世界は天使で溢れている。
なんでツイッターアカウントのアイコンを黒い鳥にしたかなんて今ではほとんど覚えていない。覚えていることと言えば、中学当時ツイッターが全世界にリリースし、僕はその波に乗った。そして、青い鳥アイコンのツイッターに反抗して黒い鳥アイコンにしたことくらいだ。十三〜十五歳くらいの中学生時代によくありがちな反抗期、それが親に対してではなく、世界のアメリカ合衆国 (ユナイテッドステイツオブアメリカ)のサービスであるツイッターに向いた、ただそれだけである。今思えば、愚行としか思えないが、それでも当時の僕はそれくらいにしか八つ当たりできる場所がなかったし、何よりほとんど友達もいなかったし、そしてそれだけ親には反抗しなかったということになる。
親から見れば反抗もしないが抵抗もしない、友達は作らない、のないないない尽くしの息子だったろうと思う。その意味では親は面倒見が良かったが、逆に言えば親からするといつでも放置ができた、そういう手のかからない子どもではあったという自覚がある。勝手に。ただまあ、そんなこと今はどうでもいい、どうでも良すぎるほどの瑣末な事実であって、僕の目下の注目の的はツイッターのアカウントであった。
僕は北高に通う途中の下車駅にて南中学園に通学する女子生徒の群れを見た。彼女たちは夏だというのに一様に真っ白の純白の制服に身を包み、胸には白鳥のエンブレムを付けている。女子学生皆が皆、高貴そうに見え、彼女ら以外の学生がまるで下民か何かに見えてしまう。サンサンとした太陽を浴びた彼女たちの制服は真っ白で純真であり、純白に輝きを放っていたのだ。その輝きを見て僕は眩しいな、と思った。
僕は彼女たち南中学園に通う女子生徒の足取りを見つつ、反対方向の坂道を登ることにした。ここから始まる北部北高校の伝統登校、地獄の上り坂が待っている。
北部北高校は県の北部にある山々のうちの一つの峰にある男子校だ。男子校まではそれはそれは地獄すぎるほどの長い斜面が続いていく。その斜面にはいわゆる大きめの家や豪邸が建っており、その大きめの家に住む女子学生が通う場所が南部中央学園、通称南中学園ということになる。豪邸に住む人々は常に天界から下界を見て、天界の天使たちが下界に降りて降臨する、それが南中学園女子学生の学園祭にて披露される毎年恒例の伝統文化、「白鳥の舞」であった。
一方の僕ら北高生徒はというと、苦行という苦行を強いられ、やっと高校に辿り着き、そこでは天界の純真さも恋愛の甘酸っぱさもない、毎日の朝の通学を登山に費やすただの疲れ果てた学生たちであった。天界の遥か上、北部の山々の峰にある高校は、若葉や新芽も咲いていない荒れ果てた荒野が広がっている。その荒野にいる僕ら北高生徒が、下界の華やかな、華やかすぎる白鳥たちをいつも見下ろしてはため息をついているのである。そのため、僕の高校のエンブレムは黒い鳥、カラスで有名であった。
坂を登り終え、北高に着く。僕は正直へばっていた。へばらないはずがない。北部の峰にあるこの高校の標高の高さは伊達ではないのだ。僕も含めて学ランを着ている周囲の北高生徒は息を荒く吐き出しながら精一杯登山という名の通学を頑張っている。彼らの瞳は既に灰色に曇っていた。いい加減バイク通学有りにすればいいのにと思う。
そしてやっと着いた高校から見える景色、それは確かに最初見た時は感動した。うちの県全体が中部から南部へと見え、その先に大きな大海原が広がっているのだ。登り終わった後の達成感がやばい、やばすぎる。最初の頃はそれだけで男子生徒皆が喜んでいたものであった。が、今となっては登り終わった後の疲労感がやばい、やばすぎる。に代わってしまい、とてもじゃないが毎日通学する気になれない、通学するならまだしもそこから授業が始まるのである。疲れ果てて身体も心も廃れてしまい、文字通りカラスの如く天界のその上の寂れた木々から下界を見下ろすのだ。曇りなき眼で見定める、ではない。曇り切った眼で呆然と見る、それに近い。
僕は疲れ果てた顔を揺蕩えながら、いつもの教室の隅の席に座った。他の男子学生はというと、キャッキャワイワイという雰囲気には程遠く、各々机に突っ伏して疲れ果てているのがちらほら、寝ているのがちらほらである。なんなのだ、これは。これが華の高校生活なのか…、何度そう思ったかわからないが、他の男子学生も自分も含めてその考えはとうの昔に捨て去り、既に諦めの境地、残りの3年間を如何に耐え凌ぐかのみを考えていたのである。
僕の心は枯れ果てていた。枯れ果てていたが、指がいつもの高速の速度で画面をタップし、ツイッター画面を開く。朝の通学路で思い浮かんだ一つの案、黒いカラスと白い白鳥の、「M」と「S」のアバンチュールな夏の恋愛を妄想するのだ。その妄想を具現化し、僕のスマホに「彼女」を降臨させるのだ。天界から下界の天使たちを見下ろすのではない。そうではなく、天界がその天界の上から天使を顕現させるのだ。
僕はふふふん、と酔っていた。自分の発想の良さに心酔し切っていたと言ってもいい。僕はゆっくりと自分の黒いカラスアカウントを開き、呟いた。
「黒いカラス:そういえばさ、僕、彼女できたんだよ。いいでしょう」
そして、白い白鳥アカウントの「S」に切り替える。さあて、まずは彼女の設定から考えよう。彼女の設定を少しずつプロフィールに書き込んでいくのだ。そして彼女の呟きを人知れず流していくのだ。考えるだけでも楽しすぎる。
その時、スマホに通知音が鳴った。なんだなんだ? 僕は速攻でアカウントを見る。どうやら黒い鳥のカラスアカウントの方に通知が来たようだった。それは僕の呟きに対するリプライであった。
「アライグマ:嘘乙」
なんなんだこいつ、そう思った。アライグマというアイコンは知っている。僕のフォローフォロワーの仲のうちの一人だ。よく可愛い女の子の画像をリツイートしてきて家でドンジャラをやっている。そういうイメージが着いてしまった。僕は続け様にリプライを飛ばす。それがツイッターの醍醐味だ。
「黒いカラス:嫉妬乙」
僕は満足した表情になった。へへん、いくらフォローフォロワーとは言え、ツイッターに生息するこのアライグマはどうせ彼女もいないのだろう。他人の呟きに妬いてやがる。まあなんたって僕は天界から天使を降臨させた男だからな、ふふん。そう自信があった。なんたってリア充、それが僕なのだ。
続け様に僕の最初の呟きに対して通知が二件届いた。それぞれ別に僕の呟きに対してリプライをしている。僕は通知画面を見た。
「トラ:ふーん、で?」
「フクロウ:彼女が二次元か三次元どっちなのかが見もので笑えるw」
僕はイライラした。なんだなんだ、こいつらは。この二人も僕のフォローフォロワーの仲だ。トラというアイコンは普段は何も呟かない。たまにクソリプを送ってくるか、驚天動地の真実をボソボソっと呟いてきて終わるアカウントであった。フクロウはというと、僕の最初のフォローフォロワーの仲であり、呟きの内容としてはオタク気質であった。僕はそれぞれ返信を送る。返信の内容は凄まじくどうでもいいものだ。文字にするまでもないほどのいわゆるクソみたいな戯言だ。ただ、そのクソみたいな戯言を書くならこうなる。
「黒いカラス:刺さってる刺さってるw」
「黒いカラス:二次元でも三次元でもないんだな、これが!」
僕はここまでリプライを飛ばした。その時、予鈴が鳴った。教室の扉がガラッと開く。そして先生が入ってきた。僕はスマホ画面を消して先生に見つからないように机の中に入れた。普段、校則としてはスマホは鞄の中に入れて電源を切る決まりだった。ただ僕は真面目な生徒ではなかったので、机の中にスマホを忍ばせて授業中にポチポチとツイッターをするのがいつもの癖だった。
僕は白い白鳥アカウントを取り出した。
「白い白鳥:楽しそうだね」
そう自分宛にリプライを送った。僕は恍惚とした表情になり、スマホを閉じた。僕にも彼女ができた。それは二次元でも三次元でもない。僕の中の、僕の妄想の中だけの彼女である。その彼女が具現化して僕に返信を送ってきたのだ。これほど嬉しいことはない。
僕はニヤニヤしながら外を見た。校庭には登校したばかりの二年生たちがいきなりランニングをさせられている。体育の時間だ。僕は心の中で合掌をした。そして校舎から見える下界を見渡した。今日も相変わらず天気が良い。僕はひとり、ウキウキした。