42.暗殺者、兄の標的になる
暗殺者ヒカゲが、着々と力をつけている、一方その頃。
西方大陸内のとある山中にある、火影の里にて。
火影の里は、古き良き極東の香りが強く残っている。
木造の住宅が建ち並んでいる。
その中でひときわ立派な作りの建物があった。
そこが火影の頭領の住む屋敷である。
頭領の寝所には、布団が敷いてあった。
布団に寝ているのは、痩せ細った初老の男。
この男が火影の頭領。
すなわち、ヒカゲやひなたの父。
名前を焰群シンラといった。
シンラの顔には血の気が通っていない。
死人同然の、真っ白な顔をしている。
苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。
「あなた。汗を拭きますね」
シンラの傍らに控えるのが、正妻の【くれない】だ。
くれないは夫をかいがいしく世話をする。
くれないは夫の汗を拭き、水を飲ませる。
自分は一睡もしていないのだろう。
目の下に濃い隈ができていた。
「あなた……早く元気になってくださいまし」
そんなふうに夫を見つめていた……そのときだ。
だんっ……!
と寝所のふすまが、乱暴に開いたのである。
「グレン!」
くれないが入ってきた人物の名前を呼ぶ。
彼は【焰群グレン】。
シンラと正妻の子供だ。
背は高い。180くらいある。
細身。黒い髪を腰の辺りまで伸ばしてる。
暗殺者だというのにチャラチャラとした貴金属類を体の至る所に身につけていた。
「…………」
グレンは部屋に入るなり、ずんずんと、こちらに向かってやってくる。
ややあって、グレンが父の前に到着。
くれないは、息子が見舞いに来てくれたのかと思った……。
と、そのときだ。
「チッ……! なんや、まだ生きてるンか」
くしゃっ、とグレンが顔をしかめると、父の顔を土足で、踏みつけたではないか。
「こいつもしぶといなぁ! とっとと逝ねや!」
「グレン! 何をしてるのですか!?」
くれないが止めようとする。
だがグレンは女の土手っ腹に蹴りを食らわせる。
「黙っとれこの不良品がぁ!」
グレンは怒りの表情を浮かべながら、母のそばにいく。
くれないは腹を押さえてげっげっ、とえずく。
グレンは母の顔を思い切り蹴り上げた。
ふっとぶくれない。
倒れ伏す母の顔を、父と同様に踏みつける。
「おまえ誰に命令しとるんや? 火影の次期党首様やぞ?」
……それは母親に対する態度ではなかった。
グレンからはくれないに対する敬意も愛情もなかった。
「と、当主はヒカゲと父上が決定したではありませぬか……」
そう。
次期党首は側室の子・ヒカゲにすると、夫シンラが決めたのだ。
母として我が子が党首に選ばれなかったことは残念だった。
だが当主の決定は絶対なのだ。
「だからなんじゃボケがぁ!!!!」
グレンは憤怒の表情で、母の顔を何度も何度も蹴り飛ばす。
顔面を集中的に蹴る。
「誰のッ! せいでッ! 次期党首にッ! 選ばれなかった思ってるンや! おまえのっ! せいやろがぼけなすがぁ!!!」
グレンは何度も母の顔を蹴った。
くれないの鼻は曲がり、歯は折れる。
「おまえが正妻のくせに自分の子供に影呪法を継承させなかったんが悪いんやろがッ! そのせいでこちとら大迷惑やわ! 正妻が聞いて呆れるわこの不良品女!」
……そう。
グレンは弟と、そして母に強い恨みを抱いているのである。
理由は単純。
正妻の子であるはずの自分に、火影当主の証である影呪法を発現させなかったからだ。
霊獣は親から子へと、その力を分け与える。つまり本当ならば正妻の子グレンに、影呪法が宿るはずだった。
だが発現したのは側室の子、ヒカゲだった。それが、グレンにとっては気にくわないことだったのだ。
一通りストレス発散をした後、グレンは父親の前に行く。
「【あのお方】からもらった【呪毒】は十分きいとるようやぁ」
父の顔を見ながら、グレンがつぶやく。
「ど、毒……です……って?」
母が、息も絶え絶えで、グレンに言う。
「あ? なんや?」
「あなた……父上に……毒をもったというのですか?」
「そうや」とあっさりうなずいたのだ。
「このクソ親父様がとっとと次期党首の座をオレにゆずらへんかったからな。じれて毒もったんや」
影呪法はヒカゲに継承された。
しかし弟は里を出て行った。
つまり次期党首を継ぐ権利は失われたのである。
残る子供はひなたかグレンの二択。
だがひなたは側室の子供であり、なおかつ影呪法は発現していない。
ならば正室の子であるグレンが、次の当主になる……と思っていたのだ。
「ヒカゲが里を出て行った日ぃから少しずつメシに毒を盛っていったんや」
「信じ……られない。あなた……自分が何を、したかわかってるのですか!?」
「っさいわ。おまえも死ぬか?」
パチンッ、とグレンが指を鳴らす。
すると自分の体から、【炎】が吹き出る。
炎は形を作る。
それは1匹の【竜】を形作った。
竜は母の元へ行くと、体に巻き付く。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
超高温の炎の竜が、母の肌をじゅうじゅうと焼く。
悲痛なる叫びが部屋に木霊した。
「ははっ。女は脂肪があるからなぁ。よー燃えるわ」
ぱっちん、とグレンが指を鳴らす。
炎の竜が跡形もなく消えた。
「死なないよう温度は調整してやったわ。さすがに母親殺すんわ気ぃ引けるからなぁ」
ニヤニヤ笑ってグレンが言う。
それは嘘だった。
後でもっといたぶってやるためだった。
この母には死ぬまで苦痛を与えると決めている。
なにせ自分に影呪法を宿すという役割を放棄した大罪人なのだ。
じっくりじっくりといたぶってやる……。
と、そのときだった。
【グレン。お遊びはそれくらいになさい】
どこからともなく、男の声がしたのだ。
「シュナイダー様ぁ!!!」
グレンが邪悪な笑みから一転、喜色満面の笑みを浮かべて、辺りを見回す。
「ここへいらしてくれたんですかぁ!?」
【いや。式神を使っています。ここですよ】
グレンが声のする方を見やると、そこには1匹の白いネズミがいるではないか。
これは【あのお方】が使わした式神だ。
この向こうに、自分の主人たる【魔神】がいる。
「シュナイダー様! ご機嫌うるわしゅう!」
グレンはヘラヘラと笑いながら、ネズミの前に膝をつくと、頭を下げる。
【呪毒は効いてるようですね】
「そりゃあもうバッチリでございます! なにせこのクソ親父の霊獣、並の攻撃は効かず、毒は食ってしまいますさかい。厄介この上なかったでございます」
そう、毒をもって衰弱死させるという、迂遠なやり方を取っているのは、シンラの【黒獣】のせいである。
現在のヒカゲほどではないにしろ、この男もまた、万物を食らう最強の霊獣を宿しているのだ。
そこに魔神シュナイダーが手を貸してくれた次第。
「シュナイダー様には何から何まで本当にありがとうございます!」
【気にしないでください。……それでグレン。火影の次期党首はどうなりましたか?】
たらり……とグレンが額に汗を垂らす。
「げ、現在やつの所在はつかめております! ただ部下が雑魚すぎるせいで返り討ちにあったみたいなんですわ! オレのせいじゃなくて、部下が無能で暗殺が滞っているみたいなんですー!」
自分が討伐に向かわせた部隊が、壊滅した知らせはすでに受けている。
自分の動かせる人員がいよいよ無くなってきた。
ついに自分の番が来たのだが……正直、行きたくなかった。
なぜならヒカゲの強さの報告を受けているからだ。
やつはあまりに強くなりすぎていた。
今自分が行っても、この【炎竜】では勝ち目がないだろう。
だが行かないと次期党首にはなれないし、力を借りている魔神の不興を買うことになる。
【グレン。もしやあなた、ヒカゲと戦うのが怖いのでは?】
「そそそそ! そんなめっそうな! だいじょうぶです! ちゃあんと勝つ算段はついてますぁ!」
……と口ではそう言っても、どうやって勝てば良いのかなんてわからなかった。
【そうですか。ではあなたが自分の仕事をよりまっとうできるよう、私からあなたにプレゼントを贈りましょう】
「ぷ、プレゼントでっか!? ありがとうございますシュナイダー様ッ!!!!」
グレンはその場で何度も土下座しながら、しめしめと笑う。
この魔神、やたらと気前が良いのだ。金や物、さらには【パワーアップアイテム】すらくれるのである。
シュナイダーの式神ネズミの前に、魔法陣が出現。
そこから1本の瓶が出現した。
瓶の中には、ごく少量の赤い液体が入っている。
「シュナイダー様。これなんでっか?」
【それは邪血といって、飲めば進化をもたらす貴重な血です】
そんなものがあるのか! とグレンは驚愕する。
【これを飲めばあなたはあのヒカゲに比肩することとなるでしょう】
「あ、ありがとうございます~!」
そう言って、グレンは瓶のふたを開ける。
……飲むのをためらう。進化をもたらすって具体的にどういうふうになのか?
そもそもこの魔神が本当のことを言っているのか保証もないし……。
【どうしました? 飲めないのですか?】
「ま、まさか! よろこんでいただきますわ!!!」
グレンは覚悟を決めて、血をなめる。
すると……。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! ち、力みなぎるぅううううううううううううううううううううううう!!!」
グレンの体から炎が吹き出す。
1匹だった炎の竜が、9つに分裂していた。
ただの炎竜が、【九頭炎竜】へと進化したのだ。
「すごいですシュナイダー様ぁああああああああああ! あなた様のおかげです! これであの愚弟を葬ってやれますよぉおおおおおおおおおお!!!!」
恍惚の表情でグレンが叫ぶ。
そう、いくらヒカゲが強くなろうと、こっちには魔神が味方をしているのだ!!!
【それは良かった。ではグレン。ヒカゲを倒してくるのです】
「かしこまりましたぁあああああああああああああああ!!」
グレンは炎の竜に乗ると、部屋の天井をぶち破って外に出る。
父や母の安否などどうでも良かった。
はやく手に入れた、魔神の力で、ヒカゲをボコボコにしてやることしか考えてなかった。
「見とれよあの調子乗ったバカ弟め! 誰が一番偉いかおしえてやるからなぁああああああああああああ!!!」
かくして火影当主の息子、グレンは、弟の元へと向かうのだった。
☆
グレンが焰群ヒカゲの元へ向かった、その頃。
遥か上空、浮遊魔神城の庭園にて。
魔神の1柱シュナイダーは、優雅にお茶を楽しんでいた。
「きひひっ! シュナイダー様も悪いお人ですねぇ~」
バサッ……! と不死鳥がシュナイダーのとなりに到着。
人間の姿へと変化した。
「まさかシュナイダー様は、あの雑魚がヒカゲくんにかなうとお思いなのですか~?」
するとシュナイダーは「いいえ」と涼しい顔で言う。
「グレンは負けるでしょう。闘気を使えぬグレンが、使えるヒカゲくんにかなう道理がありません」
「きひひっ! では勝てないとわかっているグレンを、どうしてヒカゲくんの元へ送ったのですかぁ?」
シュナイダーは酷薄に笑う。
「さぁ、どうしてでしょうね」
「いじのわるいお方ですねぇい」
「そんなことありません。普通ですよ♡」
シュナイダーはわかっているのだ。
このドランクスという狂科学者もまた、自分のように腹に一物抱えているということを。
なら手の内をさらす必要は無い。
こいつは使えるから利用しているが、別に仲間でも何でも無いのだから。
「きししっ! さてさてオモチャが壊れていく様を、我々は高みの見物といきますかぁ」
「オモチャと言えばドラッケン。もう1個のオモチャはどうしていますか?」
不死鳥は楽しそうに笑う。
「彼は見ていて飽きないですよぉ! こっちがなにもしてないのにどんどんと墜ちていく。最高に面白いオモチャです。きししっ!」
そう言ってドランクスが懐から水晶を取り出す。
水晶が瞬くと、そこには勇者ビズリーの姿が映し出された。
そう……ドランクスはビズリーの行方を把握していた。
不死鳥の血には、相手の居場所を知らせるセンサーのような効果もあるのだ。
これを使ってビズリーだけでなく、ヒカゲとも交信していたりする。
シュナイダーはポケットから水晶玉を取り出す。
それはドランクスが使っている物と同じだ。
というより、魔神の法具を、部下であるドランクスに貸しているだけである。
水晶には、ヒカゲの元へ向かうグレンの姿が映っている。
「さて、グレン。君にも滑稽に舞踏を踊ってもらいましょうかね」