フランツのひとりごと
ノルン侯爵家のエルヴィーラ様は初めから印象深い人だった。
侯爵令嬢ともなれば、部屋の受付は使用人に任せるのが普通だ。初日に本人自らが受付に来たのでとても驚いた。それだけでも充分驚かされたのに、初対面の私に相談をされたのだ。
今年は寮で受け入れができる、最大人数まで令嬢が来る。別館の利用には反対意見を出したのだが、押し切られてしまった。
別館は使用人にも寛大な人を細心の注意を払って選ぶべきで、庶民的な伯爵令嬢を選ぶ予定だった。それなのに、侯爵令嬢であるエルヴィーラ様に別館を勧めてしまった。
以前侯爵家以上の令嬢が四人同時に入学されることがあった。特に大きな部屋は三つしかないが、事前調査で評判の良いご令嬢たちだったので、当時の学院関係者はお互いに譲り合ってくれると思っていたそうだ。
ところが実際は、延々と揉めることになった。仕方なく限られた予算と建築期間で、急遽別館を建てて対応はしたものの、その後も色々と問題が起こったという苦い歴史を伝え聞いている。
そこに侯爵令嬢をご案内することになるとは、夢にも思わなかった。
別館を案内しているうちに気が付いたこともある。エルヴィーラ様は感情が表情に出てしまっている。これも侯爵令嬢としては非常に珍しいことだと思う。
表情に出ている疑問を推察してこちらから先にお答えすると、嬉しそうに微笑まれる。まずい。癖になりそうだ。使用人としての達成感とご褒美を同時に与えられているようだ。
侯爵家以上は使用人を六人連れてくることが出来るというのに、二人しか連れて来ておらず驚いたが、我々寮の使用人にも気遣いを見せてくれた。正解を選べたようで安心した。
後で来られたデポラ様は、エルヴィーラ様とは親しい方のようで、使用人は一人しか連れて来ておらず、正解への確信を深めることが出来た。
残念ながら他の使用人たちからの怯えは凄まじかった。人となりを知ることができれば、周囲も落ち着くだろう。エルヴィーラ様はご友人のデポラ様に会いに行く時に、我々と同じ廊下をお通りになる。
挨拶は使用人からするのが当然なのだが、エルヴィーラ様に先手を打たれてしまっている。使用人として情けない。再教育が必要だ。
恐怖心だけでなく、キラキラしていて一瞬惚けてしまうと全員が口を揃えて言う。早く慣れさせなければ。
突然、エルヴィーラ様のお兄様であるヴェルナー様より呼び出された。在学中にお見かけしたことは何度かあるが、急に呼び出したりするような人ではなかったはずだ。
…重度のシスコンだった。わからなくもないと思う自分が恐ろしい。
エルヴィーラ様は本当に申し訳なさそうな表情で、立派なタルトをくれた。他の使用人に自慢しつつ、その日が休みの使用人と一緒に食べた。とても美味しかった。王都のものだろうか。
食べられなかった他の使用人からのブーイングが激しかったので、失礼ながらどこで購入したのかを聞くと、マーサさんの手作りだった。幻のタルトとなってしまった。
ある日、エルヴィーラ様がお盆を持って私の部屋に来られた。ありえない。ここは使用人部屋だ。令嬢が笑顔で入ってくるなど考えたこともない。案内した者も戸惑っていた。
お盆にはタルトが三ホール。しかもエルヴィーラ様の手作りだという。何と言うことだ。
後で案内を任された使用人に詳細を確認すると、私の邪魔にならなければ部屋へ連れて行って欲しいと仰った。
使用人部屋ですがと尋ねたら、笑顔ではい。と言われて案内せざるをえなかったという。あの純粋な笑顔に逆らえるわけがない。
使用人たちがタルトを絶賛し、お礼が言いたいと廊下を通るエルヴィーラ様に積極的に挨拶をするようになった。いい傾向だ。
しかし、時々機嫌が悪いのか挨拶をしても返事がない時があるという。そんなまさか。その時はすぐに呼ぶように周知徹底をした。
そして、見た。難しい顔をして歩いているエルヴィーラ様を追いかけてきたノーラさんが、呼びかけても反応しないエルヴィーラ様の背中をそれなりに力を込めて叩いたのだ。
扉の影から様子を窺っていた私たちは戦慄した。ありえない。ここにいる使用人は、ほとんどが使用人を育成する専門学校を卒業している。絶対にしてはならないことだと、一緒に扉から覗いている誰もが思ったはずだ。
「あぁ、ノーラ、どうしたの?」
「忘れ物ですよ」
「あ、ごめん。ありがとう」
反応が普通だった。普通すぎた。ありえないと思っていると、扉が大きく開いた。仁王立ちのノーラさんに見つかった。顔が怖い。背筋に悪寒が走った。
「のぞき見ですか?」
全員が首を横に振って否定した。圧力が凄い。さすが侯爵家の使用人だ。何とか返事をしなければ。
「いつもと様子が違うと聞きまして、様子を見にまいりました」
結局はのぞき見になってしまうのか。使用人として無念だ。
「無視でもされたのですか?気になさらなくて大丈夫ですよ。お嬢様は夢中になると人の声が聞こえなくなります。お邪魔になるようでしたら、遠慮なく叩くなり叫ぶなりして下さい。あまりに大きな声には驚かれるので、叩く方がいいかと思います」
「だ、大丈夫なんですか。その、我々がその様なことをして…」
「大丈夫ですよ。お嬢様はそんなことで怒るような方ではありません。むしろ、何度注意しても直らないので積極的に叩いて頂いて構いませんよ」
何と言うことだ。居合わせた使用人一同、絶句する。気にしないように周知徹底をした。さすがに叩けない。
一度お伝えしたいことがあって呼び止めようとしたが、反応がなく、仕方なく強引に視界に入ったところ、普通にぶつかられた。謝られた。どうすればいいのだ。悩む。私が、侯爵令嬢を叩く?ありえない…。
ありえないことは更に続き、我々とパーティがしたいと言う。しかもエルヴィーラ様の応接室で。ありえない。丁重にお断りしたが、あまりに悲しそうな顔をされるので断り切れなかった。
泣きだすのではないかと思って、非常に焦った。この生き物は何なのだろう。いつも笑顔でいて欲しい。
それから我々は必死に使用人食堂を綺麗にした。誰もが率先して磨きに磨き上げた。ヴェルナー様も連れてくるという。侯爵家嫡男だ。在学中に悪い噂を聞いたことはないが、不安だ。フレドリクに在学中の様子を聞く。
「使用人にも優しく接してくれる、いい方だよ。使用人も一人しか連れて来られず、ご自分のことはご自身でされる方だったよ。ご自分の使用人が風邪を引いた時には、昼休憩にわざわざ戻ってこられたりもしていたなぁ」
ただのシスコンじゃなかったのか…。
当日。我々は緊張していた。ヴェルナー様やヨアヒムさんが一緒に手伝いをしてくれて、非常に気さくな方だと理解した。食堂が汚いと言われることもなく、我々全員が笑顔でエルヴィーラ様をお迎えする。
今後男子寮やどこかで何かあった時に手助けするよう言って、エルヴィーラ様にフレドリクを紹介した。既に面識があるとは思わなかった。
エルヴィーラ様は男子寮でも大変人気が高く、よく噂されていると聞いた。誰にでも気さくで笑顔。エルヴィーラ様のファンは多いらしい。
使用人がお酒が入ったからか、よりによってエルヴィーラ様に愚痴を言い始めた。慌てて止めに入ろうとしたが、ヴェルナー様に止められた。
「エルが興味を持って聞いている時に邪魔をすると、嫌がられるよ」
嫌だ。嫌われたくない。そう思ってしまった。生暖かい同士を見るような目でヴェルナー様に見られた。私はついに禁断の地に足を踏み入れてしまったのか…。
ヴェルナー様からエルヴィーラ様を頼まれた。ぼんやりしているところもあるし、抜けているところもあるから、全力でサポートして欲しいと懇願された。
それと、エルヴィーラ様を訪ねてくる男がいたらすぐに報告するようにと言われた。それは、どうなんでしょうか。圧が凄すぎて、シスコンも過ぎると嫌われますよ、とは言えなかった。
皆様が帰られた後、フレドリクがエルヴィーラ様は本当に凄く可愛いよね。などと言い出した。紹介したのは失敗だったかもしれない。
フレドリクのことはヴェルナー様に報告してしまおうか。やはり私は禁断の地に足を踏み入れてしまったようだ。




