サモンアモンカモンマモン
青白い月明かりが薄手のカーテンの隙間から差し込む宵の寝室。部屋の片隅に敷かれた布団の中、マジナは携帯ゲーム機の眩い画面を一心に見つめていた。視力の低い彼女が寝付く前に眼鏡を外して弱い眼球を酷使してまで見るものはゲームではない。ブラウザ機能から辿り着いたインターネット上の怪談掲示板。信憑性の欠片もないオカルトや都市伝説などが囁かれるようなネット黎明期から連綿と続くホラーコンテンツ。怪しさと嘘くささで包まれた危ういサイトが彼女の興味を存分に刺激していたのだ。
「開けちゃうんだ」
恐怖心と期待感が双立した精神状態の少女が呟く。彼女の読んでいた怪談の中では決して開けてはいけないと言われた箱が主人公たちの手で開けられようとしていた。途端に漆塗りの箱から溢れ出す蠱毒の後の大群。撒き散った蟲の死骸から飛び出してきたのは切り落とされた右手。
「ひゃあっ!」
思わずゲーム機を投げ捨てる。生々しい恐怖の文章を目にして少女は厚めの掛け布団を跳ね除ける。しかし彼女にとって現実的な恐怖は自室の外の廊下から足音を立てて近づいてきていた。
「マジナ! まだ起きてるの!」
「ごめんなさーい!」
母親の怒号に面を喰らうマジナ。鬼神が寝床に帰るのを見送ると投げ捨てたゲーム機を充電器に繋げてから毛布を体に掛け直す。しかし怪談話への興奮で精神が高揚仕切った彼女が簡単に寝付けるわけもなく、再び身体を起こして部屋の中をぐるぐると歩き始める。特別恐慌状態に陥っているというわけでもなく、むしろ彼女の精神は未知の体験に歓喜しているのであった。
不意に何かを思いついた彼女は部屋の角にある押し入れをこじ開け、収納品の奥に隠されている小さな紙芝居用の窓を開く。
「ねーねーマモンー」
神秘道具、ワンダーウィンドウの向こう側に広がった空間、砂時計や普通の針の時計、古めのニキシー管時計やデジタル時計……後は時計なのかすら判別不能な絶えず可変する謎の棒型オブジェが空中を漂う奇妙な部屋、マモンと呼ばれた女性の私室であった。当の彼女は普段通りの赤いタンクトップに灰色のショートパンツという着こなし。いつも何かしらの帽子を被っているのだが、本日に限っては前髪を切りそろえた透き通った白髪の上には何もなく、日光浴で使われるようなインフィニティチェアにどっかりと座って自身の肉体を預けきっている。
「なんだよマジナ、良い子はもう寝な」
マモンは手に持って広げた雑誌から目を離さないまま、小馬鹿にしながらも諭すように言った。愛らしい猫が表紙に載った写真集のようだ。
「あのね、なんか……ホラースポットに行きたい!」
マジナが右腕を大きく縦に伸ばして元気に叫ぶ。
「ははぁ……最近ネット怪談に関心してたと思ったらやっぱりだな……」
少女の妄言を聞いて呆れながら猫の写真集を閉じ、時計や小物が飛び交う無重力地帯に放り投げる。
「よし、じゃあ俺が怖い話をしてやる。いや、話じゃないな。実際に体験させてやる」
「異世界のホラー!?」
マジナが興味津々な様子で身を乗り出す。
「これは前に俺がいた世界での悪魔の召喚法だ、手順を間違えると悪魔に呪われるからしっかりやれよ」
「う、うん」
「一、右手の親指を立てて左のこめかみに当てます。二、左腕を上げてから関節を曲げて左手で後頭部を触ります。三、両膝を前に曲げてトァレサマーダと十回唱えます」
「タレサマーダ、タレサマーダ……」
「四、これらを目を瞑った状態でやります」
全身をくねらせた奇妙な格好をした少女の顔付きが強張る。
「なんでそれが四なの! こう言うホラーじゃなくてさ!」
「お前がさっき読んでたのだって別にキモい呪術品ってだけで霊なんか出てこないだろ」
なんで私がゲーム機で読んでいた内容を知っているのか、そうマジナは指摘したくなったがどうせ見透かされているとも思い黙っていることにした。これ以上恥をかかされるというのも少女は望まなかった。
「さぁさ、遅いんだから寝なさいな。明日は土曜日なんだから遊びたいだろ」
「じゃあ一緒に寝てよー、それかおやすみのキスー」
マジナが腕をいっぱいに伸ばして成人女性に抱き着こうとすると、マモンは彼女の顔を平手で押し除ける。
「そういうのはロリコン扱いされるから……」
「ケチ! ケモノ好きのくせに! 少女の部屋の押入れに住み着いてる変質浮浪痴女!」
「ど、どこでそんな言葉覚えてくるんだマセガキ!」
不詳の成人女性は少女の体を引っ張り上げるとワンダーウィンドウの外へと放り投げる。異次元から追い出されたマジナはその勢いのまま畳をゴロゴロと転がり、しばらく壁から壁へと往復した後に方向転換をして敷かれた布団の中へと転がり込んだ。
「うー、刺激……刺激が足りないのだ」
いくらかはそのまま唸り続けていたが、日付が変わる一時間前には少女はすっかり寝付いていた。
『地均しは祠を壊してから』
土曜日の朝方から集まった少女三人組は、資材置き場の土管に腰掛けて本日の作戦会議を行っていた。垢抜けないショートヘアーに度の強い眼鏡を掛けた三角帽子の少女、マジナが土管の上に立ち、身長の差が激しい二人に演説のように語りかけている。
「すなわち! 我々で未知の怪奇の謎を解き明かさないといけないのである!」
「いやぁ、ミステリースポットなんか残ってねーだろ、この科学文明の時代に」
少し大柄な体付きにオレンジのシャツを着たポニーテールの少女、ダイモンが気取った立候補者の思い付きだけの言説に異を唱える。彼女の冷めた眼差しにマジナは苦笑しながら目を泳がせ頬を掻いた。
「マジナは空想に生きてるから……」
肉付きの悪く低めのか細い身体に不釣り合いな長髪が目立つ少女、アヤコがせせら笑う。大門薫と天貝綾子の二人は馬路マジナの親友、とまで言わなくてもいつも一緒にいる友達であった。お互いのことは家が近い事と学校のクラスが同じなこと以外に知っている背景はなかったのだが、資材置き場で遊んでいる内に彼女たちには切っても切れない関係ができあがっていた。
「で、でもさぁ、私たち怪奇調査少女隊は何の実績もないんだよ!?」
「ボクはそんなの参加した覚えないけど……」
「うんうん、ちょっと前まで科学少女部だった気がする」
二人の突き放すような態度にマジナは爪を噛んで悔しがる。ここ数ヶ月の三人の活動目的は大幅な変遷の一途を辿っていた。少女ファンタジーギルド、少女歌劇団、爆走少女軍団等々、多種多様なグループ名を経て唯一目的を達成できた団体は少女珍品古物商ぐらいであった。彼女としても異次元の悪魔が出る窓を入手できるとは思ってもいなかったわけではあるが。
「仮にそう言う曰く付きの場所が残ってるとして、どこにあるのか私達にはわかんねーよ」
「だいたい場所は伏してあるしね……」
ダイモンとアヤコの至極当然な指摘にマジナは戸惑う。考えてみればネット上の怪談の大半は現実にどこに有るかなんてことは一切教えてくれなかった。もちろんその大半が創作であるからと言うのもある。無関係で謂れのない土地に因縁を吹き掛けて開示訴訟なんてなったらそれほど怖い話だ。
「やっぱりこの世界にはもう未知なんて残ってないのかなぁ」
「大人しくスポーツ少女ダイモンズを結成しようぜー」
「カオルはいつもそれだね……」
「でもダイモン野球もサッカーも嫌いじゃん」
「みんながやってることなんか面白くないっつーの! 私が考えた最強エキサイトダイモンスポーツを流行らせなきゃ」
「流行るわけないのに……ボクはやるけど」
そんな調子で三人組はルール整備の甘い俄作りの競技を開始する。ダイモン謹製の新感覚スポーツ、ビルドボールのやり方は珍妙さを極めた。指定したゴールにサッカーボールを運んでいくのは一見平凡ではあったが、その輸送方法がリアカーであった為に生身で衝突すると危険であり、荷台からこぼれたボールをどう車に戻すかはその都度規定が修正されていったのである。また想定よりずっと少ない人数の三人かつ猫車一台と言う構成でやった為か、ダイモンの思い描くようなボールが跳ね回り泥土が撒き散る白熱した試合は起きなかった。
「な、なにこれ」
発案者のダイモンが息切れを起こし猫車の荷台の上に上半身を投げ出す。
「カンナリさんが怒るからこれはやめよ……」
ひ弱なアヤコがゴールポストだった壁際にもたれ掛かり呼吸を荒げている。金成さんはこの資材置き場の持ち主であり、ゴールポストであった塀の裏の家に住んでいた。子どもたちが遊ぶ分にはほぼ放任の心が広い人であったが、ひとたびボールやら泥が家の敷地内に入るとその後一週間は、塀を超える高さのプールサイドで見るような椅子付きの梯子で資材置き場を監視するような執拗な性格の変人であった。
「うぐぐぅ、引き攣る」
激しく動き回った後の腹痛に襲われ、帽子を外したマジナは厚めの茂みに倒れ込む。ダイモンの考える新スポーツは大半がルールが破綻しているか単純に面白くないものであり、このような破滅的な結末はいつものことであった。やはりもっと神秘的なことがしたいなぁ、昨日読んだ怖い話が走馬灯のように浮かび上がる。恐ろしい呪術品、亡霊が出るマンション、現金輸送車失踪、それと……決して触れてはいけない祠……こんなもの読んだか? 違和感の中でマジナの見開いた目の前にあったのは、茂みに打ち捨てられて色褪せたオカルト雑誌の一ページであった。
「あ、あったぁ!」
マジナが騒音まがいの声を張り上げて飛び起きる。彼女が両手に広げた本を覗き見て二人の少女は怪訝ながらも頷いて午後の遊び方を決めたのであった。
「んぁー、おはようございます」
昼前に窓から這い出してきたマモンは眠い目をこすりながら馬路家の階段を降り、居間のテレビで昼ドラを見ていたマジナの母に気の抜けた挨拶をする。
「マモちゃんおはよう、マジナなら遊びに行ったわよ」
「あえー、そうですか……あいつ帽子持っていったな」
マモンは居間の時計を見て当惑する。マジナを追い出したあの後一人で浴びるようにワインを飲んでいた為か時間感覚が完全に消失していた。複数ある平行宇宙の時間経過を把握しながらスケジュールを管理するのは土台無理なので最初から完璧に守るつもりもなかったのだが、基幹としてる時間軸での起床ぐらいは自分でももう少し真面目にやると思っていたので、己のだらしなさに自省の念を抱かずにはいられなかった。
「そうだ、マモちゃん、買い出し行ってきてよぉ」
マジナの母はあらかじめ用意しておいたメモを待ってましたと言わんばかりにマモンに押し付ける。書かれている食材の傾向から今日の夕飯はコロッケだと判別できた。おまけに書かれている自由枠はマモンへのご褒美であろう。
「こんなんで釣られないですよ」
「何いってんのぉ、居候でしょう」
彼女が微笑しながらマモンの肩を小突く。自前の異次元空間で暮らしてるのに、とマモンはわざわざ言わなかったのは、なんだかんだ言っても馬路家から与えられた物を堪能していたからである。特に風呂や炊事などの水回りは自室にそれ用の空間を作っているのにも関わらず当たり前のように馬路家のものを使用していた。
「マモちゃんが来てから家事が楽になって嬉しいわぁ、これほんと」
経産婦のお世辞を鼻で笑いながらマモンは家を出る。軽いサンダルでアスファルトを踏み締め今日の過ごし方を思い浮かべる。婦人から与えた資金の自由を最大限どう使うか、兄弟姉妹の中でもっとも聡明と言われた彼女の思慮は刹那の中に無駄を削ぎ落としたシンプルな答え、はいどら屋の特製カステラの形状を成していた。
乗り換え込みで一時間も掛からずに駅につく距離だったのは彼女たちにとっても幸運だった。駅前のファミリーレストランでの昼食をアヤコのポケットマネーで済ませると、市街地を離れるバスに飛び乗り窓の横を流れる鬱蒼とした木々の集団を見回した後、登山口付近のバス停で降車して奇怪な祠があると言う小高い山を登っていた。マジナは古びたオカルト雑誌を脇に抱えて目をキラキラさせながら歩み続ける。
「聞いたことないけどなぁ、遠足で来たことなかった?」
ダイモンがひ弱なアヤコを引っ張り上げながら進む。山の標高は子供連れでも登りきれるようなもので観光用の山道も整備されており、件の廃墟の祠も山腹の休憩地点から伸びる山頂への道を少し外れたところにあると書かれていた。
「従姉妹の姉さんに何度か連れてきてもらったけど……姉さんも知らないと思うよ……」
アヤコがダイモンの背中にくっついて体を休ませる。午前中に燥ぎ回った後にも関わらず敢行した山登りは少女たちの肉体には酷なものであった。山腹の休憩地点のベンチで雑誌を広げ問題の怪奇現象を確認する。山登りのシーズンから外れている為か他の登山客などはおらず、自販機のジュースも半分が補充されないまま赤いランプを点灯させてていた。
「こっちが山頂ルートだから……あっちのほうだって」
マジナが指差した方向、広い山道から逸れるようにして木々に混じって剥き出しの岩やゴツゴツとした石が群れのごとく立ち並んでいる獣道。その先の雑木林の中にポツンと開けた土地があり、そこに廃社とも廃寺とも判断の着かない木造の廃屋があり、その中に御神体を失った祠の残骸のようなものが残っていると言うのが雑誌の内容であった。情報提供者によれば祠にイタズラをした結果言葉では表せないような恐怖体験をした、と言うことらしかった。
「てかさ、私達そこ行ってどうすんの?」
「そりゃぁ、ねぇ、怪奇クラブだし、怪奇現象を見なきゃ」
「罰当たりなことはしないよ……」
「だいたいなんで雑誌のヤツはその祠にイタズラしたんだよ」
「キャンプとかで酔ってたんじゃない?」
「アレでしょアレ……トイレと勘違いしておしっこかけるとか……」
他愛もない会話を続けながら足元の悪い岩場をすり抜けて煩雑とした木立の合間を縫っていく。十分も掛からずに目標の開けた空き地に辿り着いて三人はその場にへたり込む。もっと神聖で厳然とした場所を想像していた彼女たちの前に現れたのは、苔生した屋根が地面にまで滑り落ち、朽ち切った格子戸がグシャグシャに折れ曲がりながら大口を開けている廃社の残骸であった。周囲の縁にはどこかの業者が不法投棄した冷蔵庫やランプなどの家電、誰かがその場でバーベキューした後に丸ごと捨てたようなグリルとビール缶、塗装の剥がれたドラム缶もある一方で十年も乗ってなさそうな軽トラなどが廃棄されており、度々人の出入りがあるような雰囲気を醸し出していた。
「こいつら全員呪われてるならもっと有名な怪談になってるよな」
ダイモンが皮肉気味に笑って雑草の芝生の上を寝転がる。
「全員呪い殺されたのかもよ……」
アヤコは打ち捨てられたゴミの中から自身の趣味のアクアリウムに使えそうな物を選定して回収している。
「うぬぬ、中はあるかも」
希望を捨てないマジナは開かれた戸口を覗き込み、手持ちのペンライトの光を当てる。太陽が傾き始めていた為か木々の影になった空き地は暗くなり始めていた。
「わぁ!」少女の驚嘆する声に帰る準備をしていた二人が反応して近づいてくる。
廃社の腐りかかった床には黒い盛り土が置かれており、その前には赤い五芒星のようなものが描かれていた。これが一応の御神体なのであろうか。
「これ血じゃない? なわけないか」
「えっ……マジナイタズラするの……これ」
「いやぁ、ここは穏便に、私達の前に現れてほしいだけだからね!」
そう言ってマジナは赤い五芒星の真ん中に先程の休憩地点の自販機で買ったジュース缶を置いて手を合わせる。純粋なお供え物と参拝であるなら危害を与えてこないであろう。三人は日が暮れる前に帰宅すべく来た道を引き返した。
「俺メンチ嫌いなんですけど」
夕飯の支度を手伝いながらマモンは悪態をつく。コロッケと言う予想を外したこと自体は気にすることでもなかった。その前のはいどら屋のカステラが売り切れだった事と純粋にメンチが嫌いと言う気持ちが彼女の苛立たせていたのだ。ハンバーグをわざわざ揚げるぐらいならそのまま焼けばいいのではないか? 崩れやすいジャガイモだから衣をつけるのではないか? そもそも不味くないか? そう言った疑念が彼女の脳裏を過る。
「ダメよ、あの子ジャガイモ嫌いだし。カレーでもニンジンよりジャガイモ避けるのよ」
「ジャガイモアンチは矯正すべきですね」
せめてもの抵抗としてハンバーグ用のワインソースを余った食材で片手間に作る。いつもなら夕方になる前に帰って来るマジナであったが今日はまだ顔を見せなかった。友達の家にいるのだろうか。いるならあの二人だろうから後で連絡してみよう。彼女は鼻歌交じりでキッチンを後にした。
斜陽が沈みきった休憩地点の夕闇の中、三人は自分たちの置かれた状況を確かめていた。山を下り続けてかれこれ二時間、この山腹の休憩所に辿り着いたのは六回ほどであった。登山道に置かれた案内看板は来たときと同じものであったし、坂を一度も上らないように意識して下り続けたこともあった。しかし気がつけば四合目の看板が四回続く下り道を通り、麓の街の明かりだと思っていた光が休憩所のベンチのそばの電灯の光であることを知るのであった。開き直って頂上を目指そうとしたこともあったが今下ってきたはずの登山道が落石で塞がっているのを見て現状に至るのである。
「うぅ……ママぁ……」
「泣くなよアヤコぉ……これはマジナのせいだからな!」
恐怖に慄き涙目になって抱き合う二人を見てマジナはただ萎縮することしかできなかった。マモンから勝手に借りてきた三角帽を深めに被り顔を俯かせる。私がホラースポットに行こうとしたのが悪かったのか。それとも祠に参拝したときに失礼なことをしてしまったのか。不意にマジナの脳内に一つの可能性が思い浮かぶ。
「お供え物が良くなかったのかも」
周辺のゴミの塊はあくまで周囲に捨てられているだけで、廃社の傍らや中には届いていなかった。もしかするとあの祠にいた神さまはお供え物のジュース缶をゴミだと思って怒っているのかもしれない。周辺にはビール缶などが転がっていたし、中身が満タンの缶を直接眼の前に置かれた日には怒り狂っても仕方ない。
「私、あのジュース取りに行く! 二人は待ってて!」
深々と被っていた帽子を持ち上げ、勢い良くベンチから立つと二人を置いて駆け出そうとする。しかし大きく振った片腕を二人の少女が掴んで離さない。
「……ボクも行く……あそこの物盗んできちゃったし……」
「もしかしたらあんなところで私がだらしなく寝たからかもしれないし、なぁ?」
「ふたりとも!」
三人は熱く抱擁を交わして今一度寂れた廃社へと続く石だらけの道を進み始めた。陽の光を失った青黒い夜空には日中眠りについていた星たちが活動を始めていた。月明かりと脆弱なペンライトの灯火だけが照らす薄暗い道筋に翻弄されながら進み続ける。まるで岩石や木々が星と同じように活動して位置を変えたかのごとく彼女たちの進行を阻む。
眼前のか黒い巨岩を前にして三人が歩みを止める。先ほど来たときにはこんな岩はなかったはずだ。振り返って来た道に光を当てる。気がつけば三人は天然の石壁の檻に囲まれていた。
「どうなってんだよぉ! 今来たばっかだろ!」
見た目と裏腹に人一倍怖がりなダイモンが幅を詰めて二人の傍に貼り付く。
「地面が動いてるんだよ……!」
状況を取り巻く怪奇の正体に感づき、ケットに隠し持っていたゲームセンターのメダルを岩場の漆黒の地面に放り投げるアヤコ。ライトの光を反射して煌めいていたそれは汚泥の溜まった沼地に沈み込むようにして私達の前から消えていった。もうオシマイだ。気丈に振る舞っていたマジナの精神は極限まで逼迫していた。
「う、うわぁああん! マモーン!」
マジナは不意に思い浮かんだ友の名を叫ぶ。ほぼ同時であった。吹きこんだ疾風が彼女の頭髪の上に浅めに被せられた三角帽子を打ち上げ、天頂で輝く月を覆い隠す。帽子の裏側から伸びた二枚の灰褐色の翼。白い大鴉の大気を掻き乱す双腕が、地面の巨岩群の大半を抉り取り粉微塵に打ち砕いた。残された奇岩の残党は自分たちが追い詰められる側になることを恐れ地中深くに逃げ去っていく。
「マモン、推参!」
灰鴉の悪魔、マモンが征服を完了した地面の上に降り立つ。手に取った帽子を自身で被ろうとしたが、マジナの潤んだ瞳を見て彼女に被せ直した。心做しか先程まで黒々として闇を描いていた土が単なる足場に戻っているように見えた。
「まったく、お前ら毎回傾向の違う問題を持ってくるなよ」
「ふぇえ、マモン~」
「おぉー、心のソウルメイト~」
「私達のイケジョ様ぁ……」
少女たちが突然現れた救世主にすがりつく。状況の飲み込めない彼女に三人はここまでの経緯を説明し、ここに至る原因となったボロボロのオカルト雑誌を渡す。地面と岩の残滓から敵の性質を判別しきっていた彼女は廃社までの道を歩きながら結論を話す。
「罠なんだよ。お前たちと同じ怪異に巻き込まれたとしたらな、こいつはどうやってこの雑誌に投稿するんだよ」
木々の合間から見える赤い不気味な怪光。昼過ぎまではなんとか形を保っていた廃屋はこの短時間で地震に見舞われたかのように崩れ去っており、その中で何故か内部に仕舞われていたはずの黒土の山と、私が置いたジュースの缶が無傷のまま剥き出しになっていた。
「お前らはあれを汚したわけでも壊したわけでもない。作りかけで放置して、最初から誰かが完成させるのを待ってたんだ。なんでもいいから核を置いて……あの祠を作るのを」
炭酸ジュースで作られた核が鈍い深紅の怪光を明滅させていて、ラベルのデザインが周囲の森林のスクリーンにそのまま映し出されるシュールさにマジナたちは困惑するしかなかった。
「せっかくだし缶蹴りで終わらせるか」
マモンが小馬鹿にするような口調で五芒星の紋様の傍に立つ。素足にそのまま履いたサンダルで豪快に缶を蹴り飛ばそうと足を振り上げた。それと同時に缶の横にあった黒土が缶と五芒星を取り込むように覆いかぶさる。岩石の如く硬化した土塊は彼女の生足を跳ね除けて地面にめり込んだ。
「うぎゃぁっ! くそ、メインはそっちか!」
「きゃぁっ、地震!」
地盤の揺れに耐えきれず少女たちが倒れ込む。土塊を中心とした蟻地獄が打ち捨てられていた廃棄物を吸い込んで巨大な獣の形代を形成していく。瞬間的に翼を広げて空中に飛び上がったマモンはうんざりした表情で土と金属と木が混ざった怪獣が組み上がるのを見つめていた。
眼球の位置についた車のヘッドライト、骨格には廃社の木材を使用し、ビール缶などを圧縮して生成した金属片が歯や爪を構成している四足歩行のキマイラ。喉元にねじ込まれたラジカセのランプが点灯し、奇妙な音楽が流れ始めた。
「――我こそは霊魂宇宙の覇者、岩石御影獣カーソイル! いざ尋常に、勝負!」
「は、はぁ?」
怪獣の気が抜けるような名乗りに思わず滞空姿勢を崩し地面に墜落する。想定の斜め下のノリについていけない彼女に向かってモンスターは突進を仕掛ける。岩石のトラックは彼女を広場のリングの端に跳ね飛ばし枝葉のロープに叩きつけた。
「マモン!」
マジナが叫ぶ。しなる枝葉をバネに飛び戻ってきたマモンがカーソイルの腐った植物の胴体にドロップキックをぶちかまし、怪獣の体勢を崩させる。そのままネジ曲がった配線の尻尾をつかむとジャイアントスイングで振り回そうとする。
「てめぇなにもんだ!」
「我は我の住むアストラル銀河エネルギー帯からこの異世界の星に召喚された実存霊魂……」
「どゆこと?」
「ガンQとかファントゥーンとかの仲間じゃないかな……」
「知らねーキャラだなぁ」
駄弁っている三人を横目に二体の化け物は一進一退の攻防を繰り広げる。怪獣は何分巨体であるためか弱点と言えるような部位を発見し辛く有効打を与えられない。一方で容姿とは無関係の不可思議な馬力と飛行能力、耐久性を持つマモンを相手に怪獣はペースを掴めず単調な突進を繰り返していた。
「お前があの罠を仕掛けたのか!?」
「バカなことを! 我はその星の者から何かを与えられるまで実体化できん!」
冗長化した試合展開に変化をつけるべく怪獣は尻尾の先にドラム缶と車のフレームで出来た金属塊を生成しハンマーのように振り回し始める。読みにくい軌道に翻弄されるマモンの前に伸長する岩石のパンチが飛び込んできた。灰色の翼によるガードが間に合わず腕だけで受け止めようとしたが、膨大な質量が彼女を地面へと叩きつけた。
「ぐぶぇっ、ぐぉっ、くそがっ、作りかけで放置されてた成型肉のくせに……」
「一度実体を持った我の物体形成技術に慄くがよい!」
物体形成、その言葉を聞いてマモンは少しの間考え込み、覚悟を決めたように立ち上がって片腕を天に伸ばす。もう一方の手はポインタを合わせるように怪獣の方へと差し向けられている。実際に彼女の思慮はなんてことのないものであり、この異世界に来てから数えるほどしか使ってないもの、彼女がもっとも得意とする技を行おうとするものであった。
すなわち錬金術である。夜空に向けた右腕からは青白い稲光が放出されており、一方の怪獣に向けられた左腕からは旋風とともに大量のエーテルが溢れ出していた。
「マジナー! 離れてろよ!」
「き、貴様何をする気だ!」
事態の悪化に気付いた怪獣が全身の岩石と金属を正面に集中させ最後の突撃を行おうとしていた。
「もう遅い! 〈空気法〉!」
マモンの腕から放たれたエーテル風が怪獣めがけて吹き荒ぶ。彼女の錬金術、エーテルによる強制的な相転移と分子破壊により固体であったそれを塵より薄い気体へと変換され、対象を取り巻く旋風により大空に舞い上がっていく。怪獣の突進の勢いのまま飛んできた炭酸ジュースの缶をエーテル放出の終わった左手でキャッチし、下げた右手で開けて飲み干す。もはや空き地には彼女と少女三人だけが残されており、あらゆる残骸のない真の空き地だけが存在していた。
「二人はうちでメンチ食べてたことにしてあるからな」
マモンは両手両足で三人を抱えながら翼を広げ、月夜の空を優雅に羽ばたく。レールに縛られることもなく速度すらも列車を有に超えているので彼女たちの街に帰るのにそれほどかからなかった。
「まぁ案外楽しかったよな」
「ダイモンが一番怖がってたくせにぃ……」
いつもの資材置き場に着陸して二人と別れる。街に帰ってきたことでどっと疲れが出たのかマジナはその場から一歩も動けなくなってしまう。マモンは彼女を背負ってマジナ家への帰り道を歩き続ける。
「ねぇねぇマモン、あの祠を作ったのって……」
マジナの質問に答えるべきか悩んだが、少し待ってから口を開いた。
「別世界から来てるヤツらってのは結構いるからな、俺みたいに」
「マモンはこの世界に友達を探しにきたんだよね」
「あぁ、厳密に言えば……兄弟かな」
「見つかるよ! だって私をいつも見つけてくれるんだから!」
マジナが肩から乗り出してマモンの頬にキスをした。彼女なりの感謝の表し方にマモンは照れながらも微笑み返す。正直キスし返したかったが名実ともにロリコン扱いになりそうなので我慢する。でも、今日ぐらい添い寝してあげてもいいだろうか。帰ったら母に許可を取らないといけないな。そんなことを考えながらマモンはマジナ家に辿り着いたのであった。
「でねぇ、お料理全部冷めちゃったわよぉ、マジナ?」
「ママぁ、ごめんなさーい!」
「ははは……やっぱりコロッケが一番なりね……」
おわり