集会
エステルが出かけていったのは、シグルドがダメになって一月ほど経ったある日のことだった。
「私はちょっと、エルフの互助会に顔を出してきますけど。シグルドさん一人でお留守番大丈夫ですよね」
ベッドの上に転がりながら、微かに顔をあげたシグルドの仕草を肯定と受け取ったエステルは心を鬼にして家を発った。
その道すがらエステルは考えていた。
エステルは、日がなベッドの上を輾転としては、時々みっともなく呻いたり、泣きじゃくったりしているシグルドを医学的見地から甘えだと診断した。
けれども、それにどう対処したらいいのかがわからなかった。
難しい年頃だ。
下手なことを言うと本当に再起不能に陥ってしまうかもしれない。
それは、エステルにとって非常に不都合なことだった。
「それにしても許せないのはその獣帯士です。心の弱い…いいえ繊細なシグルドさんをそんな正論で追い詰めるなんて」
あの洞窟での一件がよほどこたえているのだろう。
そもそもシグルドはエステルが冒険者としてスカウトしたのだ。
王都アッパラードの目抜き通りをさ迷っていた、御のぼりさん丸出しの少年を口八丁で口説きたおして、そのまま連れてきたのだった。
勇者に憧れているのだと言っていた。
はにかみながらそう言ったあのあどけなかった少年も近頃はぐっと大人びてきた。
背が随分伸びた。体つきもがっちりしてきた。
三年間都会にもまれて、相応の分別もついてきたようだ。
そして、おそらく彼はもう気づいている。
自分が勇者になんてなれないことに
だとしたら、彼はあの洞窟で完全にとどめを刺されたのだろう。
そのあまりに無邪気な夢に。
最悪なのは、彼が自信喪失のゆえに、冒険者を辞めると言い出すことだ。
それは拙い。
それは非常に惜しいことだとエステルは思う。
彼はまだ、自分に秘められた才能を知らずにいるのだから。
なにやら考えるうちにもう目的の場所だ。
顧みの岬は丘を登り詰めた先にある。
めったに荒れることのないこの辺の海は、港の喧騒とは趣を異にしている。
海も岬も極めて牧歌的な風情を有していた。
ここに灯台でもあれば、さぞかし絵になる。
実際三年前まで、ここには立派な灯台があった。
しかし今この岬の主となっているのはピラミッドなのだった。
一見どこにでもあるようなピラミッドだが、しかし凡百のピラミッドとは訳が違う。
それは、エステル=メイジが自らの英知をそそぎこんだ、彼女の研究の集大成なのである。
四角錐。
そのシンプルな構造の中に七つの秘密を隠している。
例えば、夜になると光る。
だから灯台がなくても、この辺の漁師たちはあまり不自由しないのだった。
しかし最大の秘密は、このピラミッドに埋め込まれた一枚の金属板であった。
ピラミッドの正面―すなわち海とは反対側の面には、長方形の切れ込みがあり、そこには鈍色の板が埋め込まれていた。
これはエステルが錬成した特殊な合金である。
機が熟し、いよいよこのピラミッド内の炉に火が入れられる時には、この金属板は黄金色に変色する趣向になっているのだ。
そして、その板には流麗なエルフ文字が刻まれていた。
それはこのピラミッドが捧げられた人物の名を示していた。
ピラミッドの周囲には、十数名のエルフが屯していた。
彼らは岬の上に青々と茂る若草の上に腰掛けながら、あるものはギターをかき鳴らして歌い、ある者は猥談に興じていた。
どこか気の抜けた集団である。
そんな彼らも、エステルの来訪に気づくと居ずまいを正していく。
「おお同志エステル。よくぞ」
「我らの指導者エステル」
彼らはいずれも、エステルの招集に応えて馳せ参じた同志たちである。
夕べ、彼女は、この岬から錬金六尺玉を打ち上げておいたのだ。
これは、花火であり、空中で破裂するとエルフにだけ捉えることが出来る光と音、そしてあらゆる生物にとって不快な刺激臭を周囲五十キロにばら撒く仕組みになっている。
この公害は、志を同じくする彼らにとって、その大いなる目的に危機がせまっているというサインなのだ。
この集団の名は、「パーデンネンエルフ竜災遺族会」という。
一見ピクニック気分の集団だが、彼らの目的は、あくまでも暗く冷たい。
―復讐。
彼らは、かつて竜に蹂躙されたエルフの里の生き残りだった。
「これしきですか」
エステルは、岬に集ったちゃらんぽらんどもを値踏みするように見渡すと、苦々しげに呟いた。
そのときエステルの背後から声がかかった。
「久しいわねエステル」
「ソフィア。やはり来てくれたのですね」
振り返るとそこに美しいエルフの娘が立っていた。
エステルがソフィアと呼ぶこの女性は、昔からの知り合いでエステルは、ソフィアのことを唯一無二の親友だと思っていた。
かつては、ソフィー。理屈バカと互いを愛称で呼び合うほどの仲だった。
「今回は、一体どうしたのかしら?」
「ええ、少し困ったことになりまして」
「ふふ、当てましょうか。あの男の子のことでしょう。ほら、なんて言ったかしら…」
そういうとソフィアはピラミッドの方を見上げた。
彼女の視線の先には、例の金属板があり、彼女はそこに書かれたエルフ文字を目で追いながら言った。
「ああ、そうそう。シグルド君だわ」
エルフの集会はシグルドの墓前で行われるのが、慣例であった。