(2) ゴミ英霊
誰かが僕の顔を撫でていた。
何か大きくて温かくて柔らかくて湿っていて生臭いもので、僕の顔を何度も何度も撫でていた。
それで目を開けると眩しい光の中にそいつがいた。
焦げ茶色で巨大な獣が、僕の顔をベロンベロンと舐めていた。
(ああ、僕はこいつに喰われて死ぬんだな)
そう思ったものの、何かがおかしい。
違和感その一。ここはどこ? 僕はなんで生きてるの? あのときたしかに死んだはずだよね?
違和感その二。目の前のこの巨大な獣。ライオンみたいなタテガミ、肉食獣のでかい口にでかい牙、生態系の頂点に君臨する圧倒的強者の風格。なのに、僕はこいつのことがちっとも怖くない!
そいつがまたベロンベロンと僕を舐めるものだから違和感その三。この生臭い匂いが懐かしくて懐かしくて涙が出てきたのだ。
「おまえ、もしかしてカラアゲ君か?」
『ばふ』
「マジかよ、マジかよ……。なんだよカラアゲ君、しばらく見ない間にこんなにでかくなりやがって……」
『ばふ。ばふ』
二トントラックのサイズまで成長した巨大なカラアゲ君に僕が泣きながら抱きつくと、その尻尾がなお一層強く振られたようで遠くでブオンブオンと恐ろしげな風切り音が鳴っていた。
「カラアゲ君、ここは天国なのかい」
『ばふ』
そうではない、ここは元いた所とは別の世界。
カラアゲ君の言いたいことがなぜか僕には伝わった。
それも不思議だったが、そもそも別の世界ってなんだよ。
「○~♀♯※%」
「∇◇∴∂¥▽」
「Å∴≠@±?」
「うわッ」
突然見知らぬ人たちが現れて話しかけられたことで、僕は腰を抜かすほど驚いてしまった。
これはきっと以前のトラウマのせいだと思う。
しかし現れたのはいかつい男たちではない。
その真逆。
びっくりする程の、日本ではちょっと見たこともないような美女たちであった。
「あの。は、はじめまして……」
自分たちから話しかけてきたくせに、三人の美女たちは僕に挨拶を返してくれなかった。
ああこれ……。
彼女たちのこの目を、彼女たちのこの雰囲気を、僕はよく知っている。
これは結婚相談所の主催するパーティーで初対面の女が僕を見るときの目だ。
そう。僕のことをジロリと値踏みして、ハズレだと判断して、こちらに話しかけるなオーラを出してくるあの雰囲気だ。
そしてこちらの美女たちもまた僕の存在をないものとして、女どうしで何やら相談をはじめた。
それは聞いたこともない異国の言語で、何を話しているのか当然僕には分からない。
『ばふ』
巨大なカラアゲ君が僕の額をまたベロンと舐めた。
すると何かが僕の脳に染み込んできて、すぐにそれがカラアゲ君の掛けてくれた「翻訳魔法」であることが分かった。
どういうわけか、僕にはカラアゲ君の意図がすんなりと分かってしまうのだ。
つかなんだよカラアゲ君、翻訳魔法って。
「間違いないのか? マギニッサよ」
「はいジェスジア様。この男は勇者様が異世界より召喚した英霊と思われるのですが……」
「英霊なのに戦闘スキルがゼロとはなんだ? ゴブリンのように醜い上に戦闘力が皆無だと? セリエイヌよ、そんなことがあり得るのか?」
「それがジェスジア様、何度鑑定してもこの者には『偉業』がないのです」
「それこそありえない! 英霊とは死した英雄だぞ。英雄とは『その生涯で偉業を為し遂げる者』だぞ。偉業もなく死した者がなぜ英霊なのだ!」
三人の美女はどうせ言葉が分からないだろうと、僕の目の前で酷いことを言っている。
「いったい何なのだ! 英霊ならば、死した英雄ならば、それこそ山を割る程の魔術師だって、ドラゴンを斬り殺す程の剣士だっているだろうに!」
「勇者様は依りにも依って、なぜこのようなゴミを」
「おそらくこのゴミは勇者様の元の世界での知己だと思われますが」
「く。それでは勇者様は御自身に課せられた使命よりも縁故を優先されたというのか。これでは勇者様を異世界から呼び寄せるために生け贄となった数万の術師たちも浮かばれないではないか。マギニッサよ!」
「はいジェスジア様」
「このゴミを今すぐ殺せ。そしてセリエイヌよ、勇者様にもっとちゃんとした英霊を召喚するよう伝えろ」
「ジェスジア様、それはできません。英霊召喚とは死した英雄の魂を呼び寄せ、膨大な魔力で受肉させて留める大魔法です。つまりひとたび召喚された英霊はその魔力の根源である勇者様がいらっしゃる限り何度殺しても復活してしまうのです」
「すると勇者様は生涯でただ一度しか召喚できない英霊なのに、こんなゴミを選んで呼んでしまわれたのか……」
「はいジェスジア様。そういうことに……」
「四年……、四年間だぞ。召喚の儀より四年かけて勇者様がここまで成長なされ、ようやく英霊召喚の大魔法が可能となったのに。異世界の英雄である勇者様であれば魔王を倒すための強力な切り札だって呼べたはずなのに」
「勇者様が、異世界の英雄である勇者様が、その膨大な魔力と引換に生涯でただひとり呼べる相棒ともいえる英霊が」
「よりにもよって」
「こんな能無しのゴミであったとは」
「マギニッサよ、セリエイヌよ、私は今泣きたい気分だぞ」
泣きたいのはこっちだよ!
なんだよ人のことを能無しのゴミって。
三美女の相談はまだ続いているけれど、もうお腹一杯。事情はだいたい把握しましたから。
・カラアゲ君はあのときの魔方陣でこっちの世界に呼ばれたらしい。つかそのために数万人の生け贄って……。
・それが四年前とのこと。僕にとっては半年前だけど、僕はなにせあっちで一度死んでいるからその分のタイムラグかもしれない。
・あれ以来、カラアゲ君はこっちで勇者様をやっていた。
・勇者様であるカラアゲ君はこの三美女とパーティーを組み、魔族を退治して回っているらしい。最終的な目標は魔王の討伐?うわぁ。
・カラアゲ君は四年間でレベルアップを重ね、戦闘力と知能を飛躍的に高めたとか。あんなに可愛らしい室内犬だったのに、お陰で今や二トントラックサイズ。翻訳魔法だけでなく、いろんな魔法も使えるんだってさ!
・そしてそして。僕はカラアゲ君によってこちらに呼ばれ、再び生き返ることができた。まあそれで美女三人は頭を抱えているわけですけど。魔王討伐ぅ? 知らんがな。
「ああ勇者様はなぜこんな役立たずのゴミなど呼んでしまわれたのか」
「ジェスジア様、いかがなさいます? このまま連れて行っても足手まといです」
「さりとて殺すことも叶わぬとなればジェスジア様」
「うむ。コイツはそこらに埋めていくしかないか」
ちょちょちょ、人のことを生埋めって。
この人たち、いくらなんでも酷くない?
あっちで僕を殺したあの外国人犯罪者たちと大差なくない?
僕、今ヤバくない?




