侯爵令嬢は魔王をもてなす
「あっ!」
急に使用人が声を上げたので見ると、一点を凝視していた。視線を辿ると時計だった。
時刻は二十時過ぎ。寮の門限は一応二十二時なので、まだまだ余裕があるのにどうしたのだろうか。
「申し訳ございません、ディートリヒ様。厨房に夕食の依頼をし忘れてしまいました」
「ああ、そうか。ラストオーダーは二十時だったね」
「申し訳ございません!」
使用人は腰を直角に曲げて謝った。謝るならスライディング土下座がお勧めだよ。
「お腹は空いているけれど仕方がないね。心配で付き添っていてくれたのだから、気にしなくていいよ」
その言葉に使用人が何とも言えない表情になった。うん。居眠りしてたんだもんね。
「エルヴィーラ嬢は大丈夫?」
イケメンは、この状況に追い込んだ本人まで心配をするのか。少しだけ魔王の人気ぶりが理解できた。
自炊できるので私はラストオーダーなんて気にしないし、何だったら空間収納のストックで済ませることもできる。
「ええ、問題ありません」
気が付くと、縋るような表情で使用人に見つめられていた。えっと…。これは…どういうこと?私の分を譲れってこと?ええ?自炊だから作ればあるけど…。
「…こちらで用意、します…?」
使用人が驚きで目を見開いた。えっ?あぁ!居眠り内緒にしてってことか!最初からそのつもりだったから、気が付かなかった!あー!言わなきゃ良かった!しまった!もう遅い。
キラキラした目で見つめられてしまうと、もう断れない。確認すると、使用人の彼も夕食抜きになるらしい。二人分追加か…。
空間収納のストックにするにしても、ここで出すわけにはいかない。私の部屋へ二人を連れて行く必要があるので、ノーラに連絡をしなければ。
「料理人がいるの?」
「えっ、いや、まぁ、その様な…?」
料理人ではないけれどノーラとマーサの腕は確かだと思うので、曖昧な返事になった。ラストオーダーが二十時までと知っていたら、きっちり起こしたのに。談話室を利用していないことが仇になった。
諦めてノーラに通話して、今から二人を連れて行くことを伝えた。ノーラとマーサは二人共食事をせずに私を待ってくれていた。
こそこそと人目を忍んで女子寮へ移動する。別館で良かった。見つかったりしたら大変なことになる。主に私の学院での居心地が。
「もうちょっと堂々と歩きなよ。却って不自然だよ」
そう言われても気分がこそこそしているから、体もこそこそしてしまう。
私お得意の変身魔法で二人の姿を変えてもいいのだが、私は大きさは変えられない。
こんなにごつくてでかいノーラとマーサはありえないし、魔王に変身魔法が使えることを知られたくないので、できない。
諦めたのか、魔王が周囲に認識されにくくなるように水魔法をかけてくれた。ありがたい。
途中でふと、この水魔法を駆使して令嬢達を上手に撒いていることに気が付いた。だから捜索してもわからなかったんだな。
それだけの効果があるなら、安心だ。こそこそするのをやめることが出来た。
マーサが出迎えてくれて、普通にディートリヒと使用人の分までお茶を用意したが、使用人が客扱いに明らかに恐縮してしまっている。使用人用の応接室なんてないぞ。
侯爵令嬢から出されたお茶を飲まないのも失礼だし、主人と一緒に並んでお茶を飲むのもガロン侯爵家ではまずいようだ。立ったままオロオロしている。
こんな時間に厄介事を持ち込んだことを二人に謝りたいし、私はさっさとマーサと一緒に二階に上がった。お茶の用意はしたし、あちらの流儀で好きにしたらいい。
「二人ともごめんね」
「大丈夫ですよ。お嬢様は時間帯的に軽めに済ますのでしょう?少し追加で準備すれば大丈夫です」
「ストックからスープを出したらいい?他は?」
「スープだけで大丈夫です。私はサラダの準備をしていますので、マーサにはお肉を追加で焼いて貰いましょう。お嬢様はおもてなしを」
「待って。私は料理を運ぶわ」
「…何処に給仕をする侯爵令嬢がいるのです。ありえませんね」
あぁぁぁぁぁ。ノーラが怖い。緊急事態と言っても聞いてくれなさそうなので、渋々応接室へ戻った。気まずい。
「あの、自分も手伝います」
居心地が悪かったと思われる使用人から、申し出があった。出来ることと言えば、給仕くらいか。私の代わりをして貰おう。
「でしたら、準備が出来た料理を、あの螺旋階段からこちらへ運んで下さる?」
「かしこまりました!」
嬉しそうに料理を運んでくれた。
応接室の奥にある食事用テーブルに次々と料理が運ばれてきたが、渡された料理は五人分で、どうすべきが正解か悩んでいるようだった。
予想はしていたが、ガロン侯爵家では使用人と主人は一緒に食事をする習慣がないらしい。
私はディートリヒがいても、ノーラやマーサと一緒にご飯を食べるつもり。ディートリヒと二人きりになるつもりも、待ってくれていた二人を横に立たせたまま食事をするつもりもない。こちらの流儀に従って貰おう。
六人掛けのテーブルに、指示して五人分の料理を並べて貰う。ディートリヒが促す形で使用人も席に着いてくれた。
「急に来たのに悪かったね。ありがとう」
「いえ、お礼なら準備してくれた二人にお願いします」
ディートリヒはノーラとマーサにもきちんとお礼を言ってくれた。好感度が上がった。話は自然と学院のことになった。使用人組もマーサを中心に話し始めた。
「どうすればベルンが気持ちよく授業を受けられるのか。考えているのだけれど、いい案が浮かばなくて困ったものだよ」
「そうですか。皆様の努力は凄いですからね」
令嬢らしい対応を心がける。今日の魔王にはもう大人しくしていて欲しい。
「どうしたらいいと思う?」
何故そんなことを私に聞くんだ。まぁ、平穏にする方法はあると思う。これを提案すれば、貸しが返せるかな。
「そうですね…。婚約者候補にスケジュールを組んでもらったらいいのではないでしょうか」
「どういうこと?」
魔王がちょっと乗り出してきた。不味いことを言ったかな。
「婚約者候補だからこそ、お話ししたいと思っているわけでしょう?殿下も選定の為に交流を持つのは必須でしょうし。例えばですけれど、令息も含めて希望者全員にお話しできる時間を用意するのです。昼食は誰と、夕食は誰と、とか。それ以外で会いに行くのを禁止にすれば、お互いに牽制し合ってルールを守ろうとするのではないかと思いました」
「それを婚約者候補に決めてもらうの?上手くいくかな?」
「そうですね…。候補者だけは初めから優遇するルールを決めておけば、きちんと管理してくれるのではないでしょうか。ルールをある程度指定されていても、自分たちが決めたとなれば、そこまで不満も出ないと思いますし、言えませんよね」
「なるほどね…。こちらだけで何とかしないといけないと、考えすぎていたか…」
結局二人はマーサが勧めたタルトまできっちり食べて、食後のお茶まで楽しみだした。少しは遠慮してよ。もう結構な時間ですよ。
「また相談したくなるかも知れないし、通話機の魔力交換しようよ」
魔王!?何を言っている!!
「わ、私、通話機は持っていません」
「さっき、ノーラさんと通話してたよね…」
顔が怖い、怖すぎるよ魔王!!うっかりバレバレの嘘をついた私も悪いけど。バレバレすぎて皆もびっくりしてるけど!!
渋々魔力交換をしたら、ギリギリ門限までに帰って頂けた。もうちょっと粘っていれば、門限があるから逃げ切れたのかも。どちらにしろ、疲労困憊の一日だった。もう何も考えたくない。
「ディートリヒ様って、凄く格好良い方ですね。気配りも出来て、お優しいし!!」
マーサが魔王の術中に嵌まって、魔王を褒めまくっていた。あれは魔王であり、小姑だ。真実の姿が微笑みの貴公子ではない。何かあだ名だらけだな。
そんなに気に入ったのなら、私の代わりに通話機の魔力交換してくれたら良かったのに。




