シュピーゲル家領地へ
王太子宮の仕事を休職し、エリーゼは実家の領地へ行く準備を整えた。
先日は戸惑っていたラルフも、次の日にはいつもの彼に戻っていた。
そして、毎日、あれこれと必要な道具を見繕って持って来てくれる。
身の危険時に、簡易結界を張れる効果を付与したネックレス。
毒を食べてしまった時に、解毒効果のあるピアス。
その他、ドレスから靴に至るまで、持ち物全てに保護魔法を施してくれた。
万全の守りを考えた、ラルフの気合を感じるラインナップが、トランクに収まっている。
今回、贈られた宝飾品は、プラチナにアクアマリンの魔石があしらわれている。デザインは落ち着いたもので統一されているが、全て身に着けると華やかになる。派手過ぎるアクセサリーは、好みじゃないが、これは気に入った。ラルフは、意外とセンスは良い。
それよりも、銀髪で青い目をしたラルフのチョイスだと一目で分かる、彼色のアクセサリーに、思わず苦笑いしてしまった。
ドレスと言い、宝飾品と言い、どんだけ自分色に染めたいんだよって、ツッコみたくなるが、心の中で思うだけにしておく。
(愛されている証だと、思えば……、ドンびかない!??)
苦しい言い聞かせをして、エリーゼは防犯グッズで溢れるトランクを閉めた。
明日、エリーゼは領地へと出発する。
転生してから初めて帰るので、気持ちが落ち着かない。
エリーゼは今回の里帰りを、兄に知らせた。そして、兄から実家で滞在してもいいと了承した内容の返事も、受け取っていた。
しかしエリーゼは、手紙の額面通りに兄が歓迎してくれるとは思えなかった。
エリーゼの父母は、前当主と、つまり彼らの父と仲が良くなかったと思う。
父は料理人になりたい夢を諦められず、当主教育から逃げ出した。
そして、騎士団の料理人になってからは、父は領地へ帰らず、王都のタウンハウスを拠点として暮らしてきた。王城で出仕していた平民の母と結婚したのも、祖父のあずかり知らぬところでなされたのだろうと思われる。
そのことから、父と前当主の祖父の間には、深い埋まることのない溝があるのは明白だ。
そんな父と祖父の確執を、当時子供だった兄が解消できるはずもなく、祖父の期待を一身に、厳しい教育を受けたのだ。兄は、絶縁する様に飛び出した父の代わりに、なりたいものになる可能性を取り上げられ、シュピーゲル家を一身に背負い、当主になったのだ。
考えを整理していくほど、エリーゼは思い知った。
何の力にもならず、父母と共に王都でのうのうと暮らしてきたエリーゼのことを、良く思っていないに違いないと思えてくる。
なのに、兄は、表面上はエリーゼのために誠実に対応してくれている。
帰って来るのを待っていると書いてくれた。
その一文を見た時、エリーゼは泣いた。色々な感情がこみ上げてきて、堪らなくなってしまった。
エリーゼと三歳しか違わない兄が、当主として感情を殺して書いたと思うと、涙が止まらなかった。
だから、エリーゼは兄と実際に会って話をしたいと強く願う。
彼の本心を知りたいと思う。
エリーゼの大切な家族だから。
いつまでも、よそ者でいたくない。
転生して、体を受け継いだ責任が、エリーゼに重くのしかかっていた。
次の日、エリーゼはひっそりとシュピーゲル家の領地へと、出発した。
馬車で移動し、二日かけて、シュピーゲル家の領地に着いた。
初めて見る実家は、良い意味で落ち着いた建物だった。
古さは隠せないが、きちんと手入れしてある。愛情かけて、大切に守られてきた心が感じられて、心地よかった。
建物を前にしていると、エリーゼの体の細胞が、懐かしくて嬉しいと反応しているような気がした。不思議な感覚を、エリーゼは体感していた。
エリーゼは玄関扉の前に立ったが、中から人の気配がなかった。
立ち尽くしているだけでは、埒が明かないので、大きめの声を出し呼び掛けた。
「こんにちは! 誰か、いらっしゃいませんか?」
しばらく呼びかけたが、静かで物音すら聞こえない。
エリーゼが、今日帰宅することは知らせていたのに、誰も出てこないとは、嫌な予感がした。まさか、居留守で門前払いをくらうのかと背筋が冷えた。
しかし、兄に会わずに帰るつもりは全くなかったので、扉をどんどんと叩いて、エリーゼは存在をアピールした。
「すみません! こんにちは! いらっしゃいますか?」
何度も声をかけて、扉を叩いていると、ようやく扉が重々しい音と共に開いた。エリーゼは、ようやく屋敷に入ることが出来ると安堵した。
親しみを込めて、元気よく挨拶した。
「あっ、こんにちは!」
対応に出てきたのは、三十代半ばくらいの黒髪で、切れ長の黒い目の男性だった。執事服を着ているので、使用人の責任者かもしれないとエリーゼは思う。
「あなたのような方は、呼んだ覚えがありませんが」
やっと出てきた男性が、愛想のひとかけらもない不機嫌顔で、エリーゼを上から下まで、舐め回すように見てきた。値踏みされるような顔で見られて、明らかにエリーゼは見下げられていた。
「私も、あなたに用があって来たのではありません。あなた、主のことを貶める様な言動は控えた方がよろしいわよ。下品極まりないわ」
まるで、水商売の女がやってきたと、勘違いされていると気づく。
エリーゼは怒りを押し込め、男に話しかけた。
「私は、エリーゼ・シュピーゲルと申します。兄のアロイスには帰ると知らせて、了承の返事をもらっています。どうやら、使用人に私の帰宅は伝わっていないということね」
むかむかして、刺々しい声で自己紹介した。
男は、主の妹を初めて見ると言う驚きの顔をしていた。
「あなたが、アロイス様の妹?」
男は、転生前のエリーゼを知らないのだと悟った。
それなら、腹を立てるだけ無駄になると、同時に思い、怒りを引っ込めた。
「そうです。ご理解いただけたのなら、兄に取次ぎをしていただけますか?」
「アロイス様は、今、視察に出られており、不在です」
「! 何かあったの?」
領主が飛んでいくなど、ただ事でないような気がした。
「まだ、あなたが、本当のアロイス様の妹君か分からないので、まだお答えできません。そもそも、男爵令嬢が、侍女の一人もつけず、出歩いているなんて、信用できません」
「そうね、その通りだわ。私もあなたの立場なら、同じ対応をすると思う」
苦しい所を付かれた。貧乏男爵に新しい侍女を雇う余裕がなく、エリ―ぜは単身で、この地にやってきている。正直言うと、兄の悪口になってしまいそうで、エリーゼは黙るしかなかった。
「ご理解いただき、感謝いたします」
この口ぶりで、この男は、エリーゼを屋敷に入れないだろうなと思う。
「お兄様の居場所を教えて、私が会いに行きます」
「……」
男は、あろうことか聞こえないふりをした。
エリーゼは、それなら黙っていられない様にしてやるだけだと、口を開いた。
「考えられるトラブルとは、繁忙期真っ最中の、農園かしら? 新品種の果物を作付けしているそうね」
男の顔色が、サッと青くなった。
エリーゼは、領地に来る前、シュピーゲル家の領地の経営状況を調べ上げ、出来るだけ頭に叩き込んできた。
その知識を見せたところで、男はわかりやすく、動揺していた。
「ハウスに案内して。そこに、お兄様いるんでしょ?」
エリーゼが命令口調で云うと、男は不本意そうに「かしこまりました」と応えた。この男の挑発に、簡単に乗るものかと、エリーゼは平静を装った。
まずは、兄に会わない事には何も始まらないし、来た意味がないし、変化もない。
「馬車は、ありません。徒歩で行っていただきます」
「いいわ、問題ない」
「そのような格好で、汚れますよ。それに、華奢な靴で行くところではございません」
「靴はブーツを履いてきたから、問題ない。それに、ドレスも靴も、防汚魔法をかけているから、汚れる心配ないの。気を遣っていただく必要は全くありませんわ」
ラルフのお陰で、今自分は防御グッズ三昧の格好をしている。
防汚機能なんている? と思っていたが、早速役に立った。
ラルフの危機管理予想は、本当に優れているなと感謝した。
「左様で……。後で文句は受け付けませんよ」
「あなたも、私がシュピーゲル家の一員だと分かったなら、その態度を改めなさい」
(娼婦呼ばわりさせたこと、絶対謝罪させてみせるわ)
「そうですね、あなたが本物の妹様なら、改めます」
男の含みのある言い方に、違和感を感じた。
ただ、警戒しているだけではない、強い猜疑心がこそに含まれていた。
「ちょっと待って! 偽物の妹が、そんなに何度も来たの?」
「えぇ、来ましたね。アロイス様を傀儡にして、男爵家を乗っ取ろうとした方や、生き別れの妹を騙って、金銭要求してきたり、それは、もう、何度も……」
「へぇ……」
自分でも驚くくらい、地を這うような声が出た。
(お兄様って、モテるのね。若いから、そこに付け込んで騙そうとする輩が、すり寄ってきやすいのかもね。この人は、それらの人間から、お兄様を守ってきたのね……)
「あなたの名は? あ、もう一度言うけれど、私は、エリーゼ・シュピーゲルよ」
「……」
「まだ、私がうさん臭くて名乗れない?」」
「――――ゲルト・ホフマン。この家の執事兼、アロイス様の補佐をしています」
「ホフマンさんね。よろしく」
エリーゼが握手を求めると、ホフマンがぎょっとして後ずさる。
友好の証、シェイクハンドは拒否されて、エリーゼは手を引っ込めた。
ラルフの保護魔法で、悪人か判断したかったが、さすがに用心深いホフマンの警戒心は、簡単に解けない。
「泥田でも、ぬかるむ畑でも、どんと来いよ! お兄様の所へ案内して!」
エリーゼが言うと、ホフマンは「こちらへ」とゆっくり歩きだした。
兄のアロイスは、祖父が急死した今、独りで領地を治めている。
そこに数えきれない苦労があることを、エリーゼはまだ知らなかった。
アロイスのセ○ムである、ホフマン。
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