その頃 ベルンハルト
建国当初からある王家の秘密書庫。そこで国王と王妃はあらゆる蔵書を読みふけっていた。
王弟の影響をベルンハルトから完全に取り除く方法、影響が完全に解けたのか確認する方法。それらを空き時間の全てを使って探していた。
大きな机には何冊もの本が山積みにされているが、今の所何の成果もない。二人の顔には色濃い疲労が現れていた。
「見つかるかしら…」
いつもは気丈な王妃からも弱音が漏れるほど。
その言葉に返事をしようと顔を上げた国王は、空間の揺らぎを見た。
国王の視線に気が付いた王妃も目をやった時、そこには男女が立っていた。
彼らは王家に伝わっている絵画の、男神と女神そのままだった。
二人は思わずこの部屋に飾ってある絵画に視線を送った。間違いない。絵から抜け出てきたようだった。
「突然悪いね。僕の仲間が書き残した書物が悪さをしたようだ」
そう語ったのは、男神。
思わず二人は椅子から降りてひれ伏した。
「私たちは神様ではないので、畏まる必要はありません。ただ、時間の流れが違う場所から来ただけです」
女神が二人を立ち上がらせようとする。
しかし、二人は神話として伝わる話を知っているのでそうもいかない。あまりに畏れ多いのだ。
祖先はここではない世界で奴隷だったと伝えられている。産まれた時から奴隷だった者、近隣から拐われた者。どちらも死ぬまで奴隷という弱者に厳しい世界。
それを助けたのは奴隷を管理する側にいた女性と、類い稀な魔法の素養を持った奴隷の男性。残念ながら名前は伝わっておらず、救世主としてだけ伝わっている。
彼らは力を合わせて変革を望むが、現状では不可能と判断。自分達の庇護下にいる奴隷を連れ、新天地を求めた。
新天地はけしていい環境では無かったが、搾取されない生活は、奴隷だった彼らにとって楽園と言って良かった。
しかし、楽園も長くは続かなかった。新天地特有の病があったのだ。病に犯された救世主の男性は急速に弱っていき、それを嘆き悲しんだ救世主の女性は治療法を探して奔走した。
治療法はわからず、内包魔力が高いほど重症化することがわかっただけ。
一縷の望みをかけて、女性は男性を生命力の強い木と融合させた。その後、新天地で救世主の男性を見た者はいない。
人々は嘆き悲しんだが、女性の嘆きはそれ以上だった。女性は小屋に閉じ籠ってしまい、誰とも会わなくなってしまった。
数年後、その小屋から光の柱が立ち上ぼり、本当に誰も近付くことさえ出来なくなってしまう。最大の庇護者を失った新天地は、その後緩やかにではあるが、滅亡へ向かっていた。
そんな時に現れたのが、絵画に残されている男神と女神だった。生き残りを新たな新天地、この大陸へと導いた。
男神は生きる為の糧を授け、女神は文化を授けた。男神と女神は我々の生活が安定すると、新天地を去った。ご自身の世界に戻られたと言われている。
二人を何とか椅子に座らせた女神は、机に崩れそうな程積まれている本から、何冊か抜き出していく。
「今後、悪い方面で活用される可能性を感じる書物は、処分しますね」
淡々と、しかし迷いなく女神が本を選んでいく様を、国王と王妃は呆然と見つめるしかなかった。神ではないと言われても、意見することなど出来なかった。
二人は、息子を諦めなければいけない心の準備を静かに始めていた。
「どちらでもいいが、息子の所へ案内して貰えるだろうか」
男神の言葉に、国王は緊張で喉が詰まってしまった様な感覚を覚えながらも、必死の思いで声を発した。
「何を…」
今の状況はどうであれ、変わらず大切な息子。自分たちが不甲斐なかったばかりに助けられなかった息子。相手が神であってもなくても、何をされるのか尋ねずにはいられなかった。
「様子を実際に見てからになるが、術の解除か…まぁ、本人の希望も聞くが」
息苦しさを感じるほどの歓喜が国王と王妃を満たしていく。その感情を言葉にすることが出来ず、国王は無言で男神の先導をする。王妃もそれに続いた。
王家の秘密書庫ではあるが、女神を残して行くことに何の問題も感じなかった。
「ここは頼んだぞ、タツキ」
「うん。マサルさんが戻ってくるまでに終わらせておく」
男神が案内されて着いたのは、小さな部屋。窓は小さいが、生活に不自由がないようにきちんと整えられている。
「誰だ…?」
壁際の椅子に所在なく座っていたベルンハルトが思わず、といった感じで声を発する。
今は深夜。今の状態の自分に、両親以外が訪ねてくるとは思わなかった。
「ベルンを助けてくれる人よ」
王妃が息子を安心させるように声をかけた。ベルンハルトはまだ、王家の秘密書庫には入ったことが無いので、あの絵画も見たことが無い。
「魔法封じを外してくれ。正しい状況を認識しづらい」
国王がその言葉に頷き、ベルンハルトに付けられた魔法封じを外していくその様は、ベルンハルトには異様な光景に思えた。
一国の国王に指示している男は、随分若く見える。どういう人物なのか、見当もつかない。
「…なるほど。幼少期から術者に、思考の方向性をいじられている。考え方、物の見方…。術が弱まっている時に修正されないよう、人の意見を聞き入れず、自分の意見を優先するように、か…。なるほどなぁ」
独り言の様に呟く男神に、誰も質問など出来なかった。その思考を邪魔してはいけない様な気がしたのだ。
「一つ、今まで自分の考えと思っていたことが、自分本来の意思ではなかった可能性がある」
「一つ、その影響で本来の性格と今の性格が違っている可能性がある」
「何故"可能性"と言うかというと、術者が誘導した方向と元々の方向が似ていた可能性が否定できない」
「それはつまり…」
王妃の言葉に、男神は端的に答えた。
「術の影響を取り除いても、性格は特に変わらない可能性がある」
そうなると、操られていなかったとしても同じ事をしたという事になる。
「あぁ、勘違いしないで。術がなければ事件は起きなかった」
国王と王妃はほっと胸を撫で下ろした。
「それを踏まえて考えて欲しい。影響を完全に取り除けば、思考能力が極端に落ちると思う。それこそ最初は幼子の様に。それでもするか?」
国王と王妃はベルンハルトを見た。ベルンハルトはその両親の顔を見て、自分がどの様な状況になろうと大丈夫だと確信出来た。
ベルンハルトは力強く頷く。説明を聞いてからずっと考えていた。本来の自分はどんな人間で、どの部分におじさんの影響を受けていたのか。自分ではいくら考えてもわからなかった。
それを、知りたい。本来の自分を取り戻せるなら取り戻したい。誘導に従いベッドへ横になる。男神に手をかざされると、意識を手放した。
「これで影響は無くなった。明日の昼には目覚めるだろう。周囲の協力は不可欠だけれど、四、五年あれば周囲から浮かない程度にはなるだろう」
国王と王妃は男神を連れて、秘密書庫へ戻った。女神は熱心に自分たちが描かれていた絵画を見ていた。
「お帰り。終わったよ」
「そうか。何か言っておくことは?」
「うーん、ベルンハルト王子とディートリヒさんやエルヴィーラさんは、必要以上に会わせない方がいいと思います」
「詳しく教えて頂けないでしょうか」
国王はすぐに質問を出来る王妃に感心した。
「エルヴィーラさんはわかりますよね?ディートリヒさんはベルンハルト王子の近くにいたから、変わっていない所にも気が付くと思います。それは、お互いにとっていい結果にはならないかと。ベルンハルト王子は新しい人と交流を持った方がいいと思います。それとこの絵、頂いてもいいでしょうか?」
「ええ、勿論です。あなた方が現れた時、お渡しするようにと伝えられております」
国王は王妃と協力して、慎重に絵を壁からおろした。
「ファティマはどうしてこんな絵を…?」
不思議そうに問う男神に女神が答えた。
「これ、誰かに上書きされてるの。百年後くらい後かな?時間はかかるけれど、ファティマが残してくれた絵をちゃんと見てみたいなって」
国王は卒倒しそうになった。ファティマとは初代国王の名。その人物が描いた絵を誰かが上書きしているなど、あってはならないことだった。
「本当はどの様な絵が描かれていたのか、お伺いしても?」
常々度胸のある王妃を頼もしく思っていたが、今は止めて欲しかった。お詫びが先だろうと叫びだしそうなくらいに国王は焦った。
「ほとんどが塗り潰されていますが、この土地を一緒に開拓した、仲間たちとの絵です」
女神はいとおしそうに絵を手に取った。
「帰ろうか」
男神のその言葉で、そこにいた筈の二人は一瞬の揺らぎを残して、音もなく消えた。




