世界は縁で溢れている。
八月十四日の一限目のチャイムが鳴る。校庭に男子四十人が揃った。一組と二組の合同授業、その四十人がこれから大地を踏み締めてバトンを渡すのだ。人はそれをリレーという。
「位置について……」
先生の声が校内放送機から流れ出す。僕らはそれぞれ位置についた。僕はクラウチングスタートの構えをする。一走者目は僕と長代、短澤だ。僕は100メートルを走った後、中谷にバトンを渡すことになる。
「ところで、俺もよくツイッターを見てるんす」
隣の走者の長代が走る構えをしつつ僕にそう言ってきた。
「よーい……」
先生の声がこだまする。それはそうだろう。誰も彼もSNS、もといツイッターアカウントの一つくらいはありそうなものだ。
「それで…、アカウントの「M」ってなんて意味っすか?」
「え?」
僕は思わず隣の長代の方を見た。
「ドン」
長代と短澤が走り出す。
「…しまったッ」
僕は一瞬出遅れてしまった。先頭を短澤、その後ろを長代、ラストを僕が走って行く。僕は走りながらしてやられた感が強かった。腕を精一杯振って足をがむしゃらに動かす。なんとかして短澤と長代に追いつかなくては。
カーブに差し掛かったあたりで長代がリードを取った。あの男、実は足が速いんだな。僕は後になってその事実を知った。彼の100メートル走の記録を見たからである。短澤は急速にスピードが落ちてきた。おそらくヤニの吸いすぎだろう。
カーブの終わり際で中谷が手を振って待っている。僕は喰らいつくようにして走った。中谷にバトンを渡そうとして、中谷の方が僕より足が速いことに気づき、僕はもんどり返るようにしてバトンを渡した。中谷が走り去っていく。
結果はラスト三着だった。一着を長代、二着を短澤が勝ち取った。僕はむせそうになる胸を抑えつつ、長代と短澤の方を見た。長代はしてやったりという表情をし、短澤はニヤニヤしていた。
「……メランコリー(Melancholy):憂鬱の「M」だよ」
長代と短澤は笑った。それ絶対涼宮ハルヒの憂鬱の影響だろ、そう言われた。僕も思わず笑ってしまった。確かに涼宮ハルヒの憂鬱が与えた影響はでかい。それはそうだと頷いた。
その時、ある事実に気づいてしまった。彼らもツイッターをして僕のアカウントを特定したのなら、彼らのアカウントも特定できるのではないか、と。ただ、僕はそれは野暮なことだと思った。僕のアカウントが知られる分には別にいい。それは別にいいが、無理して他の人のアカウントを詮索することはよそう。それよりも、今のこの友人関係を大事にしよう。そう思った。
僕ら三人は笑い合いながらカーブを走る中谷を応援した。主人公を女の子が応援できなくとも、僕らが走る彼を応援できるではないか。中谷はガッツポーズをしながら陽の光の中を駆けて行く。
「白い鳥:よく頑張ったね」
僕の頭の中の一羽の鳥が、そう言った気がした。
八月十五日の一限目のチャイムが鳴る。授業は数学だった。数学の授業の内容は小テストであった。僕らは前回授業を受けた微分積分法のテストを受けたのだ。教わった算用数字と計算記号を用いて僕は数式を解いていった。
小テストが終わった後、結果を中谷、短澤と報告しあった。中谷は77点で短澤は82点、僕は76点だった。僕ら三人はその場で教科書とノートを持ち寄り、テストの復習をすることにした。次こそは満点を取るためだ。
「白い鳥:えらいね」
僕は静かに数式の世界に潜っていった。
八月十六日の一限目のチャイムが鳴る。授業は美術だった。僕ら二組の生徒たちは教室にそれぞれキャンパスを立てかけて筆を動かした。僕も筆で絵の具をパレットから取り、キャンパスに続きを描いていく。
「前から思っていたけど、絵上手いな…」
僕の背後から中谷が声をかけてきた。僕は思わずふふふん、と酔った。上手いでしょ、僕は思わずそう言ってしまった。
そこに短澤も近寄ってきて、ほおーと唸った。確かに勉学や運動に関しては彼ら三人には劣るかもしれない。ただ、僕は美術に関しては自信があった。パレットから絵の具を取り、筆をキャンパスに走らせる。僕の想像の世界がそこにはあった。
「白い鳥:次は何を描こうか」
僕は筆を走らせつつ、そう思った。
八月十七日の一限目のチャイムが鳴る。授業は音楽だった。先生の出すピアノのリズムに沿ってクラスが合唱する。
曲名は校歌であった。僕はいつも以上に声を張り上げて校歌を歌った。クラス全体の奏でるリズムとメロディー、ハーモニー、音色が組み合わさり、ひとつの大きなうねりを起こす。そのうねりが校舎全体を包んだ。
「白い鳥:いい歌だよね」
僕は声を震わせた後、そう思った。精一杯自分の持てる限りの声で歌った校歌を聴覚で感じ、この高校が好きになった。
そして八月十八日の一限目のチャイムが鳴った。
授業は国語であった。僕たちは国語の授業を受けつつ、机の下でやり取りをしていた。やり取りをする手段はラインであった。四人で作ったライングループ、そのグループにメッセージが来た。
「明日の文化祭、四人で行こうぜ」
僕らはスタンプを送り合った。
「楽しみだ」
僕はそっと、そう声を出した。そこには、いつも一人で汗水垂らして登校し、一人で休憩時間を迎え、一人でお昼時間を過ごし、一人で下校していく僕はいなかった。僕には確かに友人がいる。その事実に安堵した。
スマホの通知音は、鳴り止まなかった。