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ep7 魔族 と 特訓 (3)

ep7 魔族 と 特訓 (3)




「ハァ……」


ルヴァンからの報告を受けたレヴェナは、ほとんど聞き取れないほどの小さなため息を漏らした。イザベラの意志は相変わらず強く、再びリズとの手合わせを望んでいるらしい。


「……加減するようリズに伝えておけ。あいつは加減を知らない」


「わかりました」


レヴェナは目を伏せ、わずかに瞳を細めた。ルヴァンの返事には、どこかに呆れたような響きがあった。


「それとルヴァン。今後もイザベラの修行はお前に任せる」


「………」


言葉に詰まったルヴァンは、露骨に顔をしかめた。しかしレヴェナはそれを一顧だにしなかった。


「万が一怪我でも負われたら面倒だ。修行もほどほどに見張っておけ」


「………わかりました」


しぶしぶ返事をするルヴァンを見て、傍らに控えていたベクタが苦笑し、肩をすくめる。部屋を出ていくルヴァンの背中を見送ったあと、ベクタはレヴェナに向かって呟いた。


「魔族との力量差がわからない方ではないと思いましたが……無謀な挑戦ですね」


「……プライドだけなら、魔族と肩を並べるということだ」


レヴェナの淡々とした声に、ベクタはまた小さく笑った。脳裏に、喧嘩腰で金切り声をあげるイザベラの姿が浮かぶ。


「止めなくてよろしいのですか?」


「……無理に止めようとすれば、余計に反発する。うろちょろされるよりはマシだろ」


ベクタはまたも肩を震わせ、苦笑を漏らした。どこか呆れたような、それでいて諦めにも似た笑みだった。








*********








キィンッ! キィンッ! ガキンッ!


「そうそう、もっとよく見て」


「く……っ!」


まるで軽口を叩くかのような明るい声色。

だが、その裏に隠された容赦ない斬撃は、鋭さを一切損なわない。ユルゲンの動きは、まるで踊るように軽やかで、それでいて鋼鉄の刃のように冷たい。


この男は、私の警護役のくせに「見ているだけでは退屈だからさ〜」などと軽口を叩き、あっさりと稽古の相手を引き受けた。ルヴァンから命じられたのは身体能力の鍛錬。だが、それに加えて剣術の習得を勧めてきたのはティベリウスだ。


魔族との戦いでは、魔力量の差を力任せに埋めることはできない。真正面から魔法をぶつけ合っても、勝ち目など最初からない。人間と魔族との戦いの歴史が教える現実は、私の心に突きつけるように重い。リズ……あの小生意気な女を打ち負かすためには、魔法以外の手段も磨かねばならない。そうでなければ……


ガキィィン……ッ!!


「あっ……!」


「おっと」


必死に防いだつもりの一撃。だが、ユルゲンの剣は容赦なく私の刃を弾き飛ばした。軽々と、まるで私が子供のお遊びをしているかのように。


「ごめんごめん。大丈夫? 怪我してない?」


「……ハァ……ハァ……平気…よっ…!」


言葉を絞り出すのがやっとだった。荒くなる呼吸、痛む腕。剣を握る手が震えているのが自分でもわかる。だというのに、ユルゲンはまるで遊びでもしているかのように涼しい顔をしている。息一つ乱さず、額に汗すら浮かべていない。


その差に、胸の奥がひりついた。手合わせするたび、身に刻まれるように思い知らされる。私たち人間と、魔族の絶望的な差を。


けれど……それでも諦めるわけにはいかない。私は私だ。私のプライドが、私の意地が、あの女に膝を折ることを許さない。


私の剣を拾い上げながら、ぐっと唇を噛んだ。目の前の男に、決して悟られないように。







「大丈夫ですか?」


「……ええ」


ネルが無表情ながらも心配そうに声をかけてくる。私は無理やり口元を吊り上げて笑ってみせた。


ユルゲンとの剣の修練は、ものの数分で終わりを告げた。だが、あのわずかな時間ですら、私の体力も集中力も限界まで削られる。身体に纏う魔力の操作と、彼の剣筋を見極めること。その二つに同時に意識を注ぎ続けるのは、想像以上に骨が折れる。ついていけるのは、その短い時間が限界。それ以上は、体も頭もどうにかなってしまう。


「おつかれ〜イザベラ。この前よりだいぶマシになってきたよ」


ユルゲンが、いつもの調子でにこやかに声をかけてくる。その無邪気さが、無性に腹立たしい。


「……ふん、お世辞はいらないわよ」


「やっぱり先生の腕前がいいからかな〜」


「よく言うわね。まったく……」


自画自賛までして、のんきなものだ。あれだけ私を追い詰めておいて、軽口ばかり。冗談じゃない。


だが、だからといって「もっと手加減してほしい」なんて、口が裂けても言えない。ついていくだけで精一杯な私にとっては必死の稽古も、この男にとってはただの暇つぶしに過ぎないのだと、痛いほどわかっているから。


修行を始めて数日。体中の筋肉や骨が悲鳴をあげている。鈍い痛みが、動くたびに軋む。魔力を無理に使いすぎたせいか、頭の中も霞がかったようにぼんやりしている。


それでも__弱音を吐くわけにはいかない。自分からリズとの再戦を願い出た以上、こんなところで音を上げたら、笑い者になるだけだ。



そして何より



このふざけた笑みを浮かべるユルゲンに、一撃でもいいから入れなければ気が済まない。あのヘラヘラとした顔を、拳でも剣でもいいから叩きつぶしてやりたい。


「……なんでそんな睨んでんの?」


「さぁ……なんでかしらね」


「言っておくけど、これ修行だからね?」


「わかってるわよ。貴方の脳天に一撃入れられたら合格ということも」


「言ってないよそんなこと!」


彼の狼狽える声に、私はにやりと笑みを浮かべた。



数分の模擬戦闘のために、小一時間も体力の回復に努めなければならない。それが今の私の現実だった。椅子に腰を下ろし、呼吸を整えながらもどこか自分に苦笑いが漏れる。


本当に情けないと思う。けれど、この厳しい修行に意味があるのだと最近ようやく気づき始めていた。


何度も剣を交わし、何度も弾き飛ばされる中で一つだけ確かなことがわかった。身体強化だけでは絶対に勝負にならない。剣を握る意味をようやく痛感し始めていた。


ユルゲンとネル。二人との手合わせはどちらも容赦がない。魔力量や身体能力の差を痛感させられるばかりの稽古だったけれど、その中で気づかされた。

いくら身体能力を強化しようと、いくら素早く動けるようになろうと、彼らはそれを軽々と上回る速さと技で迫ってくる。人間の限界などあの瞳の奥には微塵も意味をなさない。


となれば、ただ避けるだけでは意味がない。

一撃一撃をかわすだけでは、いずれ追いつかれ、潰される。

攻撃をすべて避けることなど不可能。

ならば、受け流すしかない。真正面から受け止めては潰されるだけだと身をもって思い知らされた。


あの手数の攻撃をいちいち魔法で弾いていたら、あっという間に魔力切れを起こすに決まっている。魔族の魔力量に比べて、私のそれはあまりにも脆い。魔力を消費する戦い方をすれば、勝負になる前に膝をつくのは目に見えている。


数百年をかけて魔法を発展させてきた人間界。それでもなお、戦場には剣士や騎士が立ち続けた。魔法使いと肩を並べて、時にはそれ以上に戦い抜いてきた。歴史の中で幾度となく繰り返された人間と魔族の戦い。それが示す意味が少しだけわかった気がした。


私はゆっくりと立ち上がり、握りしめた剣を見つめた。疲労に軋む体を引き締めるように、再び剣を握り直す。


不思議な感情が湧いていた。


悔して、身体中が痛くて、辛いはずなのに。

もっと強くなれる。その確信が私の心に火をつけていた。






「……さぁ、そろそろ再開しましょ」


私の声が静かに響くと、ネルはいつもの無表情でこちらを見つめてくる。

その顔には一切の感情が映らない。けれど最近は、声の抑揚や呼吸の僅かな変化から、彼女の内面をほんの少しだけ感じ取れるようになった気がしている。


「…もうよろしいのですか?」


ネルの声は淡々としていて、まるで機械のように正確だ。

私は小さく息をつく。


「余計な心配は無用よ」


私の声は思ったより張りがあった。

身体はまだ重い。ユルゲンとの修行で蓄積した疲れが、腕や足を鉛のように鈍らせている。

それでも、胸の内には確かな火が灯っていた。

今度こそ、彼女に一撃を入れる。

それだけを考えていた。


ネルは無言のまま、静かに地面を蹴る。

その足元から土埃が舞い上がり、彼女の両腕が黒い鎌へと変わる様子が、まるで夜の闇が形を成したかのように見えた。


ゾクリと背筋を這う冷たい感覚。

それでも、私は目を逸らさない。

ネルの魔力操作は完璧で、美しい。恐ろしいほどに。

けれど、その美しさに見惚れている暇などない。


剣を握る手に力を込める。

心臓の鼓動が早鐘を打つ。

身体の痛みも、重さも、すべて振り切って私はネルの姿を真正面から見据えた。


「……行くわよ」


小さく呟いて、自分を奮い立たせる。

土埃が薄れた瞬間、ネルの鎌がわずかに光を弾いた。

その黒い軌跡が目に焼き付く。


「今度こそ……!」


言葉が胸から溢れ出す。

私の足が地を蹴る。

彼女に、一撃を入れるために。







*****






「物好きな人間だな」


鋭く交わる剣戟の音を聞きながら、レベリウスは低く呟いた。訓練場の中央では、ネルとイザベラが一歩も引かぬ気迫で刃を交えている。魔族の硬い石床に響く衝撃音は、二人が単なる遊戯ではなく本気で互いを鍛え合っている証だ。


その様子を隣で見つめるルヴァンに視線を移すと、彼の表情も複雑な色を帯びていた。呆れだけではない感情が確かに……


ルヴァンが口を開く。


「まともな人間なら、魔族の妻になどならない」


「確かにな」


レベリウスは小さく鼻を鳴らす。呆れの混じった声音だった。


一瞬の沈黙を破り、ルヴァンが話題を変える。

「人間界との交渉はどうなっている」


その問いに、レベリウスは少しだけ視線を外し、淡々と答えた。


「ベクタから聞いた話によれば、思いの外人間側が乗り気らしい。人間……いや、正確には国王本人がな」


「国王が?」


ルヴァンの瞳がわずかに揺れる。普段は石のように無表情な彼の顔に、驚きの色がかすかに浮かんだ。


レベリウスは肩をすくめるように言葉を継ぐ。


「なんでも、例の会談で出た鉱山譲渡の話を、あの王はすぐに国民に吹聴したそうだ」


「………」


短い沈黙が落ちる。訓練場には再び剣戟の音だけが響き渡った。

人間の王が軽々しく口にした約束の重みを思えば、ルヴァンの僅かな困惑も無理はなかった。


「……随分と思慮の浅い、愚かな王のようだな」


ルヴァンの声には、抑えきれぬ呆れが滲んでいた。

だが、隣のレベリウスは意外な言葉を返す。


「むしろ俺は一番腹の内が読めない人間だと思っている」


「!」


ルヴァンの目が細められる。だがレベリウスは気負うことなく肩を竦め、口の端をわずかに歪めて続けた。


「まぁ……あくまで勘だけどな」


魔界の誰もが一目置く、長年レヴェナの側近を務める男の言葉。その何気ない一言に、ルヴァンは自身の抱いていた単純な印象を少しだけ修正せざるを得なかった。


「……何か企んでいると?」


「んー……いや、どうだろうな。わからん」


レベリウスの返答は軽い。しかし、その声音の裏には消えない違和感が潜んでいた。


「……人間を信用し過ぎだ」


吐き捨てるようなルヴァンの言葉に、レベリウスは小さく笑った。

「人間のことなんか信用しちゃいねえよ。俺が引っかかるのはレヴェナ様の反応だ」


「……」


「過度な警戒を示していない。この手の事に関するあの人の勘の鋭さは、俺たちが一番よく知っているだろう?」


沈黙。

ルヴァンは鼻を鳴らし、視線を再び訓練場の中央へ戻した。


剣戟の火花を散らすネルとイザベラ。その二人を見ながら、彼の胸中には言葉にできぬ感覚が広がっていく。


何かが変わろうとしている?


戦の予兆ではない。もっと大きく、もっと深い、形の見えない変化。

その波の一端を担うであろう少女の姿を、ルヴァンは無意識に目で追っていた。





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