世界は鳥で溢れている。
ある夏の日、高校への登校中での出来事だった。僕は黒い学ランに黒いリュックサックを背負って登校していた。登校中の道すがら、目の前を男女の高校生が歩いていた。制服を見るに他校の生徒だ。白いシャツに青のパンツ姿の男子と黄色のチェック柄のスカートを着た夏服の女子が歩いている。その二人の声が聞こえてきたのだ。
「てかさ、お前、おっぱい大きくね?」
「やめてよー、確かに段々大きくなってきたけど」
僕は羨ましい気持ちでいっぱいになった。彼らはカップルなのだ、昔でいうところのアベックともいう。現代的に言うならリア充、それそのものだった。
僕はそのカップルの後ろを歩いていた。後方5メートルくらいの距離感だ。二人の話し声が嫌でも耳に入ってくる。夏の青空の下、そのカップルの甘酸っぱい青春の一ページがそこにはあった。僕は誰に言われるでもなくこのカップルをストーキングしている気分になってきてしまう。そんなつもりはないのに、彼らの楽しそうな姿を見ていると、自分が惨めに思えてならなかった。僕もそんな青春の一ページを作りたい、作りたいのに、まるでそういう恋愛の世界から切り離されてしまっているように感じた。
「んじゃあさ、学校帰りに俺の家、どうよ?」
「…うん、考えとく」
「考えとくってなんだよ」
僕は居た堪れなくなった。そして頭を垂れた。二人の話をこれ以上聞くのはまずい、そう思った。それか夏の蝉よ、二人の声が掻き消えるまで盛大にミンミンなってくれと願った。
僕は自然と早足になる。二人を追い越そう、そしてこの二人の青春の一ページから離れるのだ。これ以上彼らの恋愛の世界に侵食されるのはまずい、自我を正しく保てなくなってしまう。これ以上聞けばひとりぼっちの僕の世界は崩壊し、いずれ気が狂ってしまうだろう。その崩壊の足音が聞こえそうだった。
二人を急いで追い越していく。その追い越す瞬間、彼らの談笑が聞こえる。僕は自身が笑われている気がしてならなかった。僕というひとりぼっちの人間に対して、二人組の彼ら。そのカップルの笑い声がまるで僕という人間を見下している、馬鹿にしているように聞こえてならなかった。
「てかさ、目の前の奴、北高じゃね?」
「あー、北高だわ北高」
僕はビクッとしてしまう。背中に二人の目線が来ているのを感じた。僕の通う高校は北部北高校、通称北高だ。北高は男子校であり、学ランで通学する高校として近隣から有名であった。
「北高の奴らってさ、なんで南中学園の女子と付き合わないんだろうな。目と鼻の先じゃん。もったいねえ」
「さぁ? なんでだろうね?」
南部中央学園、通常南中学園。南中学園は完全な女子校である。いわゆるお嬢様校として名高い。まるで白鳥のような、高貴な学園である。北高が県の北部、坂の上に位置しているのだが、南中学園は坂の下部、ちょうど県の南部に位置していた。北高生徒はその通学途中に南中学園のそばを通るのだ。そして、カップルの通う高校が中部中心高校、通称中高だった。中高生徒は県の中部に位置してはいるが、北高と南中学園よりは離れた位置にあった。いわゆる夏の大三角形、ベガ・デネブ・アルタイルのような立ち位置だ。ベガが北部北高校、デネブが南部中央学園、アルタイルが中部中心高校、そんな感じである。
確かにそれはそうだ、と思った。北高の奴らが南中学園の女子と付き合えたらどれだけ良いことだろう、高校生活の青春の一ページが一ページどころではなくなる。まるで小説のようにページ数が溢れていくだろう。それくらい男子校は女子校を想っていたのである。そのことに気づかされてしまったのだ。
ただ僕には欠点がある。それは女子とまともに話せないということである。そして、話せないどころか目も合わせられない。それが女子どころではない。男友達一人いないのである。そんな奴が華の南中学園の女子とお近づきになれるはずがあろうか。
二人の談笑が逸れていくのを感じた。おそらく後方の十字路で別れてしまっていたのだろう。改めて二人の話を反芻する。僕はいつもの癖でツイッターを開いた。思いの丈を呟こう、そして頭の中を整理するのだ。
そして、呟こうとしてあることに気づいた。いや、そんなはずがない。お近づきになれるはずがないのである。僕は頭の中で妙に納得してしまった。自分の性格、そして過去の行動歴を最も知っているのは他ならぬ自分自身だ。そして開いたツイッター画面を再度見る。僕のツイッターアカウントのアイコンは黒い鳥だ。アカウント名は「M」である。そして、北高、中高、南中学園のエンブレムはそれぞれ鳥のマークを模している。北高は黒い鳥、中高は黄色い鳥、南中学園は白い鳥である。
「北高の奴らってさ、なんで南中学園の女子と付き合わないんだろうな」
さっきのセリフがリフレインする。
僕の身体に電流が走った、気がした。名探偵コナンの見過ぎである。僕は自分のツイッターアカウントの下部の「新規登録アカウントを作成」ボタンをタップした。そして新しく白い鳥でアカウントを作ったのだ。
彼女ができないならば、彼女を作ればいい。
僕は自分の黒い鳥アカウントと白い鳥アカウント両方を保持し、黒い鳥アカウントで僕自身のことを、白い鳥アカウントで架空の彼女を連想して呟き合うことにした。白い鳥アカウントのアカウント名は「S」にした。
そうして僕は、リア充になった。