飛んで火にいる?
ホストであるヴェルナー様の合図で夕食の給仕が始まったその時だった。
「困りますぅ!」
気のせいかちょっと嬉しそうな、何だったら今にも笑いだしそうな感じのマーサの声が聞こえた。それくらいは僕にもわかる。わざと侵入を許したのだ。
これから何が起こるのかを想像しただけで、楽しくて仕方が無いのだろう。
そして、扉を勝手に開けて入って来たのは、名前を忘れたエルの従兄、なはず。カ?何だったけな。
勢いよく扉を開いたのはいいものの、思っていたよりも大勢の人がいたのか、驚いているのがわかる。先触れもなかったし、本当に何しに来たんだろう。何か策でもあるのかな。
「ヴェルナー、話がある!」
おいおい。客人の前で何て失礼な。座り位置からホストがヴェルナー様であることくらいわかるはずだ。
事前に王妃陛下からある程度は聞いてはいたが、これは酷い。わざわざ陛下や王妃陛下が来る必要のある人物とは思えなかった。
「お客様が来ているので邪魔しないで頂けますか。どうしてもと言うならここで聞きますよ、ユルゲン」
名前が一文字もかすっていなかった。カから始まる名前の誰かと勘違いしていたのか。勘違いした相手が誰なのかさえも思い出せない。
「まだ侯爵と決まった訳でもないのに偉そうに!お客様方、お騒がせして申し訳ありませんが、この傲慢なヴェルナーの様子をご覧頂きたいのです。父親と同じ考えを持っているのは明白だとは思いませんか!」
同じ考えって何だ。何故クーデターに参加したかは、書面のどこにも書かれていない。舞台俳優の様な仕草で身振り手振りで話している所が、小物感を助長している気がする。
そもそも、ここにいる面子を見てもわからないようでは問題外だ。自分がパッと見で誰か分からないから大した相手ではないと思っているのかもしれないが、もっとよく見ようよ。
国王夫妻にゲルン侯爵夫妻、ガロン侯爵家の長男と次男、北の辺境伯長男…。うん、クリスに関してはちょっと難題かも知れない。普段から気配を消しすぎ。
確かに彼の立場では陛下と王妃陛下に直接会う機会はないだろうが、絵姿だって売っている。
ゲルン侯爵夫妻は表に出てこないとしても、侯爵家の中では一番積極的に伯爵家などと交流を持っている。それなのに顔を知らないなんて、貴族として終わっている。
しかもイザベラ嬢を見て頬を染めたりしている様は、ただの馬鹿な気がしてきた。好みのタイプだったのだろうけれど、今はそれどころじゃないと思うのだが。ある意味大物なのか。
ヴェルナー様がキツイ顔になった。そりゃそうだろうな。イザベラ嬢が可哀想だ。
そして、陛下と王妃陛下は理由をつけてただ遊びに来ただけな気がして来た。
「ねぇ、兄様。あれは誰?」
小声でハルトが聞いて来たので教えてあげた。
「あれはね、エルの従兄だよ。多分」
「馬鹿っぽいね!全然似てないや」
そうですね。
「ほう?王家から配布された文書を読んでいないのかね?」
ヴェルナー様が怒りを一旦鎮めて言い返す前に、陛下が参戦した。顎を触る癖も出ているので、確実に面白がっているのがわかる。
自分のことを知らない相手に会うのが久し振りで、楽しくなってしまったのだろう。後、どんな策で乗り込んで来たのか興味を持っているようだ。
「もちろん読みました。これの父親はクーデターを企てた犯罪者!その息子が侯爵になるなど、ありえません!この傲慢な姿は父親に通じるものです!」
陛下の興味が一瞬で失せたのがわかった。単にあの文書を読んでも意味が分からず、無策で乗り込んで来た馬鹿だと今の言葉で気が付いてしまったからだ。
そういうそっちはその弟の息子だろうが。ヴェルナー様からは予備として教育されていたと聞いていたが、教育水準が低すぎる。
「早く帰った方がいいわよ。そして、書面の意味を誰かに聞きなさい」
今度は王妃陛下がカ、じゃない、誰だったけ?もう小物でいいや、に助け船を出した。容赦なく叩き潰されないように配慮したのだろう。
「何をおっしゃっているのですか!これだから政治の分からない女性は困るのです!」
うん。言っている意味がわからないし、陛下の逆鱗に触れたな。エルは無表情だが、イザベラ嬢は顔で不愉快だと示している。
段々と陛下から魔力が漏れ出してきている。マーサ逃げて!察しのいいマーサは僕と目が合うや否や小物の近くから逃げてくれた。
その直後に一気に陛下が魔力を放出して威圧を始めた。小物は威圧をもろに受けて動けなくなったようだ。危うくマーサもくらうところだった。
さすがに陛下もマーサが逃げるのを待っていたと思うけれど、小物が気が付いて逃げようとすれば、まとめて威圧してしまっていた可能性もある。
魔力の射線上には小物しかいないので、周囲に被害は出ていないが、いや、クリストフルが巻き込まれている。席が離れて喜んでいたのに、さすが巻き込まれ体質。
陛下はこんな感じでもちゃんと国で有数の魔力持ちで、その容赦ない威圧を受けても焦っているだけのクリストフルも凄い。
「私の顔も知らんとは。彼女は私の妻であり、王妃であるクレメンティーネだ。お前ごときより、余程政治に精通しておるよ。処分は後程言い渡す。下がれ」
陛下の近衛が威圧などないかのようにさっと動いて、小物を室外へ連れて行った。
「さっ、折角のお食事ですもの。暖かいうちに頂きましょう、陛下」
王妃陛下のこの言葉で食事が再開した。
「そうですわね。これは当地で品種改良された野菜を使用したスープで…」
直ぐに相槌を返すカリーナ様もさすがだ。
飛んで火にいる夏の虫とかって言うけれど、入る火はせめてもうちょっと選んだ方が良かったと思う。被害が自分以外にも及ぶことだろう。
後日調査が入り、ヴェルナー様のノルン侯爵拝命と同時に、ここへ行くことを容認した小物の父親であり元ノルン侯爵の弟と、それを手助けした分家の処分が発表された。
処分はヴェルナー様に冤罪をかけようとしたことに対してだが、誰も信じていないのに処分されたのは、陛下を怒らせたことが原因でしかない気がする。
少し客人を怒らせたくらいで処分が重すぎるのではないかと抗議したようだが、怒らせた客人が誰かを知って震えあがったそうだ。
数日後、伯爵家の従弟からお礼とお詫びの手紙が届いたので、エルと一緒に僕も読ませてもらった。
それによると、父親は在学中に王妃陛下に夢中になり、不甲斐ない成績しか残さなかった兄がノルン侯爵位を継ぎ、自分がしがない伯爵家の婿に出されたことを根に持っていたそうだ。
伯爵家の婿になったのに、いつまでも侯爵家の人間の様に振舞う父親は距離を置かれていたが、
従兄だけは格好良いと憧れてしまったそうだ。
父親はそんな従兄を気に入り可愛がり、ノルン侯爵家を乗っ取ることも考えに含めて教育を施していた。
「中央の専門学院へ進学できなかった時点で、無理だよね…?」
乗っ取りを狙うなら、必要最低限優秀である必要がある。
「私もそう思う…」
読み進めていくと、従兄が中央学院へ進学できなかったのは、ヴェルナー様から圧力がかかったからだと本気で考え、その証拠集めをしていたらしい。
それに呆れた母親と共に、従兄共々別宅へと追いやっていた為、動向を把握しきれずに迷惑をかけてしまったことを謝罪していた。
二人を見張っていたが、他の分家が手助けしたことまでは気が付けなかったらしい。
「まともな人がいて、伯爵家としては何とかなりそうで良かったね」
「そうだね。陛下の不興を買った人間を跡取りにするのは周囲も反対するだろうし、穏便に従弟が継ぐだろうね」
やらかした兄が爵位を継ぐことに不満を持つ気持ちはわからなくはないが、その先が同情できないレベルの低さだった。




