エルヴィーラが寝た後で
「寝ましたね…」
エルはカリーナ様に体を預けて、穏やかな寝息を立てている。
「えぇ。皆さん、本当にありがとうございました。お礼はまた改めて。エルちゃんの気分も落ち着いて来たみたいで、やっと癒し魔法の効果が出たわ。本人の中で、ある程度心の整理がつくまでは目が覚めないはずです」
「母さん、俺が運ぶよ。一緒に行こう」
カリーナ様とエルを抱えたヴェルナー様、ノーラとマーサの退室に、コタローもついて行った。部屋にはデポラ嬢と僕、クリストフルの三人とユキちゃんが残った。ユキちゃんがついて行かないのが不思議だ。
「大丈夫、でスかね?心ここに非ずって感じでした」
「エルならきっと大丈夫よ」
「だとしても、相当ショックだろうね」
「ええ。まさか本当に自分の父親に殺されそうになるなんて、普通では考えられないわ。父親と慕ってはいなくとも、ショックではあるはずね…。しかも実行犯が殿下って」
言いながら、デポラ嬢の顔色はどんどん悪くなっていった。
「デポラさんも、休んだ方がいいでスよ。顔色が悪い」
「…そう、ね。ダーリンが戻ってくるまで、部屋で休んでいるわ」
デポラ嬢が動くと、ユキちゃんが寄り添った。
「あら、一緒にいてくれるの?」
ユキちゃんがデポラ嬢の足にスリスリしながら退室していったので、クリストフルと完全に二人になった。
「大丈夫かな…?」
「ダーリングさんは早めに戻って来るって言っていたっス。任せましょう。ユキちゃんも気が利く子ですから」
「ああ。デポラ嬢を心配して残っていたんだろうね。クリストフルは平気そうだね?」
表情がいつもの穏やかなままだ。
「まぁ、辺境出身なので。今まで見てきたものが皆さんとは違うから…。ディートリヒも大丈夫スか?殿下とは、幼馴染でしょう?」
「まぁね。ただ、薄情な話だけれど、陛下と王妃陛下に面倒を見て欲しいと頼まれていたから、側にいただけなんだよ。正直エルが無事だっただけで充分かな…」
クリストフルは辺境伯の嫡子として、賊の討伐に出たりして様々な経験を積み、色々な人間を見ているのだろう。会場での動きも、何の迷いもなかった。経験の差というやつかな…。
クリストフルが直ぐに動けなければ、あの給仕には逃げられていたとデポラ嬢が言っていた。中々薄情な話をしていると思うけれど、それでもクリストフルの表情は変わらない。
「それでも、側近になるんスか?」
言いづらそうな顔をしている。ここを気にしてくるのがクリストフルらしいというか。
「いや、ならないよ。学院卒業まで面倒を見る代わりに、絶対に側近にはならないと約束してもらっている」
「そうだったんでスか…。殿下はどうなるんスかね…」
「王弟次第かな。彼が何を言うか。もう捕まえているんだろうし」
「お菓子でも食べて、報告を待ちまスか。今日はディートリヒも泊まるんでしょう?」
「あぁ。エルが目覚めるまではいるつもりだよ。どうせ、社交は全部中止になるだろうし」
「そうスね。なにこれ、美味しい!」
たまたま摘まんだお菓子が美味しかったようで、クリストフルの表情が崩れた。
***
会場の周囲はゲルン卿の関係者と北の辺境伯関係者で固められていた。何らかの方法で失敗の報告を受けたならず者たちを、残らず捕縛できたはずだ。タウンハウスにいるノルン卿はエーリヒとヨアヒムが見張っていてくれたので、ここはゲルン卿に任せてタウンハウスへ向かった。
ならず者と同様に失敗の連絡を受けているはずのノルン卿に動きはなかった。自分に辿り着くとは思っていないのだろうか。ヨアヒムとしっかり最終打ち合わせをしてから、屋敷内に踏み込んだ。突然現れた私たちにノルン卿は酷く驚いていた。
「何故、北の辺境伯ご夫妻が…?」
「何故でしょうね?」
私たち夫婦はこの男にとても腹が立っていた。私たちだけでなく、志願してついて来てくれた兵士たちもだ。私たちはあの恩を忘れない。辺境が手薄になるのをわかっていて送り出してくれた両親や、辺境に残っている兵士たちも同じ気持ちだ。
私情が入って多少乱暴になってしまったが、使用人も含めて一人残らず捕縛した。屋敷に泥棒が入ったりしないようにエーリヒを残し、ヨアヒムはゲルン卿へ報告へ。私たちは全員を王城へ差し出しに行った。
王城では王弟が既に捕縛されており、それを見てようやく理解したのかノルン卿が青ざめた。手続きを終えゲルン侯爵のタウンハウスへ行くと、クリスにエルちゃんが眠っていることを教えられた。
辺境の状態が気になるので、明日にでも旦那様と兵士は辺境へ向けて旅立つことになったが、旦那様の勧めもあって、私はエルちゃんが目覚めるまで残ることになった。
***
ノックの音が聞こえてノーラが扉を開けると、デポラちゃんが入ってきた。扉付近でダーリングくんが心配そうな顔でデポラちゃんを見ている。デポラちゃんは明らかに眠れていない様で、疲れた顔をしていた。
「カリーナ様、お邪魔してすみません。エルは…」
「デポラちゃんならいつでも大歓迎よ。穏やかに眠っているから心配ないわ」
「大丈夫、でしょうか?」
「エルちゃんは、とっても芯の強い子よ。絶対に大丈夫」
それでも心配が拭えないのか、デポラちゃんの方が痛ましい表情をしている。
「本当にエルちゃんと仲良くしてくれてありがとう。エルちゃんは、デポラちゃんに会って変わったわ。更に強くなった。だから、心配しないで。目が覚めた時にデポラちゃんがそんな状態では、逆にエルちゃんが心配しちゃうわよ。デポラちゃんこそ寝られていないのでしょう?さぁ、寝て」
そっと抱きしめて癒し魔法をかけると、素直に身を委ねてくれた。心底エルちゃんを心配してくれている優しい子。本当にありがとう。
「ダーリングくん、手伝ってくださる?このままエルちゃんの隣に寝かせてしまいましょう。お互いの存在を確認できる状態は、お互いにとっていいはずだわ」
遠慮して外にいたダーリングくんに手伝ってもらって、仲良くベッドに並べた。二人ともより穏やかな表情で眠っているように思う。
「私たちにデポラちゃんを任せて、その間にダーリングくんも寝て?デポラちゃんが気になってきちんと眠れていないのでしょう?」
「しかし…カリーナ様たちは、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。五人体制で交代しながら様子を見ているし、三食きちんと食べているわ」
「そうですか。デポラをお願いします」
ダーリングくんは深くお辞儀をして部屋を出て行った。
「エルちゃんは、本当にお友達に恵まれたわねぇ?」
「そうですね。今まで、本当に頑張りましたから…」
ノーラの目が涙ぐんでいる。
「そうね…。エルちゃんがいなかったら、デポラちゃんがいなかったら…。私たちはどうなっていたのかしら。……さっ、しんみりした話は一旦止めて、お茶にしましょう」
「かしこまりました。マーサがカリーナ様の好きなタルトを焼いてくれています」
「まぁ、素敵。美味しく頂かなくちゃね」
焼きたてを保存してくれていたのか、とてもいい香りが部屋に漂って来た。




