男爵令嬢は朝から忙しくしたい
エリーゼが泣き止むころ、馬車はシュピーゲル家に着いた。
出迎えなど無いだろうと思っていたエリーゼの予想に反して、母のベルタ、ブラウン医師、ケリーが顔を揃えて出迎えてくれていた。
「おかえりなさい」
「……ただいま帰りました。お母様」
ベルタは、穏やかに見えた。そのことに、エリーゼはひどく安堵した。
「エリーゼ、無事でよかった」
「ブラウン先生……、ありがとうございます……」
前のエリーゼとブラウン先生との関係や、彼の心情を知った今、どういう態度でいれば正解か、今のエリーゼには全く分からなかった。
「エリーゼは、疲れているようですので、早く休ませてあげてください」
複雑な気持ちを処理できないエリーゼを察して、ラルフが助け舟を出してくれた。疲労で頭が鈍っていたので、本当に助かったと思う。
「エリーゼ様、休む支度をお手伝いします」
ケリーが駆け寄ってきて、エリーゼを支えてくれた。
「ケリー……、分かったわ。お母様、ブラウン先生、ラルフ様、すみませんが今日は失礼します」
「あぁ、良く休みなさい。また、様子を見に来るから」とブラウンが。
「エリーゼ、おやすみ」とラルフが言った。
「はい……」
返事をしたエリーゼは、気が緩んだせいか体がふらついた。疲労が目に見えて分かり、早く休めとみんなに促された。
ケリーに支えられながら自室に戻ったエリーゼは、ケリーにされるがまま任せて湯浴みを済ませ、夜着に身を包みすぐにベッドに横になった。
眠りは驚くほど早くやってきて、エリーゼは何も考えず意識を飛ばした。
次の日、エリーゼが目を覚ますと、辺りはまだ薄暗かった。
ベッドから抜け出し、歩いて行き窓を開けた。
「朝の匂いがする」
日が出てすぐの澄んだ空気を、肺に吸い込み、エリーゼは深呼吸した。
「ふふ、習慣って怖いわね……、前世と同じ時間に目覚めるなんて」
日本に住んでいた頃は、会社に出勤するため、毎日同じ時間に何年も変わらず起きていた。記憶に色濃く染みついた習慣が、無意識に出たと自覚させられて、苦笑いした。
「異世界の朝も同じね、気が引き締まるわ」
前世なら、朝出かける前にやることが多いので、すぐに動き出して、洗濯やゴミ出し、朝食作りをしていたが、今は何もしなくてもいい。食事はケリーが運んでくれるし、掃除も洗濯も同様だ。
「貴族って、本当に何もしないのよね……」
(何か、じっとしていると、色々頭で考えちゃって、最後は憂鬱になるのよね。何か、私にできることはないのか……。ないのなら、さがしてやるか!!)
「――――それで、朝から草抜きを?」
「そう、そう、この辺、綺麗ですっきりしたでしょう!」
「はぁ……、そうですねぇ……」
数時間後、ケリーがやってきて褒めてもらえると、笑顔で答えたのに、彼女は脱力して、呆れた顔をしていた。
「何? その反応は!?」
「エリーゼ様、あなたは貴族令嬢ですよ。普通はそんなことをしません! 手が荒れますし、駄目です!!」
「貴族令嬢なのは分かっているけど、家の中だからいいでしょ?」
「いいえ! 家の中でできない振る舞いが、家の外でできるわけがありません! それでなくとも、あなたの行動は目立つのですから、もっと気を付けてください!!」
「う……」
(ケリーに論破されました……、でも私は、何もせずにはいられないので、引き下がるわけにはいきません)
「でもね、ケリー……。何かしていないと憂鬱になるの。この世の令嬢がやってもおかしくない家事はないの?」
「だーかーらぁ! 家事はしませんと申し上げております」
「あえてするなら」
「え~~~~……」
「ね、何かあるでしょう、何でもするわっ」
「それなら……」
ケリーの苦し紛れの意見を、エリーゼは毎日の朝の日課にすることに決めた。
「――で、花生けをこんな朝っぱらからしていると?」
「はい! そうなんです。ブラウン先生」
玄関開けたらすぐエリーゼがいて、花生けをしているのを見て、ブラウン医師は驚いていた。
(『朝っぱら』を強調して言われたので、草取りをすでに終えたことは言わないでおきましょう)
「バラの花、ですか?」
スモークガラスの花瓶に、赤とピンクのバラを塊にして生けた。まん丸の単調な形にならぬよう、花の間が狭くならないように、前後に散らして生ける。
正面から見て、花同士がくっついた塊に見えるが、実はかなりばらけて生けられていて、花同士が触れ合っていない。花びら同士が当たると、どうしても傷みやすくなるので、そこは最大限の配慮をする必要がある。そして、塊であっても、離して花を配置することで、より広い空間に影響する力が、見た目で伝わる様に心を配っている。
「えぇ、この子たち、ちょっと葉が弱ってカビが生えていたので、思い切って切り花にしたのです」
確か、褐斑病というバラによくみられる症状で、葉に茶色っぽい斑点が出来ていた。この斑点を放っておくと、葉が枯れてしまうので、見つけたら病気になってしまった葉は、すぐに取り除いて菌が拡がるのを防ぐのが一番の対策方法だ。
日本にいた頃は消毒薬があったが、この世界であるとは限らないので、手っ取り早く除去する対策を実行したとエリーゼは、ブラウン医師に説明した。
「しかし、花生けに使うのに、葉をすべて取り去ってしまうとは、大胆なかんじがするな」
「はい、葉を取り去ることで、その美しさをより鮮明に感じることが出来る生け方と言えます。バラは花に存在感があって、個性的な形をしているので、見てて飽きませんよね」
「――――全く同じ形に見えるが……」
「まさか! 全然ちがいますよっ。この子たち、みんなこの角度で見えるように生けてって、すっごい訴えてきますもん」
「え?」
ブラウン医師が、何言ってんだこいつ的な顔でエリーゼを見たが、エリーゼはバラを見ていたのでそれに気づかず、調子に乗って話し続けた。
「切り花になったら、花たちはそこで成長を絶たれて、枯れていくしかなくなるせいか、みんな自己主張が強くなるんです。だから、この声の通りに花をいけてやると、良い感じに生けれてしまうという――」
「君は、花の声が聞こえるのか?」
「聞こえるというか、感じる、いいえ、正確には感じようとしているだけで、実際に声を聞いているわけではありません。前世では、花に心を寄せて、美しさを見極める訓練をしていましたから。これは、経験に基づいた技術です。残念ながら、スピリチュアルな感じでは、全くありません」
魔法が存在するこの世界。何でも、特殊能力に変換されてしまうのは仕方がないが、これは日本で華道の心得さえあればできる訓練結果に過ぎない。
変に誤解されるのは嫌なので、きっちりそこは否定しておかないといけないと、エリーゼは思った。
「そう……なのか?」
「そうですよ、私の華道の……、花の生け方を教えてくれた先生は、その技術に優れていて、いつも驚くほど、素敵な花生けをする人で、その先生の受け売りです。まるパクリの知識です。その先生に、花がこうやって生けてくれっていう声が聞こえるくらいによく見なさいって言われていました」
「へぇ……、すごいな」
「はい、すごい人でした。尊敬する師です」
華道のイロハを教えてくれた師は、エリーゼが学んでいた流派の教授を務めていたこともある、本当にすごい人だった。彼女は定年退職してから、私塾のような華道教室を開いていて、エリーゼはその教室に毎週通っていたのだ。
「君は、そうやって毎回心を込めて花を生けるんだね」
「はい! この子たちから伝わってくるものは、私を癒してくれる気がするのです。だから、花を生けるのは、自分のためでもあるのです」
言い切って満足して、エリーゼは自然に微笑んだ。
「いい顔してる、その調子だ。エリーゼ」
ブラウン医師は、エリーゼから顔を逸らし、やけに明るい声で言った。
明らかに『私』を見ていないことに気づき、切なさがこみあげてきた。
彼は、かつてのエリーゼを、私の笑顔の中に見つけたのだ。そして、彼は昔エリーゼとしたやり取りの場面を思い出して、エリーゼの顔を褒めたのだ。
「ありがとうございます、ブラウン先生」
エリーゼは、ただ礼を言うしかできない。
(ブラウン先生の望むエリーゼに、私は絶対になれない……)
その現実が、ただただ切なかった。
「もう行くよ、ベルタ様が待っている……」
「はい、お世話になります。ブラウン先生」
(この人は毎日、エリーゼの願いを叶え続けてきた。そして、これからもずっと叶え続けていくのだろう。前のエリーゼは、ブラウン先生にとって、唯一である人なのね……)
振り返ることなく離れていくブラウン医師の背中を、エリーゼはじっと見送っていた。
エリーゼは、動いていないとストレスを感じるタイプ。
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