王弟の過去
R15 残酷な表現があります。
苦手な方は、ご注意ください。
「アンディ……、ごめんなさい……」
「謝らないで、デボラ。私は君がいれば、それで良いんだ」
王弟、アンドレアスは、今もこの夢を繰り返し見続けている。
アンドレアスの人生の中で最高の時になるはずが、地獄に突き落とされ、地面を這いずり回るしかできない苦しみを味わい続けるきっかけになったあの時のことだ。
アンドレアスは、亡き妻デボラとの間に待望の第一子を授かったが、その子供を死産という形で迎えた。
難産を乗り越え産み落としたはずなのに、我が子は、デボラの胎の中で、すでに死んでしまっていた。成長途中で完全な人の形をしていない恐ろしい姿で、鼓動も完全に止まって泣かない子を、デボラは大切そうに抱きしめて泣いた。
血だらけの子どもを抱きしめて離さないデボラの体ごと、アンドレアスは抱きしめ静かに泣いた。
デボラがいれば、また我が子を望めると、アンドレアスは心の中で慰め、自分が壊れるのを何とか止めた。
しかし、その次の日、悲しみ、子どもが亡くなったのは己のせいだと悔やみ続けていたデボラが、逝ってしまった。出産時の出血が止まらず、手の施しようがなかった。
それから、しばらく自分がどうして過ごしていたのか、アンドレアスは今でも思い出せない。
分かることは、デボラと子供の後を、自分は追えなかったという事実だけだ。
生きる気力を失っても死なない、丈夫な体を呪った。
国王である兄に慰められても、アンドレアスが癒されることはなかった。
兄は、妻子を確実に得ており、子どもや妻を失った経験はないからだ。
過不足なく全てを持っている兄に胸の内を共感されても、自分が惨めで全てを失った自分を思い知って、情けなくなるだけだった。
そんなどうしようもないアンドレアスが生きる意味を、兄は国王として与えた。
「アンドレアス、この頃領土の瘴気汚染範囲が広がりつつあるのは知っているだろう。それを受けて、王族の代表として、聖女召喚の儀式を取り仕切ってほしい」
それが、聖女召喚だった。
正直、アンドレアスは聖女召喚に何の興味も湧かなかった。
しかし、国王直々で指名されたことで、王族の義務として果たさなければならなかった。
幸い、心は壊れてしまっているが、体は何ともないし、魔力も衰えていなかった。王族に受け継がれてきた召喚魔法を発動させることは、難しい事ではなかった。
『王族の秘密の花園』と呼ばれる場所で、聖女召喚の儀式は行われる。
王族の権威を保つため、聖女召喚は王族主導で行われる儀式だ。
だから、ヴァルデック王国の法律で、王族以外の者が聖女召喚することは、固く禁じられており、破った時は重罪を犯した者とされ裁かれる。
アンドレアスは国王の兄弟だから、聖女召喚を行う権利を持っている。
実際、この魔術は、異世界の人間をこの世界に呼び寄せるだけのものであり、聖女に相応しい者を選んで呼ぶことはできない。
大体、聖女をいつ召喚する必要があると判断するのか、その基準は王次第であり、実に曖昧なものだ。
即位した王が許可しない限り、聖女召喚は行われない。直近の召喚でさえ、百年以上前に行われたきりだった。それだけ、必要に迫られた状況でもなければ行わない儀式、それが聖女召喚の儀式だと言える。
兄王は多分、弟を何とか救いたくて、この儀式をする決断をしたのだと、今では思える。王族であり、魔力にも恵まれている自分を思い出す成果を与えたかったのだろう。
その心を理解しているからこそ、アンドレアスは兄王、ジルヴェスターを恨み切れない。
真由理を召喚した日から、アンドレアスは少しづつ変わっていった。
「ここは……?」
「ようこそ、ヴァルデック王国へ。聖女様、我々はあなたがここにいらっしゃることを待ち望んでおりました」
「――――ふーん、そう……」
「私は、この国の王弟である、名をアンドレアスと申します。聖女様のご尊名をお伺いしてもよろしいですか?」
「真由理よ。へぇ、私、聖女なんだ……」
「マユリ様……」
「発音悪いわね、良く聞いて! 真、由、理。真由理よ」
「真由理様」
「うん、そう。よろしく、アンドレアス」
この時向けられた真由理の笑顔は、忘れられない。
真由理の黒い髪は艶やかで魅力に溢れており、吸い込まれそうなくらい美しい黒い瞳を輝かせて微笑んだ。
それは、『恋に落ちる』という忘れ去っていたはずの衝撃だった。
真由理は、奥ゆかしさなど皆無、言いたいことをすぐ口に出す苛烈な性格の女性だった。淑女だったデボラとは真逆な彼女に、アンドレアスは急速に惹かれていった。
「え? 子どもが産めない……って?」
「そう、がん……、病気で子宮をとっちゃったから、妊娠できないの、私」
隠すそぶりもみせず、あけすけに言った彼女に、アンドレアスは驚きっぱなしだった。その中でも、子を成せないという告白は、群を抜いてアンドレアスの心を揺さぶった。
「大変な病気を克服したのだな……、あなたはすごいひとだ……」
「え~~? 私の世界では珍しくないことだよ?」
実にあっけらかんと大したことないと言う真由理の顔は、キラキラして美しく見えた。
内臓を取り除いても、元気に生きている異世界の医療技術は、是非知りたいところだったが、資格が必要な専門知識らしく、真由理は詳しくは知らないそうで残念に思った。
もし、アンドレアスが、真由理がいた異世界に住んでいたなら、デボラや子供が助かったかもしれないと思ったからだ。しかし、アンドレアスが異世界に行くことは、多分不可能なことだ。
召喚術は、人を連れてくることは出来ても、術者本人が行けるものではない。魔法術式を研究してきたアンドレアスは、その現実を良く知っていた。
魔法術の開発は、本当に難しい。召喚術などの高度魔法なら、なおさらだ。
「私からみたら、あなたは奇跡を起こしたように感じるよ。私は、真由理様に生きて会えて良かったと思っているから……」
「何~、口説いているの?」
「そうだな」
「え?」
「私は、君を愛してしまったようだ」
アンドレアスの告白を、「ありがとう、嬉しい」と真由理が返してくれて、アンドレアスは飛び上がるほど喜んだ。
真由理は、その後すぐに覚醒し、強大な魔力を操り、王国を浄化していった。アンドレアスは、どこへでも彼女に付き従い、聖女として活躍する真由理を支え続けた。
王国を蝕んでいた瘴気を浄化しきることに成功し、真由理は聖女の地位を確実なものにした。
華々しい栄誉を与えられ王都に戻った真由理は、アンドレアスと共に国王陛下と謁見した。そして、今回の功績の褒美に何がいいか訊かれた真由理は、声高らかにヴァルデック王本人に願い出た。
「私を、あなたの側妃にしてください」
その場にいる全ての人間が驚いた。
今までそのような発言はしたことがなかったのに、突然の申し出を真由理はしたのだ。
隣に並んでいたアンドレアスは、凍り付いたように真由理を見ていることしかできなかった。
「私の、妻になりたいと?」
国王は、感情を消し、確認する様に真由理に訊いた。
「はい、私は、陛下に愛されとうございます。この国の頂点の人に愛されて、癒されたいのです」
真由理のよどみない愛の告白は、アンドレアスの心を深く傷つけた。
権力を持つことに固執するところがあった真由理を思い出し、アンドレアスは、真由理の言葉を何とか受け止めた。
「真由理、それは君の本当の望みか?」
アンドレアスは、戸惑いを隠せず、嘘であってほしいと願いながら訊いた。
「そうよ、でも、側妃になってもあなたとの関係は何も変わらないわ。今まで通り、よろしくね。アンドレアス」
兄王に愛を語った口で、アンドレアスとも愛を交わしたいという真由理が、聖女ではなく悪魔に見えた。急激に嫌悪感が大きくなり続けて、止めることが出来なかった。
「今まで通り……は出来ないな。会えなくなっても、君の幸せを祈ってる」
「何言ってんの? 拗ねてんの?」
「……」
真由理にこれ以上何を言っても無駄だと、アンドレアスは思い知る。
(真由理まで、兄上を選んだのか。私は、何処まで行っても兄上に勝てないのか……)
その日を境に、アンドレアスは真由理の顔を見に行くことを止めた。
そして、真由理との思い出を忘れるように、魔法研究に毎日没頭した。
真由理に拒絶されたことで、アンドレアスは、人を愛する心は自分には必要ないものだと思うようになっていた。
拗らせ王弟、アンドレアス。
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