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男爵令嬢、おつかいに行く 2

 エレベーターのような文明の利器がこの世界にはないようで、エリーゼ達は階段をひたすら上り五階に着いた。真っ直ぐな廊下を歩いて、部屋の入り口にかけられている名前を順に確認していく。


 廊下の突き当りの扉に王弟殿下の名である、アンドレアスの文字を見つけた。

 エリーゼは、何度か深呼吸した後、覚悟を決めて扉をノックした。


 しばらく待つと扉が開き、迎えてくれたのは、あの日出会った王弟殿下本人だった。


「やぁ、君は……シュピーゲル嬢だったかな?」


 王弟殿下は、あの時よりさらに砕けた物言いでエリーゼに確認してきた。


「は、初めまして。エリーゼ・シュピーゲルと申します。今日は、王太子殿下よりお菓子とお花の差し入れを持って参りました」

「うん、聞いているよ。どうぞ」

「失礼します」


 エリーゼの足元にラルフ猫、荷物を持った侍従のかごの中にハムスター殿下が隠れた状態で王弟の研究室に入って行った。


 アンドレアスの専用部屋は、王族の部屋とは思えない簡素なところだった。研究所の施設内だから、当然なのだろうが、必要最低限のものしか置いていない、エリーゼはそんな印象を受けた。


「王弟殿下、まずお花を置く場所を決めたいのですが……」

「花?」

「えぇ……」


 エリーゼがぐるりと部屋を見回して、置くのに良さそうな場所を探した。

 どうせなら、アンドレアスが机に座って良く見える位置に、花を生けたいと思った。

 窓の下に、書類棚が置いてあり、その上に花を置けば、ちょうど目線の高さに合うような気がした。エリーゼは、書類棚の上に花を置いていいか王弟に訊ねた。


「王弟殿下、こちらに花を置いても良いですか?」


 エリーゼが置きたいと思った場所の前に立ち、王弟がいる方を振り返って見た。

 王弟は、エリーゼと目が合った瞬間、静かに息を飲んだ後、訊いた。


「なぜ、そこに置こうと……?」

「ここなら、王弟殿下が机に向かわれている時でも、花がよく見えると思ったからですけれど……」

「……」


 アンドレアスは言葉を失うくらい、ショックを受けているようだった。

 良かれと思って選んだ場所が、王弟の相当気に入らない場所だったみたいだと、エリーゼは察した。


「お気に召さないようでしたら、別の場所に――」

「いや、そこで良い。花は、そこに置いてもらって問題はない」


 エリーゼの逡巡を察したらしい王弟は、慌てたように言葉をかぶせて否定してきた。


「……かしこまりました、王弟殿下」

「私のことは、アンドレアスと呼びなさい。私は、王弟と呼ばれるのが好かない」


「知らないこととはいえ、失礼申し上げました! ……えと、アンドレアス様……」

「そう、それでいい。私もあなたをエリーゼと呼んでいいか?」

「はい、どうぞ。アンドレアス様……」


 アンドレアスは、ようやく硬かった表情を緩ませた。

 事なきを得たエリーゼは、今回のおつかいの本分である花生けに取り掛かることにした。


「今から、お時間いただきまして花を生けさせていただきます」

「あぁ、わかった」


 アンドレアスの承諾を得たところで、部屋の隅で気配を隠し控えていた王太子付きの侍従が、花道具一式が入ったかごを、エリーゼの近くまで持って来て置いてくれた。

 かごの中に目を遣ると、ハムスター殿下の姿はすでになかった。


(えっ!? どういうこと? ハムスター殿下、何処へ行った?)


 エリーゼは内心焦って、かごの中を確かめた。

 その様子を見ていたラルフ猫が、かごを置いた台の上にぴょんと飛び乗ってきて、エリーゼの視界に入ってきた。


『エリーゼ、大丈夫だ』


 真剣なラルフ猫の瞳が、そう言っているように見えた。

 エリーゼがラルフ猫に笑いかけると、ラルフ猫はかごのすぐ傍でお座りした。犬がするように行儀よく座る姿は、凛としていて、何とも微笑ましい気分になった。


(私は、私の役目を果たせば良いのね)


 エリーゼは早速、かごから花器を取り出し、花材の紙の包みを解いて、一本一本丁寧に並べていく。あらかじめ花留めは、セットしてきたので、再度きちんとついているか持ち上げて確認してから、水差しで水を注いでいった。

 今日の花器は、白磁のシンプルな花瓶を使う。

 今回選んだ花材は、紫のストック、白のトルコ桔梗、青のカスミソウだ。


 まずは、ストックを手に取り、仕入れ時に茎にくっつくようにして畳まれた葉を、一枚一枚丁寧に広げていく。これをするとしないとでは、花の生命力が違って見えるので、どの花材でも必ず優しく葉を自然の形に戻してやる。

 全てのストックの中から、比較的スマートな花の形のものを選んで、一番高さを持つポイントの花として扱う。

 そして、一番高いストックに対して、2/3くらいの高さで、違う方向に働く力を持つストックを配し、空間調和するように心を込める。

 二本のストックが作る空間の中に、それぞれの力を補うようにトルコ桔梗とカスミソウと残りのストックを入れて、肉付けしていく。


(うん、入れすぎないように、引き算して花の美しさを際立てる! いつものことながら、文章だけで分かりにくいけど、今回も可愛らしく生けることが出来たと思うの!!)


 遠景として、バランスが取れているか、少し五、六歩遠ざかって花を眺めてみて、気持ち高さを微調整した。


 アンドレアスが、机からじっと見ていたことに気づき、エリーゼは思わず訊いてしまった。


「アンドレアス様、そこから見て、おかしくないですか?」

「あぁ、綺麗に生けれたね」


 エリーゼは、アンドレアスの座った後ろに回り込んで立ち、自分の目でも確認した。


「そうですね、良さそうです」


 満足のいく花の様子に、思わず笑みがこぼれる。

 つぼみ交じりのストックが、水揚げを開始し、頑張って咲くよと言っているように輝いて見えた。


「ふふ、お水が美味しいのか、元気になっちゃって……」


「えっ……?」

「あ、すみません。この子たちが、水を吸って花を咲かすよって語りかけてくるように感じて、つい……、口が滑りました。忘れてください」


「君は、花の声が聞こえるのか?」

「え?」


 アンドレアスに訊かれた言葉に、エリーゼは既視感を持った。

 確か、王城に来る前、ブラウン医師に言われた言葉と同じだと思い出した。


「恐れながら、私の先ほどの言葉はそういう風に見えるだけで、実際に聞こえているわけではないのです。前世で、花を生ける技術を学んだ結果、身に付いた感覚なのです」


 その時、背後で扉が開く気配がしたが、エリーゼはアンドレアスと話していてそちらへ顔を向けることが出来なかった。


「えっ……、デボラ様……?」


 聞き慣れない声がして、エリーゼは声の方へ振り向いた。

 声の主は、驚いた顔をして立っていた。


「――君は、シュピーゲル嬢か? どうして、ここに……?」


 知らない人物に名を呼ばれて、エリーゼは瞠目した。


「私は、あなたとお会いしたことがあるのですか?」

「えっ……、私のことが、分からないのか?」


 男は、前のエリーゼの顔見知りなのか、知らないと告げると驚いた顔をした。


「申し訳ありません、先日記憶喪失になってしまいまして……、あなたのことも忘れてしまっているようです……」


「――そう、だったのか……」


 エリーゼは、男の態度に違和感を感じた。

 妙に気安く話しかけてくるし、記憶喪失と聞いても、さほど驚かず受け入れたのが、妙に引っかかった。


「彼は、ブルーノ・クライスト。私の助手だ、エリーゼ」


 話が進まないと判断してか、アンドレアスが男の代わりに紹介してくれた。


「ブルーノ……様……」


 エリーゼは、彼の名を口にしてみたが、記憶は全く蘇ってこなかった。


「大変な目に遭われたのですね、改めてよろしくお願いします」


 ブルーノは、取り繕うように丁寧にあいさつしてきた。上司のアンドレアスの手前、仕方がないという思いがにじみ出ているように感じた。

 ブルーノが手を差し伸べてきたので、エリーゼはおずおずと手を重ねた。

 すると、ピリッとした痛みが指先から走ってきて、思わず声を上げそうになるのを我慢して、何とか耐えてやり過ごした。幸い、握手をしただけなので、苦痛は一瞬だった。


(冷たかった……、この人エリーゼに深くかかわった人なのかしら……。私に敵意を持っている人が、アンドレアス様の助手だなんて……!)


 ラルフ猫と目が合い、手を見せると、察したラルフ猫も険しい顔をした。


(冷たく感じたら、逃げる……なんだけど、どうやって逃げたらいいかしら……)


 エリーゼは、心の中で問い続けたが、最適解は思いつかなかった。








アンドレアスとラルフ猫にガン見されながら、花生けしたエリーゼ。


ブックマーク登録、評価等いただき誠にありがとうございます。

励みにしております!


次回も、よろしくお願いいたします。

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