64.暗殺者、水使いと戦う
天導騎士のひとり、ボウガン使いのイレヴンを撃破してから数日後。
俺の元に、新たな襲撃者が現れた。
奈落の森のなか。
正面に相対するのは、作務衣の上に白いマントを羽織った、老人だった。
「ふぉっふぉ。件の黒獣が、よもやこのようなけつの青い餓鬼だったとはのぉ」
老人は長いあごひげを手で触れながら、ニヤニヤとした笑みを俺に向ける。
「……用件は何だ?」
老人は小脇に壺のようなものを抱えている。
その場にしゃがみ込み、自分の隣にその壺を置いた。
「年上への礼儀がなってないのぉ。まったく、若いヤツは」
はぁ、と老人ため息をつく。
「わしは【十兵衛】。おぬしを殺すよう命令されてここへ来た」
「……てめえもか。いい加減俺には勝てないことを学習しろよ。使徒のトップは、無能なのか?」
「ふぉっふぉ。少しばかり強いからといって思い上がるなよ、小僧。貴様は世間を知らない。13使徒頂点に立つ御方と、そしてこのわしの【水瓶座の壺】にはな」
老人は片手に壺をかかえていた。
十兵衛は顎をなでながら、余裕の表情で言う。
老人の目には、自分が俺よりも強い、という絶対の自信が見て取れた。
「……そんなもので俺を殺せると思ってるのか?」
「無論、この神器の強さ、とくと味わうがよい」
手に持った壺の口を、俺に向けたその瞬間だ。
ドッパァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
突如として、壺から大量の水が噴出してきたのだ。
それは刹那の出来事。
膨大な量の水が、超高速で俺めがけてやってくる。
俺は【影転移】を発動。
影の中に入り、壺から出てきた水流を避ける。
「ふぉっふぉ、多少すばしっこいようだのぅ」
老人の背後の影へと転移。
その間も、老人の壺からは水が吐き出され続ける。
「……水を出すだけの能力か? 他の奴らと比べて地味だな」
「見た目だけで判断し、本質を理解せぬか。やれやれ、イマドキの若者はこれだからいかんな」
そのときだ。
壺から出ている水に、俺の足が触れると……ジュッ! と焼ける音がした。
【ご主人さま。この水は聖水。悪霊や魔物など、悪しき存在を溶かす強力なアイテムです】
「……なるほど。俺は悪しき存在に分類されるわけだ」
考えてみれば、すでに俺は人の領域を逸脱している。
死すらも喰らう黒い獣は、やつらにとっては、魔物と同等ってことだろう。
「ふぉっふぉ。どうじゃ、わしの聖なる力の威力は? ああ、逃げようとしても無駄よ。結界がおぬしの退路を塞いでいるからのぅ」
あごひげを触りながら、十兵衛が余裕の表情で言う。
俺の周囲には、透明な壁が存在していた。
それはちょうど、十兵衛が持っているのと、同じ壺の形をしている。
聖水は拡散するのではなく、壺の中にどんどんとたまっていく。
相手を壺型の結界に閉じ込め、聖水で足下からじわりじわりと殺していく……か。
「わしはな、おぬしのような調子に乗っている若者が、恐怖でその顔をゆがめ、命乞いする姿に興奮するのだよ」
「……趣味の悪いクソじじいだ」
「ふぉっふぉ。なんとでも言うが良い。しかしよいのか? 聖水はどんどんとたまっていくぞ?」
会話していると、着実に水位は上がっている。
くるぶし程だったのだが、今は膝上まで、聖水につかっていた。
「さしも黒獣も聖水を前に手も足も出ぬか。他のやつらは、こんな餓鬼に手こずっておったのか。やれやれ、これだから若者は」
十兵衛はその場にしゃがみ込み、ニヤニヤとした表情で俺を見やる。
「ああ、一応言っておくが、その結界は絶対に壊れぬぞ。特別な魔法が付与された結界でな、相手の攻撃を発散させる効果があるのでな」
水位はどんどんと上がっていく。
すでに腰のあたりまで、聖水が俺の体を蝕んでいた。
「くっくっく、もう少しでおぬしは、頭の先までどっぷりと聖水に浸かる。息ができぬ状況下、逃げられぬその場所で、聖水にじわりじわりと体をとかされる恐怖……くく、これは良い肴じゃ」
十兵衛は小脇に抱える壺に、懐から取り出したおちょこをツッコむ。
別のその中は酒でもなんでもないだろうが、しかし美味そうにそれを飲む。
そうこうしているうちに、俺の体は聖水に完全に浸かった。
ややあって。
「すでに水没して10分か。どれ、恐怖に歪むおぬしの表情を脳裏に刻むとするか……って、なっ!? なぜ貴様、生きている!?」
十兵衛が驚愕の表情を浮かべる。
「10分も水に浸かっていたのだぞ!? なぜ酸欠で死んでいないのだ!?」
俺はもう人間をやめている。
生きていく上で、呼吸を必要としていない。
「それに聖水はどうした!? なぜ体が溶けておらぬ!」
俺は手印を組む。
影から黒獣の頭が出てきて、大きく口を開く。
ごぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「ばかな!? 聖水を飲んでいるだとぉ!」
黒獣は大量にあった聖水を、一気に吸い込んでいった。
やがて結界の中には、聖水が一滴もなくなる。
「あ、あぁああありえない! そんなバカな! どんな魔獣でも溶かす聖水を、どうして飲んで無事なんだっ!」
「……この程度じゃ、死なねえよ」
俺の体は常時、黒獣と化している。
つまり影のバケモノである俺に、聖水なんてきくわけがない。
「……おまえは、自分の影に酸を垂らしたからって、影が消えるとでも思ってるのか?」
何をしようと、影が消えることはない。
「そ、そんな道理が通用するもんか! 存在が影と同じだと!? そんなの……もはや無敵ではないかっ!」
さっきまで余裕の表情を浮かべていた老人が、顔を真っ赤にして叫んでいる。
「……いい大人がかんしゃくを起こすなよ、餓鬼じゃあるまいし」
「うるさいうるさい!」
がんがんっ! と十兵衛が地団駄を踏む。
「ま、まあいい。貴様に聖水がきかぬのはわかった。しかし! 我が絶対の防御を誇るこの結界! いかに貴様だろうと打ち破れるわけがない!」
「……関係ねえよ」
俺は手印を組む。
右手を黒獣の爪に変える。
闘気で爪を覆うと、俺はそのまま腕を振る。
ガォンッ……!
空間を切り裂く、独特の音。
「な、なにぃいいいいいいいい!? け、結界を……やぶっただとおおおおおおおおおおおおおおお!?」
十兵衛がその場にぺたん……と尻餅をついて、ガタガタと体を震わせる。
「……闘気で強化された黒獣は、万物を喰らう。こんな結界、前菜にもならないよ」
俺は結界を出て、十兵衛へ向かって歩く。
「ひっ……! ひぃいいいいいいいいい!」
十兵衛は尻餅ついた状態で後退する。
だが俺の歩みの方が早かった。
俺は十兵衛の前までやってきて、彼を見下ろす。
織影で刀を作り、それを振り上げる。
「ろ、老人に手を上げる気かっ!?」
「……殺す気まんまんで来といて、今更年寄りづらすんじゃねえよ」
俺は振り上げた刀を、十兵衛めがけて振り下ろす。
「ひぎぃいいいいいいいいい!」
ドスッ……!
俺は地面に刀を突き刺す。
十兵衛の目と鼻の先に、刃がある。
「あ……ああ……」
じょぼ……じょぼぼぼ……。
老人は情けない表情のまま、失禁していた。
俺は立ち上がると、刀を振って、老人の神器である壺を破壊。
きびすを返し、その場を後にする。
【とどめはよろしいのですか?】
「……もう戦う気は失せただろう。無抵抗の相手に手を上げるのは、ただの暴力だ」
【なるほど、無益な殺生はしないのですね。あのクソ老人と違って。さすがご主人さまです】
かくして、俺は使徒を退けたのだった。




