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ep1 没落の危機、魔族との婚約(1)


聖女、ファナ・リエットが王立学院に転入してきたせいで、私の完璧な人生設計にヒビが入った。


平民出身のくせに、少しばかり魔法の才に恵まれ、人畜無害そうに取り繕った態度で周囲を欺いている。その程度の女に誰が心を奪われるものかと高を括っていたというのに__。


私の婚約者候補として名前を連ねていた貴公子たちは、まるで恋に落ちたかのような目で、あの貧乏娘を見つめていた。


ほんっっとうにくだらない!


あんな田舎娘のどこに魅力を感じるというの? 皆目見当もつかないわ。


五大貴族の一角、アーグレイ家の令嬢にして、未来の王妃となる器を備えたこの私。溢れ出る気品、美貌、才能__どれを取っても、あの娘の百倍は優れているというのに。


はぁ、まったく、やれやれ。見る目のない男というのは、心底呆れるばかりね。


私は困ったように肩をすくめながら、ファナの着ている粗末なローブを見下ろした。


「あらあら、そんな見窄らしいローブしか買えないなんて、可哀想な人ね」


口元に笑みを浮かべながら、優雅に囁く。


「私のお下がりでよければ、何着か恵んであげてもいいわよ?」


「え、えっと……」


戸惑うファナの声を聞きながら、ただ優雅に微笑んでみせた。


高級な刺繍が施されたドレスに身を包んだ私とは対照的に、ファナ・リエットは見るも無惨な粗末なローブを着ていた。そんな貧乏人に、心優しい私は善意で話しかけてあげたというのに__


横から、これまた別の貧乏人が割り込んできた。


「ファナ、せっかくだしもらっておいたら?この女も決闘に負けたくせに何も差し出さないんじゃ、気分が悪いだろうしさ」


心の広い私はその無礼な貧乏人にいちいち目くじらを立てることなく、ゆったりと微笑む。


「あらあら、百回に一度の奇跡の勝利でそこまで調子に乗れるなんて、ずいぶんとおめでたい頭をしているのね」


顎に手を当て、その貧乏人の名を思い出そうとする。


「ええっと、ごめんなさい。お名前は何だったかしら?貧乏人の名前は覚えられないのよ」


「あたしはアンタの名前覚えてるよ。無様に負けた決闘のとき、自信満々に名乗ってたからね」


「あらあら、貧乏人のわりには記憶力が良いのねぇ」


「そりゃあそこまで無様な姿を見せられたら、そう簡単には忘れられないでしょ」


私は一つ、長く息を吐く。


「どうやら躾が必要みたいね。私と決闘しなさい。格の差を思い知らせてあげるわ」


「あれ?ファナへのリベンジが先じゃなくていいの?あ、そっか。また負けちゃうもんね」


「は?」


「ん?」


「イ、イザベラ様もシーアちゃんも、落ち着いてください!」


ファナの困惑した声が割って入る。


__そう、私は以前、このファナ・リエットとの魔法使いの決闘を行ったのだ。


ヴィダール王国に古くから伝わる伝統的な決闘。貴族としての威厳を示し、格の違いを思い知らせるはずだった戦い。


しかし、私はあまりにも油断し、手を抜きすぎてしまった。結果、本来なら負けるはずのない相手に__あの貧乏人に、勝ちを譲ってしまったのだ。


それをいいことに、学院の連中は思慮深い私とは違い、単純にも「ファナ・リエットのほうが優れている」などと勘違いし始めた。


おかげで最近、身の程も弁えない者どもが、生意気な態度を取ってくるようになったというわけ。


本当に、嘆かわしいことだわ。



すると、そこへもう一人の人物が現れた。


「イザベラ、いい加減にしろ」


静かだが、鋭い声が空気を裂く。


その場にいた全員が、一瞬、動きを止めた。


ファナが驚いたように振り返る。彼女の視線の先にいたのは__


「ア、アレン様……」


ヴィダール王国第二王子、アレン・プラウド。


陽光を受けて輝く金色の髪は、目元まで伸びており、その間から覗く鋭い眼光が私を真っ直ぐに射抜いていた。


彼はファナの前に立ち、まるで彼女を庇うかのように私へ向き直る。王族らしい堂々とした佇まい。けれど、彼の視線には不快な怒りが滲んでいた。


私はわざと肩をすくめ、くすりと微笑む。


「あらあら、次期国王候補ともあろう貴方が、そんな貧乏人一人にご執心?」


「彼女に執着しているのはお前の方だ。決闘に敗れた挙句、いつまでもこんなことを……情けないとは思わないのか」


静かに、しかしはっきりとした口調だった。


まるで、私を裁くかのような物言い。


私は表情を崩さず、涼しい顔で髪をかき上げる。


「まあ、私のおかげでその子の前で格好をつけられたのだから、感謝してほしいぐらいだけれど?」


皮肉げに微笑むと、アレンの瞳が鋭さを増した。


あらあら、図星みたいね。


ふふ、恋する男の子に酷なことを言ってしまったかしら?


彼の態度を見て、私はさらに愉快な気分になった。


とはいえ、ここでこれ以上時間を使うのも馬鹿らしい。貧乏人とそれを庇う王子様の茶番に付き合うつもりはない。


「貴方の"騎士ナイト)"が現れたようだから、私はお暇するわね」


私が優雅に踵を返すと、ファナはアレンと私の両方に視線を泳がせてから口を開く。


「え、えっと……」


「なに?結局逃げんの?」


シーアが嘲るように言う。


私はふっと鼻で笑いながら、彼女を横目に見た。


「ええ、貴方相手じゃ暇つぶしにもならないもの」


「へぇ、じゃあ試してみる?」


シーアが一歩踏み出そうとした瞬間


「だ、ダメだってば! シーアちゃん!」


慌てたようにファナがシーアの腕を掴む。


シーアは不満げに舌打ちをしながらも、彼女の言葉に従い一歩退いた。


__フッ、まるで鎖で繋がれた犬ね。


弱い犬ほどよく吠えるとは、まさにこのことだわ。


私は最後に、ファナ・リエットを鋭く睨みつける。


待っていなさい。次の決闘では、完膚なきまでに叩きのめして、私と貴方の格の差を教えてあげる。


胸の奥にふつふつと熱が灯る。


次こそ、私がこの場の全員に思い知らせてあげる。


そう心に誓い、私は背筋を伸ばし、堂々とその場を後にした。






****************






ああ……苛々する。


本当に、心の底から苛立たしい。


なぜ学院の者たちは、揃いも揃ってあんな女を持て囃すのかしら。


ファナ・リエット。


たかが平民出身のくせに、学院の男子たちが彼女に向ける熱視線を思い出すだけで、胸の奥が煮えくり返る。


私こそが、ヴィダール王国でも指折りの名門、アーグレイ家の令嬢。美しさ、気品、才能、どれを取っても彼女より優れているというのに。




バタバタバタッ!


慌ただしい足音が廊下に響いた。


何事かと扉を振り向くと、屋敷の従者の一人が血の気が引いた顔で駆け込んできた。


「お、お嬢様……ッ!!」


荒い息遣いのまま、従者は必死に言葉を搾り出す。


私は眉をひそめ、ため息をついた。


「どうしたのよ、そんなに慌てて」


「だ、旦那様がお呼びです……!」


「お父様が?」


父が私を呼ぶ?


それ自体は珍しいことではない。けれど、目の前の従者は明らかに尋常ではない様子だった。顔色は青白く、膝が震えている。まるで恐ろしいものでも見たかのように。


胸の奥に、得体の知れない不安が広がった。


私は足早に父の自室へと向かう。


コンコン__


「お父様、イザベラです」


扉の向こうから、低く沈んだ声が返ってきた。


「……入りなさい」


扉を開けた瞬間、冷たい空気が頬を撫でた。


部屋の中には、父クレイグと数人の従者__そして、弟のグラン、さらには滅多に屋敷に帰ってこない兄、ロイ・アーグレイの姿があった。


兄がいるというだけで、事の重大さが伝わってくる。


私は足を止め、眉をひそめた。


「お兄様まで……いったい何が……?」


問いかけるも、父は苦しそうに顔を歪め沈黙したまま。


こんな表情の父を見るのは、生まれて初めてかもしれない。


代わりに、兄ロイが口を開いた。


「端的に言おう。この家は潰れる」


__は?


一瞬、耳を疑った。


潰れる? 何が? この家が?


「父上が新興国の連中と画策して新たな事業を立ち上げ、多額の投資をした。しかし、その事業は実現できなかった。結果、投資の回収ができない。この家の全財産を投げ売ったとしても、負債を返すことは不可能だ」


兄は驚くほど冷静に、淡々と事実を述べた。


まるで他人事のように。


「……は? は、はぁ!!?」


意味がわからない。


何を言っているの、お兄様は


話を理解できない。否、理解を拒んでいる私に、長年この屋敷に仕えてきた老従者ガートが静かに口を開いた。


「お嬢様……旦那様は、貴族社会での影響力をさらに高めるため、新興国の商人らとともに新たな貿易事業を画策されておりました」


私は無言で聞く。


「新しい魔法具を開発し、その魔法具によって上級魔法を発動させる……。そして、上級魔法の力を利用し、貿易船の動力を魔力に置き換えることで、輸送の費用を大幅に削減する。また、船そのものを瞬間転送することで、従来の貿易の在り方を根本から変える__それが、この事業の目玉でした」


まるで魔法のような、夢のような計画。


確かにそれが実現すれば、商業に革命を起こし、アーグレイ家の財力と影響力は計り知れないものになっただろう。


……しかし


「……実現できなかった、ですって?」


言葉が、かすかに震えた。


ガートは深く頷く。


「はい。肝心の魔法具の開発が難航し、技術が完成しないまま、投資資金だけが消えていったのです。さらには新興国の商人たちが、開発資金を持ち逃げしたとの噂も……」


「そんな……そんな馬鹿な……」


私の家が。


アーグレイ家が。


没落する?


そんなの、ありえない。信じられない。


「……お兄様、冗談でしょう?」


恐る恐る兄の顔を見た。しかし、ロイは私の必死の問いかけをさらりと流した。


「現実だ」


現実。


その言葉が私の頭の中で鈍く響く。


ぐらり、と視界が揺れた。


屋敷の壁が、天井が、ぐにゃりと歪んで見える。


そんなはずない。


私の未来は、学院を優秀な成績で卒業し、私に見合うだけの完璧な男と結婚し、順風満帆な人生を送る。


それなのに__


「……嘘よ」


震える声が、部屋の中に響いた。





**************





家の没落を回避するため、私たちは考えうる限りの手を尽くした。

父は貴族社会のあらゆる繋がりを辿り、古くからの友人や盟友に助けを求めた。

だが、皆が口を揃えて言ったのは、冷たい拒絶の言葉だった。


「申し訳ないが、アーグレイ家に貸せる金はない」


「私たちにも事情があるのだ」


「……君の家とは長い付き合いだったが、こればかりはどうにも」


恩知らずの薄情者ばかりね…!!


かつて彼らがアーグレイ家の威光にどれほど頼っていたか、忘れたとは言わせない。だが今や没落寸前となった途端、この冷遇だ。


それでも、他人が冷たいのはまだ分かる。けれど__薄情なのは他人だけではなかった。


アーグレイ家の次期当主候補、私の兄、ロイ・アーグレイさえも家の危機を救おうとはしなかったのだ。


いや、それどころか__彼はすでにアーグレイ家を見限っていた。


ロイはこの家が没落することをとうに予見していたのだろう。彼は貴族社会の別の強大な勢力に取り入り、すでに新たな後ろ盾を確保していた。


悔しいが兄は優秀だ。魔法使いとしての才覚は歴代のアーグレイ家の中でも突出している。そんな彼がただの貴族の一員として終わるはずがなかった。


「この家がどうなろうと、俺には関係のない話だ」


ロイはそう言い放った。冷ややかな声色には微塵の感情も宿っていない。


「グラン、イザベラ。本当の才ある者は、家の力に胡座をかくことはない。お前たちは、家が無ければ何もできないのか?」


「なんですって……」


私は信じられない思いで兄を見つめた。


家を支え、再興するのが次期当主の責務ではないの? このまま没落を黙って見過ごすつもりなの?


怒りとも、焦燥ともつかない感情が喉までこみ上げる。

しかし、それよりも先に声を上げたのは弟のグランだった。


「兄上……! こんなことになるって分かってたなら、父上に助言することぐらいできただろ!」


グランの言葉に、ロイはほんのわずかに目を細める。

その表情には嘲笑とも諦念ともつかぬ色が浮かんでいた。


「言ったさ。何度もな」


静かにそう答えたロイの言葉に、場の空気が一瞬凍りつく。


「だが、その度に『杞憂だ』と聞き捨てたのは父上だ」


その瞬間、部屋の空気が重く沈んだ。

父__クレイグ・アーグレイは、言葉もなく沈黙したまま。


兄は忠告をしていた。父はそれを無視した。

そして今、この結果がある。


ロイは静かに溜息をつく。


「俺は最初から、この家が傾く未来を見ていた。だから俺はこの道を選んだ」


そう言って、彼は私たちを見下ろすように視線を巡らせた。


「父上や俺をあてにするばかりで、自分で何一つ成し遂げようとしなかったお前たちにも、失望した」


「……!」


その言葉は、矢のように鋭く胸に突き刺さった。


確かに、私は家があることを前提に生きてきた。

五大貴族の令嬢としての誇り、家の名を輝かせること__それが私の人生だった。


でも、それが無くなったら?


ロイは家が無くとも生きていける。

けれど、私は? グランは? そして、父は?


「俺はもう行く」


ロイが踵を返す。


「兄上…ッ!」


グランが思わず彼の袖を掴もうとしたが、ロイは冷淡に振り払った。


「この家にはもう何の未練もない」


そう言い残し、兄は扉の向こうへと消えた。


それが__アーグレイ家の没落の始まりだった。







ロイが去り、屋敷の空気は一気に沈滞した。


父は疲れ切ったように椅子に崩れ落ち、グランは憤りと悲しみを滲ませながら拳を握りしめていた。


そして私は、必死に考え続けていた。


何か方法はないの?

アーグレイ家を救う術は、本当にもう残されていないの?


貴族としての誇り。

五大貴族の名誉。

それらを手放して没落していく未来など、私は絶対に受け入れられない。


このまま落ちぶれるぐらいなら……どんな手段を使ってでも、この家を存続させる。





__その時だった。


 

重苦しい空気が屋敷を支配する中、廊下を駆ける足音が響く。

ふと顔を上げると、執事のガートが蒼白な顔で駆け寄ってくるのが見えた。


「……お嬢様」


彼の息は荒く、手には一通の封書が握られていた。


「どうしたのよ」


私が問いかけると、ガートは一瞬言葉を詰まらせた。躊躇うように口を開き、震える手で封書を差し出す。


「こちらが……ま、魔界より届いた文書でございます……」


「……ま、魔界?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


魔界__それは、我々人間とは異なる種族・魔族が統治する異界。

強大な魔力を持つ彼らは、かつて幾度となく人間界と争いを繰り返してきた。

だが今は人間界との戦争を避け、独自の文明を築き上げている……はず。


その魔界から、私に宛てた文書?


不審に思いながらも、私はガートの手から封書を受け取る。


封蝋には見たことのない紋章が刻まれていた。それがどの貴族のものかもわからない。

けれど、その不吉な黒い封蝋が文書の送り主がただならぬ存在であることを物語っていた。


私が封を開けようとすると、傍らでグランが怪訝そうに眉を寄せる。


「そんなもの、うかつに開けるべきじゃないだろ」


「わかってるわよ。でも、放っておくわけにもいかないじゃない」


私は慎重に封を解き、中の書状を取り出した。

そこに記されていたのは__思いもしない内容だった。




『アーグレイ家の令嬢、イザベラ・アーグレイ殿へ。

我ら魔族より、婚姻の提案を申し上げる。』




「……………は?」


私は思わず息を呑んだ。


「婚姻の提案……? 魔族が……?」


グランが信じられないものを見るような顔で書状を覗き込む。

ガートもまた、沈痛な面持ちで立ち尽くしていた。


「なによ……これ…!」


震える手で書状を持ち直し、内容を読み進める。


そこには、魔族の高位の者からの正式な申し出であること、そしてこの婚姻がアーグレイ家の現状を救う手立てになるかもしれないことが記されていた。


魔族との__婚約。


それは、前例など聞いたことのない信じがたい提案。


だけれど、これこそがこの没落しかけた家を救う最後の手段なのかもしれなかった。






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