60.暗殺者、つかの間の平穏を享受する
ミファとエステルを蘇生させてから、ひとつきほどが経過した、ある秋の昼下がり。
村近くの神社にて。
「ミファ……その、いいのか?」
「はい……おねがいします……あっ」
「す、すまん。痛かったか?」
「い、いえ……だいじょうぶ……です。もっと……おねがいします……」
「わ、わかった。あんま慣れてないが、頑張るよ」
「はぁ……はぁ……いい、です。気持ちいい……」
……とまあ、そんなことをミファとやっていたのだが。
「じー……」
「…………」
「どきどき」
「……エステル。何してるんだよ」
神社の壁向こうから、アホ姉の気配を感じた。
俺は影探知といって、影に触れている物体の気配を察知できるのだ。
さっきからエステルが、神社の壁向こうでジッとしていることはわかっていた。
特に気にしてなかったのだが、ずっと身動きせずこっちの様子をうかがっていたことが、気になったのだ。
「だいじょうぶ! お姉ちゃん空気読める女だから! 気にせずほら続けて続けて!」
エステルの声が壁の向こうからする。
「……いや、いいから入ってこいよ。寒いだろ」
「そそそ、そんなことできるかーい!」
エステルが慌てたように言う。
「お姉ちゃん確かに何度もひかげくんとエロいことしてたぜ? けどね、3は……3ピーはまだちょっと心の準備がですねできてないというかですね……」
「……はぁ?」
「ねえさま。お外は寒いです。お早く」
「う、うう……わ、わかったわい! お姉ちゃんも覚悟決めるよ!」
ふすまがガラッと開く。
「よ、よーし! 3人だね! だ、だいじょうぶ! お姉ちゃんが一番の年長者なんだからり、リードしてやらぁい!」
エステルが顔を真っ赤にして言う。
「……なんの話をしてるんだよ?」
「なんとってそりゃ……あり? どーして服着てるの? そーゆープレイ?」
何を言ってるんだこのアホ姉は……。
ミファは俺の前に座っている。
その肩に、お灸を乗せている。
「何してるのそれ?」
「お灸っていうらしいです、ねえさま。ひかげさまの家に伝わるマッサージ方法の一つだそうです」
「……ミファが最近肩こるっていうからさ、試してたんだよ」
「な、なぁるほどね! なるほどなるほど! そういうことねうんわかってた! お姉ちゃん……わかってたからマジで!」
うんうん、とエステルが力強くうなずく。
「……で、何と勘違いしてたんだ?」
「そりゃ……ヒカゲくんと? ミファが、あーん♡ 的な」
エステルが右手と左手を、胸の前で会わせる。
……何を暗喩しているのか、なんとなくだがわかってしまった。
「……そんなことするわけないだろ」
「えー? なんで? ヒカゲくんなにミファのこと嫌いなの?」
「……ちげえよ。大事な人だよ」
このミファという少女は、邪血という、特別な血を持って生まれた。
与えた物に進化をうながす、不思議な血。
その血を狙って悪しきやからが次々とやってきていた。
俺はそれを守る防人として、この森で暮らしている。
先日、森に襲撃があった。
その際にエステルが死亡してしまう事態に陥った。
途方に暮れる俺に、ミファが自分の命と引き換えに、俺に邪血を分け与えて、そして死んだ。
……俺は進化し、死者を復活させられた次第。
「……ミファはエステルを助けるために、命を捧げてくれた、命の恩人だ。大事にして当然だ」
するとエステルが、苦い顔をする。
「ヒカゲくん……」
ぽんっ、とエステルが肩を叩く。
「とりあえず……服、脱ごうっか!」
またアホ姉がアホなことを言い出したぞ……。
「ミファ、あなたも服を脱ぎなさい。準備よ!」
「ね、ねえさまなにを……?」
「そりゃもちろん……服を脱いでやることなんて……決まってらぁい!」
……そして、やってきたのは、神社の裏にある温泉だ。
「はー! さいこー! やっぱ風呂は広いほうがいいわね~♡」
露天風呂につかりながら、エステルがぐいーっと背伸びする。
豊満な乳房が、ぷるんと揺れた。
湯につかっているはずなのに……浮いているから驚く。
「おっ♡ ヒカゲくんがエロい目でお姉ちゃんを見てやがるなぁー♡ イケナイ子め~♡」
むふふ、とエステルは楽しそうに笑うと、俺の鼻をちょんと指でつつく。
「ヒカゲくんはもう初めてじゃないのに、うぶな反応がかわいいですのう~♡」
「……やめてくれってマジで。ミファが見てるから」
俺からちょっと離れたところに、小柄なエルフ少女がちょこんと座っている。
白い髪に、真っ白な肌。
エステルに劣らずの美少女だ。
「ミファ! なぁにそんな離れたところにおるのかね! ほらこっちおいで!」
「で、でも……ねえさま……わたしがその輪に入るのは、その……」
「いいからほら! かもーん! 来ないならお姉ちゃんからとりゃー!」
エステルがびょんっと飛び上がり、ミファに抱きつく。
そして手を引いて、こっちへやってきた。
「ヒカゲくんの隣に座りなさいっ」
「ええっ? そ、そんな……恥ずかしい、です……」
もじもじとミファが体をくねらせる。
「なにをはずかしがっとるかね! そんなんで殿方のはーとをゲッチュできるとでも!? 草食系じゃこの恋愛競争に勝ち抜けないですよ-!」
「……すまん、ミファ。エステルのいうことはスルーして良いから」
俺が言うと、ミファがぷるぷると首を振る。
「し、しつれしましゅ!」
ミファは意を決したような顔でうなずくと、俺のとなりにぴったりとくっついた。
「え、えいやー!」
彼女は俺の腕にしがみつくと、むぎゅーっと自分の胸の間に、俺の腕を挟む。
「いえーい! いいぞミファぁ! それだ! それですよ! 君に足りなかった物それは情熱つまりパッション! ダウナー系なヒカゲくんにはぐいぐいと攻めの姿勢を見せないと、その心を手に入れることはできないんだぜー!」
……アホ姉が非常にうるさかった。
「さあさあもっとぐいぐいっと胸を押しつけるんだ! ヒカゲくんむっつりすけべだから! おっぱいフェチのおっぱい星人だから、もっとこういぐいぐいっと! さあ!」
「はいっ、ねえさま。えいえいっ」
アホ姉にうながされ、ミファが俺の腕にぎゅうぎゅうと抱きつく。
肌を押し返す、彼女の張りのある乳房に、俺は……。
「……ミファ。無理しなくて良いって」
「無理などしてません! ヒカゲ様のお心をげっちゅーしたいんです!」
首筋まで真っ赤にしながら、ミファが俺の腕にしがみつく。
「……そんなことしなくても、俺はおまえのそばにいるって。心は離れないよ」
「け、けど! わたしは……ねえさまのように、ヒカゲ様の女になりたいのです!」
「……いや、だからなミファ。俺はおまえのこと、そういう目ではな……」
すると一部始終を見ていたエステルが、我慢できないような表情で言う。
「だー! もう! ここまで女の子が勇気出してるのに、ひかげくんってばまったく、もっと漢気見せろい!」
「漢気って何だよ……」
「胸のひとつやふたつくらい、がしっと揉んでやれって意味だよ!」
「……わけわからん。おまえはいいのかよ? 恋人が別の女の乳房を揉んで」
「もちろんさ!」
……いいのかよ。
「重婚オッケーなこの世界でヒカゲくんはなにを躊躇してるのかね? 女が男を好きだという。男もまた女が大切だという。なら付き合えば良いじゃん。何を重く考えてるの?」
「……いや、こういうのは、その……おまえに悪いというか、不誠実だって言うか……」
俺は一夫一妻制の極東から流れてきた移民。だから、どうしても、この大陸の倫理観にはなじめないんだよな……。
「お姉ちゃんのことなんて気にしなくて良い。がんがん手を出したまえ。据え膳食わねばなんとやらだよ」
「わ、わたしは……ヒカゲさま。いつでも大丈夫です!」
さぁさぁ、とエステルがミファの背中を押す。
「ほらちゅーっといっときな! ほら、ちゅーって!」
「ひ、ヒカゲ様……」
ミファが目を閉じて、唇を近づける。
いや……どうすればいいんだ、これ……。
と思っていた、そのときだ。
「ヒカゲ様。ご機嫌いかがでしょうか」
温泉のそばに、白いスーツを着た男が立っていた。
耳が少し尖り、目は狐のように細い。
「しゅ、シュナイダー! どうした!? 敵のことか? 敵のことだなよしあっちで話そう!」
俺は温泉から出て、シュナイダーの肩を抱いて逃げる。
「あ、こりゃー! ひかげー! てめーにげてんじゃねーぞごらぁ!」
……すまんエステル。
ミファも悲しい顔しないでくれ。
俺は別に、ミファが嫌いって訳じゃないんだ。
ただ気持ちの整理ができてないだけなんだ。
許してくれ……。
「どうかなされました、ヒカゲ様?」
「……いや。助かった」
「それは良かった。あなたの従僕として少しでもお役に立てたのでしたら、無上の喜びです」
……口先魔神め。
どうにもこの男、信用できないんだよな。
「で? どうした?」
「ようやく動きがありました。天の使いどもが、あなたを倒しにやってきます」
……どうやら、また新しい騒動が、始まろうとしているようだった。