イリスに宿る妖精
昼食後、エリーゼはアロイスとリタと共に、祖父母の墓を訪れた。
祖父母は、邸から徒歩で行ける、領地の共同墓地の一画で、静かに眠りについていた。前領主夫婦のものだというのに派手さはなく、シンプルな墓石が並んでいた。まるで、生前の慎ましい人柄を表しているようだった。
エリーゼは膝を折り、墓石を見つめながら声をかけた。
「お祖父様、お祖母様、エリーゼです。会いに来るのが遅くなり、申し訳ありませんでした」
アロイスとリタは無言で、墓石周りの雑草を引き抜き、掃除を始めた。エリーゼもすぐに加わり、墓を綺麗にしていく。
数分後、綺麗になった墓石に、リタがイリスの花束を捧げた。
そして、アロイスとリタは跪き、黙とうした。二人の真似をして、エリーゼも黙とうした。
しばらくの静かな時間が過ぎた後、アロイスがポツリと呟いた。
「兄妹揃って、来れて良かった」
複雑な思いを込めた一言に、エリーゼはアロイスの心の闇に触れた気がした。
「はい……」
エリーゼはざわつく心を押し込め、返事した。
転生してしまったことは、どうしようもないと心に言い聞かせる。見るべきことは、これからの未来なのだと忘れないように繰り返す。
「旦那様、また三人で来ましょうね」
リタが重苦しくなりそうな空気を、朗らかな一言で消し去った。
「うん、リタ。ありがとう」
アロイスは、リタの肩を抱き寄せ笑った。
アロイスの顔に、仄暗い恐ろしい感情はもう無かった。
リタは、ずっとこうしてアロイスを支えてきたのだと、目の当たりにした。
アロイスは何度も傷ついた心を、リタに慰められ、どうにかこうにか乗り越えてきたのだと。
「お兄様、リタ様の言う通り、また来ましょうね」
「そうだな、また、来よう」
エリーゼは、未来にしたいことだけを口にした。
それを、アロイスも静かに受け止めた。
後悔を口にするのは、容易いことだ。
しかし、言ったところで、自分の気が紛れる程度で、根本の解決には全くならない。領地から王都へ、エリーゼは両親と共に引っ越して、アロイスと祖父と離れ疎遠になった。祖母は、その頃すでに亡くなっていたと聞いた。その時、アロイスには祖父が傍にいたが、苦労をしたに違いないと思う。この時のことを訊くのは、アロイスに嫌な思いをさせるだろうから、したくなかった。
アロイスは、昔のことでエリーゼを責めたりしない。
だからこそ、エリーゼはこれから未来のアロイスを幸せにしたいと思うのだ。
アロイスがゆっくり立ち上がり、墓地の出口へと歩き始めた。リタとエリーゼも後に続き、家路に着いた。
シュピーゲル家の玄関入り口まで戻ってきて、アロイスが言った。
「俺は、これから農地の見回りに行ってくるから、エリーゼもリタも今日はゆっくり休め。リタは特に昨日の疲れが出ているようだから、気を付けてくれ」
「はい、休ませていただきます」
「分かりました、旦那様」
玄関で、エリーゼは二人と別れた。アロイスは再び外へ、リタは自室に向かって行った。エリーゼは二人を見送り、独り玄関に残った。
ふと、飾り棚の上の燕子花を見ると、エリーゼは思わずあっと声を上げた。
「花が……咲いたのね」
燕が羽を広げたように見える紫色の花びらが、ふんわりと柔らかく開いていた。
「ふふ……、綺麗ね」
近づいて、燕子花の花を見る。すると、花びらの影から花の大きさくらいの妖精と目が合った。体が光っているかのように見えて、ぼんやりと見えている。
『あら、イリスを生けた娘ね。蕾に閉じ込められてしまって、やっと外に出られたわ』
「ふぁっ……、妖精さん?」
前世の異世界小説に出てくるような、小人のような妖精は、エリーゼは初めて目にした。今まで、植物が直接話しかけてくる系の妖精しか、会ったことがなかったからだ。
『……あなた、私のことが見えているの?』
「えぇ……、見えているし、声も聞こえているわ」
『何百年ぶりかしら、話せる人間に巡り合ったのは――――』
「そんなに久しぶり、なんですか!?」
『そうね、私は色んな場所を行き来しているから、簡単に人間の目に留まる場所には居ないわ。このイリスも山の中に育っていたものでしょう?』
妖精の言う通りだ。
エリーゼが摘まなければ、妖精は今も人気のない山の中に暮らしていたはずだ。
「知らなかったとはいえ、勝手に連れてきてしまったようで、申し訳ありませんでした。すぐに、あの山に帰れるようにしますから……」
エリーゼが言うと、燕子花の花の上に器用に座っていた妖精が、フフフと笑った。
『起きたら、人間の家の中で驚いたけど、怒ってはいないわ。それに、イリスの山へ行く必要もない。それより、意思疎通のできる人間に巡り合うなんて、面白いことが起きたわね』
妖精が花から離れ、エリーゼの目の前にフワフワ飛んで近づいてきた。
思わずエリーゼが両手を差し出すと、手の中に妖精が降り立つ。
重さをほとんど感じない不思議な生命体に、言葉が出てこなかった。
今まで会った妖精の中で、群を抜いて知性が高い話し方をする。
そして、多くのイリスがある中で、ただ一株に宿っていた。まるで、他の妖精を寄せ付けない力が働いているような、独特の存在感を持っている。
「私は、エリーゼと申します。ここは人が通る場所なので、移動していいですか? 私の部屋でお話させていただいてもいいですか?」
妖精から伝わる気に圧倒され、エリーゼは畏まった口調になってしまう。
『いいわよ』
「ありがとうございます」
エリーゼは、周りに注意を払いながら、自室に向かった。幸い、部屋まで誰にも出会うことはなかった。
扉を閉めて、鍵をかける。そして、妖精をテーブルの上にそっと下ろして、ポケットから結界を張る魔道具を発動させて、消音付与した結界を張った。
「妖精さん、お待たせしました。これで、思いっきり話ができます!」
ラルフに貰った魔道具が作る結界の中でなら、制限なく心のままに話せる。
『エリーゼ、あなた何者? 気になって仕方がないわ』
「私は、妖精の愛し子です。まだ、覚醒したてなんですけど……」
『あー、それで……。手慣れていると思ったわ』
「あなたのお名前は?」
『名前は、ないわ。好きに呼べばいい』
「それでは、イリスの花の中にいらっしゃいましたから、イリス様とお呼びしてもよろしいですか?」
『えぇ、いいわ』
「イリス様は、先程色々な場所を行き来しているとおっしゃられましたが、どんなふうに移動をされるのですか?」
『時空の糸みたいに繋がったところを通って、移動するの。行きたいところへ、行きたいときに自由に行くわ』
「……」
やはり、イリスは、野菜や椎茸に宿る妖精たちと質が違うと、直感した。
他の妖精たちとは全く違う、目的を持って存在している、そのように感じた。
『どうして、そんなことを訊くの?』
「イリス様は、妖精王に似ているなって思ったので……」
全ての自然を生み出す妖精王も、世界中の色々な場所を転々としながら、見守っているという。
『そうね、エリーゼは妖精王に会ったことがあるのよね』
「はい」
『似ていると思ったの?』
「えぇ……」
イリスは、見透かすような目で見て言った。
『エリーゼは、感覚がするどいのね。妖精の愛し子だから当然か』
「?」
『似てて当然よ。私は妖精王が生み出したものだから』
「イリス様は、妖精王のお子様?」
『子供というより、一部ね。分身と言った方が合うかしらね』
(まさかの妖精王様!? 分身だけど、本人に変わりないよね?)
エリーゼは、混乱した。妖精王が目の前にいるなんて、信じられない。
でも、否定できるはずもなく、受け入れるしかない現実だ。
「イリス様、不可抗力とはいえ、あなたをここに連れてきてしまったのは、私です」
『そのようね』
「だから、あなたの望む場所へ、あなたを送り届ける義務が、私にあるように思います」
『義務って……、堅苦しい言い方するわね……。でも、そうね……、うん、あなたに責任を取ってもらいましょうか』
「はい、では、どこにお連れすればよろしいでしょうか?」
イリスは、あるべき場所に戻るべきだと思ったから、例え、世界の果てへと言われても、送り届ける覚悟をしていた。
しかし、イリスの答えは予想外のものだった。
『どこへも連れていく必要はないと、さっきも言ったはずだけど……』
「え? それって……、まさか」
『ここに、しばらくいることにするわ。この時代の人の世界に疎いから、知ってみたくなったわ』
「……」
『何だか、嫌そうな顔ね』
「そ、そんなことは! ただ、状況についていけないだけです」
(妖精王と話すだけでも、滅多にない事なのに、一緒に住むなんて……。
どれくらいの確率で遭遇する? そんな状況あるわけないでしょと乗りツッコミしてしまうくらい、受け入れがたい事態なんです!)
『よろしくね、エリーゼ』
イリスのノリは、軽くて怖い。
妖精王というビッグネームが、断る選択肢を選ばせてくれない。
「は……はい」
是と応えるしかない。
こうして、エリーゼはイリスと共に暮らすという、奇妙な毎日が始まった。
まさかのチートキャラ、イリスの登場に不安な明日しか見えないエリーゼ。
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