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たった一つのかけがえのない未来に

作者: 東堂柳

 モニターの中の男がスマートフォンの通話を切って、笑みを浮かべる。

「この発明がもうすぐ全国に――いや、世界に届くんだ。想像しただけで胸が躍るよ」

 彼の瞳は潤み、声は微かに震えていた。


「これが、今から三十分後の未来ってことか」

 俺は画面から顔を上げて、対面に座っている――今しがた画面に映っていた男でもある――國枝に半信半疑で尋ねた。

「そう。さっきと同じようにね」

 彼の首肯は確信に満ちている。


 國枝は俺の大学時代の級友だ。たまたま講義で隣の席になり、忘れた資料を貸してもらったことがきっかけで知り合い、意気投合した。よく一緒に呑みに行っては、将来の夢を語ったものだった。しかし、俺は勉強はできても研究はからっきしで、配属された研究室の助教からは何度も筋が悪いと詰められていた。卒論もお慈悲で合格させてもらってどうにか卒業できたようなもの。アカデミアにはまるで向いていないと悟った俺は、大学院に進むのを諦め、そのまま就職した。

 しかし國枝は違う。

 彼は安酒場で語っていた夢を実現するため、着実に功績を重ねていた。卒業した後も彼の姿はニュースでも何度か見かけたほどだ。

 俺にはもう手の届かないところにいる、と思っていた矢先、彼の方から連絡があって、ついに完成した発明を是非ともみてもらいたいと、俺のアパートまで押しかけてきたのだ。

 彼は持ち込んできたノートパソコンを広げると、コンソールを立ち上げて何やら入力してみせた。

 その画面には『futurescope v1.0』とある。

「なんだよこれ」

 困惑する俺に、國枝はたった一言。

「未来を視るツールだ」

 そして彼の実演が始まった。今から二分後の俺の未来を視ると言って、キーボードでコマンドを入力すると、別画面が開いて、監視カメラの映像のような動画が流れ始めた。

 その映像の中では部屋のチャイムが鳴り、俺が玄関を開けると、ネットで注文していた日用品を届けにきた配達員が立っていた。扉を開けた俺の表情は驚愕に満ちており、暫し呆然と佇んでいたところを、配達員が怪訝に思って俺の名前を再度呼びかけていた。

「これが二分後の未来だって? 未だに天気予報すら外れるっていうのに、そんなの当たるわけが――」

 俺が一蹴しようとしたまさにその時、映像通りにチャイムが鳴った。

 刹那、背筋を冷たいものが這ったような感覚に襲われたが、頭を振って立ち上がる。しかし、振り払ったまさかの光景は、扉を開いた次の瞬間、白昼夢のように再現されたのである。

 呆然としている俺に、モニターで見たのと同じ顔をした配達員が、一言一句同じ声をかけるところまで、完全に一致した光景が。

「どうだ、驚いただろう」

 心ここに在らずといった具合で引き返してきた俺に、國枝はしてやったりという満足顔を見せつける。それでも、夢破れて社会の荒波に揉まれた俺は、すっかり現実主義者だった。今の配達員は國枝が用意したサクラだろう。あるいは、俺のネット通販のアカウントにハッキングできれば、いつ頃商品が届くかはわかる。それに合わせて映像を造り、頃合いを見計って俺の部屋に訪れたのだろう。

 そして、半信半疑の俺はもう一度、今度はもっと先の未来を見てみたいと國枝に頼んだのだ。それが、今しがた見た映像である。


「しかしな、本当に未来を視ることができるっていうなら、俺やマスコミに教えたりしないで、自分のために色々使うもんじゃないか。それこそ、宝くじやら競馬やら株やらで一山二山当てることも、他人の未来の発明を盗むことも、犯罪を未然に防いでヒーローになることだってできる」

 が、見た限り國枝はそのいずれにもなっていないようだ。疑惑の目を向ける俺に、彼は力なく首を振った。

「残念だけど、そういう使い方はできないんだ」

 そらみろ、やっぱりこれはただの手の込んだ悪戯ということだ。

「ほう、どうして」

「それを理解するには、この装置についてもう少し踏み込んだ説明が必要だな――よしわかった。説明しよう」

 俺は腕を組んでふんぞり返った。彼が一体どんな嘘八百を並び立てて、俺を担ごうとしているのか見ものである。

「その前に、決定論については知っているな?」

「ああ、ある程度は」

 端的に言えば、全ての出来事は、これまでに起こった出来事から決定されるという考え方だ。

「じゃあ話が早い。要はその決定論を前提に、俺は過去のデータから、この世界の未来をシミュレートしているんだ。高校物理でも、単純な物体の運動は、過去の運動から予測できるだろう。それを様々な物質に対して拡張、適用したのがこの装置だ」

「ゲームの物理演算でも似たようなことしてるだろうけど、さっきの映像は無機質な物体がどう動くかだけでなく、人間の動きまで予測していたよな。そんなことが可能なのか?」

「無論、可能だ。突き詰めれば人間がどう動くかというのは、神経を伝達する電気信号によって決定される。そして当然、その電気信号は物理演算で予測することが可能だ」

「だが、このパソコンでそこまでの演算ができるとはとても……」

 彼が持ってきたのは、型遅れのサイズの大きなノートパソコン一台だけである。國枝はもっともとばかりに頷く。

「流石にそれは無理だ。これはあくまで他人に見せるためのクライアントPCでしかない。演算自体は研究室に置いてある量子スパコンを使っているんだ。実を言うと未来予測の計算自体はそこまで難しくないんだが、これを全世界的に全ての物質に対して適用しようと思ったら、とんでもなく膨大な量の演算を処理しないとならない。それを可能にする計算資源がなかったから、これまで実現できていなかったんだ。まったく、量子コンピュータさまさまだよ」

「しかし、データはどうする? さっきお前は、過去のデータから未来をシミュレートしていると言ったが、その『過去のデータ』というのも全世界的に全ての物質の情報を収集しなけりゃいけないんじゃないのか?」

「その点も昨今のIoT化のおかげで取りやすくなったんだ。今や様々なデバイスから人間の活動データを取得することができる。君が今つけているデジタルウォッチもそう。そこら中にある監視カメラのデータも役に立っているし、そのほかにも、衛星からの情報を使ってよりマクロなデータを収集している。それらを総合することで、未来を予測することができているんだ」

 彼の言葉は芯が通っていて、真実味を帯びているように感じられた。揺るぎない自信で語られるもっともらしい理論に、俺は途端に薄気味が悪くなって、テーブルの下でデジタルウォッチを外した。

「なるほど……。確かに、それならできるかもしれないな。だが、それをギャンブルに使って大金せしめるのに使えないというのはどういうわけだ?」

 不安を押し隠そうとして、俺はタバコに火をつけた。

「そこが重要な問題だ。さっきも言ったように、これは決定論を前提とした未来視の装置なんだ。だから、この装置で見た未来を変えようと誰かが行動する場合、本来知ることのないはずの情報を使って、その誰かの次の行動が決定されることになる。そこに矛盾が生じてしまうんだ」

「いわゆるタイムパラドクスってやつか」

「そう。そこがずっと僕の気になっていたところだったんだ。現実の世界がこのパラドクスをどう解消するのかが。そしてその過程で僕はとんでもないことに気づいてしまったんだ」

「とんでもないこと?」

 鸚鵡返しをした俺の指先は微かに震えていたらしい。テーブルの上にタバコの灰が落ちた。しかし、その疑問に応えずに、國枝は問い返してきた。

「ところで君は普段、どうやって行動している?」

 あまりに単純な質問で、逆に答えるのが難しい。普段そんなことは意識もしていない。俺は考え考え、一言ずつ絞り出すように言った。

「どうやっても何も、こうしたいと思った後に、実際体を動かすんだろ」

「その通り。いや、その通りだと錯覚していたんだ、僕たちは」

 彼の言っていることがよく飲み込めず、俺は眉を顰めることしかできない。

「本当は逆だったんだ――。体が先に動いて、頭がその行動に後から理由づけをしているだけなんだ」

 俄には信じられない説が彼の口から飛び出し、俺は耳を疑った。体が先で、頭が後――?

「そんなバカなことってあるか?」

「人間は普段それを意識しない、いや、できないだけで、そうした例はいくつもあるよ。例えば、酩酊状態でも家には無事に帰ることができるとか、何も考えていなくても身体に染み付いた動作はスムーズにできるというような、無意識下の行動。ほかにも、感情に任せて思ってもいなかったことをつい口にしてしまったり、物が落ちる時に反射的に体が動いてしまったり。頭よりも先に体が動くなんて現象は枚挙にいとまがない。これらはその説を実証する氷山の一角なんだ」

 俺は汗ばんだ手でもう一本タバコを取り出し、火をつけた。それを口に咥えたときに、まるで取り憑かれたようにその考えが脳内を過ぎった。今俺は、頭でタバコを吸おうと思って火をつけたのだろうか。それとも――、

「そしてそれが事実と判ったのは、この装置を使って、まさに君の言っていたように、宝くじで一攫千金を狙おうとした時だよ」

 俺は耳を塞ぎたい気持ちになった。だが、身体が言うことを聞かない。まるで鋼鉄になってしまったかのように両腕が重い。

「僕はどうやっても宝くじを買いに行くことができなかったんだ。どう頑張っても売り場に足を向けることができない。それも当然さ。この装置の未来によれば、その日の僕は、大学の研究室に行って戻ってくることだけをプログラムされていたんだから。宝くじ売り場なんて行きようがないんだ」

「だけど、宝くじならネットでも――」

「当然、買おうとしたさ。でも無理だった。アクセスすることができないんだ。まるで自分の指じゃないみたいに、両手の指が勝手にタイピングするんだよ。一文字一文字。この装置で見た未来と全く同じにね」

 喉が渇いた俺は水に手を伸ばしたが、そこではたと思い止まろうとした。これも身体が勝手に動いているのことなのではないか。プログラムされた行動なのではないかと。だが、頭の指令は完全に無視され、惰性のように腕は前に伸び続け、水のペットボトルを掴んだ。そのまま糸で操られているかのように、左手がキャップを外し、右腕がペットボトルを口に持っていった。

「これでもう分かっただろう。タイムパラドクスなんて起こりようがない。この装置で見た未来は、変えることができない絶対的なものなんだ。そればかりか、これを見てしまった人間は、現実を変えようと思っても行動できず、一種の金縛り、あるいは体外離脱感を今後一生味わうことになる」

「……じゃあどうして、こんな装置を俺に見せたんだ」

 恨みを込めた目つきで彼を見ようとしたが、果たして俺の両目にその感情がこもっているように見えただろうか。

「何、簡単な理由さ。僕はこの装置で知ってしまったんだよ。近い将来待ち受けている絶望的な未来を。そして何より、その絶望的未来をどう頑張っても変えることのできない絶望をね。自分だけこんな思いをするのはまっぴらだ。だから、みんなにもその絶望を共有したくなったんだよ」

 國枝は笑っていた。

 俺の腹の中で沸々とした怒りが湧いて出てくる。俺は感情に任せて怒鳴りつけた。

「それは凄い(ふざけるなよ)。世の中の人間が俺が今味わっているのと同じ絶望を味わうのかと思うと、痛快だよ!(そんな勝手なエゴに世の中の人間を巻き込むなんて、お前いかれてるよ!)」

 一瞬、俺は自分で何を言ったのかがわからなくなった。脳内で発した言葉と、骨を伝って実際に鼓膜を揺るがした音とが、まるで違っていたのである。もしかすると、國枝も俺と同じ症状が起こっているのではないだろうか。彼の語った動機は、他人を思いやる気持ちを持った大学時代の彼の性格からは、到底考えられないようなものだった。果たしてそれは、今の彼の本心だったのだろうか。

 しばらく考え巡らせていた俺を引き戻したのは、國枝のスマートフォンの着信音だった。

 彼は電話に出ると、向こうの相手と何かを話し始めた。テレビや番組といった単語が聞き取れる。おそらく、この発明を世に知らしめるために、ここへ来る前に連絡したと言っていたメディア関係の相手だろう。


 國枝はスマートフォンの通話を切って、笑みを浮かべる。

「この発明がもうすぐ全国に――いや、世界に届くんだ。想像しただけで胸が躍るよ」

 彼の瞳は潤み、声は微かに震えていた。

 映像を見てから、ちょうど三十分が経っていた。

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