思い出の地で 3
アロイスの片付けも終わり、三人は予定通り沢へと向かった。
「どれくらい歩きますか?」
知らない上に山道、かなり遠いなら、あらかじめ心積もりしておきたかった。
「この道を下ってすぐだよ」と、アロイスが。
「そんなに遠くないですよ、エリーゼ様」と、リタが答えた。
(それって何分!? もっと詳しく!)
エリーゼは反射的に思ったことにハッとした。
前世から、時間に追われて生活する習慣があった。
だから、自分がする行動に要する時間を把握する癖がついている。
(あぁ……、前世の常識に引っ張られる。今ここでは無意味なことなのに。無意識って怖いわね……)
「心配しなくても、そう言っている間に着く。ほら、川の流れが聞こえるだろう?」
耳をすませると、確かに水が流れる音が聞こえてきた。
「あ……、本当だ……」
「この先をもう一度曲がって下れば、目的地だ」
「はい」
考えてみれば、アロイス以外は女性二人だ。無茶な行程を選ぶはずがないのだ。
「もう近いけれど、道が滑りやすいから、最後まで気を抜かずに歩いてくれ」
「はい」
そして、曲り道を通過した時、深い森の木々が立ち並ぶ道の先に、眩しい光が差し込んできていた。どうやらアロイスの言う通り、沢があり、開けた場所があるのだろう。エリーゼ達は、光の中へ溶け込むように進んでいくとそれほど大きくない幅の沢が見えた。
だが沢があるだけだと思っていたエリーゼは、思いもよらぬものが目に入り驚いた。
「これは……、自生しているものではありませんね」
「うん、お祖母様が好きだった異国原産の花で、ここの気候と土壌条件なら育つかもって、お祖父様が植えたものだよ」
沢から水が流れ込むようにごく浅いため池が作られて、植えられていた。
「信じられない……」
目の前に飛び込んできたのは、燕子花の群生だった。
細長い緑の葉と、花びらは紫色に白が一筋入る、奥ゆかしい佇まいの花だ。
前世の日本でも自生している場所があるが見に行ったことはなく、エリーゼは華道教室で買ったものしか本物は見たことがなかった。
「ここは涼しいから、まだ花が咲くのかしら……」
前世の記憶がすごい勢いで蘇って、思わず口から漏れた。
記憶が正しいなら、燕子花の開花期は5月から6月だった。今、もう8月なのでとっくに花の時期は過ぎている。
ちなみに、この異世界の暦や時間の数え方は、前世と同じだ。
バッチリ、異世界補正が効いているらしい。
「うん? この花は、今咲くのは珍しいのか?」
「えぇ……、夏に本格的に入る前の頃に咲くものだと思っていました」
華道教室で、燕子花を生けるのは梅雨時だった。
年に一回、必ず出会う花だ。なぜならば、燕子花は他の花材には用いない、花生けの技術が必要な、花材の一つだからだ。初級では扱いが難しく、私が扱う事を許されたのは、師範の免状をもらった後だった。扱えるようになってから、練習の機会を逃さない様に、短い開花時期に必ず手に入れるようにしていた。華道を嗜む者にとって燕子花は、思い入れの深い花材だった。
「お祖父様から受け継いだから、俺はここでの世話の仕方しか知らない。この花もシタケマッシュルームも、同じ国で自生すると聞いている」
「お祖父様は、そちらの国のものが大変お好きだったのですね」
「お祖母様の出身国だったから」
「お祖母様は、外国からお嫁入されてきた方でしたの?」
「正確には、違う。お祖母様は移住してきて、結婚する時はすでにヴァルデック王国の人だったから」
「移住……」
「昔からあちこちで国同士の争いが起こっていたから、珍しいことではないよ。お祖父様は、二度と帰れない故郷を思い出せるように、お祖母様の慰めとして手に入れて育てたのだと思う」
「優しい方でしたのね。私たちのお祖父様は」
「そうだね。お祖母様に先立たれてから、この花の世話をすることでお祖父様の慰めになっていたと思うよ。だから、この花は俺も大切に育てていきたいと思っている」
「そうですね」
「旦那様、お祖父様とお祖母様のお墓に持って帰ってあげましょうね」
「うん、リタ。そうしよう」
アロイスがポケットからナイフを取り出し、花の根元を切っていく。
込み合った株に隙間ができるように、間引くように刈り取っていく。
「お兄様、私もこのお花を生けたいので、その分も取ってもらっていいですか?」
「勿論、いいよ。エリーゼが欲しい株を言ってくれ。別にまとめよう」
「ありがとうございます」
エリーゼは、真っ直ぐ立つ株を選んで、アロイスに刈り取ってもらった。
そして、お墓に供える仏花用とは別に分け、紙に包んでくれた。
華道の真骨頂の技術を使って生ける花材、燕子花。
帰って生けるのが、楽しみで仕方ないエリーゼだった。
沢山の椎茸と、燕子花を馬車に積み終え帰りの途につき、辺りが暗くなり始めるころに、エリーゼ達の馬車はシュピーゲル家に戻ってきた。
バケツ二つに少しの水を入れ、燕子花を水揚げしてやる。
椎茸は、キッチンの涼しいところに、かごに入ったまま置く。
「今日は、疲れたから、色々な処理は明日にしよう」
「はい」とリタが。
「分かりました」とエリーゼがそれぞれ返事した。
その時、良い匂いを漂わせているキッチンから、ホフマンがやってきた。
「アロイス様、おかえりなさい」
「ただいま。ホフマン、変わったことはなかったかい?」
「特には……」
「そうか、ありがとう」
「リタ様はお疲れでしょうから、夕食の支度はしておきました。少し、休まれてから召し上がられますか?」
「うん、汚れを落として着替えてから、食べたいな。エリーゼとリタも、それで良いか?」
「はい、お兄様」
「はい、旦那様」
「ホフマン、疲れているので助かりました。ありがとう」
リタが礼を言うと、ホフマンはさらに気遣う言葉を続けた。
「後片付けも致しますので、早めに休んでください」
二人のやり取りを見ていたアロイスも声をかけた。
「うん、ホフマン。いつも、気遣ってくれてありがとう」
「当然のことをしているだけです」
「ホフマン、大体一時間後くらいか、その頃にお願いするよ」
「かしこまりました、失礼します」
ホフマンはアロイスとリタと話すだけで、エリーゼの方を見もしなかった。
アロイスにはちゃんと従っているので、問題はないようだが、何だか別人のように感じた。
ホフマンへの若干の違和感を持ちながら、エリーゼは自室に戻り、風呂に入り着替えを済ませた。少し休んだだけで、一時間が過ぎており、エリーゼは慌てて食堂へ向かった。
アロイスとリタはすでに席についており、エリーゼは謝りながら自分の席に座った。三人が揃うのを待っていたように、ホフマンが次々と料理を運んできた。
ホフマンの料理は完璧で、エリーゼ専用のビーガン料理も二人とは別に用意してくれていた。そして、食事のサービスを一人でこなし、ひと通り終えると、アロイスに断りを入れて退室していった。
そのおかげで、家族三人でゆっくりと食事を取ることが出来たのだ。
背後に控えて見守られるスタイルが苦手なエリーゼにとって、良い心遣いができる人だと思った。
アロイスが、ホフマンを執事として信頼する様になったのも、少しわかる気がした。
ホフマンは、エリーゼがサービスされる側にいると、口悪く振舞うこともないし、きちんと丁寧に接してくれる。
(仕事を取られたくないから、つっかかってきたというのは、お兄様の見解が正しいのかもしれないわね……)
家事をこなすホフマンは、目が輝いていきいきしている。
好きなことをやっていますという、気持ちが伝わってきた。
エリーゼは、まだ解明できない執事に、どうやって歩み寄ってみようか、模索していた。
シュピーゲル家は、みんな自分の身支度は自分でします。
貧乏男爵家なので、住み込みの使用人は、ホフマンだけです。
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