男爵令嬢、おつかいに行く 3
(とにかく、王立魔法研究所から出て、無事に王太子宮に帰ることだけを考えよう……)
水差しで、花瓶に水を最後まで満たしながら、エリーゼはぐるぐると考えを巡らせていた。まず、この部屋から穏便に去るべきだと思い至り、花生けの後片付けをしていった。
動揺を悟られぬように気を付けても、花道具をかごにしまう手は震えている。
かごの傍にじっと座っていてくれるラルフ猫に勇気をもらいながら、エリーゼは何とか片づけを済ませた。
そして、すっかり渡し忘れていた菓子折りを見つけ、アンドレアスに声をかけた。
「アンドレアス様、こちらは王太子殿下より言付かったお菓子です」
「ほぉ、菓子があるならお茶にしようか。君も飲んでいきなさい」
「……」
(えええぇ~~、早く帰りたいよぉ~。これって、断ったらダメなやつだよね? もう、王族の人達、マイペースで嫌になるわ!!)
「どうかした?」
「ははは~、お気遣いありがとうございます……」
エリーゼが助けを求めるようにラルフ猫を見ると、ため息を吐かれた。
(どうやら、さっさとお茶して退散しようぜって言っている? 訴えて来る態度は塩対応で全然可愛くないのに、見た目は宇宙一可愛いというギャップに視界がバグるわ……)
「そうだ、私のとっておきのお茶を淹れてやろう」
アンドレアスは自らお茶を用意すると言って、席を立ち、隣の部屋へと行ってしまった。
ラルフ猫がいるといえど、アンドレアスの助手だと言うブルーノと二人きりになってしまった。エリーゼは、正直、彼と二人きりにはなりたくなかった。話しかけるのも嫌で、エリーゼは沈黙を貫くことにした。
「しかし、お前が王太子宮で働き始めたとは知らなかった」
「……」
(話しかけてこないでよ! 私は、これっぽっちも覚えてないんだから!!)
「なんだよ、無視すんなよ」
「すみません、どう話して良いのかもわからないので、ご容赦ください」
「チッ、記憶がなくても生意気なやつだ。従順なケリーとはえらい違いだな」
「……」
(ケリーとも知り合いなの!? 関係を訊いてみたいけど、話す気になれないわ……)
エリーゼは、ブルーノとの会話を弾ませる気は全くなかった。
しかし、ケリーまでも知り合いだとは、ブルーノは予想以上にエリーゼ達と関りがあったらしいことは知れた。
険悪なムードが流れていたが、アンドレアスが戻ってきて、ブルーノとの会話は強制終了となった。
「珍しい茶なのだが、口に合えばいいのだが……」
そう言って、アンドレアスが淹れてくれたのは、緑茶だった。
懐かしさに一気に引き込まれた。
「わぁ……、緑茶ですね! こちらの世界に来て初めていただきます」
「君の世界では、よく飲まれているそうだよね」
「……それは、聖女様情報ですか?」
「そうだね、でも彼女はあまり飲まないと言っていたよ。酒の方が良いって言ってね……」
「――そうなんですか……」
(ああぁ……、あの人なら言いそう……)
エリーゼは、茶碗を軽く押しいただいてから、口をつけた。
すごく懐かしい味に心がほぐれていくようだった。
きちんと低い温度で淹れられた緑茶は、存外に美味しかった。
「緑茶は、亡くなった妻が好きだったんだ……」
「!」
カミラから聞いていたアンドレアスの妻の話を思い出し、エリーゼは、少し切なくなった。
「緑茶、とても美味しいです。大切なものをいただき、ありがとうございました」
それ以上のことは、何も言えなかった。
アンドレアスが緑茶を出した意味があることを、この時のエリーゼは知る由もなかった。
「いいや、口に合ったのなら良かったよ」
アンドレアスは、さらりと言って自分の緑茶を飲んだ。
王太子が用意してくれたのはマドレーヌで、アンドレアスは一つ取り上げ食べた。
「エリーゼ、ちょっと気になったのだが、君は最近体調の変化とかないだろうか。例えば、肉や魚といった動物性食品が、苦手になったとか。少し食べただけで満足して、お腹がすきにくいとか」
「はい、確かに……。この頃野菜を好んで食べるようになりました。肉や魚を食べると体調が悪くなるようなので、避けがちになっています」
アンドレアスは、マドレーヌを指して、エリーゼに訊いた。
「この菓子も、実は苦手な部類に入るものではないか?」
「……実は、……はい……」
エリーゼが菓子に手を付けないことを、アンドレアスは見逃さなかった。
「これには、牛乳やバターなどがふんだんに使われているからな。本能的に、体が受け付けないのだろうと思うよ」
「それは……どういう――――」
「やはり、な……。私の予想通りかもしれない」
「え?」
「エリーゼ、君は『妖精の愛し子』かもしれないということだ」
「「ええええええっ!!!」」
声を上げたのは、エリーゼとブルーノだった。
二人が大声を上げても、アンドレアスは冷静だった。
「確定されるためには、妖精王に会って認められる必要があるが、認められるのは間違いないだろうと私は踏んでいる」
「ど、どうしてですか?」
「動物性食品を受け付けなくなるのは、妖精たちから生命維持の力を分けてもらっているからだ。植物に宿る彼らと『妖精の愛し子』とは、感覚が似ていき、最終的に植物性の食べ物だけを好むようになる」
「ま……、まさか……、そんな……」
「もともと、エリーゼは生まれつき『妖精の愛し子』になる体質だったのかもしれないね。ある日、突然に覚醒するものだから、戸惑うのも仕方がないことだ」
「エリーゼ! すごいな! 良かったな!!」
ブルーノが興奮してエリーゼに言ってきたが、エリーゼは彼がなぜこのように喜ぶのか意味が分からなくて、ただただ引いていた。人目を憚ることなく喜びを前面に出してくるブルーノに、エリーゼは恐怖を感じた。
「私の妻、デボラが『妖精の愛し子』になったのは十五歳の時だ。エリーゼはいくつだ?」
「……じ、十五歳です……」
妖精の愛し子だと確信させる符号が、また一つ浮き彫りにされた様だった。
アンドレアスは、自信満々になってきた。
「何と、デボラと同じ年とは! 不思議な相似だな。エリーゼ、君が『妖精の愛し子』の可能性があると知ってしまった以上、王族に連なる者として、君を妖精王に引き合わせる義務がある。すぐに、国王陛下に報告して、然るべき手続きを進めるから、君は王城に引き続き留まってほしい。私の所に来てもいいが、エリーゼは、どうしたい?」
「私……私は……」
その時言いよどむエリーゼの肩に、ラルフ猫が登ってきて、耳元で囁いた。
『帰ろう、エリーゼ』
そして、さらにすりっとエリーゼの顔に体を寄せて『出よう』と、もう一度言った。
ラルフ猫の囁きは、小さな声だったので、アンドレアスとブルーノには聞こえてないようだった。
(冷たく感じたら、逃げろ)
ラルフに教えられた言葉が、エリーゼの迷いを断ち切った。
「アンドレアス様、私、王太子宮に戻ります」
「そうか、王太子には、私の方から説明することにしよう」
「よろしくお願いいたします。アンドレアス様」
エリーゼは、アンドレアスに一礼して、忘れ物がないか最終確認するため、かごの中を見ると、ハムスター殿下の姿を見つけた。
ちゃんと帰って来てくれて、エリーゼはさらに帰る気持ちが強くなった。
かごを侍従に渡して、エリーゼは部屋の出口へと歩いて行く。
「今日は、突然の訪問を受け入れてくださり、ありがとうございました。失礼します」
「君に会えて良かった。また、訪ねて来てくれると嬉しい」
「はい」
アンドレアスと社交辞令の言葉を交わし、エリーゼは部屋を出た。
ハムスター殿下入りのかごを持つ侍従と共にエリーゼは、来た時に上ってきた階段を下って行った。
この時、ブルーノがエリーゼを仄暗い目でにやつきながら見送ってていたのを、ラルフ猫は見逃さなかった。
ブルーノに見せつけるように、エリーゼの肩に乗るラルフ猫。
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