56.暗殺者、魔神を超え【神】となる
エステルとの夜の交流をした、その日の夜。
俺はエステルとともに、眠っていた。
安らかな眠りについた……そのときだ。
「!!!!」
「アアッ……!!!」
鋭い痛み、そして女性の悲鳴とともに、俺は目を覚ます。
「なんだっ!?」
俺はすぐさま戦闘態勢に入る。
だが……目の前には、誰もいなかった。
「シュナイダー! ヴァイパー!」
「「御身の前に」」
式神のヴァイパー、そして部下である操網神シュナイダーが、俺の前に現れる。
「敵だろ!? 何があった!?」
「わ、わかりません……敵の気配を、まるで感じません」
「同感です。殺気すらも感じないですねぇ。わが包囲網にも何の情報もありません」
俺も辺りを見回す。
だが視界には、敵らしい影は見当たらない。
気配も殺気もない。
ただ一つ言えるのは、相手が魔神であり、相手は闘気を使えるってことだ。
でなければ、俺の体を傷つけられるわけがない。
「うう……」
「! え、エステル!!!!」
俺は右手に刀を出し、辺りを警戒しながら、エステルに近づく。
彼女の白く、美しい体は……傷つけられていた。
獣に引っかかれたような傷跡が、彼女の上半身を切りつけている。
否……。
「あ……ああ……」
上半身と、下半身が、完全に引き裂かれていたのだ。
「ひ……かげ……く……」
エステルは、俺を見上げて、弱々しく微笑んだ。
そう言う人なのだ。自分の心配よりも、他人を心配するやつだ。
そして……彼女は、死んだ。
「あぁあああああああああああああああああああああ!!!!!」
エステルが……最愛の人が、死んだ。
誰だ……。
「誰がやりやがったぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
俺は、もう訳がわからなかった。
俺の体から黒い影が吹き出す。
それは俺を包み込み、やがて俺は黒い獣へと変化した。
俺は黒獣に、体のコントロール権を奪われた。
嵐のように、縦横無尽に、そこらにある物すべてを傷つけていた。
……エステルを失ったショックがデカすぎて、何も考えたくなかった。
……やがて、どれだけの時間が経過しただろうか。
「お見事です、ヒカゲ様。敵を撃破したようですよ」
俺は、神社の外にいた。
いや、神社も、そして周辺の森すらも、すべて更地になっていた。
きっと、俺がやったのだろう。
しかし、エステルの死体は、きれいなものだった。
最後の理性が働いていたのだろう。
「敵はどうやら、姿も殺気も消せる存在だったそうです」
シュナイダーが指さす先には、蛇と猿をくっつけたようなものが、ぼろぞうきんのように転がっていた。
俺は無感動にそれを【影喰い】する。
殺気を隠し、姿を隠すスキルを手に入れたが……俺はもう、どうでも良かった。
「う、うぐぅううう…………」
俺は、エステルを失った悲しみの方がでかかった。
愛する人を守れないで、何が防人だ。
何のための力だ。
俺は……俺は……
と、そのときである。
「ヒカゲ様!!!!」
たたっ、と村の方から、色白のエルフが、駆けてきた。
彼女は【ミファ】。
村の巫女であり、【邪血】と呼ばれる特殊な血を持っている。
「何かあったのですか……っ! ね、ねえさま!!!」
どうやら、俺が暴れ回ったことで、村まで異変が伝わっていたようだ。
ミファは、死体となったエステルを見て、声を震わせていた。
「そんな……ねえさま……」
ミファが、エステルのそばにしゃがみ込んで、へたり込む。
「どうして……?」
「俺の……せいだ……」
絞り出すような、俺の声。
それは、今にも消えそうなほど、弱々しかった。
「……俺が敵の襲撃に気づけなかった。俺が、俺がいけないんだ。……俺なんて、もう……」
死にたかった。
今にも黒獣にすべてをわたし、黒い獣となって世界を破壊し尽くしたかった。
そして、自分も死ぬ。
「エステルを守れない、弱い自分なんて……もう……死んだ方が良いんだ」
「…………ヒカゲ様」
ミファが、俺を見やる。
その目には覚悟がこもっていた。
「わたし、ねえさまのことが好きです。そして、ヒカゲ様のことも、同じくらい、大好きです」
「…………」
急に何を言ってるんだ、こいつ?
困惑する俺をよそに、ミファが決意をこめた目で見やる。
「ヒカゲ様。わたしの血を、取り込んでください」
ミファの言葉に、俺は目をむく。
「……何を言ってるんだ?」
「ヒカゲ様が邪血をその身に宿せば、ねえさまを生き返らせることが、できます」
「! ほ、本当か!? 本当なのか、シュナイダー!?」
俺は情報通の魔神に問いかける。
シュナイダーは恍惚の笑みをうかべ、頭を垂れながら言う。
「そのとおりでございます! 邪血は万物を、上位の存在へとシフトさせるチカラがあります。血をヒカゲ様が取り込み、より強い存在となれば……他人の死という概念すらも【食う】ことが可能となるかと!」
……なぜこいつが興奮しているのか、わからん。
だが情報を司る魔神がそう言っているのだ。
おそらくは、そうなんだろう。
「……ミファ。いいのか?」
「はい。どうぞヒカゲ様、わたしの血を、存分に……」
そう言って、ミファが首筋を俺に差し出す。
彼女の首に噛みつき、そこから血を吸えと言うことか。
「……エステルに、ミファの血をかけて復活することはないのか?」
「わかりません。ただ、この血はあくまでも進化を促すものです。死者の復活はできないかと。だから、どうぞ吸ってください」
「…………」
俺はミファを見やる。
その目には、確かな決意がこもっていた。
それは死を覚悟する奴の目だ。
邪血。
それをどれくらい飲めば、死を越える獣になれるのかは、不明。
しかし彼女がここまで決意をしていると言うことは、かなりの量を吸うことになるのではないか?
最悪、死ぬことになるのでは……?
「さぁ、ヒカゲ様。どうぞ……」
「……いや、でも」
「たとえわたしが死んでも、ヒカゲ様が生き返らせてくれると、わたし、信じてますから」
ハッ……! とミファを見やる。
その目は優しい光が宿っていた。
「わたし、いつも悔しかったんです。いつもねえさまや、ヒカゲ様に守ってもらうばかりで……。だから、あなたの、そしてねえさまのお役に立てるのなら、この血はあなたに捧げます」
その言葉に、嘘偽りはないようだった。
この子は、そこまで、俺のこと、そしてエステルのことを思ってくれていたのか……。
「…………わかった」
俺はミファの前にしゃがみ込む。
「俺は、おまえを食う。そして、必ずおまえも生き返らせる」
命を捧げてくれる彼女。
俺は彼女に最大の感謝と、強い決意を固める。
この子もまた、俺が必ず守ると。
俺は黒獣へと変化し、ミファの首筋に、牙を突き立てる。
「ンッ……!」
柔らかな肌に、歯を立てると、甘い血がドロッと口腔内に広がる。
最初は、人間の血を飲むことに、激しく抵抗を覚えた。
だが、一口飲むと、もうダメだった。
俺は理性を忘れ、彼女の血をむさぼった。
ミファの血は甘かった。
この世の何よりも美味いと感じてしまった。
……その瞬間、俺はもうダメだと思った。
ミファの血を飲んだことで、俺は、完全に人間ではなくなったのだと思った。
強さだけでない、味覚も、そして体も。
俺は、どんどんと、別の存在へと進化していくことを自覚した。
……やがて、どれくらいの時間が経っただろう。
ミファは、俺の前で崩れ落ちていた。
彼女の顔色は、青を通り越して、真っ白になっていた。
……彼女は、出血多量で死んでいた。
「…………」
俺は、ミファを、エステルのとなりに置く。
左に、上半身と下半身が切断された、エステルの死体。
右に、失血多量で死亡した、ミファの死体。
俺は彼女たちの前に座り込み、両手を、それぞれの死体に向ける。
「さぁ……! ヒカゲ様ぁ! 見せてください!!!! 魔神を超越した魔神……神となったあなたの御業をぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
シュナイダーがうるさい。
俺は両手を、黒獣の頭に変える。
黒獣は顎をおおきくあけて、彼女たちの死体を……食らった。
そのまま体に取り込むのではない。
肉体ではなく、概念のみを食らう。
……すなわち。
【エステルとミファが死んだ】という【事実】のみを食い、取り除く。
何を言ってるのか、何をやっているのか、わからないと思う。
人間には、たぶん理解できない。
だが、邪血を取り込んで、人間でなくなった俺には、やりかたも、その理論も、すべて理解できた。
人間が手足の動かしかたを、誰に教わるわけでもなくわかるように。
俺には、死を食らう方法が、理解できた。
……やがて、俺は彼女たちを、吐き出す。
すると……。
「うう……ひ、ヒカゲ、くん?」
「……ひかげ、様」
エステルとミファが、目を覚ましたのだ。
エステルの体は、きちんと繋がっている。
ミファの顔色も、元通りになっていた。
「素晴らしい! ああっ! 素晴らしいですヒカゲさまぁあああああああああああああああああ! あなたは死者を復活させた! もはや人間でも魔神でもない! あなたは、今日、神となったのだぁああああああああああああああああ!!!」
……シュナイダーのやかましい声を聞きながら、俺は理解する。
俺は、どうやら人間を越え、魔神を超越し、神の領域に至ったのだ、ということを。