう」
私は冷静に説明した。
「しかし…いくら穏健派とはいえ、魔族は魔族だ」
父が低く唸るように言う。
「ですが、このままでは我が家の未来が潰えますわ」
静かな私の言葉に、父は再び沈黙する。
弟のグランが椅子を軋ませて立ち上がった。
「らしくないぞ、お前が家のために……こんなこと……!」
目を見開いた彼の表情には、驚きと困惑、そして苛立ちが入り混じっているようだった。
「お兄様にああも好き放題言われてしまっては、黙っていられないわよ」
私は肩をすくめながら言った。
「ロイお兄様が言ったこと、あながち間違いではないわ。…私たちは家の力に頼りすぎていた。だけど、私はまだアーグレイ家を諦めていないの」
「でも、だからって魔族に嫁ぐなんて……」
「他に方法があるなら教えて?」
グランの拳が震える。
彼は悔しそうに唇を噛みしめた。
「……それ…は…」
「私だって、こんな選択をしたくはなかったわ。でも、この家を守るためには、これしかないのよ」
私は自分の胸に手を当て、深く息をついた。
「誇り高いアーグレイ家の令嬢が魔族のもとへ嫁ぐ……ええ、笑いたければ笑えばいいわ。でも私はただ無為に没落するつもりはないの」
「姉上……」
グランの声がかすれる。
彼は何か言いたそうだったが、言葉にできないまま立ち尽くしていた。
「お嬢様、本当に…よろしいのですか」
沈黙を破ったのはガートだった。長年アーグレイ家を支えてきた彼は、心配そうに私を見つめている。
「ええ。これは私が決めたことよ」
私は毅然とした態度で告げた。
************
後日、学院の廊下を歩いていると、背後からひそひそとした囁き声が聞こえてきた。
「ねえ、聞いた? アーグレイ家が没落寸前なんですって」
「ええ、それに長男のロイ・アーグレイは家族を見捨てて出て行ったとか……」
「それよりも驚いたのは、イザベラ・アーグレイよ」
「まさか、魔族に嫁ぐなんて……!」
「本当なのか?いくら没落しそうだからってそれは……」
「でも、魔族に嫁ぐしかないほど困窮しているってことでしょ? ふふ、あの傲慢なイザベラがねえ」
クスクスと笑う声が聞こえる。普段なら鼻で笑って一蹴するところだが、今日は違う。
私は足を止め、肩を小さく震わせた。
「……っ」
囁いていた生徒たちが息を飲むのが分かった。
「イ、イザベラ様……?」
誰かが私の名前を呼ぶ。私はゆっくりと顔を上げ、悲しみを湛えた瞳で生徒たちを見つめた。
「……そんな哀れな目で見られるのも、無理はないわね」
囁き声がピタリと止まる。誰もが、いつも学院の女王然としていた私の変化に戸惑っているのが分かる。
これでいい。すべて計画通り。
そして、狙い通り——
「イザベラ様…」
立ち竦む私へ向かって歩み寄ってきたのは聖女ファナ・リエット。肩まで伸びる金髪を揺らしながら、心配そうな顔をしている。
「あの噂は……本当なんですか?」
澄んだ瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
「……事実だったら、なに?貴方には関係の無いことでしょう?」
私は目を伏せ、痛みを噛みしめるように唇を噛んだ。
「家のために……私にできることは、これしかなかったのよ……。ふふ…、笑いたければ笑えばいいじゃない。貴方だって、心の中では私のことを嗤っているんでしょう?」
ファナの表情が歪み、強く首を振った。
「笑ったりなんかしません」
「……そう」
ファナの言葉に、私は小さく息を飲んだふりをする。
ファナは迷いなく言葉を紡ぐ。
「イザベラ様は……家のために、誰にも言えない苦しみを抱えているんですよね?私は、そんな貴方を笑うことなんてできません」
…ああ、本当に愚直な子。まっすぐで、優しくて
__だからこそ、利用しがいがある。
私は小さく肩を震わせた。震える指先を握りしめ、迷いながら、それでも決意したように口を開く。
「……私は、貴方に酷いことばかり言ってきたわね」
ファナが驚いたように目を見開いた。
「私、貴方が嫌いだったの。何もかも持って生まれた才能、誰からも愛されるその性格…そんな貴方が、ずっと羨ましかったのよ」
言葉に詰まるファナ。彼女の表情を見ながら、私はゆっくりと右手を差し出す。
「……でも、今なら分かるわ。貴方はただ貴方なりに周囲のために生きてきただけなのよね」
「イザベラ様…」
私はファナの手を取った。その瞬間、私はすっと微笑む。
「だから……ごめんなさい。今までのこと」
ファナは驚き、そしてすぐに優しく微笑んだ。
その場にいた生徒たちがざわめく。「あのイザベラ様が聖女に謝った」「二人が和解した」と、まるで学院の新たな伝説でも見たかのように。
私は心の中で、密かに笑った。
__これで決まりね。
貴族社会では、味方を増やすことが何よりも重要。その中でも、誰からも愛される聖女の好意を得ることは、何よりも価値がある。私はただ、完璧な布石を打っただけのこと。
「ありがとう、ファナ」
そう言って、私は悲劇のヒロインの仮面をかぶり直す。
私は微笑んだ。その顔は、限りなく儚く、それでいて気高くあるように。
「いい子ぶった聖女様」なら、必ず私を庇う。そして、学院中の生徒たちはそんな彼女を見て、ますます「哀れな没落令嬢」の物語を信じ込む。
すべて計画通り。
そして、私にはもう一つ秘密があった。
家族にも、誰にも言っていないこと。
魔族側が提示した婚約の条件。
……………………………
魔族が保有する鉱山を、1つ、アーグレイ家に譲ること。
……………………………
あの文書を読んだ瞬間、私は即座に婚約を決めた。そして、それと同時に、この「悲劇のヒロイン」の物語を演出することを思いついたのだ。
学院を後にし、屋敷へと戻った私は、扉が閉まると同時に、堪えきれず肩を震わせた。
「……くふっ…ふふっ……!」
喉の奥で笑いが漏れる。
「学院の連中が哀れみの目を向けるたび、笑いそうになるのを苦労したわ」
ベッドに腰を下ろし、スカートの裾を弄びながら独り言を呟く。
「誰が『哀れな没落令嬢』よ? 誰が『家の犠牲になった可哀想な令嬢』よ?」
馬鹿馬鹿しい。
手に入れるのは、魔族の財産。鉱山1つ。
アーグレイ家を立て直し、私は再び貴族社会の頂点に立つ。
そしてその時、私を見下した連中は思い知るのよ。もちろん、お兄様もね。
__イザベラ・アーグレイは、決して沈まない。
その日を想像すると、高笑いが止まりそうになかった。
*************
婚姻に応じると返事をしてから数日後、魔族からの迎えがやってきた。
迎えに来たのは、たった一人の男だった。
黒髪が目元まで伸び、鋭い目つきのせいで感情の読めない男。長身で、整った顔立ちをしているが、その無機質な雰囲気はまさに魔族といったところ。
男は屋敷の門前に立ち、私の名を低い声で呼んだ。
「イザベラ・アーグレイ」
父と弟、そして屋敷の従者たちが息をのむ。まるで死神でも目の前に現れたかのような緊張感が、あたりに張り詰める。
「私が……イザベラ・アーグレイですわ」
私は静かに前に進み出た。俯き加減にし、悲壮感を漂わせながら。
「迎えに来た」
それだけを告げる魔族の男。その声音は淡々としていて、感情の欠片も感じられない。
「こうも簡単に人間界に侵入できるのか…」
父が苦しげに呟く。その目には明らかな後悔の色があった。
「本当に……行くのかよ」
グランが顔を歪めながら私を見つめる。
「……ええ。これが、私にできる唯一のことだから」
私は声を震わせ、苦しげに微笑んだ。父やグランだけでなく、古くから仕えてくれていた従者たちの目にも涙が滲んでいる。
「イザベラ様……」
私はゆっくりと彼らを見渡し、寂しげに微笑んでみせた。
「…グラン、この家を頼むわね」
「…ああ」
ああ、なんて悲劇的な光景かしら。家族のためにすべてを捨て、魔族のもとへ嫁ぐ薄幸の令嬢。
まぁ__その実、私は鉱山を手に入れ、未来を約束された勝者なのだけれど。
そんなことを露ほども感じさせないように、私は最後にもう一度だけ振り返り、涙を浮かべた。
「さあ……行きましょう」
魔族の男は無言で頷くと、ゆっくりと踵を返す。その背中を追いながら、私は内心でほくそ笑んだ。
さぁ、ここからが本番よ。
馬車の扉が音を立てて閉まると、周囲の喧騒が遠のき、重々しい静寂が訪れた。
魔族の男は、黙ったまま私の向かいに座る。
馬車はすでに動き出していた。窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めながら、私は彼を一瞥する。
この馬車を引く馬は、人間界のものより一回りも二回りも大きかった。その筋骨隆々とした姿や、異様に鋭い眼光を見るに、ただの馬ではなく魔獣なのだろう。
乗る前に少し気圧されてしまったのは認めるけれど、これから向かう先では魔獣など珍しくもない。いちいち怯えていては身がもたないわね。
馬車の内装は意外にも広々としていた。とはいえ、魔族らしく飾り気はほとんどなく質実剛健といったところだろうか。
まぁ、快適さよりも頑丈さを重視しているのかもしれないわね。
私は姿勢を正し、改めて彼の方を向く。
「貴方、名前は?」
沈黙が返ってくる。
「あら、無視? 礼儀がなってないわね。やっぱり帰ろうかしら」
「!?」
その言葉に、男の肩がわずかに跳ねた。
先ほどまで無表情だった顔に、一瞬、明らかな動揺が浮かぶ。
思った以上に素直な反応をするわね。
「……ルヴァンだ」
ようやくしぶしぶと名乗る彼に、私は優雅に微笑んだ。
「初めから素直に名乗りなさいよ」
ルヴァンは僅かに目を細め、面倒くさそうに視線をそらした。
あら、今度は苛立っているのかしら?
「魔界まではどれくらいかかるの?」
「……五時間程度だ」
「長すぎるわね」
私はため息をつきながら、馬車の窓に視線を向ける。外の景色はすでに見慣れた人間界の風景から離れつつあった。
五時間。退屈な時間になりそうね。
でも、せっかくの機会だし、色々と聞きたいこともある。
「まぁ、貴方には色々聞きたいことがあるし、いい暇つぶしにはなるかしら」
「……」
彼は何も言わない。ただ、わずかに眉を寄せた。
「貴方…意外に表情豊かね」
「……」
すると、今度は露骨に顔を顰めた。
なるほど、思った以上に付き合いやすい相手かもしれない。
*************
馬車に揺られること数時間。窓の外に広がる景色は、見慣れた人間界のものとは異なる、不気味な異世界へと変わっていた。
空は濁ったように暗く、遠くの山々は奇怪な形をしている。まるでそこに何かが蠢いているかのように見えた。
そして、ついに目的地が見えてきた。
巨大な城__文書を寄越した穏健派の拠点だという場所。
その姿を目にした瞬間、私は思わず息を呑んだ。
一見すると、ただの廃墟のようにも見える。石造りの壁は長年風雨に晒されたかのように黒ずみ、一部は崩れてさえいた。
しかし、ところどころに灯る妖しげな灯火が、この場所が決して朽ち果てたものではないことを示している。
それに、この城から放たれる空気……。
魔法使いの才を持つ者であれば、誰もが魔力をその肌で感じ取ることができる。そして、私は今、かつて感じたことのないほどの圧倒的な魔力の波に晒されていた。
__重い。
まるで見えない鎖が体に巻き付くように、肌が粟立ち、呼吸さえ浅くなる。この魔力の濃度の中に長く留まれば、一般の魔法使いなら正気を保つことすら難しいかもしれない。
それでも、私は魔法を学んできた者の端くれだ。これしきのことで怯えるわけにはいかない。
「……フン、上等じゃない」
震えそうになる指先をぐっと握りしめ、平然を装う。
先に馬車を降りたルヴァンは、そんな私を一瞥することもなく、淡々と城門へと歩いていった。
まったく、少しは気遣う素振りを見せたらどうなのよ。
私は軽く鼻を鳴らし、彼の後を追った。
城の中は外観と違い、異様なほど整然としていた。
廊下の床は黒い大理石のようなものでできており、歩くたびに靴音が響く。壁には見たこともない紋章や、魔法陣のようなものが刻まれていた。
人の気配はほとんど感じられない。こんなに広い城なのに、まるで無人のようだった。
そして、ようやく辿り着いたのは、広大な謁見の間__
__いや、“広大”というよりも”威圧的”と言ったほうが正しいかもしれない。
天井は高く、壁には黒い炎が灯る燭台が並んでいる。その奥に玉座らしきものが見えたが、その主の姿はまだなかった。
だが、それ以上に私の目を引いたのは、そこに並ぶ魔族たちだった。
黒い衣を纏い、沈黙を保つ彼らは、まるで彫像のように動かない。だが、確かにそこには圧倒的な存在感があった。
__敵意? それとも悪意?
いや、違う。
彼らはただそこに立っているだけ。それなのに、まるで全身を押し潰されるような圧迫感を感じる。
不覚にも、喉が渇き思わず唾を飲み込んだ。
その時__
重苦しい空気を裂くように、穏やかで冷静な声が響いた。
「ようこそ。イザベラ・アーグレイ様」
私は声の方を振り返る。
そこにいたのは、一人の魔族だった。
長身で、細身の男。ルヴァンと雰囲気は似ているが、彼の表情は穏やかで、紳士的な印象を与えた。
「長旅でお疲れになったでしょう」
彼は優雅に一礼し、名乗った。
「私の名はベクタ。レヴェナ様の側近を務めております」
「……レヴェナ?」
私は聞き返す。
ベクタは微笑みながら答えた。
「貴方とご結婚される、我々の当主です」
心臓がどきりと跳ねた。
そうよ…私は、結婚しに来たの、
鉱山を手に入れて成り上がるために!
__そして、悲劇のヒロインとして、誰よりも美しく舞い上がるために。
私は静かに息を整え、微笑みを作った。
「当主は城の上階でお待ちです」
ベクタの言葉とともに、私は魔族の視線に晒されながら廊下を進んでいた。
謁見の間に集まっていた魔族たちは、ただの従者や兵ではなかったらしい。彼らは単なる好奇心か、それとも別の感情からか、人間の花嫁となる私を一目見ようと集まっていたのだ。
彼らの無言の視線を背に受けながら、私は歩みを止めることなく進む。
やがて、漆黒の装飾が施された扉の前にたどり着いた。
「イザベラ・アーグレイ様をお連れしました」
ベクタが静かに告げる。
扉がゆっくりと開いていくと、重厚な木の軋む音が響き、中から燃え盛る暖炉の温かな光が漏れた。古書の香りがかすかに漂い、静寂に包まれた空間が広がっている。
「どうぞ、中へ」
促されるまま私は息を整え、堂々とした足取りで部屋へと踏み入れた。
書斎と呼ぶには広すぎる空間だった。
壁一面の本棚、精巧な彫刻が施された机、そしてその奥の椅子に腰掛け、静かにこちらを見つめる影がひとつ。
その姿を目にした瞬間、私は思わず息を飲んだ。
そこにいたのは、予想していたような魔族ではなかった。
長く漆黒の髪を持ち、深紅の瞳を冷たく光らせる──
その人物は、間違いなく女性だった。
「…………ん?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
一瞬、自分の耳を疑った。いや、目を疑った。
穏健派魔族の当主__つまり、私の結婚相手は 女 だったのだ。
「……どうした。そんなに驚くことか」
低く冷ややかな声が部屋に響く。
私は咄嗟に表情を取り繕い、慌てて口を開いた。
「……いえ、ただ少し、驚いただけですわ」
「ふん…」
目の前の女性__レヴェナは、まるで興味がないとでも言うように、机上の書類へと視線を落とした。
それだけで、私という存在が彼女にとってどれほど些細なものかを理解させられる。
その態度が癪に触り、思わずこめかみに力が入る。
「座れ」
レヴェナは私を一瞥もしないまま、手近な椅子を指し示した。
「話をするぞ。この結婚の、目的を」




