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酒盛り

ウィスキーは錬金術の産物である。

どこぞの錬金術師が、万能薬を作り出す過程で様々なものをフラスコに入れて蒸留していたが、ある日醸造酒を火にかけたところ、いわゆる蒸留酒が誕生したのだという伝説がある。

この物質は、神聖なものと信じられて「生命の水」(アクア・ヴェテ)とも呼ばれたのだった。


その「生命の水」を囲んで、二人のオタクが談笑していた。

エステルが作り保存していた酒をシグルドが開けたのである。

二人とも(したた)かに酔っていた。

話の中身はもっぱら、勇者本に関することだ。

腹を割って話してみると、紳士はかなりの勇者本オタクだった。

シグルドが知っているような有名どころの本はもちろん、まるで聞いたことのないようなマイナーな短編、挿絵画家のことまで幅広くおさえていた。

紳士の語るそれらの話のどれもが面白かった。

弁舌さわやか、まるで講談師のような語り口は、たびたびシグルドの心を揺さぶった。

仲間との死別は哀調たっぷりに、決戦の場面は鬼気迫る調子で、濡れ場はどこまでも艶っぽく…。

彼の語りを聞いていると、シグルドの心にまだ勇者本を読み始めたころの新鮮な感動が蘇ってきた。

たくさんのドキドキに胸やらなにやら膨らませていたあのころに戻った気がしたのである。

「さあ、今度は君の番だよ」

紳士に促され、シグルドはおずおずと語り始める。

紳士の語りに対するシグルドの返礼は、彼自身の冒険譚である。

シグルドは決して話し上手ではなかったが、紳士は真剣に耳を傾けた。

シグルドが好むのは、ダンジョンの中でも勇者の伝説に因んだ名所旧跡であり、そうした聖地を実際に踏みしめた経験を紳士は目を輝かせて聞いていた。

紳士は不自由な貴族の身をかこち、しきりにシグルドのことを羨ましがった。

それが、シグルドの優越感をくすぐり、朴訥な語りは次第に熱を帯びていった。

会話は果てしなく続くかに思われた。

その風向きが変わったのは紳士がこんな話題を切り出したからだった。

「それじゃあ、君は常闇草の洞窟には行ったのかい?」

「えっ」

「ほら、今話題になってるダンジョンだよ。あそこは、確か勇者様が五歳のみぎりにレベリングの励まれたという曰く因縁があって、今もその時の髑髏(しゃれこうべ)が祀ってあるじゃあないか」

シグルドは言葉に詰まる。

その様子を紳士は怪訝そうに見つめた。

「そこはダメです」

シグルドは言った。

「ダメ?」

「エステルさんが行くなって」

うなだれながらそう言った。

 紳士は最初こそきょとんとしていたが、すぐに優しい微笑みを浮かべた。

「そうか、君は先生を信頼しているんだな。そして、彼女から愛されている」

その表情は、子犬の兄弟でも眺めるように柔らかだった。

 シグルドは、無性に恥ずかしくなって、盃の中の酒を一気に飲み干した。

紳士はさらに問うて言った。

「先生が行くなっていうのは、『鉛』の事を心配しているのかな?」

「ええ、今年は土星の年だから、地下は危ないって。この世界は思ったよりも星のめぐりに振り回されているそうです」

「なるほど。いや、先生は占星術師だからそういう考えなんだろうね。凡ては星が支配する。地中の金属も天空の気象も地上の歴史や君の人生さえもお星さまの御心のままにってわけか」

「俺の人生もですか…」

 シグルドは寂しそうにつぶやいた。

 その表情はどこか不満そうであった。

「君も俺も、星に振り回される地上の虫けらさ。少なくとも先生の高邁な哲学に拠るならね。だけど君には異議があるようだね」

「占星術の事は分からないけれど。運命とか正直いやですね」

「どうして?」

「生理的にです」

 シグルドはぶっきらぼうにそう言った。

「若者らしくていいねえ。でも、シグルド君、俺が思うにそれは、君が今まさに運命に抗っているからなんじゃないかい?」

「どういう意味ですか?」

「例えば、この世界はとても退屈なところだよね。魔王は既に(たお)され、竜や巨人も近頃はとんとお目にかからない。冒険者になっても事情は同じだ。畜生に毛が生えたような魔物相手に、使い走りのようなことをして口に糊をしているような連中ばかりだ。まあ、ほとんどの冒険者はそういうものだと割り切っているだろうけれど」

「俺は違うと?」

 シグルドの声は、微かに怒気を孕んでいた。

酩酊で混濁した頭が、再び剣のありかを探り始める。

その時、紳士がぶっこんできた。

「いやだって、君、勇者になりたいんだろう?」

「なっ! なんのことですか?」

シグルドはもともと嘘をつくのが下手だった。

あからさまに狼狽したその様子が何よりの答えだった。

 目は泳ぎ、異常なほど冷や汗をかいていた。

 何かを言い返そうとしてどんな言葉も紡げない唇を魚の様にパクつかせていた。

「なにせ君は勇者オタクだ。どうせ勇者本が好きで冒険者になったクチだろう。ああいう物語はワンパターンだよね。典型的なのは、そうさね。それまで市井の凡人だった主人公が、非日常の世界に足を踏み入れて勇者としての使命を受けるとかいう話かな。で、だ。そんな物語を読み(ふけ)りオタクの病が膏肓(こうこう)を蝕んでいる君が足繁く聖地に通う理由は何かって話だけれど・・・」

「卿!」

 たまりかねたように、シグルドは紳士の言葉を遮った。

「俺はもう十八ですよ。勇者になれるなんて子供じみた夢はもうないです」

 かつては、あったと白状したようなものだった。

シグルドがはじめて冒険者に成ったのは十五歳の時だった。

ちょうど色々と拗らせやすい年ごろだ。

その頃は、きっと勇者になってやると大きな夢を抱いて村を出た。

それから、三年。

現実にもまれて、そこそこの実力を身に着けた彼は、しかし同時に相応の分別も育んでいたのである。

彼は、少しずつ思い知ったのだ。

自分は決して勇者になどなれないことを。

それどころか恐らく何者にもなれずに一生を終えることを。

もし運命というものがあるとすれば、それが自分のすべてだろう。

そう思うと空恐ろしい気持ちになる。

 そして、時々は腹の底で夢の残骸が燻っているのを感じて堪らなくなるのだった。

「確かに冒険者になったのは軽率でした。いまさら堅気にも戻れないし…。反省も後悔も一生分しました。でも、投げ出すことだけはすまいと思っています」

「ほう」

「この先、破滅しかないとしても最後の一瞬まで自分の責任において人生を引き受けたいんです。だから運命とか、そういう考え方は嫌なんですよ」

 怒りにも似た口調でそう言った。

 それは、どこか精いっぱいの虚勢を張っているようにも見えた。

紳士はそんなシグルドの稚気を例の微笑でやんわりと受け止めた。

「御見それしたよ。ずいぶんと大人なんだね。ならばこんな話は無用かな」

そんな意味深なことを言ってちらりとシグルドの顔を見た。

「どんな話ですか?」

「たいした話じゃない。ただの勇者のなり方だよ」

 シグルドは、身を乗り出し紳士の手を取った。

「それとこれとは話が別です!」



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