王太子宮の朝
誤字報告、ありがとうございます。
修正しております。
エリーゼが、王太子宮に移動してきてから、三日経っていた。
昨日は、王太子宮内の案内とか、どういう仕事ができるのかという適性を見る面接のようなものを受けた。
その結果、カミラの身の回りの世話の補助をすることがメーンの役割とし、彼女が起きて行動始める前の時間は、王太子宮内の清掃などを、その都度人が足りない所を手伝うという役割も与えられた。
そして、本日の朝から本格的に仕事に従事することになったのである。
朝早く起きることは、全く苦ではないので、目覚めるとすぐに侍女服に着替えて、顔と髪を整える。魔法で髪色を変えるのは、実力のある魔法使いなら解かれてしまう可能性があるので、継続して使うことに適してない。だから、エリーゼは鬘と、魔道具で瞳の色を隠す眼鏡を用意してもらった。ブルネットの鬘と眼鏡の力で変装した自分を、レンズ越しに茶色になった瞳で確認する。
身支度を済ませたエリーゼは、使用人部屋を出て、朝の集合場所に向かった。
「おはようございます」
「おはよう、リズ」
エリーゼは、リズと呼ばれることになっている。
もちろん、転生者を隠すための配慮だ。
ちなみに、エリーゼが転生者であることは、使用人に隠してある。
エリーゼはカミラの遠い親戚筋の娘だと、彼らに認知されている。
王太子宮の使用人は、仕事前に全員、この洗濯干し場に必ず集まることになっている。集合して、点呼と、今日の行事、注意する事項など、全員に周知して確認する場として設けてあるらしい。
要するに、前世で言う「朝礼」に似たことを、ここでも毎朝行われているのだ。
「リズは今日、玄関前の清掃に行って。道具は、向こうに用意してあるものを使って。カミラ様のお世話をする時間になる頃、担当者に迎えに行かせるから、それまで清掃していてくれていいわ」
仕事を割りふるこの人は、王太子宮の女官長であるハンナ様。
彼女が王太子宮に勤める女官の、毎日の人員配置を決めて指示している。
この仕事は長いらしく、五十代前半くらいの年に見えるが、本当の所はいくつか知らない。女性に年齢を聞くのは、基本この世界でも失礼なことなので、聞きたくても聞けないのである。
「はい! ハンナ様、いってまいります」
「頑張ってね」
点呼を済ませた使用人たちは、自分の持ち場に散らばっていく。
エリーゼも、点呼を済ませてから玄関前へ移動した。
玄関前に着くと、先に掃除を始めていた女官たちがいた。
「おはようございます! リズです。ハンナ様より、こちらの清掃をするように言われてきました」
一番近くにいた女官が、エリーゼをちらりと見て言った。
「そう、あそこに箒があるから、使って」
「はい」
エリーゼは、箒を持って来て、玄関から外へと続くアプローチの道を、外側に向かって掃き清めていく。無心に箒で掃いていると、エリーゼはなぜか町工場の掃き掃除を思い出した。
出勤して、定時五分前にラジオ体操して、各部署の清掃をしてから仕事に取り掛かる。別世界でやっていたことなのに、今の自分と重なって、鮮明な記憶が蘇ってきた。この頃、寝ているときも起きているときも、こういう記憶のフラッシュバックが度々起こっていた。この症状がやってくるたび、エリーゼの体と心の乖離が大きくなるように感じる。まるで、この体が心を拒んでいるような不安感に襲われるのだ。
(それでも、私はここにいるしかできないのよね……)
何度も、何度も自分に言い聞かせる。
今のエリーゼらしく暮らして良いのだと言ってくれた、ラルフの言葉を思い出して何度も自分を誤魔化すことを繰り返した。
アプローチの道の終わりの方まで掃いて行った時、王太子宮のほんの入り口に男性が立っていることに気づいて、エリーゼは箒を握りしめ訊いた。
「王太子宮に、御用でしょうか?」
その声を聞いた近くの女官が、走ってやってきた。
「ちょっと! リズ! 何しているの!!」
彼女は、血相を変えたすごい迫力で、エリーゼの腕を引いて男性の前から遠ざけた。そして、彼女は先に膝立ちになり、エリーゼにも同じようにするように言って頭を強引に下げさせた。
「王弟殿下! この者は、ここに来て日が浅く、あまりものを知りません! 何卒、ご容赦下さい……」
彼女の言葉を聞いて、エリーゼは安易に話しかけた自分の失態に気づいた。
王族と知らないことは、不敬にあたるからだ。
震える声で庇おうとする彼女に申し訳なくて、エリーゼは顔を上げることが出来なかった。
「そこの者、気にするな。朝早く来たこちらが悪かった。王太子はいるか?」
「すぐに、確認いたします。リズ! 行くわよっっ」
「はいっ」
エリーゼは、有無を言わさず連れていかれた。
王弟が見えなくなる植木の影に入り、女官は青い顔のまま言った。
「リズ、あなた、ここはもういいから。ハンナ様が配膳場にいらっしゃるから、そこへ行って彼女の指示を仰いで!」
「はい、あの、申し訳ございませんでしたっ!」
「めったにないことだから、仕方がないわ。さっさと行きなさい」
「は、はいっ」
エリーゼは、しっしっと追い払われる様に手を振られ、慌てて王太子宮裏へ急いで歩いた。
(配膳場っていうから、調理場の近くにあるわよね……?)
調理場は、昨日案内してもらったのですぐに分かる。その辺へ行って、誰かに訊けば、きっと分かるはずだと足を速めた。
そして、エリーゼは調理場で下働きの子を捕まえて、配膳場の場所を聞くことに成功した。
=============
その頃、エリーゼがいなくなった玄関前では、突然の来客に騒然としていた。
王弟である、アンドレアスの突然の訪問だということで、カミラの夫である王太子、ゴットフリート自ら対応に当たっていた。
「――――叔父上、朝早くから何事です?」
ゴットフリートは、鉄壁の無表情でアンドレアスを迎えた。
「散歩の途中に、兄上の孫の顔を見に来ただけだが……?」
アンドレアスは、とぼけた声で当たり前のように言った。
「申し訳ないことですが、二人ともまだ夢の中にいる時間です。大甥と大姪に会うなら、もっと遅い時間に来ていただいた方が確実ですよ」
「お前は、昔から話し方が硬すぎる! もっと優しくしないと、カミラに嫌われるぞ」
「これ以上、優しくするなと逆に怒られていますので、ご心配無用です。他にも、何か御用がおありですか?」
ゴットフリートの問いに、アンドレアスは片眉を上げて苦笑いした。
どうやら、本題はこれかららしいなと、ゴットフリートは構えた。
「いや~~、ね……。迷える子羊が、王太子宮に紛れていたと耳にしてね。どうしているのか、気になって……」
「聖女様に、お聞きになられましたか……」
「いいや? あくまで、私の個人的興味だ」
アンドレアスは、聖女の話題を好まない。
しかし、ゴットフリートは、好まないふりをしていると知っている。
「子羊は、まだ幼き子どもです。私と妻できちんと面倒を見るので、叔父上の気遣いは不要です。両陛下も承知下さったことですので、文句がおありなら、私ではなく陛下におっしゃって下さい」
アンドレアスは、兄の国王陛下に匹敵する魔力を持つ、優秀な魔法使いだ。
聖女の転生召喚にも関わっていた王族で、彼主導で真由理様は召喚されたと言っても過言ではない。新たな転生者を手に入れようと真っ先にやって来る人物だと、ゴットフリートは考えていた。
(早朝の混乱時にかこつけて、転生者を攫うつもりだったか……)
「――――転生者の独占は、上位貴族の反感を買うぞ」
「それは、叔父上が彼らを扇動して声を上げるという脅しですか?」
「いや、いや……、私にそんな大それたことをする根性はないよ」
「……これ以上、あなたが無理を押し通されるつもりなら、両陛下に報告させていただきます」
「――――それこそ、脅し、だな」
「忠告ですよ、叔父上」
ゴットフリートが引く様子が見られないことを察し、アンドレアスは首を竦めた。
「……仕方ないな。今回は引くとするよ」
「せめて、お茶でも飲みますか? 用意させますが……」
ゴットフリートは、遠巻きに様子を伺う従僕に目を遣った。
「いらん、可愛くない甥と茶を飲んでも、癒されんし」
「同感です」
「……本当に可愛くないな、お前」
「……」
「即位前に、あまり出過ぎるなよ。いらん敵を作るハメになる」
「叔父上が、しっかり押さえてくださると信じております」
ゴットフリートにとって、アンドレアスは面倒見の良い叔父で慕っていた。
しかし、この頃は、少し風向きが変わったかのように、叔父は不穏な動きをしていることを掴んでいる。
「……また、来る」
「今度は、是非、先触れをお出しください」
アンドレアスは、ゴットフリートの言葉に答えることなく、王太子宮を出ていった。
ゴットフリートは、王弟の姿が見えなくなるまで見送り、「執務室に行く」と従僕に伝えた。
そして、「カミラを、呼んでくれ」と伝えてから、ゴットフリートは颯爽と階段を昇って行った。
新キャラ大渋滞で、作者困惑。
ブックマーク登録、評価等いただき誠にありがとうございます。
励みになります!
次回も、よろしくお願いいたします。




