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第5話 もうひとりのアリス


「やばいやばい、急がねぇと!」


 悟は自転車のペダルをいつもの倍のスピードで回転させた。

 星野 恵の両親が経営する喫茶店は、学校から20分ほどの距離にあり、「葉月駅」の繁華街の中に店を構えている。


 入れ替わり立ち代わりの激しい繁華街の中で、約20年そこで経営をしている老舗の喫茶店であった。

 悟と慎之介と恵の母親同士の仲が良く、幼馴染として育ってきたために、悟はその喫茶店に何度も出入りしている。


 特にここはオムライスが絶品で、それは悟の大好物でもあった。

 恵にアルバイトを誘われ、即決でしたいといったが、まさか次の日からバイトを始めるだなんて悟も思っておらず、初めてのアルバイトに緊張しながら遅刻してはまずいと急いでいた。


「ぎりぎりになってすいません!」


 到着したのは約束の時間の17時の5分前であった。

 会計にいたのは恵のお母さんで「いらっしゃい」と優しく微笑み、そのまま裏の事務所に悟を行くように指示をした。


 事務所に入ると誰もおらず、Mサイズの制服だけがポンと置かれている。

 すると、悟に続くようにもう一度ガチャリと扉が開いた。


「やっほー」

 入ってきたのは恵であった。


「あ、それ悟の制服ね。悟Mサイズで合ってるでしょ?」

「うん……まぁ。どうすればいいの?」


「それに着替えて!あ、奥の部屋は女子更衣室だから覗かないでね」

「わかってるよ!」


 恵は悟をからかい、女子更衣室へと消えていった。

 事務所には小さな机とパソコン、そしていくつかロッカーが並び、更衣室は奥に一畳ほどのスペースで確保されていた。


 男子更衣室というものはないらしく、仕方がないと、ロッカーの前で着替えをした。

グレーのシャツに紺色のエプロン姿で、いつもの学校の制服姿とは違う格好に心が躍った。


 それからというもの、先ほど会計レジで立っていた恵のお母さんが事務手続きのことなどを行い、研修のOJTとして恵にホール業務を教わってちょうだいと悟はそのままホールに放り出された。


 17時30分から始まった業務はあっという間に21時を迎え、悟はへとへとになりながら事務所で元の制服姿に着替えた。

 悟にとってアルバイトは初めての経験であったがゆえに、大した業務内容でもなかったにもかかわらずへとへとになっていた。


 21時の駅前の繁華街というのは昼間の賑やかさの色が変わる。

 黒いスーツに身を包んだサラリーマンや髪を金色に染めた若者、泥酔して路上で寝るものなど多種多様な人種で溢れていた。


 悟はその繁華街の中を自転車を押して歩いていた。

 ふと、眩しい蛍光色とアニメソングの流れるゲームセンターが彼の目に入る。

 子供のころ、恵と慎之介と少ないお小遣いを握りしめて、両替機の前で100円玉がいっぱいのメダルになる光景をキラキラとした表情で眺めていたことを思い出した。


 何度か改装を重ねた後はあるものの、昔の面影というものは端々に残っている。

 店外に自転車を横付けして、光に誘われる蛾のようにふらふらとした足取りで彼は店内へと入っていった。


 ゲームセンターは1階と2階の構造に分かれており、1階はユーフォ―キャッチャーが所狭しとずらりとならんでいる。

 以前の記憶ではしなびた景品しか並んでいなかったが、今では今人気のアイドルグループのプロマイドや流行のアニメグッズなどが綺麗に陳列されていた。


 そして奥の会談まで突き進み、2階に上がるとそこにはスロットゲームや格闘ゲーム、音楽ゲームといったものが立ち並び、耳を裂くような轟音を鳴り響かせている。

 久しぶりに聞くゲームセンターの音は、悟の耳への刺激が強すぎたせいか、音酔いをし始めた。


 キンキンと痛む耳を我慢しながら、以前遊んでいたメダルマシンのコーナーへといったが、すでにそれらの機械は1台残らず撤去され、最新型のプリクラが配置されていた。

 自分たちの居場所が見る影もなくなくなってしまっているのを見ると、時間というのはあっという間に過ぎていくものなんだなと悟はため息をつき、その場を後にした。


 階段を降りようと、ふと横眼でスロットマシンが置いてあるほうへ目を向けると、そこにはぽつりと小さな体でひたすらにスロットを回している人が見えた。

 いつもなら気にせずにいてしまう他人の背中であったが、なぜだか悟はその背中に強烈に引き付けられ、その場で立ち止まってしまった。


 その体躯は非常に華奢で、一目で女性だと分かった。

 灰色のパーカーに、黒いヘッドホン。

 白く細い指に、綺麗に伸びた金色の長髪。


 ちらりと見えた横顔が、いつもの窓際席に座っている詩とそっくりで、悟は思わず心臓をぎゅっと掴まれ冷や汗が流れた。


 何かの見間違いだと思えればどれだけ楽だろうか。

 悟はその好奇心と不安感に駆られ、気づけば少女の元へとゆっくりと歩いていた。


 少女はヘッドホンで爆音で音楽を聴いているせいか、悟が後ろに立っていることに気づいていない。

 悟はゆっくりと手を伸ばし、そして少女の肩を叩いた。


 振り向いたその顔に、悟は思わず息を飲んだ。

 そこには、悟の好きになったアリス様が座っていた。


「―――誰?ナンパなら他でやって」


 その冷たい声に思わず悟は「ごめん」と呟いた。

 それでもここで引き下がるのは男としての矜持が許さないと、引き下がる足のふくらはぎに無理やり力を入れその場にとどまる。


「あの……間違いじゃないと思うんだけど……。有栖川さん?」

 その言葉に少女のスロットを打つ指がぴたりと止まる。


「有栖川だけど……その制服、葉月光星高校?あぁ、お姉ちゃんと一緒のところだね。で、なに」

「いやなにっていうわけじゃないんだけど……」


「じゃあ邪魔だから帰ってよ。うざいしキモい」

「あ、うん……ごめん」


 その冷たい目に悟は怖気づき、思わずその場を去ってしまった。

 店外に出て、再び自転車を押し始めた。

 悟は沈み込む意識の中で、ふと今日の昼食での話を思い出した。


『―――"梓"っていう双子の妹がいてね』


 双子の妹であれば、見間違えても仕方がないほどに詩と梓は瓜二つであった。

 だが、あまりにもその性格も雰囲気も口調までもが詩とは正反対であった。


 いくら別人とは言え、悟は好きな人の容姿で辛辣なことを言われたことにショックが隠し切れず、思わず青いため息をついた。


 明日、どんな顔をして詩と接すればいいのだろうか。

 そもそも梓のことを聞いてよいのだろうかと悟の心は迷った。


 へとへとな体と、ぐっしょりと泥にまみれた心を引きずりながら、悟は自転車のペダルをゆっくりと回し、俯きながら家路へとついた。


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