2 繁華街「土天」
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春国、五つの区から成り、各々繁華した街を持つ。
中央区 土天、北区 水金、南区 地月、東区 火木、西区 海冥。
各々の街に区特有の景色見られ、人々の文化も異なる。
中央区の土天、人及び物、昼夜絶えず動き、五街の中で極めて繁華。
国の中枢でもあり、生活の水準は極めて高なり。
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晶と投馬が国内で五本指に入る繁華街の「土天」に到着した。
春国には、中央区の他に四つの区があり、それぞれの区には区を代表する繁華街が存在する。
中央区 土天、北区 水金、南区 地月、東区 火木、西区 海冥。
各区の繁華街には、その地で生み出された独自の文化を体験することができ、生活様式や人々の流行り、その区特有の商売など、繁華街を見ることで同じ国内でも異なる景色を観察することができた。
二人が到着した「土天」は中央区の繁華街である。
中央区は国の中枢機関が多いだけあって、人の通りが多く、また他の四区と比べて生活水準が極めて高い。
その為か、悪目立ちするほど鮮やかな色の建物が立ち並び、その身に付けた金額など想像できない程派手な恰好をした人が行き来している。
まるで、この世の桃源郷とも呼べそうな繁華街「土天」は、昼夜人や物が絶えず動き続け、活気があるか無いかと言えば言うまでも無い。
そして現在、晶と投馬の二人。
二人はこの繁華街で卒業祝いをすると決めていたのだが、一番大きい道を進もうとするも人が多くて思うように進めなかった。
人混みに慣れている投馬は、人と人の間を縫うように進むが、身体のすぐそばを知らない人がすれ違う感覚が苦手な晶は途中で立ち止まってしまった。
「どうした、晶。」
「酔った。」
「人混み?」
「まぁ、そうなんだけど、それ以上に匂いがキツイ。色んな香水付けてる人多くてさ。」
そう言って晶は鼻をつまむ。
(しまった。晶の鼻凄く良いんだった。結構キツイのも多いからな。)
反省をしつつ少し辛そうな晶を慰める。
「ごめん、ごめん、もう少しで着くからさ。」
「分かった。」
晶は投馬の後ろに付いて人混みを進み続け、モヤモヤする心を抑えつつ、何とか人通りが一番多い場所を抜けることに成功した。
ホッと一息を吐く晶。
そのまま大きく息を吸う。すると、晶の潰れた嗅覚を蘇らせ、食欲を湧きあがらせる芳ばしい香りが漂ってくるのだった。
「あ、美味そうな匂い。」
この香りは恐らく天ぷらだろう。
昼時もあってか、腹の虫が鳴りそうだった。
大通りでは人が多すぎて、食べ物の店があっても香りなど鼻に入ってこなかったが、いざ、大通りを抜けて人が少なくなれば、繁華街は食べ物の香りで溢れかえる。
だから、大通りを外れて店を出す人も多い。
ふと、先を歩く投馬がある店の前で足を止めていた。
「俺が予約したお店はここ。」
そう言って投馬が指を指す。
その指先には、大通りの店に負けないぐらいの鮮やかな色彩と空を覆う程の大きさ持つ建物があった。
一階の木の面格子がある窓から油の弾ける音が聞こえ、そこから湯気が立ち昇り、旨味を含んだ香りは繁華街の空気に浸み込んで店の前を通る人の足を止めていた。
どうやら、晶の鼻に入った天ぷらの香りはここから発せられているようだった。
薄緑の壁に赤い屋根瓦、5階建ての高さで3階から5階までは部屋の窓が取り外されている。
そこから、ふと、中の様子が窺えた。
部屋は雨がちょっとでも吹き込めば水浸しになる程開放的であった。部屋の中から外を見れば桃源郷とも思える繁華街を楽しめる景色があり、それをする為だけに中に入ることも価値のありそうなことである。にも関わらず、部屋の中の人はどんぶりの中にあるものを一心不乱に啜っていたのだった。
「景色などどうでもよい」、どんぶりに顔を突っ込んでいる客からそのような言葉が発せられたような気がした。
晶が視点を客から店の前の看板に移す。
《天ぷら蕎麦屋「大地の鼓動」》
その文字は一畳ほどの木板を満遍なく使用し、太めの筆で一筆書きされていた。
生きているような流動と気迫を表現している文字に、思わず声を漏らす。
「すごい迫力。」
「この繁華街で五本指に入る蕎麦屋さんだ。今の春国の王子、雄王様のお気に入りらしい。」
「へぇ、すごっ。え、ていうか、そんなとこ予約できるの?」
「ちょっとツテがあってね。さぁ、行こう。」
呆気にとられる晶を置いて投馬が歩を進めた。
横にスライドする扉を開けて玄関から中に入る、すると同時に、活気で満ち溢れた店内が出迎えてくれた。
お昼時というのもあってか、店員やお客の声が絶えず店内を右往左往していたのだ。
深夜にこんな音量が出続ければ間違いなく近隣住民から非難の声が殺到するだろう。
それほどまでに、扉の外と中での熱量がかけ離れていたのだった。
そんな中、投馬はゆっくりと受付に近づき声を掛けた。
「こんにちは~。」
「いらっしゃいませ~、あ、投馬君。」
投馬は受付の女性と親し気に話し始めた。
歳は同年代ぐらい、知り合いだろうか。
そんなことを思いつつ晶は、鮮やかな外見とは異なり黒色の木材を使用した趣と貫禄のある店内を見渡すのだった。
「忙しい時にごめんね、夕夏ちゃん。」
「ううん、大丈夫。今日はあまり忙しくないから、ええと、二人でいいんだよね。」
「うん。」
「じゃあ、案内するから付いてきてね。」
「分かった。」
夕夏の後ろを付いて歩く。
折り返しで登る階段を何回か使用して、晶と投馬は4階の窓際の席に案内された。
先程、自分達が居た場所に居る人が遥か下に居るように見える。
正面を見れば他の区では見ることができない、この国で最も栄えている、桜吹雪舞う春国の繁華街「土天」の姿が映った。
鮮やかな建物が立ち並び、派手な人が出歩き、そこに舞っている桜と広がっている青空。
外の国から来る人達が桃源郷と言うのも無理はない。
「ここの席を使ってね。」
「ありがとう。」
「注文が決まったら、近くの従業員さんを呼んでね。私は受付しないといけないから。」
「うん。分かった。」
外を見ていた晶だったが不意に夕夏の顔に目がいき、夕夏と目が合う。
すると夕夏は当然と言わんばかりに満面の笑みを返してくれた。
思いもしない突然の笑顔に晶は、目を逸らしてしまう。
その様子を観察してニタニタする投馬。
彼は頬染めた晶を見逃さなかったのだ。
そっぽを向いてしまった晶の反応に少々驚いた夕夏だったが、何も喋れない晶に変わってちょっかいを出すように投馬が告げる。
「夕夏ちゃんの笑顔を見るのが恥ずかしいんだと。」
「おい、投馬。」
「あはは。」
頬を染めながら慌てる晶をクスッと笑い、夕夏が言う。
「どうぞ、ごゆっくりしていって下さいね。」
「あ、ありがとう。」
晶の声はここの3人以外には聞こえない程小さかった。
夕夏が去って晶が投馬に聞く。
「あの子がツテ?」
「ん?あぁ、そうそう。」
「前から聞こうと思ってたんだけど、投馬の交友関係ってどうやって広がってんの?雄王様の従姉とも知り合いだし。こんな豪華な店の受付とも知り合いなんて。」
「ん~、知り合い伝いが多いかも。でも、夕夏ちゃんに関しては、うちが薬屋してて、夕夏ちゃんのお爺さんが常連客なんだ。それで、時々うちに薬を取りに来てたからさ。」
「ああ、そっか、薬屋か。」
「うん。・・・ていうか、そんなに顔広い?俺?」
「自分が思ってるよりは結構広いよ、絶対。」
「う~ん、そうかな。」
腕組をして、難しい顔をする投馬。
無自覚で知り合いを増やせる達人。
晶にとって投馬は自分に無いものを持っており、それは尊敬できる部分でもあり憧れでもあった。
あまり友達を作らなかった自分とは違い、無意識に周りの人が増えていく才能。
自分とは正反対の性格であるにも関わらず、いつの間にかここまで気の合う親友になっていた。
訓練学校で知り合った中だが、一人が好きだった晶自身もここまで仲良くできていること自体不思議だと思っていた。
「まぁ、難しい話は後にして、取りあえず、飯でも食べようぜ。」
そう言って、投馬が机の端に置いてあるメニュー表を手に取り広げる。
投馬の姿を見て晶も同じくメニュー表を手に取り広げてみる、が。
「さ、流石、五本指。高い。」
「いいよ、俺が払うから。」
「え、何で?」
「俺が誘ったし、それに、」
「それに?」
「伍長になるから、前金貰っちゃった。」
「え、何それ、銀蛾には無かったんだけど。」
「特別給与?があるみたい、卒業してすぐに役職持つ人は。」
「ちなみにどれくらい?」
「えっと多分・・・3か月分、かな?」
「え、そんなにもらえんの?前金だろ?」
「あはは、まぁ、そうらしい。」
晶は門が狭い銀蛾隊に入隊したもの、銀蛾隊には毎年入隊するものが現れる。
しかし、投馬が成し遂げた功績、『訓練学校卒業時に役職を貰う』ということは、120年の歴史を持つ訓練学校で投馬を含めて未だ7人しか達成していない。
どちらが優遇されるかなど、誰にでも直ぐに分かることだ。
投馬を祝う気持ちは当然ある。なんせ彼も彼なりに努力をしており、それを見てきたからだ。
しかし、それだけでは何となく悔しいので、晶は「くそ~、高い奴食ってやる。」と言って、ジト目でメニュー表を睨みつけた。
そんな姿の晶を見て「あはは、そうだ、遠慮するな。」と笑いながら、投馬も自分が食べる料理を再び探し始めるのだった。
食べたいものが決まった二人は夕夏に言われた通り従業員を呼んで料理を注文した。
投馬は普通の天ぷら蕎麦を注文し、晶はメニュー表に雄王のお気に入りと記載されていた「七色を楽しめる天ぷら付き蕎麦」を注文した。
待っている間、晶と投馬が繁華街「土天」を眺める。
昼時であったが談笑しながら料理を決めた為、思ったより時間が経過しており、通りを歩く人の数が心なしか先程より減っているように感じた。
この間だけでも時の流れはすごく早いと感じてしまう。
「晶に合ってもう3年経ったのか。早いな。」
「ああ、そうだな。」
「銀蛾に入るって無茶な生活してたけど、頑張ったな。」
「鍛錬が授業だけじゃ全然足りなかったから。俺には才能があるわけでもない、それぐらいしなきゃ銀蛾には入れなかった。」
「たしか、初めて会ったのは学校の食堂だったよな。始業式の次の日で、朝一番と思って行ったら、既に汗と泥で汚れた晶がいるんだ。衝撃的だったよ。えぇぇ、何?誰っ?ってな。」
「その誰って奴に、初めて会った時から話しかけれる投馬も凄いと思う。席が十分空いてたのにわざわざ、ここ空いてる?って話せる場所に入ってきてさ。普通なら声なんてかけないって。」
「いや、その時は、こいつ何か面白そうだなって思って。」
「面白半分かよ。」
僅か三年という短い期間であったものの積もりに積もった話は山ほどある。
大きな出来事や些細な出来事、その一辺を少しずつ思い出して語り合う。
すると、待っていた時間はあっと言う間に過ぎ去り、料理が運ばれて来たのだった。
「お待たせしました~。」
店員の声で二人が会話を止め、運ばれて来た料理を見る、が。
料理を運んで来た従業員を見て二人は驚いた。
「あれ、夕夏ちゃん。受付は?」
「妹が変わってくれたの。今日は思ってたよりお客さん少なくて人手が余るから、休憩して来たらって。」
「へぇ~、そうなんだ。」
夕夏は料理を投馬と晶の前に置き、そのまま二人がいる座敷に座った。
「ちょっと、ここで休憩してもいい?」
「うん、いいよ。」
夕夏が頭に着けた三角巾を外す。
髪に艶がある為か、夕夏の三角巾は音もなく髪を滑り落ちるように外された。
その際に夕夏が二人の料理の位置を気にしているように晶の目に映った。
二人とは距離を置いて座っていたものの、三角巾を外す際に料理に髪が入らない様に意識していたようだ。
従業員なので当たり前のことなのかもしれないが、知り合いが居て休憩をしているにも関わらず、こういった所を自然と意識している女性は晶の目に美しく見えてしまうのだった。
「今日、訓練学校卒業式だったんだね、おめでとう。投馬君とええっと。」
「ああ、この人は俺の友達で長門晶っていいます。」
「どうも、長門晶です。」
「あ、初めまして、私は金色夕夏って言います。投馬君とまぁ、友達みたいな感じですね。よろしくです。」
「うん。よろしく。」
笑顔が御光のように眩しい、名前の通り金色の輝きを持つ優しさが先程のいざこざで痛めた晶の心を潤わせる。
「じゃあ仕切り直して、晶君、投馬君、訓練学校卒業おめでとう。」
「ありがとう。それじゃあ早速、いただきます。」
「うん、食べて食べて。」
合掌を終えた晶は机の横に置いてある割り箸が入った箱に手を伸ばす。
「ありがとうね、夕夏ちゃん、なんとか春国の兵になれたよ。」
「うん、おめでとう。あの投馬君が春国の兵になれるなんて、何か感動しちゃうな、明日から頑張ってね。」
「ああ、この町のみんなのおかげだよ、ありがとう。」
「うん、本当に良かった。それでえっと、投馬君は大甲って聞いたけど、晶君はどの部隊に入るの?」
「ん?」
自分と投馬分の割り箸を摘まみ上げた晶の手が一瞬止まる。
そして、そっと投馬に割り箸を渡し、晶は夕夏の問いに答えた。
「えっと、俺は銀蛾に入りました。」
「えぇっ!」
4階のフロアに夕夏の声が響き渡る。
疎らにいる他の客も驚いた様子でこっちを見た。
「夕夏ちゃん、他のお客さんびっくりしてる。」
「あ、ごめんなさい。」
投馬の声で我に返った夕夏が周りにペコペコ頭を下げる。
怒鳴る客が居るかもと身構えていたようだが、お客達は滅多に聞けない看板娘の驚く声を聞いてご満悦のようだった。
夕夏がほっと胸を撫で下ろす。
「ごめんね、二人とも。」
晶と投馬に夕夏が謝罪する。
「大丈夫。」
「そうそう、気にしないで、夕夏ちゃん。」
「ありがとう。・・・それにしても晶君凄いよ。銀蛾って春国の精鋭部隊だよ。主要人物の護衛や、冷鬼との戦いでも重要な局面で戦う、兵を夢見る少年少女達の憧れじゃん。」
「あはは、でも、まだ僕は銀蛾の兵としては使われないみたい。しばらくは雑用と鍛錬って聞いた。」
「へぇ~、そうなんだ。でも、あの銀蛾に入れたなら、すごく強いんでしょ。」
興味深々で問いかける夕夏を見た投馬が晶に言った。
「あれ、見せてあげたら?俺と食堂で初めて飯食った時の、箸の割り方。」
夕夏の頭に?が浮かぶ。
「え?箸?」
「お、おう。それができるから強いかどうかは分からんけど。ていうか、あれは普通って知り合いに言われてたから、みんなやってるって本気で思ってたし。普通の割り方知った後にあれやったら、なんかイキってるって思われない?」
「そんなことないから、ほれ、手元にあるだろう。」
投馬に言われた通り、晶の手元には丁度、それ(・・)を見せるために必要な割っていない割り箸があった。
散々悩んだ挙句、隣で嫌な顔もせずにただ頭の上に?を置いている夕夏の気持ちを無下にすることもできず、意を決して晶は割っていない割り箸を机の上に、夕夏が見えるように置いた。
「ん、何するの?」
夕夏が覗き込むように見ていると、晶は自分の人差し指で割り箸の中央を軽く一回叩いた。
コツッと軽い音が聞こえ、それ以外割り箸に変わった様子は見られない。
「?」
夕夏の頭に再び?が浮かぶ。
そんな夕夏に投馬が告げた。
「夕夏ちゃん、割り箸、触ってみ。」
「?」
投馬に言われた通り夕夏が叩かれた割り箸を触ろうとする、すると。
パキッ。
「え?」
先程まで割れていなかった割り箸が夕夏が触る直前に「パキッ」と音を立てて中央で綺麗に割けたのだった。
割った断面がまるで何かで切られたかのように綺麗な面をしている。
叩く前は割れていなかった箸を夕夏も確認している。
叩かれた後に割り箸は割けた、つまり、晶が人差し指で軽く一回叩いて、それだけで割り箸を綺麗に割ったのだ。
「えぇ~、凄い。」
「ちょ、夕夏ちゃん、声。」
「あ、ごめんなさい。」
再び夕夏が周りに頭をペコペコ下げる。
二度目の光景を目に収めた後、投馬が自分の箸を割って蕎麦を食べ始めた。
「晶君、これ、凄い!!どうやったの?」
夕夏が箸を両手で持って晶の目の前に迫る。
従業員ということを忘れ、晶が口を付ける部分を思いっきり握っていた。
しかし、晶にとってそんなことはどうでもよくて、むしろ今、目の前に迫っている夕夏から平常心を保つ為、必死に頬を染めながら夕夏を落ち着かせていた。
晶が助け船を頼もうと自分の傍らを見ると、投馬はその一連の流れを見て、ニヤニヤしながら自分の蕎麦に手を付けていた。
「あぁ、美味いわ~。」
投馬の言葉に少しイラッとしつつ、晶は夕夏を落ち着かせるのだった。
その後、夕夏が晶の割った割りばしをずっと持って見ていた為、仕方なく晶はもう一つ割り箸を取り出し、今度は両手で普通に割り、蕎麦に手を付け始めるのだった。
運ばれてから時間が経過していたので、若干蕎麦がのびているような気がした。
しかし、目の前に迫ってきた夕夏の可憐で曇りのない優しい表情が晶の頭から離れることはなく、食べた料理がメニュー表に雄王のお気に入りと記載され、値が張っていたのにも関わらず、肝心の味が晶の記憶には全く残らなかったのだった。