第4話 お昼休みの雑談は楽しいもので
「おはようございます遠野さん。昨日はありがとうございました。これお礼です」
次の日の朝、悟が教室に着き、席に座るなり詩が話しかけてきた。
悟は驚き、思わず顔が引きつるも、ここで緊張していては男が廃るとぐっと拳に力を入れ、緊張した体の硬直を解す。
手渡されたノートには、チョコレート菓子がついてた。
「わざわざこんな……ありがとうね」
「いえいえ、こちらこそ大変助かりました。ノートが綺麗にまとめられていましたので、とても見やすかったです」
「いやそんな……僕の字、そんなに綺麗じゃないよ。それに滅多に人にノートなんて見せないから、汚かったらどうしようって少し悩んじゃったよ」
「そんなことないですよ」
お互い笑いながら話し合う。
ふと、横目で教室内をちらりと見渡すと複数人の女子がこちらを見てひそひそと聞こえないように小声で話し合っている。
その眼は明らかに好意的な目ではないのを悟は感じたが見て見ぬふりをした。
心臓の高鳴りというのは時間を幾倍にも早めるようで、あっという間に始業のチャイムがなった。
「ねぇ、有栖川さん」
「どうされました?」
「お昼ご飯一緒に食べない?」
悟は緊張する口調を隠しながらに聞く。
詩は少し考え込む様子で沈黙を作る。
「いいですよ」
その答えに、緊張の糸が切れ、悟はホッと胸を撫でおろした。
彼女の顔は嬉しそうな悲しそうなそんなどちらともとれる笑顔を浮かべていた。
楽しみが出来ると、人間はなぜだか猛烈に時間が過ぎ去ることを期待する。
それは今現在遠野悟に起きている現象であった。
1限目、2限目の授業はいつも通りに受けられていたが、3限目の化学の授業では、先生の話ではなく、刻一刻と進む時計の針ばかりに彼は気を取られていた。
3限目のチャイムが鳴り終え、待ち遠しいお昼ご飯の時間がやってくると教室中ががやがやと騒がしくなった。
すでにクラス内では友人同士で机を囲み、弁当やらお菓子やらを出して、わいわいと談笑している。
悟と詩はそんなクラスを抜け出し、購買でパンを買いに行く。適当な総菜パンを2~3個と甘ったるいカフェオレを買い込んで、白い不ビニール袋をぶら下げながら、校舎を出て噴水広場へと向かった。
噴水広場には幾人かがすでにベンチに座り食事を楽しんでいる。
悟は空いているベンチを見つけると、そこに詩と腰を掛けた。
ベンチに着くなり、悟はビニール袋から焼きそばパンを取り出し、包みの袋を開け、口いっぱいに頬張る。
隣では詩がサンドイッチの包み紙を丁寧にぺりぺりと剥がしていた。
そしてレタスの挟まったミックスサンドを手荷物と、それを小さな口でリスのように齧りついた。
「有栖川さん」
「どうしました?」
「有栖川さんは部活動にはいる予定?」
「今のところは……考えてないですね。遠野君は部活動どうするんですか?」
「僕も一緒。何も入る予定なくて帰宅部なんだ」
「それでは同じ仲間ですね。帰宅部って楽しいですね」
彼女はふふふと笑った。
「有栖川さんは何か趣味とかあるの?」
「趣味ですか……趣味というとおこがましいのかもしれませんが少しばかりピアノを弾いています」
彼女は恥ずかしそうに呟いた。
「ピアノなんてすごいじゃん!僕なんて音痴だし、ピアノなんて触れるだけで怖いのに!」
「いやいやそんな……本当に嗜む程度なんですよ」
悟の好奇心が沸き上がりと相反するように、詩の表情は青く影を差す。
彼はその様子に、地雷を踏んでしまったかと慌て、すぐさま話題をそらした。
「僕、バイト始めるんだ」
「バイトですか?」
「うん、幼馴染の両親が経営している喫茶店なんだけどね。有栖川さんはバイトとかしないの?」
「多分両親に反対されるから……それにお小遣いももらっていますからアルバイトはしないです」
「結構厳しいんだね。うちなんてむしろバイトしろってうるさいぐらいだよ」
「どうしてですか?」
「うち両親が共働きでそんなにお金なくてさ。でも私立高校なんかに進学しちゃったし、大学にも行きたいから今からでもバイトしてお金貯めなきゃいけなくてさ」
「偉いですね遠野君。私と比べるとすごく大人ですね」
「そんなことないよ。そこらへんの高校生と大差ないよ。僕から見れば有栖川さんのほうが落ち着いていてずっと大人だよ」
「そんなこと……ないですよ。私なんてまだまだ何もできない小さな子供です」
お互い謙遜しているせいで生温い微妙な空気が流れる。
悟は彼女と話すのはとても気を使うなと思いながらも、すぐさま話題を変えた。
詩は言葉数は多くないものの、悟に色々なことを聞かれても、その全てに丁寧に返した。
彼女の家は悟の実家がある葉月町の隣、久礼町の高級住宅街である東金地区に住んでいるということ。
以前はもっと離れた都会に住んでおり、1年前に久礼町に引っ越したということ。
そして、詩には「梓」という双子の妹がいること。
気づけば、悟と詩はお昼休みの大半を雑談に使ってしまっていた。
悟は最後に勇気を出して「連絡先を教えてくれない?」と聞いたら、彼女は特に躊躇うことなく「いいですよ」とスマホを出した。
悟は高校生になって初めての女子の連絡先をもらえたことに心が舞い上がった。
しかもそれはそんじょそこらの普通の生徒とは違う、学校中で噂になるほどの高嶺の花だ。
顔も性格も頭の良さも平凡な悟が、まさか一番最初の彼女の友達となってしまうだなんて誰が予想できただろうか。
悟は彼女に見えなところで、ガッツポーズをした。
昼休みが終わるチャイムが鳴り、慌てながら早歩きで教室へと戻った。
教室に到着し席に座ると、駆け上がった階段のせいか少し息が上がり心臓がいつもより早く動いている。それを落ち着かせようと、悟は大きく深呼吸をした。
午後の授業は平凡そのもので、悟は多少の眠気と闘いながらも、なんかと乗り切った様子であった。
途中、ちらちらと隣の席の詩を見たが、雰囲気も背筋もなんら朝と変わらずに、凛とそこに座っている。
その姿に、「あぁ綺麗だな」と思わず悟は見惚れた。
最後の授業のチャイムが鳴り、教室ががやがやとし始め、その5分後にはホームルームが始まった。
悟はちらちらと時計の針を気にしながらそのホームルームを受ける。
ホームルームが終わった直後、すぐさま悟は席を立ちあがった。
「いつもより早いですね。なにかご用でもあるんですか?」
「あぁ、うん。今日からバイトなんだ。遅刻できないと思ってさ」
悟はじゃあまたねといい、そのまま走るようにして教室を後にした。
詩の口から「あ……」という言葉が漏れ出すが、そのあと寂しい顔を浮かべながら口を噤んだ。
がやがやとする教室にポツンと詩は残される。
彼女は俯きながら、悟を呼び止めようと伸ばした腕をゆっくりと下ろし、ため息を漏らした。