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怖がり少年はこんな世界から逃げ出したい  作者: 汐乃 渚


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1/3

前編

ようやく正式リリースされた某ゲームが面白すぎて、ゾンビものにチャレンジしてみました。

舞台はアメリカの田舎のほうで、設定は基本的にありがちなものです。

お楽しみいただけましたら幸いです。



「はっ……はっ……!」



ジョシュは薄暗い校舎の中を、息を潜めながら移動していた。



「怖い、怖いよ……どうしよう……」



人喰い(ゾンビ)が、自分を追っている。

音を立ててはいけない極限状態であるが、まだ少年の域を出ないジョシュの口からは、恐怖に駆られた呟きが漏れる。



――事態は、数分前に遡る。


ジョシュや友人のリズを含めた物資回収班の数人は、ゾンビの駆除が終わった廃校舎で作業に当たっていた。


かつては高校だった校舎内に残されていた物資の回収は、うまくいっていた……はず、だった。

出口に物資をまとめ、搬出や積み込みが終盤に差し掛かったころに、問題は起きた。


誰かの「『ヨツアシ』だ!!!」という叫び声に、その場にいた人間は一斉に、外に止めてあるトラックに向かって駆け出した。


間抜けなジョシュは、突然のゾンビの出現に対し――咄嗟に、皆が向かう脱出口とは反対方向、一番近くの扉の先へと身を翻してしまったのだった。



人間と同じように二足歩行で徘徊するゾンビに対し、『ヨツアシ』は四つん這いで跳ね回るように移動する個体を指し、危険度も当然高い。


つまり――脅威が、背後から迫っていた。



ただでさえ、ジョシュは極度の怖がりだ。

現在の、いつ襲われるのかわからない状況は、とにかく恐ろしかった。


それに……逃げる際にチラリと見えた、獣のような姿。

そこにかつて『ヒト』であったことを否が応にも感じさせる青白い肌が覗いていたのが、脳裏に焼き付いて離れない。


あまりの恐ろしさに視界が滲むが、ジョシュは歩みを止めるわけにはいかなかった。


身体の震えが、本能が、『ヨツアシ』は自分を追いかけているのだと、ジョシュに実感させた。

『ヒト』ではない『モノ』の与える気味の悪い感覚が、全身に纏わりついてくる。



「あぁ……嫌だ……。もう、こんなところにはいたくない……」



小声でブツブツと呟きを漏らしながら、ジョシュは校舎の奥へと足を進めていく。



***



一人震えながら、静まり返った長い廊下を進む。

突き当りに差し掛かったとき、壁の向こうに投げ出された足が視界に入った。


ドクリ、と心臓が痛いほどに跳ねたのを感じながらも、ジョシュはソロソロと投げ出された足の方へと歩みを進める。

死体やゾンビ化した骸を目にするのも恐ろしかったが、足の持ち主が正体不明なままなのも怖い。

何よりその先が、無作為に思えるジョシュの進行方向であった。


正体不明の足の持ち主は恐らく、既に処理(・・)されたゾンビのものだろう。

しかし、そんなジョシュの想定は裏切られる。


視線の先にいたのは、意外な人物であった。



「ロブさん……!? どうしてここに? 戦闘班は、もう帰ったはずじゃ……」



物資調達に充てられる人員は、戦闘班と回収班に分けられる。


ジョシュたち回収班より先行してゾンビを狩るのが、戦闘班の任務である。

知らされていた情報では既に作業を終え、回収班と入れ替わるように撤収しているということだったのに。


しかもロブは、向こう見ずな戦い方をするが、それ故に戦闘班でも一番強いと言われている人物だ。

コミュニティ内でも一、二を争うほど巨大な体躯を持つ彼が、今はどういうことか、脱力したように壁にもたれかかっている。


驚いたジョシュの声に、ロブは髭だらけの顔をノロノロと上げると、大きく顔をしかめた。



「お前……『ビビりのジョシュ』か? ハッ、俺は後から帰るって、残ったんだよ」

「残った? そんな、一体どうして……?」

「チッ、ガキに話す義理はねぇーわな」



山ほど浮かんでくる疑問にジョシュは戸惑うが、どうやらロブはここに残っていた理由を話したくないらしい。


どのみち、おしゃべりをしているような余裕はない。

ジョシュを追いかけているであろう『ヨツアシ』は、近くまで来ているだろう。


そのことに思い至ると、ジョシュは慌ててロブに視線を合わせる。



「そ、それより! とりあえず、ここを離れましょう!」

「おい、そう急かすなよ」

「『ヨツアシ』ですよ、ロブさん! 急がないと!!」

「なっ……!?」



思ってもみなかったことだったのか、ジョシュの言葉に度肝を抜かれたとばかりに、ロブは驚いた表情を浮かべる。

伸ばされた手を払い、ロブはよろよろと壁に手をつきながら立ち上がった。



「ロブさん、怪我を……?」

「うるせぇな……俺は一人で動ける。ガキが気にするようなことじゃねぇんだよ」

「でも……!」

「行くぞ。ビビリのくせに、口じゃなく、さっさと足を動かしやがれ」

「……っ、はい!」



ヒタヒタと恐怖が忍び寄る。

ロブに促されるまま、ジョシュはその後を追うように再び歩き出した。



***



その後ジョシュとロブは、廃校舎二階にある教室の一室に滑り込んだ。


わざわざ階段を上ったのは、速い移動手段もなく手近な出口から屋外へ出るのは無謀であり、それよりは広い校舎内を移動しつつ、『ヨツアシ』との距離を取ることを選択したためである。


ロブから、血の匂いが漂ってくる。

ジョシュは長い廊下を歩く中、歩を進めるごとにロブの呼吸が荒くなり、状態が悪化していくのを感じていた。

そのため、今はこれ以上の移動は難しいと判断し、半ば強引に適当な教室へ足を踏み入れたのだった。


校内の教室と廊下を隔てる唯一の出入り口であるドアは、不審者対策で頑丈なものが取り付けられていた。

ロックしておけば、隠れ場所としてある程度の安全性は確保できるだろう。



「うっ……!」



しかし教室内の惨状に、ジョシュは思わず身を竦める。


足を踏み入れた教室内には散乱した机や椅子の他、戦闘班によって既に処理(・・)されたゾンビの骸が転がっていた。


首を絶たれた頭部はあらぬ方向を向き、かつてはつなぎ状の作業着だったであろうボロ切れを纏っている胴体からは、肉が腐り落ちた断面が覗いている。


ジョシュたちの属しているコミュニティではゾンビを狩る際、可能な限りは行動不能にした後、首を切断するまでを一連の流れに定めている。

死体が動く原理は解明されていないものの、脳からの電気信号で肉体が動くのと似たようなものではないか、と推測されているためだ。



ジョシュは、腐りかけの死体を前に膝をついた。


恐ろしさが、全身を駆け巡る。


動く死体(ゾンビ)に襲われることは、当然怖い。

痛みや苦しさを想像しただけで怖気が走る。


そして目の前の彼と同じように……自分もその身を腐らせながら、あてどなく生き物を襲う化け物に成り果てる未来が待っている。


ジョシュにとってこの世界は、まるで果てのない悪夢そのものだった。



目に涙を溜め口元を押さえるジョシュの方へ、ロブは憐れむような視線を向けた。



「まだ慣れないか。……難儀だな」



世界が変貌して、早数年。

ジョシュはもう、怯えるだけで済まされる子供ではない。


恐怖が消え去ることがなくとも、順応できてしかるべきである。


にもかかわらず……今もジョシュは、動かぬ死体から視線を逸らすこともできない。

身体の奥底から湧き上がってくる恐怖に震えることしかできない自分が情けなく、酷く惨めに思えた。



外はまだ明るかったが、雨が降り始めたらしい。

割れた窓ガラスの向こうから伝わるじめじめとした不快感が、気味の悪い不安と恐怖に拍車をかける。


腐臭が、一層濃密さを増した。



***



咳込みながら体勢を崩したロブに、ジョシュは弾かれたように駆け寄った。



「ロブさん……!! やっぱり、大丈夫じゃないんでしょう!?」

「ぐ……チッ、わかったから離れろ」



ロブは教室内の壁にもたれながら、崩れ落ちるように床に座り込んだ。

息はゼイゼイと荒く、額には脂汗が浮かんでいる。



「あぁっ、クソっ!」

「僕がやりますから、少しジッとしててください」



使い古されたジャケットを苦労して脱がせれば、その下に着ていたシャツの右腕部分が、おびただしい量の血で染まっている。



「こんな状態で動いていたなんて……! まだ意識があるのが不思議なくらいですよ」

「ハッ! この程度で死ねるなら苦労はねぇよ」

「やっぱり……ロブさんはタフですね」

「俺も、自分の頑丈さにはほとほと呆れる……っつ」



簡易的な止血が施された肩のあたりを確認していると、よほど痛むようで、ロブが大きく顔を歪めた。

シャツの上腕部には複数の裂け目があり、その下に傷があるのだろう。


傷の状態を確認するため、ジョシュは取り出したマルチツールの小さなナイフの刃で、傷口付近の布を切り取った。



「そんな、酷い……!」



恐らく、ゾンビに噛まれたのだろう。

そこには大きな円状の深い傷が、くっきりと浮かび上がっていた。


相手は、既に人の域を超えた化け物だ。

厚手のジャケットのおかげで噛み千切られることはなかったようだが、よほど強い力だったに違いない。


皮膚の裂けた傷口は深く抉れ、今も血が滴り落ちている。



一刻も早く治療すべきではあるが、ジョシュの手持ちではどうしようもない。

この高校にも保健室はあったが、薬品や備品などは優先的に持ち出したので、今はもぬけの殻である。


今できることといえば、再度止血をして、布を巻きなおす程度だった。


焦りと恐怖に押しつぶされそうなジョシュに、ロブは更なる追い打ちをかける。



「あー、見てわかるだろうが、俺の右腕は多分使い物にならん。せいぜい肉壁になるかってところだな」

「ダメですよ……! そんなこと、言わないでください!」

「つっても、なぁ。お前もわかってるだろ? 救助は、来ない」

「それは……、はい……」



――助けは来ない。

それは、コミュニティの規則だった。


人命優先が掲げられているが、今回のジョシュたちのような、生死不明の仲間の捜索や救助は許可されない。

これまでの経験から手遅れな場合が多く、そのためのリスクは冒せないという判断であった。



「遠目から確認くらいはするだろうが……それがいつになるのかはわからん。明日かもしれんし、来月ってこともあるだろう。……ま、そんときゃ俺たちは、確実にくたばっちまってるだろうがな」



ロブはニタリと笑みを浮かべたが、ジョシュにはそうは思えなかった。


ロブはいつだって捨て身の――命を投げ出すような戦い方をしてきたが、必ず生き延びてきた。

命を削り、仲間を守りながら、数多の死線を潜り抜けてきた猛者である。


数えきれないほど傷だらけの体が、それを証明していた。


死にそうなほどの大怪我を負っても、しばらくすればまた復帰する姿に、誰もが驚嘆した。

医者の腕も良いのだろうが……兎にも角にも、とんでもない生命力の持ち主なのだ。



「血を止めて、食料さえ見つかれば……きっと、ロブさんなら生き延びられますよ」

「……買い被り過ぎだ。もう、碌に目も見えねぇときた。いい加減、ガタが来てるんだよ」



ふらついていたのは腕の怪我のせいだと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。



「何より、噛まれてるしな……。『抗体』が多少強かろうと、そう長く持つとも思えん」



ゾンビ化は感染する類のものだった。

しかし噛まれたからといって、すぐに彼らと同じようになってしまうわけではない。


この地獄のような環境を今も生き延びている人間には、ある程度、ゾンビ化に対する抗体があると言われている。

恐らく感染の程度によるのだろうが、必ずしも化け物になるとは限らない。


感染は薬で抑えられることもわかっているのだが……ここにはないのだ。

何日も帰れない状況が続けば、いかにロブの生命力が桁外れといえど、手遅れになってしまうだろう。


ロブの状態は、ジョシュが思っていた以上に深刻だった。



「さらに残念なお知らせだ。入ってきたところに戻っても、俺のバイクはない。ショットガンと一緒に、先に帰しちまったからな」

「それは……仕方ありません。だって、もうゾンビはいないはずだったんですから」

「……あぁ。とんだ想定外ってヤツだ」



口惜しそうに言うと、ロブは痛みに顔をしかめながら、懐から一丁のリボルバーを取り出した。

銃身の短い、大口径の大型拳銃である。



「今あるのは、これだけだ。見てわかるだろうが、ただのハンドガンじゃない。……44口径は、撃ったことあるか?」

「いえ……」

「ハ、だろうな。ガキに持たせるなんて正気じゃねぇ」



ロブの持っているような大口径の銃は、反動が非常に大きい。

訓練した者でなければ、使いこなすのは難しいだろう。


とてもではないが、ジョシュには到底扱えそうにない代物である。


狙いをつけたところで当たるはずもなく、撃ったジョシュの方が怪我をする可能性が高い。



「中には熊用の弾が込めてある。ゾンビの腐った脳みそなんぞ、ポップコーンみたいに弾け飛ぶだろうが……それも、当たれば(・・・・)の話だ」



ロブは右腕の傷口を見やり、苦しそうにうめいた。



「利き腕がこんなだしな。これですばしっこい『ヨツアシ』を相手にしようなんてのは、土台無理な話ってもんだ」



怪我をしていない左手で、握った銃の感触を確かめながら、ロブは首を横に振る。



「ま、戦って倒すのは難しいだろうな。向こうの方がとんでもなく速いんだ。どうにか狙ってみたところで……首を食い千切られて、仲良くあの世逝きだろうさ」



ロブは銃を握りしめたまま、ジョシュの顔を覗き込む。



「だが、もしも(・・・)ってこともある。コイツを持ちたいなら、お前が持ってたっていい。いざってとき、俺がもたもたと手間取ってる間に喰われるくらいなら、お前に賭けるのも悪くない……んだが」



傷だらけのロブの顔には、憐憫の色が浮かんでいた。



「お前は……撃てないんだろう?」



その言葉に、恐怖が再び這い上がってくる。


ジョシュの脳裏に、苦い記憶が蘇った。



***



実は、ジョシュが子供用の作業を卒業し、初めて配属されたのは――まさかの戦闘班だった。


ゾンビを狩るのが主な任務である戦闘班は、志願率の高い、いわゆる花形である。

危険な地へ赴き、皆のために戦い、勇気と希望を与える、そんな名誉ある役割なのだ。


同じ年ごろの友人たちは、真っ先に戦闘班へ志願したが……当然、怖がりのジョシュは自ら志願したわけではなかった。



志願者は多いが、望まれる適性を満たす者は、そういない。

また死傷率も群を抜いているため、人手はいくらでも必要とされる。


若く、細身であるものの身長が高いジョシュは、不本意ながら最低限の適正を見込まれ、割り当てられたのだった。



リズは気が強く頼りになる少女だが、小柄な体格と大きな銃の取り回しが不得手であることを指摘され、不適格と断じられた。


女性であることも、理由の一つだったのだろう。

戦闘班に配属される女性も皆無ではないが、やはり圧倒的に男性が多いのは、身体的な特徴によるところが大きい。



皆のためにゾンビと戦おうと志願したリズが落とされてしまったにもかかわらず、折角指名されたというのに、怖がりを理由に固辞する勇気もまた、ジョシュには無かった。


リズの分も頑張ろうと、何とか気持ちを奮い立たせたのだ。



しかし現実は残酷で、その程度の気持ちで乗り越えられるようなものではなかった。



***



ジョシュは、仮配属という形で戦闘班に同行した。


はじめのうちは、後方で大人たちの戦う様子を見て学ぶようにと言い含められた。

妙な英雄願望を出すなとも。


きっとその言葉は、共に仮配属されたもう一人の友人、アルに向けられたものだったのだろう。

悪い奴ではないのだが、少々自己主張の強いところもある少年なのだ。



唸り声を上げ迫りくるゾンビは恐ろしかったが、大人たちの背中は頼もしかった。


狭い屋内での接近戦は、視野が狭くなりがちである。

ルーキーを二人連れていたこともあり、注意が散漫になった隙に近づくゾンビがいた。



――気づいたのは、ジョシュだけだった。



当初想定していた以上の激しい戦闘を繰り広げる前方と、その周囲を警戒する後方。

ゾンビは、そのさらに背後からやってきたのだった。


嫌な予感にジョシュが振り返ると、こちらへゆっくりと歩を進める青白い顔が見えた。



ジョシュの手には、拳銃が握られていた。

『見学』のため、護身用のお守り程度に持たされていたものだった。


あまりの恐ろしさにジョシュは声も出せず、しかし訓練された通りに、ゆっくりと近づくゾンビの頭に照準を合わせた。



――ただ、引き金を引くだけだった。


幸運なことに、ゾンビの歩みは遅かった。

当たらずとも、ジョシュの発した銃声に仲間が反応してくれたはずだ。


しかし……ジョシュはただただ、徐々に近づく青白い顔を凝視するのみであった。



恐ろしさに、身体が震えていた。

声も出せない恐怖に締め付けられていた。


自分が傷つくのも、友達や仲間が傷つけられるのも嫌だった。


けれど、恐ろしかった。


生気が失われ、表情の抜け落ちた青白い顔が。

伸ばされた指先が。


――ヒトにしか、見えなかったから。



ジョシュが引き金を引くことで、動かなくなってしまうことが恐ろしかった。



結局、様子のおかしいジョシュに気づいたアルが叫んだことで、ゾンビは速やかに処理された。


その日は数名の怪我人が出たものの大きな被害もなく、無事に帰ってくることができたのだった。



***



帰還後、報告の場でジョシュは速やかに戦闘班から外された。


自らの申告により、ジョシュは戦闘班の人間にとって、信頼し、背中を預けられる仲間ではなく、むしろ周囲を危険に晒す可能性が高いと判断されたのだ。

誰かがそう責めたわけではなく、涙ながらにジョシュが自らをそのように評した末のことである。


庇う者も少なからずいたが、ジョシュの戦闘班への配属は時期尚早であるということで、皆の意見は一致した。



ゆっくりと迫る青白い顔を前に、銃を構えても撃つことができなかった愚かな理由は、誰にも打ち明けられない。


そうしてジョシュは惨めな苦しさを抱えたまま、回収班の一員となったのだった。



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