夫は恋をしてみたいらしい
趣味を込めて書きました。よろしくお願いします。
描写は全くありませんが、R18を想起させる内容が少しありますので、ご注意下さい。
「恋する薬!?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
執務室に呼び出されたから、領地関係で何かしらの問題が起こったのかと思えば。
「ああ、手に入れたんだ」
優雅にお茶を飲みながら、夫であるオリヴィエはそう言った。
オリヴィエは、まぁモテる。人間味のある端麗な容姿に、先を見据えたような鋭い空色の瞳は、人の目を引いて離さない。
それに、若くしてエグマリヌ伯爵家の当主だから。
あまり表情が変わらないことが欠点だが、王族でも公爵でも侯爵でもない、手を伸ばせば届きそうな距離にいる若い美男子で、しかも当主! なのだ。人気がないはずがなかった。
あとはまだ結婚して二年も経っておらず、子にも恵まれていないからということもあるだろう。
だから、妻の私がいるにも関わらず、既婚未婚問わず思いを寄せる者は多い。
つい最近も告白されたと報告があったが、『そういうの、要らないから』と、相手が可哀想なほどはっきり断ったらしい。
だから、恋などに興味がないと思っていた。それなのにどうして?
「なぜ、そのようなものを」
動揺して、少々責めるような口調になってしまった。
なぜなら私はオリヴィエに恋をしているけれど、彼は私に恋をしていないから。
私を家族のように愛しているが、世間で言われる"オシドリ夫婦"のような関係ではない。
夫はいつになく真剣な顔だった。
「俺と君は、幼い頃から決まっていた政略結婚だ。そして俺は君のことを妻として好ましく思っているし、君も俺のことを好いているだろう」
「随分と自信がありますね?」
腕を組んで夫をジトっと見ると、彼は少しショックを受けたような顔をした。
「……モニカ、違うのか?」
「違いません」
婚約した当初から、私は彼に好きだと言いまくって犬のように付きまとっていたから隠しようが無い。
夫は気を取り直すように咳払いする。
「とにかく、家族愛が我々の間にあることは疑いようがない」
そしてちょっと深刻そうな顔で言った。
「だが、俺は恋とやらを経験したことがないと気付いたんだ。
巷では、真実の愛やら恋物語で盛り上がっているだろう?
だからどんなものだろうと気になって。
それに、"恋"とやらどういうものか知っていれば、先日の事件のようなことを防げるやもしれん」
「はあ、なるほど」
先日の事件というのは、どこぞの偉い人が真実の愛を見つけただとかで、大衆の前で婚約破棄をしてしまった事件だ。
非常に傍迷惑な事件だった、と珍しく夫が愚痴をこぼしていた。
恋について知り合い——夫にはどうやら知り合いしかいないらしい。自称友人たちが可哀想だ——に話を聞いたものの結局解らず、最終的に薬を使うという結論に至ったらしい。
「職場の女性から『私が"恋"を教えて差し上げますよぉ♡』などと言われたのでは?」
「……ああ、そういえばそんなこと言われたような?」
どうだったかな、と夫は首を傾げた。全然記憶に残っていないみたいだ。
薬を使ってみるだなんて相変わらず突飛なことを、と感心する。
夫は、仕事はきちんとできるのにちょっとズレている人だった。私は彼のそんなところが好きだった。
「恋したい相手の魔力を入れたこの薬を飲むことで、恋を体験できるらしい。これがその薬だ」
夫は机の上に金属の装飾がされたガラス瓶を置いた。
「どこでお買いになったのですか?」
「知り合いの魔女が調合してくれた」
「あの方ですか」
琥珀色の髪の、健康さが美しい女性を思い浮かべる。彼女の作る薬は安全安心と評判だ。ならば飲んだとて、体に大した害は無いだろう。
「これは、どなたの魔力を入れる予定で」
返答によっては両親に相談する必要があるなと、頭の中で手紙の草案を作成しておく。
時候の挨拶を思い浮かべただけで鼻の奥がつんとしてきた。
「君の魔力に決まっているだろう」
何言っているんだ、と夫は眉間に皺を寄せた。
「君に恋したいと、作ってもらったのだから」
「そうですか」
表情にはおくびにも出さないが、そんな夫の何気ない言葉で一喜一憂する自分は随分と沼に嵌り込んでいる。
夫はそうじゃないのに。そう思うと胸が苦しくて仕方がない。
でもこの薬を使えば、夫も同じ気持ちになってくれるのだろうか?
「それで、これにわたしの魔力を入れたら良いのですね?」
小瓶を机の上から取り上げる。中で碧色の液体がゆるりと波打った。
「説明によればそうらしいが」
蓋の上に、小指の爪くらいの大きさの透明な石が付いていた。
「その蓋の石に魔力を込めながら軽く振って混ぜてくれ。魔力が溶けて液体が紫色になるそうだ。
石が桃色になったら、完成した合図になるらしい」
「そうなのですか」
石に人差し指を当てるように持つ。そして魔力を込めながら、どうか自分に恋してくれますようにと祈りながら、瓶を振る。
「んー、変わってますか?」
碧色の液体がゆっくり紫に変わっていくのが見えた。
「ほう、紫甘藍の汁みたいだな」
「もうすこし可愛いらしい例えはないのですか」
人差し指をどけてみると、石が桃色になっていた。
「完成したようです。どうぞ」
夫に手渡す。受け取った夫は、
「ああ、ありがとう」
少し緊張しているようだ。未知に挑むのだから構えてしまうのは仕方が無いだろう。そして意を決して瓶の蓋を開けて、液体を飲み干した。
「どうですか?」
「……凄く甘い」
「味を聞いているわけではありません。体調に変化はありますか?」
「うむ、……よくわからないな」
「しばらく見つめ合ってみます?」
「そうだな」
見つめ合って、どうせ私の方が先に照れて目を逸らすだろうと思っていた。
けれど数秒もしないうちに、夫の方が先に慌てたように目を逸らした。
「何故目を逸らしたのですか」
少し期待をして、夫に近づいて顔を覗き込む。
「君を見ていたら、鼓動が早くなって君に触れたいと」
夫は首まで赤くして、顔を逸らしたまま言う。これはもしかして。
「それに体が熱い。風邪引いたかもしれない」
と夫は熱っぽい息を吐いた。血色が良くなった肌は汗ばんでいて、いつも眼光鋭い目は熱に浮かされたように潤んで、
「……それ、媚薬なのでは?」
「ああ、なるほど」
それは思い至らなかったな、と気怠げに呟いた夫に、やっぱこの人私生活ではポンコツだな、と再確認する。
そしてそんな上手いこと行くわけないじゃない、とそっとため息をついた。
「オリヴィエ、嫌でないならば、お相手しましょうか? それとも解毒を」
言い終わらないうちに夫は私を引き寄せ、キスをする。普段よりも情熱的で、切なくなるものだった。
「ん、相手を頼む」
自分を見つめる色気ダダ漏れの夫に、胸がぎゅうっと苦しくなった。
そして更に深みに嵌ってしまったことを自覚した。
*
「——みたいなことがあったのですが、魔女様?」
後日、薬を作ったであろう知り合いの魔女に詰め寄る。
「あー、そういえばそんなこと」
魔女はすっかり忘れてたわーと頬を掻く。
「だってあの朴念仁変なこと言うんだもの」
「あの人いつも変なこと言うでしょう。あれでも本人は真面目に言っているのですよ? 何ゆえ媚薬を渡したのですか」
「恋って発情じゃん?」
魔女は首を傾げた。綺麗な琥珀色の髪がさらりと揺れて光を弾く。発言がそれでなければキマっていたのかもしれないが。
「極端に振りすぎですよ」
純粋に精神的な恋だってある。
「えー、そう? だとしたら純粋に精神的な方の恋させる薬は無いかなぁ」
あはは、と魔女は笑った。
「でもよかったじゃん? 『君に恋したい』って言ってもらえて。ずーっと好きだったもんね」
「……ええ、まあ」
初めて顔を合わせた日に夫に一目惚れしてから、ずっと恋をしている。
その熱は冷めることなく、叶うこともなく、じくじくと私を蝕んでいるのだ。
「ところであの薬、いつ効果が切れるのですか」
「え? もう切れてると思うんだけど。効果は1日持たないくらいよ?」
「あの人、全っ然戻らないのですが」
あの日以降、なんだかずっと私を見てくるし、やたら距離が近いしスキンシップをとりたがる。
心臓が持たないからやめてほしい。いや、やっぱりやめないでほしい。
「何より仕事人間だったあの人が、『君と離れてしまうから仕事に行きたくない』だなんて言ったのですよ!?」
「嬉しくないの?」
「嬉しいに決まっているじゃないですか!!
……でも、今までそんなことがなかったから薬のせいで変なことになっているのではないかと、不安で」
彼の熱を知ってしまった今、また以前のような、ただそばで他愛のない会話をして、時々だけ触れ合うような生活に戻ってしまったら。
私はもう平静ではいられない。気持ちが欲しいと泣き喚いて、縋って責めてしまうだろう。
そうなってしまえば、いくらぼーっとした夫でも嫌気がさしてしまうかもしれない。
「なによぅ、私の薬は安心安全が売りなのよ。副作用とかそんなわけないじゃない」
魔女は口を尖らせ抗議する。
「じゃあどうして」
と途方に暮れる私に、
「それはさぁ、」
と魔女はにやにやして言った。
「あなたに向ける愛がなんなのか、ようやく自覚した、ってことなんじゃない?」
『恋をする薬を作ってほしい』
『彼女は俺のことが好きだろう』
『それに応えてやりたいんだ』
「……なんて言ってたのよ。やっぱり愛って良いわねぇ」
ここまで読んでくださりありがとうございます。