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(7) 差し出された未来

「私に話とは何だ。聞いてやる」


「お話とはこの世界のことです。僕はこの世界が嫌いです。この世界の人たちが大嫌いです」



 僕がこちらの世界に来て三月。

 今ここはシシルスとは別の街の、ジェスジアさんに割当てられた豪華な一室。

 もちろんふたりきりではない。

 ジェスジアさんの左右にはその忠実な従者であるマギニッサさんとセリエイヌさんが立っている。


「老若もなく貴賤もなくこの世界の人たちは歪んでいます。誰も彼もが奪い合い、蹴落とし合い、傷付け合って暮らしています。皆で助け合って大きなパンを作るのでなく、小さなパンひとつのためにみみっちく殺し合っているんです」


 ジェスジアさんは僕の話に明らかに興味を失ったようだった。

 しかし僕はここで心を折って諦める訳にはいかなかった。

 あれからカラアゲ君は僕を守るためにモンスター軍団と五回戦い、これを五回殺し尽くし、そして五回泣いた。

 僕はカラアゲ君を守らなければならなかった。

 カラアゲ君を守ってやれるのはこの世界の中に僕しかいなかった。


「奪い合い、蹴落とし合い、殺し合う。いいですか、これではゴブリンとなんら変わりません。個の力で人はゴブリンに遠く及ばないのに人がゴブリンと同じことをやっていたら、これに勝てる訳がないじゃないですか」


「なあマギニッサよ、セリエイヌよ。おまえたちが是非にと言うから時間を割いてやったのだぞ?」


 ジェスジアさんの恨み言にこの忠実な従者たちは不言不動を保つことで応えた。

 それでジェスジアさんも僕の話にまだ続きがあることを悟ったようだった。


「ああ、それで? 貴様はいったい何を言いたいのだ? 自分にもっと優しくしてくれと? それともあれか、皆が優しくなって助け合えば豊かで平和な世の中になるとでも言いたいのか?」


「いいえ、それは無理です。この人間社会の中で人々がゴブリンのように振る舞うのはその振る舞いがこの人間社会の中での最適解だからです。世の中にもともと小さなパンしかないからそれを奪い合うしかないんです。隙あらば密告されて投獄されて生贄にされてしまうから、それより先に無実の隣人を密告するんです。人々がゴブリンと同等なのはこの人間社会がゴブリンの社会と同等だからです」


「ならばどうしろと?」


「人間社会を変えればいいんです。大きなパンを作るんです。今までに誰も見たことのないほどの巨大なパンを作ればいいんですよ」


「待て……。貴様はいったい何の話をしているのだ?」


「この人間社会の中に巨大なパンを、巨大な富を作るんです。正直で勤勉な者がそのパン作りに参加すれば小さなパンを奪い合うよりずっと大きな分け前を得ることができる。そんな世の中になれば人はもうゴブリンであることをやめます。奪い合い蹴落とし合い殺し合うことなんて馬鹿らしくてやってられない、そんな世の中を作ればいいんですよ」


「だからいったいこれは何の話なのだ? マギニッサよ! セリエイヌよ!」


「こちらをごらんください」


 僕は用意したノートをジェスジアさんに差し出した。


「これが大きなパンを作るためのレシピです」


「ふむ、これはマギニッサの字か。それにこちらはセリエイヌの字だな。おまえたちが私に隠れてこの者と何かをやっていることは知っていたが……」


 ジェスジアさんはノートを捲っていった。

 最初は苦笑しながらペラペラと。

 次にその笑みが消えてゆっくりと。

 そしてついには驚愕の表情で、ページを戻っては何度も読み返した。


「石炭を燃やして蒸気の力で貨物車や大型船や織機を動かす? 鉄鋼生産を今の何倍にもできる製鉄法? 石油の精製と内燃機関? 航空機? コンクリートに鉄のロープに吊り上げ機械? それに、それに、生贄もなくそれと同等以上の威力を出せる火薬兵器だと?」


 ジェスジアさんは僕の話にようやく食いついてきた。

 マギニッサさんとセリエイヌさんがかつてそうであったように。


「これはいったい何だ? 貴様はいったい何をしたいのだ?」


「産業革命です」


「産業革命……。しかし貴様、本当にこんなことが実現できるのか?」


「できません。僕には無理です」


「なんだと?」


「この世界で力もなく、助けてくれる仲間もいない。そんな僕には到底無理です。できっこない。でもジェスジアさん、あなたは違う。僕にはできなくても、あなたならばこれができます」


 僕の言葉にジェスジアさんがナイフを突きつけられたように息を飲んだ。


「あなたの力でこの人間社会に巨大なパンを作るんです。今よりも遥かに豊かで強大で、生贄なんか必要のない社会を作れば人はもっと優しく正直で勤勉に生きられる。そうすれば人間社会はますます強大で豊かで安全で幸福なものになります。百年二百年もすれば人口は今の何十倍にも増えて、魔族なんて歯牙にも掛けぬほどの繁栄の時代がやってきます。そんな未来をジェスジアさん、あなたが作るんです」


 ジェスジアさんは瞑目してその新しい時代を想像しているようだった。


「これで救われて幸福を得るのはこの時代の者だけではありません。千年後も二千年後も歴史が続く限り人々はあなたに感謝し、あなたの名を称えることになるでしょう。奪い合いから助け合いへ。蹴落とし合いから高め合いへ。殺し合いから生かし合いへ。これこそは間違いなく世界の歴史上最も輝かしい変革です。そしてこれが、これこそが」


 僕はジェスジアさんに言葉のナイフをグサリと突き刺した。


「あなたの成し遂げた偉業となるのです」


 刺されたジェスジアさんの目が、大きく開いた。





「このノートこそがあなたの成すべき偉業です。僕は今、あなたに偉業を捧げているのですよ。英雄ジェスジア様」


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