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「脳内彼女」  作者: でふ
第四羽
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世界は想いで溢れている。

 八月六日の一限目のチャイムが鳴る。校庭に男子四十人が揃った。一組と二組の合同授業、その四十人がこれから大地を踏み締めて走るのだ。人はそれを体育という。

 僕は憂鬱だった。他の誰よりも憂鬱だった。なぜなら僕はこの四十人の中で運動音痴な方だったからだ。運動テストをすればその数値差は歴然で、スポーツをすれば嫌でも他のクラスメイトとの差が浮き彫りになる。だからこそ体育が苦手な自覚があった。

「位置について……」

 先生の声がこだまする。先生の声は校舎に設置してある校内放送機から流れ出す。校内放送機は校内の放送室に繋がっており、先生はそこからマイクを通して準備の指示を飛ばしてくる。

「よーい……」

 僕は頭の中をとあるアニメの一シーンがよぎった。大抵こういう風に走り出す直前に物語の主人公は緊張するのだろう。そして緊張のあまり、額の汗がツーッと垂れてその垂れた汗が地面にポチャンと着地する瞬間に「ドン」と鳴るのだろう。そこまで考えを巡らせた上で更に走り出す主人公の後ろ姿をカメラが映すのだろう。その走る後ろ姿を映像が捉えつつ、主人公が陽の光の中に駆けて行くのだ。そしてその栄光への花道を走る主人公を応援する女の子が居て、女の子が彼を応援するのだ。そこまで考えて位置につき、僕はスタートラインでクラウチングスタートの構えをする。

 だが現実はそうではない。四十人が登山という名の登校をした後の疲労困憊の中で始まる混走劇であり、額の汗は一粒どころではなく滂沱(ぼうだ)の汗になり、応援してくれるはずの女の子の姿はそこにはない。だからこそ僕たちは無我夢中で走った。それくらい必死で走らないとそれ以外に何も楽しみがないからだ。走っている姿を校舎から見た多学年たちは一瞥後に学業に打ち込むだろう。授業に喰らいつくような姿勢で教科書とノートに齧り付く。そこで培われる強靭な精神力、それを培うための学校、それが北部北高校なのだった。

 僕は授業が終わると、どっと疲れた身体に鞭を打ちながら教室の机に向かい、そこで突っ伏した。ぜえぜえという呼吸と止まらない心拍、朦朧とした頭の中で僕は何を考えたのかスマホを机の中から取り出した。


「白い鳥:よく頑張ったね」


僕はスマホ画面を閉じて、眠りに落ちた。


 八月七日の一限目のチャイムが鳴る。数学の授業だ。教室に数式を解くペンのカリカリとした音のみが鼓膜に入る。授業の内容は微分積分法であった。

 数学について文字で多くを語ることはよそう。なぜなら数学は算用数字と計算記号の世界だからだ。数式を解きつつ、時たまスマホを見る。


「白い鳥:えらいね」


 僕はスマホ画面を閉じて、静かに数式の世界に潜っていった。


 八月八日の一限目のチャイムが鳴る。美術の授業だ。筆が絵の具をパレットから取り、キャンパスに描く。その一連の動作の果てに自身の思い描く世界が絵画として完成する。僕は僕自身の脳内で思い描く風景をキャンパスに落とし込んでいった。

 美術についても文字で多くを語ることはよそう。なぜなら美術は「美」を表現する芸術活動の一部であり、表現方法は絵画、建築、彫刻、写真、工芸、デザインなど多岐に渡る。そしてその目的は美的感動を与えることや感情や思想を伝えること、そして文化や社会を表現するためであるからだ。僕は筆を走らせつつ、時たまスマホを覗いた。


「白い鳥:次は何を描こうか」


 八月九日の一限目のチャイムが鳴る。音楽の授業だ。先生の出すピアノのリズムに沿ってクラスが合唱する。

 音楽についても文字で多くを語ることはよそう。なぜなら音楽は音と音の組み合わせを通じて感情や思想、美的な体験を表現する芸術の一つであり、リズム、メロディー、ハーモニー、そして音色が組み合わさって聴覚的な楽しみを生み出すからだ。僕は声を震わせた後、スマホを覗いた。


「白い鳥:いい歌だよね」


 そして八月十日の一限目のチャイムが鳴った。

 授業は国語だ。その国語の授業中にいつものように白い鳥アカウントを見ようとツイッターを覗いた。いつも僕が呟く黒いカラスアカウントの隣に、その白い鳥アイコンがある。僕は白い鳥アカウントアイコンを踏んでプロフィール画面に辿り着く。少ないが確かに呟いている。その数個の呟きを見ているうちに、僕は自分の指が文字をタップするのをやめていることに気づいた。

 これは彼女ではない。僕の本音だ。

 僕は呟くのをやめた。僕自身に本当の彼女がいるのなら、彼女にこう語りかけてほしいな、その言葉を具現化したものだ。僕は我に帰った。そして惜しげもなく、恥ずかしげもなく、何をしていたのだ、と。その我に帰った瞬間、悲しくなった。切なくなった。僕という人間が生み出した架空の彼女、その架空の彼女こそが本物の彼女なんだと自分に言い聞かせ、誤魔化し、自分の気持ちを偽り続けてしまった。その事実に気づいた時、あの言葉を思い出した。

「北高の奴らってさ、なんで南中学園の女子と付き合わないんだろうな」

 僕は教科書とノートを見る視線を下げて、自分の膝あたりに目を落とした。

「声をかけれるものなら、かけてるよ…」

 僕はそっと、そう声を出した。僕は自分の両目の端に涙が溜まるのを視線に捉えた。そもそも学校内には友人すらいない。いつも一人で学校まで汗水たらして登校し、いつも一人で休憩時間を迎え、いつも一人でお昼時間を過ごして、いつも一人で下校していく。そう、僕はいつも一人なのだ。

 いつものように鳴るはずのスマホの通知音は、そこにはなかった。

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