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(8) もう一枚の札

 重苦しい沈黙の中、ジェスジアさんの射殺すような視線が僕を見据えていた。

 僕も当然のようにそれを正面から受け止めて目を反らさなかった。

 左右のマギニッサさんとセリエイヌさんは明らかに動揺し、狼狽していた。



 英雄。

 それは「その生涯で偉業を成すべき者」として運命に選ばれた存在だ。

 カラアゲ君がそうであるように、ジェスジアさんもまた英雄であったのだ。

 カラアゲ君があちらの世界で生れた英雄ならば、ジェスジアさんはこの世界に生れた人族の英雄なのだ。



 僕がこれに気づいたのは偶然かもしれない。

 僕が見た数度の魔族討伐戦。

 カラアゲ君の後方で見ているだけとはいえ、僕も三美女さんたちも否応なく戦闘に巻き込まれるときがある。

 流れ矢や投石が飛んでくるときもあれば、無双の勇者から逃れてこちらに襲い懸かる者もいる。


 そのたびに三美女さんたちは応戦し降りかかる火の粉を打ち払うのだが、なにせ相手は膂力に優れた魔族である。

 無力無能の僕ほどではないとはいえ、マギニッサさんにもセリエイヌさんにも僅かに怯える瞬間がある。

 当然だ。一歩道を踏み違えば死んでしまうのだから。


 ところが。その一瞬の怯えというものが、このジェスジアさんにはまるでない。

 その腰の剣を抜いたことすらない。


 まるで自分が死ぬことなど一切考慮しないかのように。

 まるで自分はここで死なぬと確信しているかのように。


 それはなぜか。答はひとつしかない。

 ジェスジアさんは英雄だからだ。

 それも「未だ偉業を成し遂げていない英雄」だからだ。


 英雄とは、その生涯で偉業を成し遂げるものと運命に約束された存在。

 偉業を成さずに死ぬ者ならば運命はその魂に英雄の称号を刻まない。

 つまり。

 魂に英雄の称号が刻まれた者ならば、偉業を成し遂げる前に死ぬことなどない。

 そんな信念をこの人はたしかに持っている。



 まあ魔方陣から弾き出されて勇者に成り損ない、偉業もなく死んでしまった僕という反例がある以上、この理屈がどこまで当てになるかは分からない。

 だがあくまでこれはジェスジアさん自身の信念である。

 僕はジェスジアさんの信念と合わせて、彼女が英雄であることを確信したのだ。



「驚いた」


 長く重い沈黙を破ったのは、やはりジェスジアさんだった。


「勇者様を除けばこの私が現在人族側で唯一の英雄であること。これは我々人族にとって最大級の機密事項だ。このふたりがそれを貴様に漏らす訳がない。つまり貴様は自分の頭脳によってそこまで辿り着いたことになる」


 僕が頷き、左右の従者が安堵の息を吐いた。


「認めてやろう。貴様は自らに智恵あるところを見事に示して見せた。貴様は役立たずの足手まといではなく、第一級の智恵者であった。ならばまずはこれまでの非礼を詫びねばなるまい。すまなかった。このジェスジアのまなこは曇っておった!」


 ジェスジアさんの謝罪に今度は左右の従者が息を飲んだ。

 この世界において英雄様の謝罪とはそれほどまでに重いのであろう。


「望みを申せ。おまえが私に寄越して呉れたこの偉業。人族の輝かしき未来。それに相応しい褒美を私も貴様に呉れてやる。おまえの望みはなんだ? 山と積まれた金貨か? 危険のない王都での生活か? 高貴なる身分か? 美しき妻女か? その全てでもいいぞ? このジェスジアがおまえの望みを叶えてやろう」


「ありがとうございます。ならば遠慮せずに申し上げます」


「うむ」


「望むものはただひとつ」


「それはなんだ」


「自由を」


「なに?」


「カラアゲ君から、勇者から「隷属の首輪」を取り外してください。勇者に自由をお与えください」


「それはならぬ!」


 ピシャリと、ジェスジアさんが鞭打つように断じた。


「貴様の寄越して呉れた人族の未来。たしかにその価値は認めよう。百年二百年もすればたしかに魔族など歯牙にも掛けぬほどの繁栄が訪れるやもしれぬ。だが」


「このままではその百年二百年は訪れません。その前に魔族によって人族は滅びてしまいますから」


「分かっておるではないか。敵にあの憎き魔王がいる限り、我ら人族もまた勇者様を手放す訳にはいかないのだ。あの首輪は必要にして欠くことができぬものだ」


「カラアゲ君が、勇者がこちらに来た四年前。あなたたちはその首輪で勇者に苦痛を与えて言うことを聞かせようとしましたね?」


「それがあればこそ勇者様は我らの事情を理解なされたのだ。今もこうして魔族を討伐なさってくれているのだ」


「カラアゲ君は、勇者は強情です。どれほど苦痛を与えて強要しても、あなたたちの言うことなど聞かなかったはずです」


「ああ当初はな」


「おそらくは最初の半年間。それで半年後に勇者は変わったはずです。その後は自ら進み、自ら望んで魔族を討伐するようになったはずです」


「おお確かにそうであったな。勇者様から聞いておったのだな?」


 違う!

 違う!

 違う!

 ちくしょう、おまえたち、カラアゲ君を舐めるな!


 僕は歯を喰い縛ってその言葉を飲み込んだ。


 カラアゲ君は僕に心配をかけるような、そんなことなど漏らさない!

 こいつらは、このゴブリンどもはカラアゲ君のことなど何ひとつ分かっていない!


 カラアゲ君は弱虫で、ビビりで、人見知りで、そしてそして、誰よりも誰よりも優しいんだ!

 たとえその身にどれほどの苦痛を受けたって、どんなに強要されたって、他の誰かを傷付けたり殺したりするものか!


 だけど、だけどな、カラアゲ君は見つけてしまったんだよ……。

 こっちに連れてこられて毎日毎日たったひとりで酷い目にあわされて、そんな中で見つけてしまったんだよ……。


 異世界にて死した英雄の魂。その魂を呼び寄せて受肉させる大魔法「英霊召喚」


 その英霊の列の中に、新たにひとりが加わったことを!

 あっちで死んだ僕がそこに加わったことを、見つけてしまったんだよ!


 カラアゲ君はたとえその身にどれほどの苦痛を受けたって、どんなに強要されたって、他の誰かを傷付けたり殺したりはしない。


 だけど!


 カラアゲ君はその日、心に決めたんだ……。

 誰かとたくさん戦って、誰かをたくさん殺すことを……。


 そうやって経験値を積み上げ、レベルをたくさん上げないと、魔力が足りないから……。

 魔力が足りないと、英霊召喚の大魔法が発動できないから……。

 だからカラアゲ君はたくさん戦って、たくさん殺して、たくさんたくさん泣いてきたんだよ!


 すべては英霊召喚で僕を生き返らせるために!

 すべては英霊召喚で僕と再び逢うために!


 けしておまえたちの暴力に屈した訳じゃないぞ、この薄汚いゴブリンどもめ!



「智恵者である貴様なら分かるはずだ。我らにとって勇者の持つ重さを。数万の貴重な術師を犠牲にしたその重さというものを。貴様のくれた偉業もたしかに重い。しかし秤に掛ければそれでも勇者とはとても釣り合わぬ」


「ええ分かっておりますとも、ジェスジア様」


「ならばその件は諦めてそれ以外の……」


「ならばその秤が釣り合うよう、皿の上にもう一枚の札を乗せてみます」


「もう一枚の札だと?」


「魔王の、首を」



「な!」


「まさか!」


「無理だ! できるはずがない!」



 ジェスジアさんと左右の従者たちが、悲鳴のように叫んだ。

 この札にはそれだけの重さがあるのだ。





「そうですね……。これより三月みつきの後には、勇者と僕とで魔王を討ち取って御覧にいれましょう」

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